134
「すまん緋奈のわがままで……」
『いいよいいよ。それより怪我は大丈夫?』
「そっちは心配ない。転んだだけだしな。緋奈が大袈裟なんだよ」
送り迎えが決まり、ハイテンションで昼食を作り始めた緋奈の目を盗み部屋に戻った俺は、奏に電話をかけとりあえず謝っておいた。
どうやら今、横山と滝の二人とファミレスにいるらしい。
『頭から血が流れてたって聞いたよ?』
「そう見えただけで実際は額を切っただけなんだ」
『足の具合は?』
「ちょっと痛む程度だ。全然一人で歩ける」
『そっか。それなら安心だね。でも緋奈ちゃんの気持ちもわかる。だから送り迎えは任せて!』
「横山と滝の用事はいいのか?」
『うん。ちょっと話聞いてもらってただけだから』
「門限は?」
『事情を説明すれば大丈夫』
まだ時間は午前中。朝から元気だなぁなんて思いながら、電話越しでも伝わる違和感に緊張してしまう自分がいる。
生まれる沈黙。奏の息遣いと自分の心音が嫌に生々しい。
ちょっとずつ歩み寄って、やっと堂々としてられるようになったのに。自分のせいでまた逆戻りだ。
『あの……拓人君』
「うん?」
『まだバイトの時間じゃないと思うんだけど……ちょっとだけ早く家に行ってもいい? 話したいことがあって』
そんな気持ちに追い討ちをかけるような奏の声。
十中八九いい話ではないだろう。しかし逃げることは許されない。たとえ最悪のパターンだったとしても、それを受け入れなければならないことを俺はしてしまったのだ。
「あぁ……わかった。迎え行くか?」
『ううん大丈夫。多分緋奈ちゃん許してくれないでしょ?』
「……たしかに」
『それじゃあ出発する前にまた連絡するね』
「おう。気をつけてな」
ぷつりと切れた電話。そのままベットに倒れ込むと、額がちくりと痛む。いっそ記憶が飛ぶくらいの大怪我をして、何もかも忘れてしまった方が楽だったのではないか。
「……いかんいかんこんなこと考えちゃ」
手当てしてくれた緋奈に失礼だしな。それに自分で解決しないと意味がない。
覚悟を決めよう。勇気を出そう。全部話す。こんな気持ちで奏と一緒にいるわけにはいかない。
やってしまったことのケジメは自分でつける。じゃないと姉さんのときと同じになってしまう。
「拓人ー続きー」
「続き? あ、それ俺のだったのか……。勝手に持って行っていいよ」
そう決意を固めたと同時、俺の部屋へ姉さんが漫画を取りに来た。
すぐ出て行くと思いきや、手にした漫画をベットに座りペラペラとめくり始める。
「電話の相手は彼女?」
優しい口調だが、こちらには目もくれず聞いてくる。
聞かれてたのか……。恥ずかしい。
「そうだけど……」
「ふーん。初彼女なのに上手くいってるみたいじゃん」
「まぁなんとか」
今はそうでもないなんて言えない。
「緋奈とも仲良いみたいだし私も挨拶くらいしとかないとね」
「今日来てくれるからそのとき紹介するよ」
「へぇ、健気な子だね。会えるのが楽しみだ」
「姉さんも仲良くしてくれると嬉しい」
「……それは、どうかな」
パンと漫画を閉じて俺を一瞥した姉さんは、小さい声でそう言って腰を上げた。
「まぁ拓人に相応しいかどうか見定めないとね」
「それは大丈夫だと思うけど」
「いやいや女にしかわからないこともあるもんだよ。女子高に通ってた私が言うんだから間違いない」
「……お手柔らかに頼むよ?」
「心配しなくてもいじめたりなんかしないって。私も拓人も、そういうのは嫌なほど経験したでしょ?」
「……そうだね」
忘れたくても忘れられない。それは俺だけじゃなく姉さんも同じ。
「私と拓人にしかわからないこと。ここには誰も入れない。お母さんもお父さんも緋奈も、もちろん拓人の彼女も」
少しずつ近づいてくる姉さん。伸びた手が俺の頭を撫でる。
「彼女とどうなっても、拓人には私がついてる。忘れないでね」
そよ風のような囁きなのに、ずんと胸の奥に響く姉さんの言葉。頼もしくもあり、弱さを見透かされてる怖さもある。
「ごめん……姉さん」
「謝らなくていいよ。私はお姉ちゃんだし拓人の幸せを願ってる。だから、ちゃんとしてる人を選んでほしいだけだよ」
小さく微笑む姉さんの手が俺の頬をなぞる。そのまま人差し指が唇の上で止まった。
「キスはしたの?」
「いや、それは……」
「ふふ、意地悪はこの辺まででいっか。だって初めては──」
一瞬視線を足元にやった姉さんは、何か呟いてすぐ視線を上げるとパッと距離を取る。
「ま、どんな子が来るか楽しみにしてる。そろそろ緋奈のとこ戻ろうか」
「あ、え、あ、うん……」
「こんなことでドキドキしてたら、キスなんて夢のまた夢だよ?」
からかうように笑って部屋を出て行ってしまった姉さんの後を少し遅れて追いかける。
ダイニングテーブルには緋奈の料理が並べられていて、姉さんはすでに自分の席に座っていた。さっきまでのことが無かったようないつものすまし顔だ。
「あ、今呼びに行こうって思ってたのに……。階段大丈夫だった? というか勝手にいなくならないでよ!」
「か、奏に電話してたんだよ。緋奈のわがままに付き合わせてごめんって」
「わがままじゃないもん。妹の勤めだもん。怪我したお兄ちゃんにご飯を食べさせてあげるのもそのうちの一つなのです」
「いや手は使えるから。介護と甘やかしがごっちゃになってるから」
「一生甘えてていいよ、お兄ちゃん」
「緋奈はお兄ちゃんをどうしたいんだ……」
暇を持て余しすぎて緋奈の妹力が変な方向に進んでしまっているようだ。まぁ満更でもないがね。
「いただきます」
そんな俺と緋奈にはめもくれず手を合わせた姉さんに続いて、俺もありがたくご飯を頂くことにした。
※※※
「じゃあかな……気をたしかにね」
「たくたくは誰にも渡しちゃダメだぞ〜」
「うん……じゃあまた学校で」
拓人君との電話が終わってから、お色直しをしに家に帰ることにした私は、木葉と滝さんの二人と別れ帰路についた。
勝手な憶測で話を進め、勝手に危機感を募らせる自分は、我ながらどうしようもないと思う。
しかし拓人君の中で何かがあったことは確信している。なぜなら拓人君を一番そばで見てきたのは、他でもない私だからだ。
もし拓人君が悩んでるのなら困ってるのなら、手を差し伸べることが一緒に考えるのが、私の、彼女の勤めではないだろうか。
拓人君は、友達になったときですらそうしてくれたんだから。
「キスを拒否されたくらいで……へこたれてちゃダメだよね」
だからまず拓人君に話を聞かないと。
……でも心構えは必要だ。何があっても平静でいられるように。何があっても拓人君を好きでいられるように。
「きゃっ……す、すみません」
そんなことを考えながら歩いていると、人とぶつかってしまった。
「い、いえ、こちらこそ不注意で──」
その女の子はとても綺麗な子だった。
日本人離れした顔立ちと綺麗な髪に大きな瞳。
どうしてか、その瞳が私の顔を凝視する。
「あ、あの、何か?」
「あ、いや……ごめんなさい!」
声をかけるとはっとして足早に行ってしまった。
「どこかで会ったことあったっけ……?」
このときの私は、まさかこの女の子と再会することになるなんて、思ってもみなかった。
読んでいただきありがとうございます!




