先輩と後輩
その日のうちに斗季と横山には、社が遊園地に来てくれると伝えておいた。
行動力の塊である二人は、チャットのグループを作り、社の予定を聞いて、日付や集合場所、時間や交通費などの算出を行ない、作ったばかりのグループにそれらを張り出していた。
バイト中で気づくのが遅くなったが、俺も短く了解とだけ送り、家に帰って、昨日決めることができなかった緋奈との予定も決め、その日はすぐに寝た。
次の日学校に行くと、教室後方の社の席で、横山が社と話しているのが見えた。
社の表情はどこかぎこちないが、首を縦に振ったり口を小さく開いたりしてるのをみると、何とか相槌は打てているようだ。横山もいつになく楽しそうに見える。
あんな堂々と二人がここで話しているのは、初めてかもしれない。
そんな二人を勝手に微笑ましく思い、いつものように机に突っ伏す。
窓の外を見ながらあくびを一つすると、かすかに視界が潤む。昨日はできるだけ早く寝たつもりなのにもう眠い。どうやら夜更かししてもしなくても、俺には関係ないらしい。
「社さんと横山さんどうしたんだろうね」
「二人が一緒にいると眼福だ」
「クラス会でも話してたし……いいなぁ」
ボッーとしていた俺の耳には、近くにいた男子グループの会話が届く。
ちらりと周りに目をやれば、そこにいた男子グループだけでなく、教室にいる人はあの二人を遠巻きに気にしているようだ。まぁ珍しい組み合わせだしな。見たくなるのはうなずける。
社と横山の歩み寄りはまだ始まったばかりだ。あの二人が仲良くなれば、俺と飯を食うこともなくなるだろう。遊園地でどれだけ手助けをしてやれるかが重要だな。
そんな決意を密かにして、カバンに顔を埋める。教科書の角が当たって痛い。
「家の匂いだな」
鼻から息を吸うと、世界一安心する匂いがした。
おかげで眠さに拍車がかかり、俺はそのまま目を閉じる。このまま寝れたら最高なのに……。
「はーいみんな席ついてー。香西君起きてね」
「……はーい」
次に目を開けたときには、教壇に立つ青倉先生が、こちらには目もくれず俺を注意する姿があった。
カバンを机の横にかけて、机に頬杖をつく。そうすると、あっという間に出席確認を終えた先生が、さっさと教室を出て行った。ほんとに誰も休んでない? 心配になるわ……。
「たっくんおはよう」
「おう」
「ほんとすぐ寝るよね。奏が言った通り」
先生がいなくなってすぐ、横山が俺の肩を軽く小突いて、鼻で笑いながら挨拶をしてくる。そして、小さく後ろの方を指差しているので、そっちに目をやると、社が手を握ってうっすと笑顔を浮かべている。
「うっす」
聞こえてないだろうが、俺もそれに軽くうなずき返す。てか、俺が寝てるの毎回見てるのかよ……。
「相変わらず眠そうだね」
「そういう顔だし、眠いからな」
「そんなんで遊園地大丈夫?」
「任せろ。万全の状態で臨む」
「いや遊びに行くだけだからね?」
言いながら自分の席に戻った横山を見送っていると、ポケットに入れっぱなしにしてたスマホがぶるっと震える。
画面を確認すると、社からメッセージが届いていた。
『ありがとう。もっと頑張る』
しかし返信はできないまま、一時限目が始まってしまった。
あとで返せばいい。お昼にでも直接言えばいい。そう思っていたのだが、その週、俺と社があの場所で一緒にお昼を食べることは、もうなかった。
一週間が終わり、待ちに待ったゴールデンウィーク初日。
慌ただしいバイトの午前を乗り切った俺は、夢前川と二人で休憩を取っていた。
もちろん示し合わせて一緒に休憩しているわけではなく、同じ休憩所を俺も夢前川も愛用しているので、二人同時に休憩時間に入れば、必然的にこうなってしまう。
「午前お疲れ……」
「お疲れ様です」
「……余裕そうだな」
「むしろ疲れすぎだと思いますよ?」
クタクタに疲れた俺と違って、丸テーブルの椅子に座った夢前川は、涼しい顔でスマホをいじりながら水を飲んでいる。
普段のバイトと品物の流れる早さが桁違いなので、フロアとバックヤードを行き来する頻度が高い。多分フルマラソンくらいの距離は……それはないな。
とにかく今日は立ちっぱなしの歩きっぱなしだ。体力に自信がない俺は、午前で疲れがピークに達している。
それに比べて夢前川は、情けない俺と違ってまだまだ余裕がありそうだ。
深く息を吐いて、緋奈が作ってくれた弁当を膝の上に広げる。学校は休みなのに作ってくれるなんて、本当にありがたい。
「なんかスポーツでもやってたのか?」
手を合わせて、ミートボールを口に運び何気なしに聞くと、怪訝な表情をした夢前川が肩越しに振り返る。
「言わなきゃダメですか?」
「……いや、言いたくなければ。ごめん」
最近ちょっとずつ話せるようになってきたものの、夢前川の基本体制は変わっていない。無視しないだけまだマシか……。
「……謝らないでくださいよ。私が悪いみたいじゃないですか」
バツが悪そうに呟いた夢前川は、体ごとこっちを向くと、スマホを下ろして目をそらす。
「中学までバドミントンやってました」
「そ、そうか」
「聞いといてそれですか……先輩」
ジト目で息を吐く夢前川は、そのままのスマホに目を落とした。
……あれ? 今あの子俺のこと先輩って呼んだ?
驚きのあまり目を瞬かせて夢前川を見つめていると、それに気づいた夢前川が、「なんですか」と、ジト目で睨んでくる。
「いや今、先輩って呼んでたぞ……」
「だって先輩じゃないですか」
「まぁそうだけど……」
「それともまだ私のこと年上だと?」
「その節は誠に申し訳ありませんでした」
まだ気にしてたのね! ほんとごめんね!
さらに視線を鋭くした夢前川に頭を下げると、膝上の弁当が落ちそうになる。
「おっと危ない」
「ちょっと、先輩!」
「ん? あ」
反射的に弁当を持ち上げたら、脇に置いてあった水筒に肘が当たってお茶が溢れてしまっていた。
すぐに水筒を起こしたが、床の被害は放っておくわけにはいかないほどの被害が出ている。
「……そこのコンビニで雑巾買ってくるわ」
手持ちのものではどうしようもできない。まぁ雑巾くらいならそんなに高くないしな。
財布を持って腰を上げた俺を制止したのは、夢前川だった。
「ダメです。もったいない。これ使ってください」
自分のカバンから取り出したハンドタオルを俺に手渡してくる夢前川の表情は、有無を言わせないような迫力があり、思わずタオルを受け取ってしまった。
「いいのか?」
「はい。もう一枚あるので」
「……すまん」
ありがたく使わせてもらって、溢れたお茶を拭き取る。それから手洗い場でタオルを軽く洗っておく。
休憩所に戻ると、スマホを見ていた夢前川が顔を上げて、手を差し出してくる。タオルを返せってことだろう。
「洗濯して返すから」
「いいですよ気にしなくて」
「そういうわけにはいかん」
それには応じず、残りの時間タオルを乾かしておこうと長椅子に広げ、改めて食事を開始する。
そこで俺は、あることに気づいた。
夢前川はさっきからスマホをいじるばかりで、ご飯を食べていない。もしかしたら昼飯は食べない派なのかもしれないが、午後はまだ長い。少しでも何か口に入れといた方がいいだろう。
「ちょっとお茶買ってくる」
夢前川に言って、コンビニでお茶と俺が好きなスティックパンを購入し、また休憩所に戻る。
「夢前川、お礼だ」
「え、い、いいですよ」
「一本でもいいから食べとけ。体力もたんぞ」
「……それは先輩でしょ」
「それな……」
的確な指摘にぐうの音も出ない。
苦笑いを浮かべると、クスッと笑った夢前川がパンを受け取った。
「食べれるなら全部食べていいから」
「それは……悪いですよ」
「いいって俺弁当あるし」
元々夢前川のために買ってきたもんだしな。これ言ったらキモがられそうでちょっとドキドキする。
長椅子に腰掛けて夢前川の方を見ると、美味しそうにパンを食べていて、ちょっとだけ、ほんの少しだけ、可愛いなと思った。
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