印象
別に、全然これっぽっちも楽しみにしていないが、明日はクラス会当日だ。
バイトが終わり、制服に着替えて、食品部門の社員さんにお疲れ様でしたと挨拶をすると、少し遅れて更衣室から出てきた夢前川が、同じように頭を下げた。
「お疲れ様でした」
社員さんも閉店作業の最中で、俺と夢前川を一瞥して軽く頭を下げると、すぐに作業に戻る。
桃色の髪を揺らして、流れた切れ長の目をすっと俺に向けた夢前川は、無表情のまま裏口へと歩き出す。
「はぁ……」
一度抱いた第一印象というのは、なかなか拭えないものだ。
あの人はこんな人だ、この人はあんな人だ。そう決めつければ、簡単にその印象が変わることはない。
近しい人で言えば、社がそうだった。
去年一年間、同じクラスでありながら話す機会がほとんどなく、外から入ってきた情報で、社はこういうやつなんだと決めつけていた。
実際間違っていたわけではない。でも、知らないことが多かった。ああいうやつだけどこうで、こういうやつだけどああだ。そう思えるようになった。
その第一印象を変えるためには何をすればいいか。
それは、コミュニケーションだ。
偶然にも、最近社と接する機会が多かったから、それがきっかけで、彼女に対する印象はだいぶ変わった。まぁ元々悪い印象を持っていたわけじゃない。ただ、知ろうとしてなかっただけ。
まだ、学校の中なら、全員と関わる必要はない。しかし、バイト先では違う。それが直属の後輩となればなおさらだ。
どうやら俺は、夢前川ソフィアに嫌われているらしい。らしいというか、多分嫌われている。態度からひしひし伝わってくるし。
原因は、彼女が面接に来た当日のことだろう。
女性に対して年齢の話題はタブーだと、青倉先生が言っていた。たとえ嘘でも、アラサーとか言ったらダメだぜ……。
きっと夢前川は、年上だ、なんて言ったことを気にしてるのではないかと思っている。
いやあのね悪意があったわけじゃないんです。むしろ逆なんですよ!
と、言い訳できればいいのだが……。基本夢前川とは、仕事中以外話すことはない。
極力夢前川との接触を避けている社員の的形さんを除き、彼女は誰にでも愛想がいい。バイトを始めて二週間もたっていないのに、もう他の部門のバイトと仲良くなっていた。
半分以上第一印象を決める要因になる見た目は、見ての通り申し分ない。イギリスと日本のハーフで、文字通り日本人離れした顔立ち。地毛の桃色気味の茶髪に、同じ色をした瞳。
それに加えておしとやかで礼儀正しいその態度と、見た目からは想像つかないほどの流暢な日本語は、バイトや社員の心を掴むには十分すぎるほどのものだった。
だからこそ、他多数に対する態度と、俺に対する態度の差が、如実に表れている。
今のところ仕事に支障がないので、困ったことは起きてない。しかし、今のままでいいとも思えないわけで……。
「夢前川」
「……なんですか」
「その、あれ、仕事でわからないこととか、気になることとかないか?」
裏口から出たタイミングで、彼女の背中に声をかける。途中まで歩く方向が一緒で、いつもなら俺がちょっと時間をずらして帰るのだが、明日のこともあるし、話して帰ろうと思った次第であります。
丸出しの嫌悪感。社も似たような雰囲気をかもし出していたが、社の比にならないくらい夢前川の顔は、怖い。
まだ無視されないだけマシか……。その辺はわきまえているのかもなぁ。
「……そうですね。なんで野菜を陳列するときにやけてるんですか? 特にサニーレタスのとき」
「深い意味はない。あれが俺の楽しみなんだ。というか俺が聞きたいのはそういうことじゃなくて、仕事で困ったことはないかということなんだが」
「ないですね。的形さんは無愛想ですが、仕事はきちんと教えてくれますし、社長や奥さんも気にかけてくれてます」
「みんないい人だからな……。じゃあ、明日は心配ないか」
「私一人で入るのは初めてですからね。香西さんの心配なんて無用ですよ。香西さんがいなくなっても大丈夫なくらいなので、新しいバイトでも探したらどうでしょう?」
「いややめねぇよ……」
明日は休むだけだから。全然わきまえてないなこいつ。すぐ俺を邪険に扱うから、言い訳のしようもない。
俺は、一人で閉店作業を任せられるようになるまで結構時間がかかったのだが、夢前川は仕事を覚えるのが早く、こんな短期間で閉店作業を任せられるまでに成長している。ぐぬぬ……、でも、野菜に対する愛はまだ俺の方が上だからね!
歩きながら話をして、駅が近づいてくると、夢前川はカバンの中から定期入れを取り出した。
こいつもダル猫好きなのかね。てかグッズの幅が広すぎるよ! 次は妹に何ねだられるんだろう……。
「じゃあ明日はよろしく頼むな」
「言われなくても」
可愛くねぇ……。
そんなことを思いながら、改札へ向かう夢前川を見送っていると、彼女と同じ制服を着た女子数人組が、近くのエスカレーターから、夢前川の名前を呼んだ。
「ソフィアー、何してんのー?」
「っ! あ、えー……」
「……?」
一瞬だけこっちを見た夢前川は、早足で彼女たちの元に向かう。
そんな様子を目で追っていたら、その女子たちも俺をちらちらと見て、こそこそと何かを夢前川に言っているようだ。
あいつのぎこちない笑顔とか初めて見たな。いつもは完璧に愛想を振りまいているのに。
ここは早めに去るのが一番いいか。変な噂とかされたら困るし! 無用な心配なんだよなぁ……。
そうして俺は、彼女らの脇を通って、上りのエスカレーターに乗ったのだった。
「ただいま」
「拓人おかえり」
「お兄ちゃんおかえり」
「父さんと姉さんは?」
「お父さんは飲み会で、お姉ちゃんはお風呂だよ」
「ほーん」
家に帰ると、リビングにはソファでくつろいでいる母と妹がいた。二人ともすでに寝巻き姿で、もうすぐ寝るのだろう。
「今日の飯は?」
「カレーだよ。でもその前に、制服から着替えてよね」
「おう」
「温めとこうか?」
「いやいいよ。自分でやるから」
「そっか」
気がきく自慢の妹、緋奈は、ソファから立ち上がると、冷蔵庫からサラダと福神漬けを取り出して、テーブルに置いた。
そこまでしてもらっているのに、全部準備してもらうのはさすがに悪い。
ささっと自分の部屋で着替えて、リビングに戻ると、自分でやると言ったのに、緋奈はカレーを温めてくれていた。
「あーすまんな」
「いいよー、お兄ちゃん疲れてるんだし」
緋奈スマイルに癒されながら、椅子に座ってカレーが温まるのを待つ。すると、テレビを見ていた母がこっちを向いて、俺を呼んだ。
「拓人、あんた明日バイト休みなの?」
「うん」
「茉里がね、ドライブがてらおばあちゃんのとこに行こうって言ってて。ほらあの子、免許取ったばっかりだから」
「マジ……? 俺明日予定あるんだけど」
「あ、そうなの」
「うんだから……」
「来るでしょ? 拓人」
なんでこの人の声はいつも、どこにいてもこんなに通るのだろう。
風呂から上がった姉の茉里は、ショートパンツにノースリーブといった際どい格好でドアの前に立っていた。微笑をたたえているが、それに温度はない。
さすがの俺も、血の繋がった姉のこんな姿を見てもなんとも思わないが、この美貌とプロポーションには、言葉も出ない。
「来るわよね?」
まるでその選択肢しか許さないと言っているようだ。姉さんが言うのなら、そうするしかない。
「まぁ……行けないことはないかな」
クラス会は七時からだ。おばあちゃんの家は同じ県内だし、長居するわけでもなさそうだから、それまでには帰ってこれるはず。
「そ、よかった」
「いいの、拓人」
「うん」
「そう。じゃあ明日は茉里に運転任せるわね」
「任せてー。運転なんて余裕だから」
「はーい、お兄ちゃん出来たよ」
「ありがとう緋奈」
でも俺は、薄々気づいていた。
きっと明日のクラス会には、行けないんだろうな、と。
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