※111
今日はいつもより早く目が覚めた。
でも身体はすごく重くて、すぐにベットから降りることはできない。ぼやける天井との睨めっこは、勝負がつかないまま何年も続いている。
薄っすら視界が良好になる頃、部屋のドアが静かに開いた。
「起こしちゃった?」
「ううんちょうど起きたところ……痛た……」
「無理しちゃダメよ。文化祭楽しみなのはわかるけど……体調が優れなかったら学校に連絡するから」
「大丈夫だよ、頭痛はいつものことだし。それに今日は……絶対行かないと」
入ってきたのはお母さんだ。毎日定期的に私の様子を見に部屋を覗きにきている。
「斗季君に誘われたんだっけ?」
「うん。バンドやるから見にきてほしいんだって」
「そうなのね。お母さんてっきり藍をデートに誘うもんだと」
「と、斗季君とデートなんてありえないよ! 全然そんな仲じゃないし……」
ステージまでの時間は一緒に文化祭を回ることになってるけど……別にデートではない。
「夏休みなんて一緒に勉強してたじゃない。今日告白されるかもね」
斗季君から告白、か。
きっと嬉しくて嬉しくてたまらないと思う。でもきっと、それと同じくらい辛くなる。
好きな人が辛い思いをする。私はそれが一番嫌なんだ。
「あり得ないよ。絶対」
そのために私は、友人の力を借りた。斗季君からの告白を事前に阻止するために。
彼はきっと私の願いをわかってくれる。
大人ぶってた私よりも、ずっと大人な後輩君なら。
「藍……?」
「そ、そろそろ薬飲んで準備しないと! 着替えるからリビングで待ってて」
「わ、わかったから急に身体動かしちゃダメ!」
お母さんを部屋から出して、パジャマのボタンを外していく。
クローゼット横の全身鏡には、とても高校三年生とは思えない幼い姿の女の子が写っている。
例えば私が健康な身体で年相応の容姿だったら、自信を持って斗季君の好意を受けとめてただろうか。
いや、多分だけど私が普通だったら斗季君は私に見向きもしない。
顔の広い彼のことだから知り合いくらいにはなってくれるだろうけど、それ以上はない。彼に片想いする女の子が一人増えるだけだ。
なら、彼と友達になれたことはこれ以上ないくらいの幸福なのではないだろうか。彼との出会いは、幸せなことなのではないだろうか。
「……この身体に感謝しないとね」
斗季君と巡り合わせてくれてありがとうって。
準備を終える頃には、時計の針が11時を回っていた。
斗季君には「いつでもいいので着いたら連絡してください」って言われてるから、身体が安定するまでしっかり休んで出発した。
お母さんが運転する車の助手席で斗季君にメッセージを送る。
『家出たよー。あと5分くらいで着くと思う』
『わかりました! 楽しみに待ってます!』
相変わらず返信が早い。
後輩君なんてめちゃくちゃ遅いし、平気で日を跨ぐことだってあるのに。
このマメなところが二人の差なんだろうな……。
奏ちゃんみたいな子と付き合えてる後輩君って、相当ラッキーだよ。
そんなことを思いながら赤信号につかまった車から窓の外に目をやると、歩道に立っている後輩君を見つけた。
そう言えば、生徒会に面倒な仕事押し付けられたって言ってたっけ。文句言いつつ真面目に仕事するところが後輩君らしいところだよね……。
「ん? あの子知り合いなのかな」
その後輩君に一人の女の子が近寄ってきた。
桜井女子学園の生徒だ。身長は奏ちゃんと同じくらい。特徴的なのは、見惚れてしまうほどの綺麗な銀髪。
何を話してるのかはわからないけど、後輩君の顔がものすごく引きつってる。
身振り手振りで何か断ってるような感じだけど……女の子の方はぐいぐい言い寄っている。
結局後輩君が折れて、横に並び立った。
「何してるのあの子……」
「藍どうかしたの?」
「あ、いや、何でもない」
奏ちゃんというものがありながら……。あとで会ったときに聞いとかなくちゃだね。
学校に到着し、お母さんと別れて保健室に向かう。
出店のない職員室付近にはひと気がない。元々立ち入り禁止区域になってるみたいだ。
その案内を無視して廊下を進み保健室に到着。ノックをすると先生の返事が聞こえた。
「竹田先生おはようございます」
「戸堀さんおはよう。いいところに来てくれたわ」
白衣を着た若い女の先生の名前は竹田実里。私がこの学校で一番世話になってる人だ。
「何ですか……って、先生文化祭楽しみすぎじゃないですか」
「私じゃなくて清ちゃん……青倉先生のお裾分け。あの人顔広いしみんなに好かれてるから、見回りしてると色々くれるんだって」
机の上には、大量の食べ物。保健室とは思えないほどいい匂いがする。
椅子に座った私の前に、何も言わずたこ焼きを差し出してきた。
「いいんですか貰っちゃって」
「いいのいいの。残す方が失礼だし」
文化祭のためにお腹空かせて来て正解だった。斗季君と奏ちゃんのクラスも飲食のお店のはずだからペースも考えないと。
あ、斗季君に連絡してないや。たこ焼き食べ終わったらしよう。
「今年もあの子たちと?」
「後輩君は生徒会の手伝いが忙しいみたいなので、斗季君と二人ですね。奏ちゃんのお店に行くんです」
「そっか。楽しそうで何より」
マグカップ片手に微笑む姿は、入学したときからずっと変わらない。竹田先生は魔女なのではないか、私は密かにそう思っている。
そんな先生の視線に食べにくさを感じながら、ちょっとだけ冷めたたこ焼きを完食した。
「三野谷君はいつ来るのかしら」
「今から連絡するのでまだ来ないと思います」
「それはよかった。戸堀さん鏡見て来た方がいいわよ」
「っ……!」
口を拭いて斗季君に連絡を入れる。すぐ来てくれるらしい。
「あ、そうそう。戸堀さんこれ見た?」
「どれですか?」
先生の手には一枚の紙。サイズはメモ用紙くらい。
「これあげる。今年の文化祭は面白そうね」
クスッと笑って、竹田先生は保健室を出て行った。
一人になると、途端に静かになる。遠くから賑やかな声は聞こえてくる。今日は一年に一度の文化祭だから。
二つ折りにされた紙を開く。薄くて細い字だ。でも何故だか引き込まれて、心が躍る。
『あなたはこんな話を知っていますか?』
そんな見出しに続くのは、どこから生まれたのか定かじゃない話。まるで後輩君が一時期困ってたおまじないみたいな。
だからこの紙に書かれてることに真実はない。でも、信じてみたい。
占いが好きな私は、余計に。
「私には……関係ないけどね」
これは奏ちゃんにでも渡してあげようかな。あの子は真に受けちゃいそう。
それにどこまでやるのか気になっちゃうよ。
「あ、来た」
口元にソースは付いてないだろうか。制服は乱れてないだろうか。髪型は整ってるだろうか。
不安と喜びが混ざって身体の奥を刺激する。
ドアの向こうの軽はずむ足音が鼓動とリンクして大きくなる。
紙をポケットにしまって、三回ノックされたドアに「はーい」と返事をした。
「藍先輩お待たせしました!」
私が望むのは、あの日から何も変わらない関係。
これ以上は何も望まない。今だってこんなに幸せなんだ。
「全然待ってないよ。むしろ早すぎ」
こうやって斗季君と笑ってられるのが、ね。
読んでいただきありがとうございます!
ブクマ、評価、誤字報告感謝です!




