114
前の組の演奏が終わった。五人組の一年生ガールズバンドだった。放課後にティータイムしてそう。
ふわふわな時間を終えた彼女たちは、袖で待機している俺たちの横を雑談まじりに通り過ぎて行く。
しかし誰もそんなこと気に留める余裕はないようで、奏はまるで殻に籠った亀みたいに動かず、斗季は少し離れたところでギターを抱き、滝は狭い道を何度も行ったり来たりしている。
三人とも緊張してるな……。
伊奈野さんに聞くところによると、今年の観客数は例年の二倍近くになってるそうだ。合同文化祭だし単純に考えたら増えるのは当たり前か。
それに桜井女子学園のバンドは、どの組も素人のレベルとは思えないほどレベルが高いらしい。さっきの五人組もサクジョの生徒かつ、普段からがっつり楽器を触ってる軽音部だそうだ。
俺たちのレベルは、よくて素人よりやや上手いくらい。むしろ短時間でここまで仕上げられたのは上出来なくらいだ。
「たくたく君確認してきたよ」
「ありがとうございます。どうでした?」
「読み通り去年と同じ場所にいた。さすがだね」
「それじゃあ……あとはお願いしてもいいですか?」
「任せて。君と君の友人と、私のためにやってみせるよ」
小さく胸を叩く伊奈野さん。
スマホで誰かにメッセージを送り終えると、俺の後ろをちらりと覗き込む。
「それよりそっちは大丈夫なの?」
「多分……」
心配されるのも無理はない。
第二音楽室から移動する際、伊奈野さんも同伴してくれてたのだが、その時のテンションと今のテンションに差がありすぎるのだ。
まぁ自分たち以上の演奏と予想以上の客の多さには俺も驚かされたが……。
「あと五分くらいで出番だからね。それまでになんとかしてあげて。じゃあ、頑張って」
どうにかしろと言われてもな……。
ここで緊張を溶かすのは俺の役目ではない。だが、リーダーの尻を叩くくらいはしてもいいだろう。
「斗季、出番までもう時間ないぞ」
「あ、あぁ……」
手を引いてしゃがんでいた斗季を立ち上がらせる。
「緊張してるのか?」
「そりゃな……。急に不安になってきた」
斗季が弱音を吐くなんて珍しい……というか初めて聞いたかもしれない。
「お前がその調子だと滝も奏も不安になるぞ」
「……だな」
少し離れた場所にいる二人の様子を見た斗季は気合を入れ直す。が、やはりどこか空元気だ。
「俺さ、今まで何かを本気でやったことなんてなかった。時間かけて、一つのことに熱を注ぐってことしてこなかったんだよ」
「それは知ってる」
俺と斗季の付き合いは中学からだ。
当時から斗季は今と変わらない明るくて、いつも人の中心にいるようなやつだった。
だから、絶対に仲良くなるものかと思っていた。
ふらふらしてるくせに人望があって、ふざけてるのに失敗はしなくて、なんでもできるってほど優れてはないのに、人を惹きつけるやつ。
顔が広く、誰にでも平等に接する斗季。そんな彼は、自分のための時間を作るのが下手クソだった。
合コンも、クラス会も、遊園地だって自分のために考えたものじゃない。
でも、今回のバンドは、自分の目的のために俺と奏と滝を巻き込んだ。
時間をかけて練習し、時間を割いてもらって集まり、そしてその練習を踏み台にして好きな人に告白しようとしている。
……と、卑屈な俺はここまで考えちゃうんだが、斗季の頭にはこんな考えはないだろう。
ただ、完璧だと思っていた奏にも弱い部分があるみたいに、斗季にだって緊張や不安に負けそうになる瞬間がある。それを知れて少しだけ安心した。
「失敗したら全部が無駄になる。そう考えたら……怖いな」
今からやろうとしてることは、一世一代の告白。
文化祭を、演奏会を、生徒を巻き込んで一人の女の子に想いを伝えようとしている。
例えば俺に勇気があったとして、斗季と同じことを実行したらどうなるだろうか。
人望も魅力もない俺がこの場の空気を味方につけることは難しい。つまり、うまくいかない。
でも斗季は違う。今まで積み上げてきたものがある。場の空気を掌握するだけの魅力が彼にはある。
根拠のない励ましなんてしない。しかし、斗季になら言える──。
「お前なら大丈夫だろ。何かあったら、任せろ」
「なら、怖いものないな。何かあったら、任せた。二人に声かけてくるわ」
いよいよだ。俺にできることは全部やった。
あとは二人の行く末を見守るだけだ。
※※※
「続きまして──」
アナウンスが流れると同時、舞台には斗季君たちの姿が見える。上がる黄色い歓声は、斗季君と奏ちゃんに向けられたものだ。二人ともちょっとした有名人だからな……興味本位でみんな見に来たんだろう。
スポットライトを浴びる斗季君と後輩君と奏ちゃんと、もう一人知らない子。
去年は同じ場所から見てたはずなのに、私だけ置いてけぼりにされたみたいだ。
でも、それでいい。後輩君に頼んでまで、私はそれを望んだのだ。
「頑張れ、みんな」
曲が始まった。
斗季君の歌声は決して上手とは言えないけれど、気持ちの乗ったいい声だ。
奏ちゃんは、ドラムの子や後輩君と目配せをしながらリズムを取っている。少し硬さはあるけど、その姿は新鮮で可愛らしい。
後輩君は、意外と余裕がある。周りを見ながら鍵盤を叩き、斗季君のリードに合わせている。
そんな後輩君がいるからみんなの硬さが消えてゆく。
少々のミスなんて素人の私じゃわからない。でも、後輩君がこのバンドの要であることは明らかだ。
主役ではなく、あくまでも脇役。なんて後輩君らしい。
曲は二番を終えCメロに入る。ポップな曲調からしっとりとした曲調に転調。そして最後のサビに入る……その直後。
「……え?」
ステージの上に浴びせられたスポットライトの光が突然消えた。ギターボーカルの斗季君を照らす一つだけを残して。
他の生徒たちがざわめく。困惑してるってことは、何かトラブルだろうか? 斗季君たちの出番で起こるなんて……やめてほしいなぁ。
しかし、アナウンスは流れない。演奏もまるで、わかってたみたいにピタリと止まった。スピーカーから聞こえるのは、肩を揺らす斗季君の息遣いだけだ。
「みんな驚かせてごめん。委員の人もちょっとだけ目をつむってほしい!」
その一言がこの場の空気を一変させた。きっと、彼だからできてしまうマジックのようなものだ。困惑は一転、楽しみに変わる。
次々に飛び交う声は、この雰囲気を盛り上げるレスポンスになり、それが伝播すればするほど場は彼の物になる。
その証拠に、彼がマイクに口を近づけるだけでみんな一斉に静かになった。
「文化祭もいよいよ終わり、みんな楽しんだか⁉︎」
さらに盛り上がる会場。もうみんな彼の味方だ。
「はーいごめんちょっと通して……あ、いたいた戸堀さん」
「わ、私?」
と、人波をかき分け目の前に現れたのは、見覚えのある顔だった。
「はいこれ。持ってて」
「は、え? マイク?」
「ごめんみんなちょっと場所空けてくれる? 副会長からのお願い」
私を中心に空間ができてゆく。
もう何がなんだかわからない。何が起きてるのか、何が起こるのか。
そんな私にトドメを刺すように──
「戸堀藍さん!」
会場に響いた私を呼ぶ声。私を照らすスポットライト。
「はいっ⁉︎」
反射的に返事をし裏返った声がマイクを通してまた会場に響く。
舞台の上にいる斗季君が私を見つめている。
それだけでこれから何が起こるのかわかってしまった。
私にとってそれは、とてもとても──。
投稿頻度遅くてすみません。




