縮まる距離
「香西ちょっといい?」
「おう、なんか用か」
放課後になり、バイトの時間まで駅の近くをぶらぶらしようと考えていた俺を呼び止めたのは、同じクラスの文化委員、横山木葉だった。
廊下で足を止め、肩越しに振り返る。すると横山は、駆け寄ってきた勢いのまま、持っていたカバンで俺の腰を軽く小突いて横に並んだ。
「え、なに?」
「まさかとは思うけど忘れてない? 社さんのこと。午後の授業ずっとぼーっとしてたし」
「なんで知ってんだよ……」
「は? めちゃめちゃ怒られてたじゃん青倉先生に」
「は? あれは説教じゃないから。ご褒美だから」
あの目たまんなかったな……。いつもよりイライラしてたし、多分嫌なことがあったんだろうな。あれ、もしかして俺でストレスの発散してない?
「うわきもっ。香西きもっ」
「おい二回言うな、マジっぽくなるだろ」
危うく笑いがこぼれそうになったが、横山のマジ引きに我慢をせざる得ない。てか、これもご褒美だな……。横山先生と呼ばせてもらうね!
「マジなんだけど……。って、そんなのどうでもいいから。社さんの連絡先聞いてくれた?」
「あー、まぁ、聞けたんだけど……」
「へぇ、聞けたんだ。じゃあグループに招待しといて」
「それがさ、ちょいややこしいんだよ」
あんなことやこんなことは割愛して、社の連絡先を教えてもらった経緯を横山に説明する。
聞いた横山は、人差し指で顎をツンツンしながら、なぜか俺を品定めするように、上から下、下から上へ視線を巡らせた。
「……わからない」
「いや連絡先はわかってるんだけど。話聞いてた?」
「ふっ、まぁいいや。来てくれるなら予定は教えないといけないし、その役は香西しか無理そうだね」
「なんで鼻で笑った? 社に許可貰って横山に教えられないかね?」
「私が聞いても無理だったんだし許可もらえないでしょ。つか私に聞くな」
横山先生ずっと怖いな。睨まないでほしい。もっとこう飴と鞭を使い分ける感じでお願いしたい。
俺の趣味はさて置いて、社に連絡って言ってもな……。家に電話する勇気とかないんだけど。
俺が小さかったときは、友達の家に電話することなんてしょっちゅうあったが、時代は進んで、今や小学生だってスマホを持つ時代だもんな。液晶画面をフリックするだけで集まれるし、会話ができる。難しい問題もあるけど、便利だし効率もいい。
たった数年前なのに、懐かしく感じるぜ……。
俺も将来「最近の若者は」とか言っちゃうんだろうな。青倉先生みたいに。待って! 青倉先生は今でも十分若いですよ!
「家に電話するの嫌なら、学校で直接伝えればいいんじゃん」
「いやそんな社と接点ないから。てか、社は男子避けてるんだから、俺もその対象だろ」
「はぁ……。言っとくけど、社さんの身になって考えたらああいう態度取るのは普通だからね? よく知りもしない相手に話しかけられて、告られて。全部相手してあげてる社さんはすごいから。私なら無視するから。でも、香西は違うわけでしょ。普通に話せるし、連絡先まで教えてくれてるわけなんだよ? もっと相手の気持ちを考えろ」
「……俺なりに考えてるつもり」
「じゃあ教えたげる。それ、間違ってるから」
「ええ……」
いやいや、社は男子を警戒して避けているはずだ。それに例外はない。俺はたまたま副委員長という肩書きがあり、仕方なく相手をしてくれてると認識している。それが間違ってるってなると……。
「あ、え、もしかして社って……俺を男として見てないのか」
ちっ、やっぱりラブコメは期待できないか。いつになったら俺のラブコメは始まるんだ。
「なんでそうなるの……」
深くため息をついた横山は、空いている左手で額を抑えて、窓の外に目をやっている。ここから見えるのは、グラウンドの周りを走っている陸上部と、ボールを蹴ってるサッカー部だけだ。
まぁ俺の認識はのちのち訂正するとして、社に関して気になることが一つある。
「社って、女子に対してはどうなんだ?」
「あー、なんていうんだろね。下手……というか、一歩引いてる感じかな。輪の中に入ろうとしない的な」
「ふーん。まぁ女子の社会は難しいもんな」
「何わかった風な口ぶりで言ってんの。思ってる数万倍はややこしいから」
「さいですか」
それはまるで、海の中の嵐。雨が、風が、波が次々に襲いかかる。休んでる暇なんてない。やっと切り抜けたと思えば、また次の嵐がやってくる。
いつか、姉がその嵐の中にいた。今も航海の途中なのかもしれないが、姉は、一人で舵を取った。雨に、風に、波に負けまいと。
横山と喋りながら廊下を進んで、昇降口へ到着した。
横山はどうやら部活をやっているらしい。何部かは聞きそびれたが、外に出てるってことは、運動なのだろう。
「じゃあ、社さんは任せるから。こっちはとっきーと私が」
「おう、すまんな」
「頑張ってね」
「何をだ」
「いろいろー」
そう言って横山は、意味ありげに後ろの廊下に視線を送って、小走りで昇降口を出て行った。なんだ、後ろに何かあるのか?
「香西君、うっす」
「お、うっす。いやさっきまで同じ教室にいたろ」
振り返ると、職員室側から歩いてきた社と目が合った。
あー、あれか、日誌だな。その話するの忘れてた。
「帰るの遅いね」
「さっきまで横山と話しててな」
「……ふーん、横山さんと仲良いんだ」
「いや全然だな」
「否定されたらされたで困るなぁー……」
「ほらあれだ、クラス会の幹事が横山でな、社も来るよと伝えていただけだ」
「あ、幹事横山さんなんだ。だから朝、ピコピコやってたんだね」
「ピコピコ……? あぁ、スマホね。そうそう」
ピコピコて、表現が独特だな。
それにしても昇降口で社に遭遇する率が高い。もうここで社待ってれば、いつでも社とバッタリ会えちゃうな。それはバッタリじゃないな。
今昇降口には、あまり人はいない。少しくらい話しても大丈夫そうだ。
「日誌すまんな。週替わりにするか?」
「ううんいいよ。手間って思わないし、一年のときも私がしてたから」
「社が言うなら……。まぁ変わってほしいときはいつでも」
「うん、そうするね」
横山が言っていた通り、俺は普通に社と話せている。
しかし、社の気持ちを考えろと言われてもな……。俺と他の男子の違いなんて、副委員長やってるかやってないかくらいだし、濃厚なのは、俺は眼中にないってことくらいか。
どうでもいいやつほど、気負う必要がないからな。怒らないし、褒めない。そうなると青倉先生……。いや、褒められたことないな。実は俺嫌われてるのか? それはちょっと明日から学校来れなくなるほどの大事件だな……。
「じゃあ、帰るな」
明日、青倉先生の肩でも揉みに行こうかなと考えながら、踵を返す。これだと露骨すぎるか。
「あ、ま、待って」
「ん?」
「あの、えーと、ね。あそこ、いつでも来ていいから」
「あそこ? 非常階段か?」
「うん。昼は大体あそこにいる、から」
「……いいのか?」
「うん」
「……そうか。わかった、また顔出すな」
もしかして、昼休み言おうとしてたことはこれなのだろうか。てっきり、俺にバレたから新しい場所を探すのかと思っていた。
しかし、この提案はありがたい。電話せずとも、昼休みあの場所に行けば社と話せるわけだから、予定も伝えやすい。それに、美味しいおかずも貰えるかもしれないしね!
「じゃあ気をつけてな」
「うん、香西君も」
昇降口を出ると、心地よい風が頬を撫でる。新緑が揺れて、葉が音を鳴らした。オレンジが混ざった空は、朝と同じで、雲一つない快晴だ。
今日はぐっすり寝れそうだな。
読んでいただきありがとうございます!