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「どうぞお掛けになってください」
「失礼します……」
三日月さんに呼び出され会議室に隣接する小部屋に連れてこられた。漂う甘い香りは、さっき頂いた紅茶のものなのか、女子高特有のものなのか。はたまた二人きりの空間が五感を鈍らせているのかもしれない。
後ろ手で部屋の鍵を閉めた三日月さん。その音がやけに大きく聞こえた。
「あの……」
「はい何でしょう?」
「どうして隣に?」
「拓人さんは、女性が隣に座るのはお気に召しませんか?」
「そう言うわけでは……」
緊張しないわけではないが、今指摘してるのはそこじゃない。何気に名前知られてるし……。緋奈が教えたってことにしておこう。こんなことでドギマギしてたらまた下に見られるかもしれないしな。
「正直予想以上でした」
「予想以上……?」
「先程のあれですよ。詩鳥副会長は視野が狭くて周りが見えません。生徒のことを考えてくださっているのはわかるのですが、両校足並みを揃えないと合同とは言えません。そう思いませんか?」
あのお嬢様生徒詩鳥って名前なのか。しかも副会長。
悪い人ではないんだろうけど……こちらにとって都合が悪いんだよなぁ。
「わかってたなら早く助けてくれてもよかったんじゃないですかね……」
三日月さんは最初の会議から参加してるはず。
もっと早い段階でメスを入れてればあんな一方的な会議にはならなかった。
「私が手を貸しても一緒です。舞鶴高等学校の生徒会長は私の手を借りなければ何もできない、そう印象づいたでしょう。私は優秀すぎますから」
自分たちの意見は自分たちで押し通せと言うことか。筋は通ってるな。
「自分で言いますか……」
「謙遜しても仕方ないですからね。生徒会長たるもの堂々としてなければ」
瞳の奥に溢れる自信。これくらいじゃなきゃこの学校の生徒会長にはなれないのかもしれない。
「そう言った意味では、結生徒会長は少し頼りないですね。合同文化祭の決定もその準備もこちらが主導になってしまっています。緋奈さんがいなければ、どうなっていたことでしょう。これを機に、成長してもらえればいいのですが」
「随分客観的なんですね」
「この学園で成すべきことは大方成し遂げましたので。この合同文化祭は、詩鳥副会長の手腕確認する場、並びに舞鶴高等学校の手腕を見定める場と決めているんです」
「……あの子三年生じゃないんですか」
「はい、詩鳥副会長は拓人さんと同学年ですよ。高等部には、昔から副会長は次期生徒会長を据えるようにと慣わしがありますから」
つまりは同い年の子があれだけ堂々と発言してたわけか……。
教育というか、校風というか、生徒自身の心構え自体がそもそも違う。
下に見てたのではなく、熱量が違ったと考えを改める必要があるか。
まぁさっきの議論は度がすぎてたけどね……。
「拓人さんは来年生徒会に入られるのですか?」
「い、いやそれはないですよ。成績もイマイチですし」
「学業だけで判断するものではないと思いますが……まぁ本人の意思が一番です。気が向いたら私にお申し付けを。口添えはしますので」
「は、はぁ……。要件はそれですか?」
「いえいえ。もっと個人的な理由です」
スッと右手を差し出す三日月さん。
手の平を表向きにして、まるで踊りませんかと誘うみたいに。
しかし、彼女の口からはそれ以上の言葉が出てきた。
「私と結婚してください」
聞き間違いじゃなければ彼女は今、結婚してと口走った。
その顔色に緊張や恥じらいは見られない。あるのは、この手を取るでしょう? と言わんばかりの柔和な笑みのみ。
どうしたものか……。あ、いやこれは、手を取るか取らないか悩んでるのではなく。この場をどう丸く収めるかを悩んでるわけでして。
振るのが一番手っ取り早いが、そんな簡単なことではない気がする。
例えば三日月さんを振ったとして、今後の会議やら学校間の付き合いに不利に働くかもしれない。
あと一年もしないうちに三日月さんは学校を卒業するけど、桜井女子学園は卒業生との繋がりも大事にしてるらしい。毎年何かしらの宅配物が母と姉に送られてきてるから確かな情報のはず。
この辺りは考えすぎだと思うけど、合同文化祭に影響するのは十分にあり得る。答え次第で結姉や伊奈野さんの頑張りが消えてなくなるかもしれない。
今なら営業の人の気持ちが痛いほどわかるぜ……。
「今なんと?」
「私と結婚してくださいと申しました」
とぼけてみたがダメだった。
言い間違いでもなければ聞き間違いでもない。
そう言えば、だいぶ前に戸堀先輩の占いで恋愛運が最高潮とかって結果だったな。あれは今でも続いてるのか……?
とにかく今はこの場面を速やかかつ穏便に解決しないとな。
俺はテーブルの下で三日月さんにバレないようスマホを開く。
「あの……僕彼女がいまして」
「はい、存じています」
「なら……その、結婚は難しい……なんて」
「今の彼女さんと一生お付き合いするわけではありませんよね? それともすでに婚約を?」
「いえそれはまだ……」
「でしたら何の問題もないですね」
大ありなんだが? 法律的に俺はまだ結婚できないです。物理的に結婚できない男なんです。
「み、三日月さんみたいな人に俺なんかはもったいないですよ」
「拓人さんはなんかではありません。自分を客観的に評価することは大切ですが、人は人に評価されて初めて自分の価値に気づくものです。私には、拓人さんが魅力的に感じますよ」
「っ……」
普段褒められることがないから普通に嬉しい。褒められるというよりは、口説かれるの方が正しいか……。
ダメだ。このままだと言いくるめられてしまう。助けが来るまで耐えなければ。
「僕は三日月さんのことよく知らないんですが」
「これから知ってください。二人で過ごす時間はいくらでもありますから」
「三日月さんは……僕のこと好きってわけではないですよね?」
今は恥ずかしがってる場合ではない。何としても諦めてほしい。目を覚ましてほしい。
胸に手を当てて考えるんだ。俺より優れてる人なんていくらでもいる。
俺のこと好きって言ってくれるのは、奏だけでいい。
「そうですね。今はまだ好意とは呼べないかもしれません」
「なら──」
「ですが、私はきっと貴方のことを好きになるでしょう。もしそのとき手遅れというのは嫌なのです」
からかってるわけじゃない。この人は本気だ。
生半可な気持ちで相手をしてはいけない。そう気づいたときには、もう手遅れだった。
「恋愛も自分の気持ちが大事です。しかし、一方的ではダメですね──」
三日月さんの手が俺のネクタイを掴みクッと顔を引き寄せる。
部屋の匂いとはまた違う甘い香り。
頬と頬が触れそうなくらいの距離。
耳元に感じる息づかい。
「必ず、私のことを好きにさせてみせます」
「っ……!」
『三日月生徒会長! 鍵を開けてください!』
ドアの向こうから緋奈の声がする。
救援信号は届いた。でも、一足遅かった。
「緋奈さん今行きます。あ、すみません乱れてしまいましたね」
掴んでいたネクタイを綺麗に直す三日月さん。
「夫婦みたいですね」
俺はひたすら心の中の奏に謝ることしかできなかった。
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