雨の日
クラス会まであと二日と迫った木曜の昼休み。
今日は朝から、雨が降っていた。
厚い雲から落ちる雫が、窓に当たって、つーっと流れていく。雨が降るとまだひんやりする季節のせいか、窓を閉め切っているとはいえ少し肌寒く感じる。
朝と比べればまだマシになってきたが、寝るにはちょっと寒い。
とりあえず、昼飯を食べよう。俺の昼休みはこれからだ!
前の席のやつも後ろの席のやつも、チャイムと同時に教室を早足に出て行くので、睡眠には困らない環境だ。
彼ら彼女らの目的は、売店のパンである。食べたことはないが、学校近くのパン屋さんから出来立てを仕入れているらしいので、結構美味しいらしい。月曜日も、横山がそのパンを食べていた。
ちなみに、斗季と横山は付き合っていないとのこと。横山には好きなやつがいるからと、斗季が口を滑らせてめちゃめちゃ怒られてたな……、羨ましい。
それ以上は言及しなかったので、それがどこのどいつなのかはわからないが、横山に好意を持たれるってことは、相当すごいやつに違いない。
その横山は、教室の真ん中あたりを陣取って、いつものグループで楽しくおしゃべりをしている。
斗季とは、月火水と一緒に昼飯を食べたので、今週はもうここには来ないだろう。
一人でまったり過ごす昼休み。なんか久しぶりだ。天気がよければ寝れるのに……。
短く息を吐いて、机にかけてあるカバンから弁当と水筒を取り出す。
後方に目をやれば、社がちょうど教室を出て行くところだった。
雨の日でもあそこで食べるのか。晴れてても暗いのに、こんな天気だと余計暗いだろうな。
そんなことを思いながら、なんとなく社の背中を目で追っていると、ドアの前で一瞬立ち止まった社が、ちらっとこっちを見た。けれど、すぐに歩き出して、教室からいなくなる。
見てたことバレたっぽいな……。女の人は男の視線に敏感と聞くし、普段注目されている社は、特に敏感なのかもしれない。
「さっさと食って寝るか」
社との距離なんてこんなもんだ。何も変わらない、何も期待しない、他とは違うなんて思い上がらない。これ非ラブコメ三原則な。
人が少ない教室は、嫌に静かだ。おかげで雨の音がよく聞こえる。なら、あの場所は……って、何考えんてんだ。
社は、好きであそこで食ってるんだから、俺が気にかけるようなことじゃない。
たまたま用があったから、社と飯食ってただけで、社にとって俺は邪魔なんだ。
俺も一人でいるのは嫌いじゃない。不用意に入り浸って、社が一人でいられる場所を奪ってはダメだ。
『じゃあまた』
先週社はこう言ってたが、社交辞令だろう。俺もよく使うし。……でもあいつ、始業式の次の日、わざわざ挨拶しに来てたな。
「はぁ……」
別に、何かを変えたいとか、何かに期待しているとかじゃない。ただ、あの日のお返しをするだけ。深い意味はない。決してない。
弁当と水筒を持って席を立つと、横山が笑いながら、「顔洗った方がいいんじゃない?」と失礼なことを言ってくる。
「お茶買いに行くだけなんだが」
「ふーん、水筒と弁当持って?」
「……やっぱいちごオレだな」
「適当だね……」
「てか、俺の顔になんかついてるのか?」
「いや何にも。眠そうだから言っただけ」
「残念ながらこれは生まれつきなんだよなぁ……」
遠い目をしながら言うと、横山にも一緒にいた女子にも笑われて、ちょっと帰りたくなった。女子の嘲笑ほど、男子を傷つけるものはないからな?
「ま、いってらー」
「いちごオレ買ってくるだけだし」
「ちっ、いいから早く行け」
あれ? 今舌打ちした? 気のせいだよね?
横山にがっつり睨まれ、逃げる形で教室を出る。すると、横山とその一味の笑い声が後ろから聞こえてきた。
ふん、どうせ俺のことを笑っているに違いない。言いたいやつには言わせておけばいいさ、夜になったら俺の枕が濡れるだけだからな……。言わせてるだけだった。
予想以上に、ここは静かで暗い。
本当に社はここに来ているのか……? いなかったらいなかったでちょっと困るけど。
この別棟は使われていないわけじゃないが、文化部の部室や机の保管部屋、移動教室用の部屋等が集中しているので、生徒が頻繁に訪れるような場所じゃない。
昼休み中、人がいるとすれば、一階、二階の部室くらいだ。三階と立ち入り禁止の屋上付近には、普通誰も来ない。雨の日となると、余計足は遠のくだろう。
「なんて声かければいいのかね……」
重い足を運び、一段一段階段を上りながら、頭の中で考える。
クラス会のことで伝えることはないし、委員の用事もない。理由もなしに行ったら警戒されそうだな……。
さて、ここを上りきれば社がいる……はず。
いつもよりどんよりしていて暗い。雨の音も教室よりよく聞こえるし、寒い。大丈夫なのか、あいつ。
これ以上ここで時間を割いても仕方ない。昼休みも、無限にあるわけじゃないし。
音を立てないよう慎重に階段を上っていると、上から小さな声が聞こえてくる。
「今日は、来る、来ない、来る、来ない、来る来る来る……」
どうやら、俺が心配していたことは、全部杞憂だったらしい。最後の方がちょっと気になったが、まぁ追い返されることはなさそうだ。
「……うっす」
「っ! か、香西君、うっす……」
「来て大丈夫だったか?」
「あ、も、もちろん!」
「そりゃよかった」
座っていた場所から少しずれて、スペースを作ってくれた社に軽く頭を下げる。すると社は、小さく首を振って笑顔で俺を見上げてくる。
そんな嬉しそうにされると、こっちもやりにくいんだけど……。
社は、俺が座ると、身を乗り出して首を傾げた。
「何か用があるの?」
「あー……いや、特にないな。先週、またって言ってたから」
「そ、そっか……」
目をそらして言うと、恥ずかしそうにこっちをちらちら見ながら髪を耳にかける社は、また嬉しそうに笑う。
さっきまで寒いと感じていたのに、この数十秒でグッと気温上がってませんか?
咳払いをして社を見やると、結構時間がたっているのに、社はまだ弁当を開けていなかった。
もしかして待ってたのか? ……あ、いや、それはないな。自意識過剰だ。きもい。
「……とりあえず食うか」
「そうだね」
今日の弁当は母が作ってくれた。母が作った弁当は基本的に茶色が多い。妹のものとは違い、なんとも単純である。
社の弁当は、どうやらオムライスのようだ。一緒に付いている小さなスプーンは、ダル猫グッズの一つだった。
「いただきます」
「いただきます」
まぁシンプルイズベストという言葉があるように、結局男子高校生には、肉か揚げ物食わせとけばなんとかなる。もー、男子ってわかりやすい!
「……今週もここで食べてたのか?」
「うん、ここで食べてたよ。そういえば香西君、やっぱり横山さんと仲良いじゃん」
「全然だな」
「だから否定されると困るなぁ……」
社が言ってるのは、月曜日のことだろう。
その日は俺の席であの二人と飯を食べていたので、社の目に入ってもおかしくない。
俺が斗季と横山は付き合っていると思ったように、客観的に見れば、俺と横山は仲が良いように見えるかもしれない。
誤解も誤解だが、解く必要のない誤解はそのままにしておこう。聞かれれば否定するけど。
「横山も楽しみにしてたぞ、社が来るの」
「そっか……。なんか緊張するなぁ」
「社でも緊張とかするんだな」
「するよー、最近は……しっぱなし」
ほんと社は、よく笑う。こっちの心臓が持ちそうにない。普段からこんな感じにしてたら、多分、もっとモテるんだろうな……。
なんとか気持ちを落ち着かせようとすると、自然に食べるスピードが早くなる。気がつけば、弁当の中は、ウインナー一本しか残っていない。
「仲良くなれればいいな、横山とか、他のやつとも」
「……うん」
よく笑うからこそ、その違いもよくわかる。
時折見せる、苦しそうな笑顔は、きっと触れてはいけないものなのだろう。
余計なことを言ってしまったと軽く後悔して、最後のウインナーを口に運んだ。
「ごちそうさまでした」
「っ……」
「別に急がなくていいぞ、時間はあるし」
「……ありがと」
いちいち笑うなよ、可愛いから。
それから数分して、社がオムライスを食べ終えた。それまでの間、何を話していたのかよく覚えてないが、社がずっとニコニコしてたので、お腹と胸がいっぱいです。
「おまたせしました」
「あぁいや」
「今日は、香西君から先にどうぞ」
「いいのか?」
「うん」
「ならお言葉に甘えて。次は社からな」
「え……あ、うん、次は、私……うん」
「じゃあまた」
「うん、また」
非常階段から教室に戻ってきた俺は、無意識に次とか言ってたことに気づいて、ちょっと帰りたくなった。
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