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通学と水色

 四月後半ともなると、朝は寒いから暖かいに変わり、布団から出るのもスムーズになった。

 夏に備えてエアコンの掃除をしなきゃなーと思いつつ、あくびをしながら制服に袖を通す。

 俺は朝飯を食わない派なので、起きる時間はいつもギリギリだ。歯を磨く時間と、寝癖を直す時間さえあれば問題はない。

 すでに全ての準備を終えている妹の緋奈から弁当を受け取って、二人一緒に家を出る。

 父と母は仕事に行っており、姉さんは大学生なのでまだ寝ているはずだ。羨ましいぜ……。


「そういえばお兄ちゃん、いつ買い物行く?」

「そうだなー、ゴールデンウィークかな」

「うんわかった。バイトはお休み?」

「おう。連休は休まないとな」


 昨日は、朝から晩までバイトだった。

 基本土日祝の休日は、バイトを入れていた俺だったが、大型新人夢前川のおかげで、ある程度シフトに自由がきくようになっている。

 まぁ俺のバイト先、ゴールデンウィークは初日と終わり以外は全部休みなんだけど。

 土曜は夢前川一人に任せてしまったので、日曜のバイトは俺一人だけだった。久しぶりの朝シフトは、俺の体に多大なダメージを与えており、今も完全に疲れは取れていない。おかげでいつもよりあくびが出る。

 どうやら緋奈にそれが伝わってしまったようで、心配そうな目で顔を覗き込んでくる。


「……無理しなくていいよ?」

「大丈夫だ。緋奈のためならこれくらい余裕」

「そういうの、シスコンって言うんだよ」

「ちちちげーよ!」


 くすくす笑う緋奈は、いつ見ても可愛い妹だ。それで緋奈さん、そんなこと誰に教わったん?

 いやでも、緋奈ももう中学三年生なんだ。俺の後ろをついて回っていたあの頃とは違う。むしろ今は、俺の前を歩いてるまである。妹の成長に全俺が感動した……。あれ、本当に涙が。


 駅が近づいてくると、緋奈の通う桜井女子学園の制服を着た人たちが目立つようになってきた。

 妹と同じ白色のブレザーを着たのが中学生で、紺色のブレザーが高校生のはず。やや紺色が多めなのは、高校の方に電車通学者が多いからだろう。


「じゃあ、弁当ありがとうな緋奈」

「うん。いってらっしゃいお兄ちゃん」

「緋奈もな」


 中等部の生徒会長を務めている緋奈は、きっと顔が広いはずだ。こんな兄と一緒にいるところを見られたら、変なことを言われてイジメられるかもしれない。兄としてそれだけは避けなければならないので、駅に差し掛かる前に、早めに緋奈と別れておくのが俺なりの対抗策だ。

 本当は、緋奈との登校をやめたいのだが、一度緋奈にそれを持ちかけたら、一週間口を聞いてくれなかった。思い出しただけで泣けてくる。

 笑顔で手を振ってくれる緋奈に手を振り返して、その背中を見届ける。


「よし、行くか」


 この時間の駅構内は人が多いので、登校時は線路下の歩道を使っている。ちょっと遠回りになるが、緋奈のためならなんてことない。

 いつものようにその道を進んでいると、前方に見知った顔があった。

 桃色気味の茶髪と切れ長の目が印象的な、バイトの後輩夢前川ソフィアである。

 なんであいつがこんなところに……。あいつも学生だからおかしくはないか。

 どうしよう、挨拶するべきかな。無視ってわけにはいかないよな、一応顔見知りではあるし。いや、もしかしたらあっちはそうとも思ってない可能性が……。

 などとぐだぐだ悩みながら歩けば、いやでもその距離は縮まっていく。

 何が怖いって、夢前川があっち側でじっと立ってることなんだよなぁ。

 もしかして刺されるのか? 毎週月曜日に販売される少年雑誌は放課後に購入するので、お腹に隠すものは何もないぞ。

 登校前に買うやつは青倉先生に没収されればいいなと思いました! あの人はそのまま持って帰って読むはずだ。

 そんなことより、今は俺の命の危機である。悪いことした覚えはないが、謝る準備はしておこう。


「……うっす」

「何ですかそれ」

「え……挨拶の、つもり」

「そんな挨拶私は知りませんよ」

「……ごめんなさい」


 後輩に謝っちゃった……。しかも、割と的確な指摘で言い訳もできない。社なら返してくれるのに!

 社のありがたみを心に刻み込んで、可愛くない後輩に「……じゃあ」と、小さく頭を下げ、その場から逃げ出そうと思ったのだが、俺の腕を夢前川がぎゅっと掴んでくる。


「待って……ください」

「え、なに、土下座?」

「……そこまでのことじゃないですよ」


 呆れたように息を吐いた夢前川は、掴んだ腕を離して小さく「すいません」と、謝った。

 大げさに騒いでやろうかなとも思ったが、朝からそんな元気はないし、後輩をいじめる気もない。


「なんか用か?」


 俺も小さく息を吐いて、夢前川に向き直る。

 桃色を含んだ茶色の瞳には、さっきまでの鋭さがなくなっていた。


「さっきまで一緒にいた子とどういう関係ですか?」

「さっきまで……あぁ、緋奈か。緋奈は俺の妹だが……ちょっと待て違うんだ」

「やっぱり……。最悪……」

「待て待て俺のことは最悪でも構わんが、緋奈の悪口は許さん」

「どっちの悪口でもないですよ。私がいつ悪口を言いました?」


 そうだね、悪口は言ってないね。口が悪いだけだね! というか、緋奈といるところを見られたんだけど……。

 そのことで何か言われると覚悟したのだが、夢前川は力なく笑ってその場にしゃがみ込むだけだった。


「ど、どうした」

「やっと見つけたバイトなのに……」


 膝に顔を埋めてぶつぶつ言ってるが、状況がわからないし、パンツが見えそうだから早く立ってほしい。

 社はストッキングを履いていたからギリよかったものの、夢前川はニーソックスだ。がっつり見えちゃうよ。


「話聞いてやるから、とりあえず立ってくれ。その……見える」

「見える……? っ……!」

「痛っ」


 夢前川の下着を見ないよう心がけ教えてやると、途端に顔を真っ赤にした夢前川が勢いよく立ち上がった。そして、彼女の頭と俺の鼻がごっつんこする。


「へへ、へ、変態! いつかはやると思ってましたが今やるなんて最低! 朝から性欲丸出しとか考えられません!」

「誤解だ誤解! 見てないから安心しろ!」

「嘘つかないでくださいよ! 鼻血まで出して」

「これはお前とぶつかったからだ! いってぇ……」


 この石頭め……。鼻血とかいつぶりだよ。


 制服につかないよう気をつけて、カバンの中からいつ貰ったかも忘れたポケットティッシュ取り出し、丸めて鼻に詰め込む。けど、鼻はまだじんじんする。

 幸い制服に被害はなく、地面についてしまった血も、残りのティッシュで拭き取ることができた。

 早口でまくし立てていた夢前川も、今更頭が痛いことに気づき、申し訳なさそうに肩をすくめている。


「ごめんなさい……。でも、本当に見てないんですね?」

「見てない見てない」


 見てないよ。見えてたけど。水色な。

 今それを口に出すと鼻血じゃすまなそうなので、墓場まで持っていくことした。

 それより夢前川さん、いつかはやるとか言ってましたね……。心外すぎるんですけど。

 まぁいいや。とりあえず話を本題に戻そう。


「で、俺と緋奈が兄妹だと何かまずいのか?」

「……だって、私の学校バイト禁止なんです。それが中等部の生徒会長なんかにバレたら、すぐ先生の耳に入るじゃないですか。そしたらバイトもできなくなるし、最悪退学も……」

「な、なるほどな。何で禁止なのにバイトしてんだ?」

「……私にも事情があるんです」

「そうか、聞いてすまん」

「……」


 ついつい聞いてしまったが、校則を破ってまでバイトをしてるんだからそれなりの理由はあるだろう。

 言いたくなさそうだし、聞いたからといってどうにかできるほどの力は持っていない。


「どうした?」

「あ、いや、謝るんだなって……」

「簡単に頭を下げるのが俺の長所だ」

「それは長所ですか……?」


 長所の捉え方なんて人による。謝ることに慣れていれば将来必ず役に立つ。これは間違いない。

 自分にそう言い聞かせて、夢前川の小言をスルーしておく。


「いい情報かは夢前川次第だけど、俺はまだ緋奈に、夢前川がバイト先にいるとは言ってない」

「え……」

「わざわざ話すことでもなかったしな」

「それは、そうですね」

「だから、今すぐやめるってことはないんじゃないか? 正直俺も的形さんも助かってるし。バレるのが怖いなら、やめるのも手だけどな」


 そう提案すると、夢前川は目を丸くしてパチパチ瞬きをする。

 彼女は普通に可愛いので、そんな感じで来られると俺もドキドキしちゃう……。


「……なんだよ」

「あ、いや、てっきりこれを脅しの材料に、私にあんなことやこんなことを、と……」

「するか」


 どこでそんなこと覚えたんだよ。いいからそう言うラブコメっぽいのとか。


 どうやら夢前川は、当分は現状のままいくらしい。

 わざわざあのスーパーを選んだ理由は、学校と家から近くてすぐ働けるからってのと、近いと逆に見つからないかもしれないってのと、あの小さいスーパーに桜井女子学園の子は来ないって理由だった。

 まぁ俺もその学校のやつがバイトで来るとは思ってなかったし、いい目の付け所じゃないかな。


「んじゃ、そろそろ時間もやばいから行くわ」

「はい……その、ありがとうございます」

「うん、素直でよろしい」

「っ! 何ですかそれ」


 眉根を寄せて睨んできた夢前川が、踵を返して線路下の歩道を歩いていく。

 そういえばあの道は、結構狭いので、いい感じに涼しい。その理由は風で、ごく稀に強い風が吹くときがある。

 夢前川がその歩道に足を踏み入れた瞬間、彼女のスカートが風によってめくられた。

 ゆっくりと振り返った夢前川は、スカートを抑えながら頬を赤く染めて聞いてくる。


「……見ました?」

「……水色」

「最っっっ底!」


 後輩に向けられる冷ややかな視線もいい……。

 ぐっとティッシュを詰め直すついでに仰いだ空は、それはもう綺麗な水色だった。

読んでいただきありがとうございます!


評価、ブクマ、感謝です!


感想、レビューもお待ちしております!


誤字報告ありがとうございました。

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