トラウマ2
「……小学五年生のとき、友達だと思ってた子に嫌われちゃったことがあってね」
アトラクションが終わって、近くのベンチに座り数分休んだところで、社がぽつりとこぼした。
左ひじを抱いて目を伏せる社の表情は硬く、俺はただ、それを見つめることしかできない。
「その子はとても明るい子で、クラスの子全員と仲良くなりたいって言ってた。私もそのうちの一人に過ぎなかったのに……嬉しかったの。とっても」
周りの喧騒がまるで気にならない。社の声色だけが耳に届く。
「お話しして、遊んだりもして、楽しかった。私、昔から一人でいることが多かったから」
眉尻を下げて微かに笑った社は、どこか恥ずかしそうだ。
……昔からなのか。俺はてっきり、小中とモテまくったせいで男子のことが嫌いになったとばかり思っていたぜ……。小学生の頃の社も、さぞ可愛かったに違いない。
「そんなある日、私はその子の好きな人を教えてもらったの。絶対秘密にしてって、誰にも言っちゃダメだよって言われて、私はちゃんとそれを守った」
社のことだ、そう言われれば誰かに言いふらしたりはしないだろう。
「でもね、少ししてから、その子の好きな人がクラスのみんなに知られてたの。その子の好きな人を教えてもらっていたのは私だけじゃなかったんだけど……、私に教えてすぐだったから、私が疑われたの」
「……社が言いふらしたって?」
「……うん。私じゃないんだけどね」
本当は、たまたまそれを聞いた一人の男子が面白がって言いふらしたらしい。
その真実が明らかになるまでの数日、社はその子に、私じゃないと何度も訴えた。
「けど……信じてもらえなかった」
それに加えて他の女子からは、無視されたり、悪口を言われたり、嫌がらせを受けたりもしたという。
「ショックだった。仲良くなれたって思ってた分、余計に」
左ひじを抱く力がさらに強くなる。
「その日から私は怖くなったの。また同じことがあるんじゃないかって。今でもそのことが忘れられない。だから、あと一歩が踏み出せない。これ以上近づいたら、また傷つく……」
社が男子から距離を取る理由も、女子と話すとき緊張する理由も、根元にはそんなことがあったのか。
「……おかしいよね。小学生のときのことなのに、まだ怖がってるなんて」
「おかしくはないだろ」
「そう、かな」
「一回失敗して、それを怖がるのなんて……普通だ」
自分が吐いた言葉は、社に言っているのか、それとも自分に言い聞かせているのかわからなかった。
きっとこれは、いいことじゃない。でも、間違いでもないと思う。
昔見たホラー映画が怖くておばけが怖いとか、昔溺れたことがあるから泳げないとか、それと一緒だ。
人が怖いから、人と仲良くできない。何の違いもないだろ。
それに、社は怖さに立ち向かおうとしている。横山と仲良くなろうとしている。頑張ろうとしている。
俺なんかとは、全然違うんだ。
すると社は、目を瞬かせて小さく首を傾げた。
「香西君も……?」
「ああ、俺もだ」
「……そっか。香西君もか」
苦笑いを浮かべた俺に、社は小さく笑い返す。
社の話を聞いたのだ、もう後には引けない。社の頑張りを、無駄にはしない。
俺にできることはなんだ。社と横山をくっつけるためには何をすればいい。
「どうしたらいいかな……。横山さんと、仲良くなれるかな」
社はまた左ひじを抱く手に力を込めた。
社なら大丈夫だと、根拠のない御託を並べても意味がない。横山はそういうやつじゃないと、言い切れる自信もない。あいつのことよく知らないし。
じゃあ俺が一番知ってることはなんだ? そんなの、俺のこと以外にない。
「俺は、社を一人にしない」
俺は大口を叩かない。できることしかできないから。
社の背中を押すことはできない。社の過去を払拭することもできない。社を守ることもできない。
だからせめて、目の届くところにいてあげたい。
前を向く社が、後ろを見たくなったとき、そこに俺はいてあげたい。
「社が頑張るところを見守ってる。話くらいは聞けるから。俺なんかでよければ……だけど」
「……ほんと? 私は、それを信じていいの?」
「ああ。横山のことも社のことも、俺は全然知らないけどさ、自分のことは知ってるから」
できないことも限界も、全部。だからせめてできることは全力でやる。
「もし、横山と仲良くなれなくても、俺がいる。社を一人にはしない」
「……二回言った。なら、安心だね」
強張った表情と、左ひじを抱く力を緩めた社は、人一人分空いていた距離をよいしょと詰めて、微かに頬を染めた。
「それじゃあ……香西君、私と友達になってください。……まずは友達から」
「俺からでいいのか? 横山からの方が……」
「順番なんて関係ないよ。それに、友達がいた方が心強い」
「……社がいいなら」
後半のまずは友達からってのがちょい気になったが、まぁ深い意味はないだろう。声小さかったし。
「えーと……握手?」
「お、おう」
俺は、差し出された手を優しく掴んだ。
思ったよりも柔らかくて細い。ちょっと力を入れれば割れてしまいそうだ。
指先が微かに赤いのは、さっきまで左ひじ強く抱いていたせいだろう。
「腕は大丈夫か? 結構強く抱いてたけど」
「あ……赤くなってる」
それから俺と社は、腕の赤さが引くまでベンチで休憩して、横山と斗季にメッセージを送った。
すると二人からすぐに返事が送られてくる。
『今終わったよー。お腹空いた』
『今終わった。お腹空いた』
同じこと言うなら一人だけでいいんだよ、送ってくるの。もちろんめんどくさいのでツッコミはしないが。
『なら集合して社の弁当を食べるか』
『『賛成』』
社に相談する前に決めてしまったが、隣でその様子を自分のスマホで見ていた社は、「うん」とうなずいた。
横山たちとの集合場所を決めて、俺と社はロッカーに預けていた荷物を取りに行く。
「香西君とお弁当食べるの久しぶりだね」
「そうだったな。社は先週、横山と食ってたもんな。そのときはどうだったんだ?」
「……横山さんずっと喋ってるから、新鮮だった」
「斗季と一緒だな。まぁ慣れればなんとも思わなくなるぞ」
「横山さんとちゃんと喋れるように頑張る」
「おう、応援してる」
弁当を持って集合場所の芝生ゾーンに行くと、先に着いていた斗季と横山が大きく手を振っていた。
ここはアトラクションがあるエリアからは少し離れていて、主に休憩場所として使われているようだ。
周りには、芝の上に座って、持参のご飯を食べている人が結構いた。
「うっす。待たせた」
「待たせてごめんなさい」
「私たちもさっき着いたばっかだよ」
「そうですよ社さん。謝らなくていいです」
二人が確保してくれた場所によいしょと腰掛ける。
「奏も座って座って。ほら、たっくんもうちょっとあっち行って」
「あい」
横山に指示された通り動いて、俺と斗季が並んで座り、向かい合うようにして、社と横山が並んで座った。
社の顔を盗み見れば、やはりその表情は硬い。が、俺と目が合うと、社は嬉しそうに微笑んだ。
すると、それを見逃さなかった横山が、ニヤリと笑って、「何かあった?」と聞いてくる。
「……別に何もないけど」
言いながら社に目をやれば、しゅんと肩を落として寂しそうに口をつぐんでいる。
「ほんと?」
「あ、いや、実は……友達になった。社と」
パッと明るい表情になった社と違って、横山は目を瞬かせるだけで、あまり面白くなさそう。横山さんは何を期待してるのん?
そんな横山も社の表情を見れば、小さく笑って「ま、いっか」と、呟いた。
「横山も社と仲良くなりたいんだろ、なら」
「はぁ? 私と奏はもう仲良いから。友達だから」
「え?」
「え、違うの?」
「う、ううん。私、横山さんの友達でいいの、かな」
「もちろんだよ。私、ずっと奏と友達になりたかった」
そう言って、社に抱きつく横山を横目に、俺と社は目を合わせて、また笑った。
こうして俺と社に、新しい友達ができた。
社にはまだ怖い部分はあるだろうけど、少なくも俺は、そんな社を助けていきたいと思っている。
社に対するこの気持ちがなんなのか。俺にはよくわからない。
ただ、このときから、俺と社の関係は、少しずつ変わり始めていた。
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