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バイト終わり。何やらバックヤードが騒がしい。更衣室まで話し声が聞こえてくる。女子大生の集まりだろうか。アットホームなのがこの職場のいいところです! ……胡散臭いが過ぎる。
「お疲れ様です」
着替えを済ませて、予想通り集まって談笑していた女子大生グループの横を通り抜ける。
ふむ。やはり女子の作り出す雰囲気はいつ見てもいいな。
「あれ? 香西君待たないの?」
心をぴょんぴょんさせていると、高鳥さんに呼び止められた。ボーイッシュな髪型で、あの立野さんと同じ部門の人だ。
「待つ? 何をですか?」
「何って、夢前川ちゃんだよ」
答えたのは、土山さん。ポニーテールの人。レジと言う俺には絶対できない仕事を担当している。青果部門の社員である的形さんも「レジで働ける奴は、人間として優れている」と称するほど。全国で働く接客業の皆さん……マジ尊敬っす!
それはさておき。なぜ俺が夢前川を待たなければならないのか。あの子いつも俺より早く帰るんですけど。
「先帰ったんじゃないですかね」
「ううんまだ更衣室にいると思う」
ちらっと更衣室に目を向けて、大久保さんが言う。
この人の髪型はどうなってるかわからない。お団子を三つ編みでぐるっと巻いている。解いたら多分長い。精肉部門で働いている。
「はぁ。でも夢前川一人で帰りたいと思いますよ」
「そんなことないよ。香西君と帰りたいって」
最後の一人は古市さん。メガネをかけてるツイン三つ編みの人。一番人の多いグロッサリー部門の担当だ。噂によると重度のオタクらしい。もしかしたら一番話が合うかもしれない。
それも今はどうでもよくて。どうやら四人は俺を待たせたいらしい。
これから家に帰って緋奈が作ってくれた美味しいご飯を食べ、就寝の準備を整えてから頑張って夜更かししてくれてる奏と通話する予定があるのだが……まぁ夢前川を待つくらいの時間ならある。
ここはお姉様方の希望に応えてあげようかな! べ、別に年上の女の人の目が怖いわけじゃないんだからね。
「じゃあ……」
これで『私待ってたんですか? キモいですね』なんて言われたら泣くよ?
お姉様方と同じ空間にいるのはちょっと気まずいので、夢前川がいつも待ってる場所にでもと思っていると、後ろから店長と奥さんがやってくる。
「みんな今日もお疲れ様でした」
奥さんからの労いの言葉に、各々小さく頭を下げながら「お疲れ様です」と返す。
店長はその様子を温かな笑顔で見守り、よしと頷くと俺の名前を呼ぶ。
「香西君は、あと半年頑張って。じゃ、お疲れさん」
そうか。もうそんな時期か。
文化祭が終わって来月は11月。面接を受けるとき来年の3月末でやめさせて下さいとお願いしていた。これは親との約束だ。三年生になったら受験に集中すると。
「はい。頑張ります」
まぁ今すぐやめたって問題はないだろう。青果部門には、超新星夢前川がいるからな!
「え、香西君そんな早くやめちゃうの」
「親にバイト許してもらうための条件でして」
「それ夢前川ちゃんは知ってるの?」
「知らないんじゃないですか? 教えてませんし」
夢前川のことだから俺がやめるって知ったら喜ぶんだろうな……。ほんと可愛くない後輩だこと。
顔を見合わせて何やら変な空気を漂わせてるお姉様方に再度挨拶をして、俺は外に出た。
それから待つこと数分。夢前川が慌てた様子でやってくる。
「おわっ……ビックリした」
「せ、先輩……! 待っててくれたんですか?」
「諸事情でな」
「何ですかそれ。変ですね。あ、先輩はいつでも変ですけど」
「余計なことは言わなくていいんですよ?」
「今日だって野菜並べながらぶつぶつ呟いてましたし」
「な、何で見てんだよ!」
「み、見てません! たまたま視界に入ってきたんです! やめてください変なこと言うの!」
「今のは別に変じゃないだろ……」
顔を赤くするほど怒っている。これ以上下手なことを言うと噛みつかれそうだ。
「……帰るか」
「はい……」
互いに戦意はなく駅までの道をとぼとぼと進む。すれ違うのは、スーツを着た人や俺たちとあまり歳の変わらない人ばかり。仕事帰りだったり、塾帰りだろうか。ちらほら厚着の人もいて、もうすぐ冬になるのだと実感が湧いてくる。
「あの先輩」
「ん……? どした」
会話もなく、そろそろ改札口が見えてくる辺りで、少し後ろを歩いていた夢前川が前に立ち塞がる。
目を泳がせ口をパクパクさせやや俯いている。
言いたいことも言えないこんな世の中になっても、言いたいことは言っちゃいそうな夢前川にしては、口から続きが出てこない。
そんな薄着で寒くないかとか、電車の時間は大丈夫なのかとか、間を埋めることはできるだろうけど、何となくそんな雰囲気ではないと思った。
空気を読むのには自信がある。読む能力が高すぎてそのまま一言も喋らないまであるしな。
「……き、昨日の、昨日のことなんですけど!」
「昨日? 何だよ、行かなかったことまだ根に持ってるのか」
「それはもうどうでもいいです! こ、後夜祭のことです……!」
後夜祭と聞いて思い浮かぶのは、奏と踊って手を繋いで、誰かさんの策略で奏を抱きしめてしまったこと……そして、夢前川に告白された夢のこと。
……いや。夢だったなんて自分に言い聞かせるのはもう無理だ。気持ちが盛り上がって、爆発して、やってしまったことだから、勝手に目をつむろうとしてた。
でも、夢前川はそれを望んでない。むしろ望んでたのは、俺の方だ。
「返事を聞かせてください」
「……ごめん。彼女がいる。だから、ごめん」
気持ちに応えられない自分が嫌になる。俺の分際で、俺のくせに、俺みたいな奴が女子からの告白を断るなんて。たった一人の後輩を泣かせるなんて。
けど、これでいい。たとえ自分が嫌いでも、夢前川に嫌われても、今は俺を好きでいてくれる人がいる。たった一人の彼女がいる。
奏を泣かせるくらいなら、俺は他の誰かを泣かせる嫌な奴なのだ。
口を強く締めた夢前川がふっと微笑む。
「知ってました。今はこうなるって。先輩は優しいから、多分自分を責めてると思います。そんなことしなくていいのに、それをしちゃう人」
それから短く息を吐いて目元を拭う。
「先輩、来年の3月にはバイト辞めちゃうんですよね?」
「あ、あぁ。高鳥さんたちに聞いたのか?」
「はい聞いちゃいました。……それまで私は諦めません。覚悟してください」
と、夢前川は自分の人差し指を俺の唇へ押し付けた。
そんな後輩の宣戦布告に俺は何も言えない。どうにもできない。
「……キスだってしちゃいましたし」
「っ……!」
「じゃあ帰りますね先輩。お疲れ様です」
夢前川が帰っても俺はしばらくその場から動けなかった。
それはまるで、悪い魔法にかかってしまったみたいに。
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