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「拓人君どうしたの? 元気ないみたいだけど……」
休み明け。昼休みの教室。一つの机に広げられた二人分の弁当は、今向かいに座ってる奏が作ってきてくれたものだ。俺の知らないうちに妹の緋奈と相談して、奏が弁当を振る舞う日を決めてるらしい。彼氏としてこんなに喜ばしいことはない。
でも、奏の目には、俺がそう映ってないみたいだ。
「ならいつも通りだな」
どうにか繕ってみても奏の表情は晴れない。
できることなら隠し事はしたくないが、この問題に奏を巻き込むのには抵抗がある。
「休み中もバイトだっただろ? だから疲れとれてないんだよ。自分の体力の無さに失望だな……」
「……ほんと?」
「おう。奏の弁当で回復させてもらいます」
「ならいいけど」
嘘ついてしまった。微笑む奏を直視できない。
逃した視線の先には、今噂の二人組が俺たちと同じように食事をしていた。
「ほんとに付き合ってんだな」
「ん? あぁ木葉と松江君。お似合いだよね。はいお箸」
「ありがと。まぁまだちょっとぎこちないけど。はいお茶」
「ありがと。私たちもそうだったんじゃないかな?」
奏と同じタイミングでずずっとお茶を一口。立ち上る湯気で顔が少し湿った。
このお茶は寒いだろうってことで奏が準備してくれた。気がきくというか、尽くしてくれるというか、甘やかされてるというか……。
こんな子を裏切ることも悲しませることもできるはずがない。
夢前川のことは俺一人で向き合って解決する。そう心に固く誓った。
そのためには腹ごしらえだ。両手を合わせてから卵焼きへ箸を伸ばす。
「卵焼き美味いなぁ。うちのと似てる」
「気づいてくれた? 緋奈ちゃんに作り方教えてもらったんだ。上手くできて一安心です。私もいただきます」
「別に寄せなくていいからな? 奏のも好きだし」
「そ、そう? じゃあ交互に作ってくるね」
「おう。楽しみにしてる」
「あ、そう言えば三野谷君と戸堀先輩はどうしてるのかな?」
「斗季なら保健室で飯食うって朝から元気にはしゃいでたな。これからは気兼ねなく行けるって」
「あぁそれでかな? 戸堀先輩が急に『奏ちゃんはすごいね。後輩君のために弁当を作るなんて』ってメッセージがきてね、どうしてですか? って返したら『料理にチャレンジしてるんだけど上手くいかなくて……』って落ち込んでたよ。お母さんに教えてもらってるんだって」
「戸堀先輩が料理か……。やばい全然想像できない」
「失礼だよ。男の子は、胃袋掴んで離さないのが一番いいっておばあちゃん言ってた」
「俺はその教えにまんまとはまったわけか……」
「拓人君の胃袋はもう半分私のものです」
「もう半分は?」
「緋奈ちゃんのだよ。まだまだ教えてもらいたいことある」
「俺の胃袋なのに所有権がない……。まぁあながち間違いでもないけど」
「全部私のにするのが目標です。こっち煮物だよ」
「おお……うん今日のも美味しい」
「ありがと」
照れ臭そうな笑顔に、お腹だけでなく心まで満たされていく。
「あんた達ほんと夫婦みたい……」
なんて思ってると、袋を手首にぶら下げた加古が呆れた様子で俺と奏を交互に見る。
「夫婦水入らずに水をさす〜。今の上手い〜」
「自分で褒めるのか……」
この時間を邪魔されたことに文句でも言ってやろうかとしたが、空気を読まない滝に突っ込んでしまった。加古と滝はそれを受け入れ体勢と捉えたらしく、当たり前のように机をくっつけやや奏よりに席についた。
奏はというと「ふっ、ふう……⁉︎」と、明らかに動揺し咳き込んでいる。背中をよしよしと撫でる滝。こんな煽りも真面目に受け取ってしまうのが奏のいいところだ。
「かなかな大丈夫〜?」
「うん……ありがとう」
「今日も豪華。愛されてますな」
「奇跡的にな。てかなぜにここきた」
「周り見てみ? 文化祭終わってからイチャイチャしてるのが増えたでしょ? 部活の子たちも彼氏できた子が多くてさ……。さすがに邪魔しちゃ悪いかなって」
袋から取り出したパンを開けながらなんとも言えない表情で周りに目を配る加古。
加古の言う通り横山と松江のみならず、クラスでは男女のペアが増えたような気がする。
いやクラスだけではない。今や学校全体がそんなムードになっているはずだ。
今更ながら斗季の影響力に驚かされる。
というか、俺たちなら邪魔してもいいと思った理由を聞かせてよ!
「加古は誰かに告られたりしてないのか?」
「拓人君。女の子にそう言うこと聞くのよくないよ」
「……すみませんでした」
追い払ってやろうと意地悪な質問をしたら奏に怒られた。
「いいっていいって。混ぜてもらったのこっちだし」
やだ。加古さんかっこいい。惚れる!
加古が最初のイベントで俺の好感度を爆上げし、ちょろインへの第一歩を踏み出していると、無脊椎動物みたく机にへたり込んだ滝がぽつぽつ語りだす。
「みーはね女の子にとってもモテるんだよ〜。同じ部活の子とか、後輩からとか。私もみー好き〜」
「加古さんが喫茶店のシフト入ってた時間客層が偏ってたね」
「私は複雑な気持ちだけど……」
俺には一生縁のない悩みだなぁとたこさんウインナー頬張っていると、廊下の方が騒がしくなっていることに気づいた。
奏を見にきた群衆か? 未だに根強い人気だな。奏もバンドメンバーだし斗季の恩恵を受けてても不思議じゃない。
しかしそうではないようだ。人の数はそこまで多くないし窓やドアから覗いてるのは、女子生徒ばかり。加古の熱狂的なファンかしら? 想像以上にモテてるのな。
そんな風にその光景を観察していると、一人の女子生徒と目が合う。リボンの色が違うので他学年だ。小さく手を振るので後ろを振り向いてみるが誰もいない。
もしかして……俺に? いやいやありえない。……でも万が一、億が一俺にだとしてこのまま無視すると無愛想な感じになっちゃうよな。別に好かれたいわけじゃない。嫌われたくないのだ。まぁ傷つくのは俺だけだし……返しておくことにした。
すると、その子は黄色い声援をあげるでもなく、笑顔になるわけでもなく、顔を真っ赤にして俯いた。
「どっちだ……?」
なんだ? 俺に手振ったことを今更末代までの恥だと感じたのか? ごめんね。そして俺を消してくれ。
「たくたく……」
「ちょっと香西……」
「なんだよ。別々に呼ぶな──」
二人に呼ばれて正面に向き直る。
すると目の前には、不自然なくらい笑顔な奏がいる。笑顔のはずなのに禍々しいオーラを放った、奏がいる。
「拓人君? どういうこと?」
「いや待て違う」
「違う? 何が違うのかな? 説明してくれるよね?」
「違うというか、なんというか、俺にもさっぱり……」
「そっか。わかった」
笑顔のまま短く切ると、机に広げた弁当を全部俺へ寄せる。
「全部食べたら結さんのところに行こう」
「結さん?」
「うん。だから全部食べて」
「ぜ、全部……?」
「うん。全部」
「いやでもこれは量が……」
「全部、食べて」
奏の隣にいる加古は関係ないと言わんばかりに明後日の方向を向き、滝はつまみ食いしようと伸ばした手を奏に叩かれ涙目になっていた。
俺はあまりの怖さに背筋をピンと伸ばす。そして奏は、変わらない笑顔のまま最後にもう一度、冬将軍なんて比にならない冷えびえした声で。
「全部、食べて?」
……怖い。
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