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文化祭当日。
生徒会役員の朝は、一般生徒よりも早い。
泊まりで準備してよかったのは一昨日まで。昨日の段階で泊まり込みは禁止されている。
いないとは思うが、各教室に残ってる生徒がいないかの見回りを結姉から仰せつかった俺は現在、眠い目を擦りながら松江と一緒に校内を巡回していた。
右腕に着けた『見回り』と書かれた腕章。
今頃違う棟の見回りをしている氷上と共に「ジャッチメントですの!」と盛り上がってたら普通に怒られた。お姉様! と泣きつこうかとも思ったがやめておいた。というか、俺は一般生徒なんだが?
薄っすら明るかった空も完全に日が昇り、グラウンドを彩る屋台の様子もはっきり確認できるようになってきた。
外の様子を見ながらぷらぷら廊下を進む俺の腕をちょんちょんと松江が突く。
「ね、ねぇ香西君……僕たちのクラスの内装見に行こうよ。まだ時間もあるから」
特に会話もなく真面目に見回ってたおかげか、予定よりも早く終わりそうなのを見計らって、松江がそう提案してきた。
本音を言うと松江と二人は緊張する。松江もずっとそわそわしてるし……これが恋?
いやいや松江は男。こんな可愛らしい見た目だが男の子なのだ。俺にそっちの属性はないはず。
「あ、あおぅ……」
「みんな頑張ってたよ。僕は横山さんの指示を受けてただけどね。喫茶店で内装も衣装もあとメニューもすごく凝っててこれなら最優秀クラス賞も夢じゃないかもなんてみんな言ってて……だからちょっと覗きに行こうよ」
会議やら練習やらでほとんど手伝えず終いだったクラスの出し物の準備。奏もなかなかクオリティの高いものが出来上がったと鼻を高くしていた。
本番が始まれば適当な時間にでもこっそり寄ろうと思ってたが……松江に誘われたら行くしかないよな!
「だな。行くか」
極めて冷静に何てことないようにスマートに提案に乗る。俺はクールな男なのだ。
「ほんと⁉︎ よ、よかったぁ〜……!」
「っ⁉︎」
俺の手を握り嬉しそうに笑う松江。
すべすべで柔らかい手は奏とはまた違う感触だ。この子ほんとに男の子ですか⁉︎
「これで横山さんに怒られずに済む……」
心乱れる俺の耳に、そんな呟きは届かなかった。
数分後、俺たちは教室の前にいた。
昨日帰る頃は何の装飾もされてなかった外観も古風な喫茶店を思わせる仕上がりになっていて、本格的な出来栄えにその本気度が垣間見える。イメージは、たまに行く喫茶店『北極』だろうか。
「すげー……」
「この看板僕が書いたんだよ。新聞のデザイン練ったりするのが役に立ってよかったー」
「松江に頼んで正解だったな。これなら店に入りたくなる」
「香西君にそう言ってもらえるなんて……頑張った甲斐があったよ」
「大したこと言ってないけどな……。それと」
「うん?」
「いつまでこうしてるんだ……?」
「あわ⁉︎ ごめん! 僕ったら何してるんだろ……」
ここに来るまで握られっぱなしだった手を慌てて離した松江は、薄っすら頬を染めた。潤んだ瞳に見つめられると抱きしめたくなってしまう。守りたいこの笑顔。
新しい恋が始まってしまう前に早く用事を済ませてしまおう。
「じゃあ入るか」
「う、うん……。多分大丈夫だと思う」
いつも使ってる教室のはずなのに、入口が違うだけで全く別の場所みたいだ。
ドアを開けて中に入る。少しだけコーヒーの匂いがして、雰囲気は喫茶店そのもの。
並ぶ机や椅子はあえてそのままにしてあるのか、文化祭らしさが残ってこれもまたいい。
しかしふと疑問が浮かんだ。
たしかコンセプトは、和と洋どちらも楽しめる喫茶店だったはず。
店に内装はどちらかといえば洋寄りで和の要素は多くない。
メニューとかでバランスを取ってるのか……?
手近な席のメニューを取ってみる。印刷ではなく手書きだ。とことん手作りにこだわってるみたいで好感が持てる。
「なぁ松江…………あれ? 松江ー」
名前を呼んでも一緒に入ってきたはずの松江から返事がない。
「マジか……」
教室に一人取り残された。トイレなら一言声をかけてくれてもいいのに。
あーでもあれだな。やっぱり乙女はそういうの恥ずかしいもんだよな。うんうん。なら仕方ない。
時間はあるしここで待ってるかと椅子に座った瞬間、教室隅の分厚いカーテンで仕切られたスペースから人の声がした。
「松江か……?」
呼んでみても応答はない。違反で居残りしてたやつか?
「誰かいるのか? いるなら返事してほしいんだが」
カーテンの奥で影がうごめく。どうやらいるのは一人だけじゃないらしい。
「同じクラスのよしみで生徒会長には言わないであげるから三つ数えるうちに出てきなさい。ひとーつ、ふたーつ、みー」
「ま、待って拓人君!」
カウントギリギリでカーテンから飛び出してきたのは、和服を着た女の子だった。
しかしよく見てみると袖や裾部分にはフリルが付いていて、特定の層からは反感を買いそうな服装かもしれない。
俺? 俺は好きだ。ましてやそれを着てるのが奏だったら、嫌いなんて言えるはずもない。
「奏だったのか……」
「ご、ごめんね? 本当はもっと早く出てくるつもりだったんだけど、その、恥ずかしくて……」
半身をそらしてもじもじする奏。
恥じらう姿は、露出度が低いのにどこか色気がある。
花火大会のときの浴衣とは違い色は少し明るめだ。奏の印象とは少し離れてるが、抜群に似合っている。
「どう、かな」
「似合ってる。眠気が吹き飛んだ」
「えへへ……ありがと。これ見せるの拓人君だけだからね」
「接客しないのか?」
「私は料理担当なの。でも、木葉たちが着てほしいって……」
「あいつらもいるのか……」
「朝早くから準備してくれて。あ、居残りはしてないから安心してね」
奏とこうして話すのは久しぶりだ。
メッセージでのやり取りも、二人での下校も、文化祭の準備が始まってからはほとんどなかった。
教室や練習で顔を合わすことはあったからそこまで寂しいと感じなかったが、俺はやっぱりこの時間が好きなんだなとついつい頬が緩んでしまう。
そんな俺を見て奏も嬉しそうに微笑む。
「多分、拓人君と同じこと考えてた。好きだなぁって。この時間も、拓人君も」
肩と肩がくっつくように隣に座った奏。
濃紺の瞳が「拓人君は?」と、言葉を催促してくる。
カーテンの向こうに横山たちがいるから恥ずかしいことはしたくないが……奏だけに言わせるのは、ダメだな。
「……俺も、好きだ」
言葉を噛み締めるみたいに奏がさらに体重を預けてくる。奏は、寂しいと思ってたのかも。
「始まるね、文化祭」
「だな。嫌なのか?」
「そうじゃないけど、準備楽しかったから」
「俺はそうでもなかったけどな……。大変だった」
「クラスのことは任せて、拓人君は自分の仕事頑張ってね」
「まぁ……なんとかやる」
「でもステージに遅れちゃダメだよ?」
「気をつける。なんたって斗季と先輩のためだからな」
「本番上手に演奏できるかな」
「あんだけ練習したし大丈夫だろ」
「三野谷君と藍先輩うまく行くといいね」
「だな」
「後夜祭、一緒に踊ろうね」
「……だな」
「あーちょっと間があった。即答してほしかったなぁ」
「踊りに自信なくてですね」
「私の手握ってくれるだけでいいよ。それだけでいいから」
「すまんな……」
「約束ね」
こうして高校二年の文化祭が始まった。
俺はきっとこの日のことを忘れないだろう。
まさかあんなことになるなんて、このときの俺に知るよしもなかった。
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