慣れない
次の日の昼休み。
弁当を持って階段を上がると、いつもの場所に座る社が、胸の前で手を握ってうっすと笑顔を浮かべ、俺を待ってくれていた。
「うっす」
それに小さく手をあげてこたえると、社はちょっとだけ横にずれて場所をあける。
「今日もすまんな」
「ううん、私が誘ってるから。あと、夜遅くにごめんね」
「それは気にしなくていい。俺寝るの遅いし」
「夜更かしはよくないって言ったのになぁ……」
苦笑いを浮かべて頬をかく社の仕草があまりにも可愛くて、俺は少しだけドキッとした。
昨夜、社からのメッセージにすぐ返事を送って、今日もお昼を一緒に食べる約束をした。
遊園地に誘う場ができてとりあえず一安心した俺は、明日に備えて早めに寝ようと思ったのだが、風呂から上がると、姉さんが玄関で酔いつぶれていて、その介抱を深夜までやるはめになった。
結局いつもより寝るのが遅くなり、午前中は睡魔との戦いに疲れ寝てしまっていたわけで、起きたのも今さっきだったりする。てか、睡魔との戦いには負けてるな。
そう言えば社には、この前そんな心配をされたような覚えがある。しかし、そのとき社は、自分は10時には寝ているとも言っていたような……。
昨日メッセージが送られてきたのは10時を過ぎていたので、社も夜更かししてることになるのでは……? いや、あの時間は夜更かしにならないか。
そんなことを考えながら人一人分の距離をあけて社の隣に腰掛ける。ちらりと横顔を盗み見れば、社が手で口を隠して小さくあくびをしていた。
無防備なその姿に思わず見惚れていると、不意にこっちを見た社と目が合ってしまう。
恥ずかしそうに頬を染めて俯いた社は、「ごめんね、はしたないところ見せちゃって……」と呟いた。
俺は、「あ、いや……」と声を漏らすことしかできず、社からそっと目をそらす。……何今の? 可愛すぎない?
普段は隙を見せない社だが、この場所だといくらか気が緩むように思う。
教室にいるときはずっと気を張っているように見えるので、この場所ではそうしてもらうのが一番いいのだが……。そんな社の一面を見てしまうと、俺が疲れてしまう。
嫌だとか見たくないとかじゃなくて……、心臓に悪いというか、ドキドキするというか。昨日もそのせいで社に対して過剰反応してしまい、険悪なムードになったしな。
俺が普通にしてればいいんだけど、社相手だとやっぱ多少は緊張する。
咳払いをして一度気持ちを落ち着かせる。
声が上ずらないよう気をつけて、「眠いのか?」と切り出りだすと社は、弁当の包みを解いていた手を止めて、さらに顔を赤くした。
「あ、いや、悪いことじゃない。俺とか毎日眠いし今も眠いまであるしな。眠いために生まれてきたまである」
この顔はそうとしか思えない。鏡を見るたび眠そうな顔してるからな、俺。
適当なことをまくし立てて社を見やると、ゆっくり顔を上げた社は、「……ちょっとだけ」と、はにかんだ。
「……そうか」
「昨日寝るのがいつもより遅くて」
「何時に寝たんだ?」
「11時くらいかな」
「俺より四時間早いぞ」
「香西君はもっと早く寝たほうがいいよ……」
そうしようと思ったんだけどね! さすがに家の中で倒れてる人を見て見ぬ振りはできない。姉さんにちょっと手を貸せば、あれやこれやをここぞとばかりに頼んでくるんだもんな。ほんと、俺の使い方わかってる!
「なんで遅くなったんだ?」
「それは……その」
何気なしに聞くと、社は目を泳がせながら口をつぐんでしまった。手元に目をやれば、ぎゅっと弁当の包みを握っている。
「あぁ……すまん変なこと聞いて」
「ち、違う! くて……。別に言えないことじゃ、ないんだけど……その」
俺の目をちらちらと見ながら言う社の声は、だんだんと小さくなっていく。
言えないことじゃないが、俺には言いたくないこと、か。なら、気にしない方がいいだろう。
「まぁ、食うか」
話を強引に終わらせて、弁当の包みを解く。
今日の弁当のメインは焼き鮭だ。どうやら、今日の朝ごはんはこれだったみたい。もちろん定番のおかず達も弁当を彩ってくれている。
「……うん」
少し遅れて社も解きかけの包みを解いて、弁当のふたを開けた。
社の方もメインは魚のようで、多分あれはサバだと思う。基本この二つしか弁当に入らないしな。
それから黙々と食事を進めて、二人同時に手を合わせた。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
お互いにお茶を一口煽って、短く息を吐く。すると、隣の社がくすっと笑って、膝においた弁当箱を片し始める。
「どうした?」
「ううん。なんでもないよー」
その横顔に声をかけると、小さく首を振った社は、片した弁当を脇に置いて、綺麗な瑠璃色の髪を耳にかけてまた、ニコッと笑う。
……俺が普通にしてられない一番の理由はこれだ。
教室にいるとき社は、こんなに笑ったりしない。
たまに目が合えば笑顔を見せてくれるが、一人で日誌を書いているときも、文庫本を読んでいるときも、誰かと話しているときも、社は笑わない。
そのギャップが、心臓に悪すぎる。
直視できず視線を足元に落とす。小さく息を吐き、今日の目的を頭の中で一度確認して、すぐに頭をあげる。
「なぁ社」
「はい」
「ゴールデンウィークとか、なんか予定あるか?」
「ううん。特にはないよ……なんで?」
ちょっとだけ前傾姿勢になっている社が、こてっと首を傾げると、耳にかかった髪がさらりと揺れて、社の口元で止まった。その唇はさっき飲んでいたお茶で潤っていて、どこか艶かしい。
そこから視線を下げれば、前傾姿勢のおかげで強調されたバストが目に入って、逃げ場がない。
「よかったらだけど……遊園地とか行きません?」
明後日の方向に目をやって、ポケットから出したチケットを社の前に差し出すと、ふわりといい匂いが鼻腔をくすぐった。なんでさっきより近くなってるんだろう……。
「ペア……。ってことは……、二人でって……こと?」
「あ、いや、同じクラスの横山と隣のクラスの三野谷ってやつもいる。二人じゃないから安心してほしい」
眉間を寄せて目を泳がせる社に、俺はしっかりあの二人が来ることも伝えておく。
斗季はともかく、横山がいるなら社も安心できるだろう。最近横山と社は、教室でちょくちょく話してるしな。
「……そっか」
「嫌ならほんと来なくていいから」
元々勝算のない誘いだ。誘って無理なら、斗季も横山も納得するだろう。
強張っていた肩を落として、社は小さく息を吐いた。そして、上目遣いで俺を見つめてくる。
「私も一つ聞きたいことがあるの」
「お、おう」
「香西君は、横山さんと仲良くないって言ってるけど、私からしてみれば十分仲良いと思う」
「そう見えるか……?」
「うん……。それで、ね」
そこで一旦言葉を区切った社は、連絡先を交換した日と同じようにグッと顔を寄せると、いつになく真っ直ぐな瞳で聞いてきた。
「私は……どうやって横山さんと仲良くなればいいと思う?」
「……はい?」
「私ね、昔から人と話すのが好きじゃなくて。だから、グイグイ来られるとどうしたらいいのかわからなくて」
「ま、まぁ横山なら、適当に相槌打ってれば勝手に話が進むからな。特に気にかけることもないと思うが」
「そ、そっか。教室で横山さんと話すときはそうするね」
「お、おう、頑張れ」
「うん、頑張る。あ、あと、遊園地は行きます」
「あ、お、おう……」
俺が教室で横山と話してるとき、社がよくこっちを見てた理由はそれが知りたかったからか。
俺との距離の近さに気づいた社は、頬を染めて口をつぐみさっと半身を引く。それそれ、それやめてほしいです。
なるほど、社は横山と仲良くなりたいわけか。なら、俺じゃなくて横山が誘えばよかったじゃねぇかよ。
それにしても社は社で横山に近づこうとしているのか。横山も社と仲良くしたいみたいだし、遊園地に行くときは二人の後押しをしてやろう。
何かに努力できる人を応援する。俺には、それしかできないから。
「遊園地楽しみだね」
階段での別れ際、最後にニコッと笑った社は、俺に手を振って階段を下りていった。
その背中が見えなくなっても俺は、疲れのおかげで、その場から動くことができなかった。
横山と仲良くないって否定するの忘れてたぜ……。
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