説教と冗談
連休のせいか、まだ朝早いはずなのに、車内には思ったよりも人がいる。
「人多い……のかな?」
「どうだろうな」
俺も社もあまり電車には乗らないので、これが多いのか、それとも普段通りなのか見当がつかないでいた。
席はほぼ満席で、立っている人も結構いる。
俺と社はドア付近に立っていて、社は手すりに、俺は吊革につかまっており、社との間にちょっと距離を取っている。
近くにいると動揺がバレそうだし、周りに多大なる誤解を与える可能性があるからだ。
さらに俺は、自分の選択にちょっと後悔を覚え始めていた。
「迂闊だった……」
社に聞こえないよう呟き、流れる景色を眺める。一瞬見えた学び舎に、背筋がヒヤリとした。
もし社が、男と一緒にいるところを同じ学校の生徒に見られたらどうなるんだ……。
今更やっぱり別々になんて言えないし、社は社でその辺の心配は全くしていない様子だ。
校内ではあんなに徹底しているのに、外に出るとやっぱり気は抜けるか。思えばクラス会の夜も二人だったしな……。
「香西君」
「ん?」
「……もうちょっとこっち来て」
そんな不安を抱いている俺と違って、社は久しぶりに乗る電車に少しテンションが上がっているようだ。
小さく手招きをする社に従い、一歩だけ歩み寄る。
「どうした」
しかし納得いかないのか、眉根を寄せてジト目で睨む社にたじろいでしまう。
いや社さん違うんですよ。この辺はまだ同じ学校の生徒がいるかもしれないので、気をつけようと思っててですね。
「香西君」
「は、はい」
「そんなに広がってると人に迷惑だよ?」
「……そうですね」
普通に説教だった。社のこと気にしすぎて当たり前のことが頭から抜け落ちてしまっている。
周りに人がいなかったことにホッとして、四人席の裏側に背中を預けている社の隣に並ぶ。
「気をつけてね」
「ごめんなさい」
まるで母さんに怒られてる気分だ。最近は、姉さんか緋奈に怒られることが多いので、この感覚は久しぶりだ。
「うん」と微笑んだ社は、窓の外に目をやって、楽しそうに景色を眺めている。横顔に見惚れそうになるのをグッとこらえて、手につかんだつり革を仰ぐ。
もしかしたら、俺の考えすぎなのかもしれない。
同じ学校の生徒が社を見かけたら、ほぼ間違いなく社だと気づくだろうが、近くにいる人間が社の知り合いだとは思わないだろう。それが男ならなおさらだ。
真面目な社は、電車に乗ってからあまり喋らなくなったし、ここで見られても、ただ並んでいるだけに見えなくもない。
実は社も、気にしていないのではなく、最初から警戒を怠っていないとも考えられる。というか絶対それだ。
あとは俺が気にせず落ち着いていれば、何も問題はない。
自意識過剰。俺の悪い癖だ。
ふっと短く息を吐けば、ドキドキが収まっていく。よし、これでいい。
「どうしたの?」
「何でもない」
「そ、そっか」
首を傾げ、小声で聞いてくる社にいつも通り返す。
何も変わらない、何も期待しない。それが俺だ。
俺と社が乗ったのは快速の電車で、あと二駅先の駅で新快速に乗り換えなければならない。
時間に余裕があるので、別にこの電車でもいい気はするが、このまま立ちっぱなしを考えると、俺の体力がもたない。どっか席が空けばいいんだけど……。
電車が止まるたびに一応確認はしているのだが、人が増えるばかりで、席は空かない。もうすぐ次の駅だし、それにかけるしかないな。
アナウンスが流れて、電車が速度を落としていく。完全に動きが止まると、俺と社がいる方とは反対のドアが開いた。
「いいもの見れた」
と、その駅で降りる乗客の一人が、そう呟いた。
一瞬だけ見えた口元にはほくろがあって、その女の人は、肩にもかからないほどの髪を揺らしながら電車を降りていった。
「あ、香西君、席」
「お、おう」
どうやら社はさっきの人に気づいてないようだ。
俺と社のすぐ後ろの席が空いて、乗ってくる人もほとんどいなかったので、ありがたく座らせてもらう。
あれは一体誰だったんだ……? もしかして同じ学校の生徒……とか。
「やっと座れたね。……香西君?」
「な……っ!」
なんて考えていたら、俺の顔を覗き込んでいた社が思ったよりも近くにいて、反射で半身をそらしてしまった。
「あ……ごめん、なさい」
「いや、違う。ちょっと驚いただけだ。気にするな」
しゅんと肩を落として、口をつぐんでしまった社に慌てて言い訳をする。
いつかの昼休み、似たようなことをして社を落ち込ませてしまった経験がある。
二度とあんなことしないと心がけていたのに、まーたやってしまった。すぐ近くに美少女がいたらそりゃ驚くって……。
「……ほんと?」
「ああほんとほんと社の可愛い顔があんな近くにあったら驚くのは仕方ないから」
うんうん頷きながら適当にまくし立てると、社が頬を染めて、綺麗な瞳を見開く。そして、そのまま俯いてしまいピクリとも動かなくなった。俺、また変なこと言ったのか……。この癖もどうにかしないとな。
数秒して顔を上げた社の表情は、さっきよりも緩んでいた。頬を染めたまま咳払いをする社は、やけに姿勢がいい。
「交代しよっか」
そう言って両手を出した社に、「交代?」と首を傾げれば、俺の膝上に置いてあったカゴバックに社は指を指す。
あーこれは限界なのバレてたな……。だから社は、席が空いたのをすぐ教えてくれたわけか。
「……すまんな」
「ううん。こっちこそ持たせてごめんね」
眉尻を下げて微笑む社に、素直にバックを渡して、背もたれに体重を預ける。
そういえば何かまずいことがあったような……。なんだっけ。
「香西君」
「ん?」
「一つ聞きたいことがあって」
「どうした改まって」
電車のドアが閉まって、電車はまたゆっくりと動き出す。
小声で話す社につられて俺も小声で返すと、内緒話みたいに手で口隠した社が半身を寄せて、「あのね」と続ける。
「香西君ってなんで横山さんにたっくんて呼ばれてるの?」
「あぁそれはだな、あいつが勝手に呼んでるだけで深い意味はない」
「そっか。勝手に……」
「横山は距離の詰め方がうまいからな」
俺もいつから呼ばれているのかよく覚えていない。薄っすらと記憶にあるのは、ファミレスで雑用をこなしていたことくらいか。なんでこんなことしか覚えてないん?
自分の虚しさを鼻で笑って、冗談交じりに、「社も呼んでいいぞ」と、目を見返せば、距離が近いことに気づいた社は、口をつぐんで目をそらす。
なるべく気にしないようにしていたのに、社が恥ずかしがると、俺にもそれが伝播して心音が早くなる。
「た……たっくん?」
すると、意を決したように上目遣いになった社が、首を傾げて呟いた。
「……冗談なんだけど」
わかりにくかったかな……。そもそも社に冗談は、通じないのかもしれない。
それにしても今のは、可愛かった。
「っ……! 香西君のいじわるっ」
耳まで赤くした社は、膝のバックをぎゅっと抱いて窓の方に顔を背ける。
俺はそのとき初めて、このあだ名をいいなと思った。
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