断り
教室に着くなり俺は、カバンを枕にして机に突っ伏した。
窓から入る風がいやに気持ちよく、このまま目をつむれば、すぐにでも寝れそうだ。
しかし、校門をくぐったのは登校時間ギリギリで、そんな余裕はない。
駅から学校が近い夢前川は多分遅刻してないと思うが……してたら文句言われそうだな。
窓の外を見ながら息を吐くと、いつも以上に体が重く感じる。空に目をやれば、可愛くない後輩の顔がちらついて、心も休まらない。
夢前川の下着を見ても冷静でいられたのは、姉さんのおかげだろう。
妹の緋奈は昔から俺に気を使ってくれているのか、下着姿のまま家の中をウロウロしないのだが、姉さんは平気でリビングに居座るし、俺の部屋に入ってくることもある。あれほんとやめてほしい……。
まぁ今回はそのおかげで、可愛くない後輩を変な目で見ないで済んだわけだけど。
「謝っとかないとな……」
今日のバイトは、二人で閉店作業だったはずだ。機会はあるだろう。口を聞いてくれればだけど。
そんな心配をしながら、カバンを机の横にかけてポケットからスマホを取り出すと、肩をバシッと叩かれて危うく落としそうになる。
肩越しに後ろを振り向けば、横山が小さく手をあげていた。
「危ねぇ……」
「あ、ごめん。そんな驚くとは思ってなかった」
「いやいいけどさ。で、なんか用? もうすぐチャイム鳴るけど」
「大した用ってほどでもないんだけど、なんでこんな遅いのかなって。寝坊? 私もよくするし」
「そんな誇らしげに言われても……。まぁそんなとこだ」
「それとその鼻のティッシュ気になるんだけど」
「これか、これはだな……」
バイト先の後輩のパンツ見てたら頭突きくらったんだ! なんて言えないよな……。「見てた」じゃなくて「見えてた」だし。むしろ俺は被害者である。
鼻に手を置いて答えに困っていると、俺に助け舟を出すかのようなタイミングで、青倉先生が教室に入ってきた。
「はーいみんな席についてね」
どうやら横山は、そこまで知りたかったわけでもないらしく、青倉先生の指示に「はーい」と返事をしながら俺に手を振って、自分の席に戻って行く。
本当に大した用じゃなかった……。助かったから別にいいか。
何気なしにその背中を目で追うと、社の席の隣を通るとき、首を横に振っているのが見えた。社もそれに手を振り返している。
ほーん、横山と仲良くなれたのか。行ってよかったな、クラス会。あの日の夜も、緊張したとは言っていたが、文句は一言も言ってなかったしな。
じっとその様子を見ていたせいで、前を向いた社と目が合ってしまう。
「……うっす」
可愛くない後輩いわく、これは挨拶ではないらしいけど、可愛いクラスメイトは、胸の前で手を握って「うっす」と、笑顔で俺に返してくれる。
たしかにこれは挨拶じゃないな。新しい萌えジャンルだ! うっす系女子……か。いろんなシチュエーションが一瞬で脳内に浮かんでくる。全年齢版の薄い本で出されてもおかしくないだろこれ。
「香西君、前向いてね」
「すいませーん」
軽く先生から注意を受けて俺も前を向く。
「それと、見なかったことにしてあげるからスマホ早くしまってね」
そう言って、出席簿を広げる青倉先生の優しさに危うく惚れそうになったが我慢できた。だからそこは惚れてやれよ……。
この学校は、スマホの持ち込みは許可されているが、使用は原則禁止となっている。保護者に緊急連絡するときにしか使用は認められていない。
スマホをカバンにしまって、頬杖をつきながら先生の話に耳を傾ける。今日も重要な連絡事項はなく、簡単な出欠確認だけ済ませて、先生は教室を出て行った。仕事が早すぎて心配になるんですけど。
さて、今週も頑張りますか。もうすぐゴールデンウィークだしな。
気持ちを切り替えカバンの中から一時限目の教材を取り出した俺は、伸びをして窓の外に目を向ける。
揺れる緑とグラウンドの土、街の風景が広がって、それを見守るように綺麗な青が遠くまで続く。
「……水色か」
気持ちの切り替えが全然出来てない。……今週はもうダメだな。そう思いながら、鼻に詰めてたティッシュをゆっくりと引き抜いた。
午前の授業を乗り切った俺を祝福するように、昼休みを告げるチャイムは、今日も定刻に鳴り響く。
前後の席の人が教師よりも先に教室を出て行くのを見送って、カバンから弁当を取り出す。
ついでにちらりと後方を見やると、社が弁当と水筒を持って席を立っているのが確認できた。
「どうするべきかね」
水筒とスマホも机に出し、社に連絡するかを考える。
まず送るとしても、なんて送ればいいのかも悩みどころだ。今日は行かないと送るべきか。それとも、行かない方がいいか? と確認を取るべきか。
スマホとにらめっこしてどうするか悩んでいると、スマホの画面に社からのメッセージが表示される。
『社です。今日は来る?』
真面目な社のことだから、学校ではスマホ使わないんじゃないか? とも考えたが、そんなことはなかった。あの場所は人いないし、見つかることもないだろうからな。
そんなことより返信だ。社の時間を奪うわけにはいかない。
『今日はやめとく。一人でゆっくりどうぞ』
俺と食べる弁当が好きと言ってくれた社だったが、もちろんそれは社交辞令だと俺もわかっている。
連絡先を教えてくれたのも、来るか来ないかわからないから先に食べ始めていいのかわからない! と、悩まないようにするためだろう。
社が連絡先を教えてくれた理由は、ただそれだけのはず。この昼休み以外で連絡する気はないので安心してほしい。
『社です。そっか……。わかった。一人で食べるね。邪魔してごめんなさい』
『謝ることはない。じゃあ、よい昼休みを』
最後にそう送ってスマホを閉じる。これで心置きなく社も弁当を食べれるはずだ。よかったよかった。
俺も早く食べて寝る時間を確保しようと思いながら弁当の包みを解いていると、朝のときよりも強い衝撃が、肩に襲いかかる。もう確認しなくてもわかる、横山でしかない。
「……痛い」
「はいはい。それよりなんでここにいんの?」
「俺の席なんですけど」
「いや知ってるし。私が聞いてるのは、なんでここで食べてるかってこと」
「……俺の席だからな」
決して間違っていないはずなのに、横山は俺の机に手をついて盛大なため息をついた。なんで女子からはこんないい匂いがするのでしょうか。
しかし、顔を上げた横山の表情は、そんな甘い匂いとはかけ離れていた。
細められた目と、眉間に寄ったシワに加えて、目の下がピクピクと動いている。
「……奏に誘われなかった……?」
「誘われたけど……断ったぞ」
「はぁ⁉︎ なんで!」
「最近よく昼食の邪魔してたし迷惑かな……と」
「迷惑だと思ってるなら普通誘わないでしょ!」
「いや違うな。社は真面目だから、誘っとかないとダメなのかな? なんて気を使っているはずだ。知ってるか? 社は一人で飯を食うのが好きなんだよ」
クラス会で仲良くなったか知らないが、まだ俺の方が社のことを知っている自信がある。
社は一年も前からあの場所で飯を食べているのだ。この学校で、唯一一人になれる場所を、俺の勘違いで奪うわけにはいかない。
「たっくんってバカなの?」
自信満々で言ったつもりなのに、目の前の横山は怒りを通り越してもはや真顔になっている。バカと言われたことに対してはなにも思わないが、声のトーンがやけに低くて、適当にはあしらえない。
何も言えないでいる俺に、横山は続ける。
「一人でご飯を食べるよりも、誰かと一緒に食べた方が好きに決まってるでしょ。たっくんはどうなの」
「まぁ……たしかにそうだな。一人でも平気だが、人数多い方がいいとは思う」
「ふん、わかってるんじゃん。奏もそうだと思うよ。あとさ…………まぁこれはいいや。とりあえず行ってきて」
ビシッと教室の外を指差す横山は、目を細めて俺を睨んでいる。さすがの俺もここまで言われたら、観念するしかない。途中でできた間が気になるけど。
腰を上げて、解けかけの包みをまた結び直す。妹のように上手くはできなかったが、弁当が落ちることはないだろう。
「……横山は社と食わないのか?」
クラス会で横山と仲良くなったのだから、わざわざ俺じゃなくてもいい気がする。そんな疑問が頭をよぎった。
「今日はたっくんの日なの! 私だって奏と食べたいし!」
「はぁ……」
もうわけがわからん。一緒に食べたいなら食べればいいのに。
社のところに行く前に、スマホで社にメッセージを送る。一度断っているので、拒否されることも覚悟しておいた方がいいかもしれない。
しかしどうやら、その心配はいらなかったようだ。
『社です。ほんと! 待ってる!』
内心ホッとしつつ、送られてくる社のメッセージの違和感にやっと気づいた。
「なんで毎回名前も送ってくるんだろう……」
まぁそれは、弁当を食べながら聞けばいいか。
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