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ごめんなさい。遅くなりました。

『藍っ!』

『えへへ、転んじゃった』


 私が他の子と違うんだと自覚したのは、小学二年のときだった。

 朝ふらふらしながら立ち上がって、そのまま壁に激突。打ちどころが悪くて、おでこから血が出てた。

 たったそれだけなのに、心配性なお母さんは大袈裟にも私を大きな病院へ連れて行った。

 私は、人より血の量が少ないらしい。

 頻繁に起きる目眩も、朝気分が悪いのも、酷い頭痛も、全部そのせいだと聞かされた。

 命に関わるような病気ではないそうだ。ただ、普通には生きていけないらしい。

 小さい私はよく理解できてなかったけど、お母さんはすごくショックを受けていた。


『ごめんね……』


 どうして謝ってたのか今でもわからない。

 そのときの私は、悔しそうな、泣きそうなお母さんの顔をただ見上げることしか出来なかった。


 小二の途中からは、遅れて学校に行くことが増えた。早くて二限目が終わる頃、遅いときは、お昼を過ぎてから。登下校ともお母さん同伴だ。

 周りからしてみれば、私は異様に映っていたと思う。

 朝早く起きて、自分の足で学校に行き、最後まで授業を受けて家に帰る。

 私以外にとってそれは当たり前のことで、普通に出来ることだった。

 なのに普通じゃない私が、周りと同じ空間に馴染めるわけがなくて、友達なんて一人も出来なかった。

 小四からは保健室登校になった。私がいると学級の雰囲気が悪くなるからだそうだ。

 クラスにとって私は、腫瘍でしかなかった。

 保健室登校は、教室よりも幾分マシだった。教室に一人でいるのは、とても惨めだから。

 陰口や悪口を言われることはないし、気を使わなくてすむし、気を使われることもない。保健室は、私にとって唯一の安息の場だった。

 ある日、怪我をした生徒が保健室に来た。驚きはしない。本来保健室は、そういう生徒を受け入れるためにある。

 しかし困ったことにちょうど先生のいない時間帯で、私が手当をしてあげた。


『ありがとう。えーと……戸堀さん』


 その子は同学年の女の子だった。

 顔は覚えてなかったけど、多分同じクラスになったことがある。きっと話したこともない。

 それからその子は、よく保健室に来るようになった。自分の友達を連れて。

 保健室で出来ることなんてほとんどない。椅子に座っておしゃべりするのが関の山。

 たったそれだけ。たったそれだけのたわいのないことが、私は、すごく嬉しかった。

 普通じゃない私を、この子たちは受け入れてくれたんだと、そう思っていた。

 でも段々とその回数は減っていく。

 三日に一回が一週間に一回になり。二週間に一回になり。一ヶ月に一回になり……そして最後は来なくなる。

 それは彼女たちだけじゃなかった。

 学年が上がればそういう子が一人か二人かは現れる。中学生になってもそんなことが幾度となくあった。

 違った。彼女たちは私を受け入れてくれたんじゃない。


 私がただ、そう思いたかっただけ。私は、みんなと同じなんだと。


 もしそうなら、お母さんはきっとあんな顔をしなくてよかったはずなんだ。

 毎日の送り迎えは大変だ。仕事を変えて忙しいはずだ。疲れてるはずなのに私の前では、ずっと笑ってる。

 だから私は、せめて学校では普通でありたかった。

 それさえも無理だと気づいたとき、ふっと心が軽くなった。街で知らない人の赤ちゃんを見かけたときに芽生える、母性本能のような。

 私は、諦めたのだ。普通であろうとすることを。


「それから私は、人を遠ざけてきた」


 どうせすぐにいなくなる。だったら最初からいなくていい。

 どれだけ言葉を交わしても私との間にある線は越えられない。

 私に向ける感情が同情ならまだいい。

 でも、中途半端な優しさは、最後に自分自身を苦しめることになるから。


 今、目の前にいる彼は、どんな気持ちで私の話を聞いてるんだろう。

 初めて会った日は、なんて失礼な子なんだと思った。

 開口一番に『幼女だ』なんて言われたら誰だって怒るよね? 気にしてるのに……。

 でも話してみたら嫌な子ではなくて、むしろ先輩の私をたててくれる様ないい子だった。

 どこか頼りないし、覇気がないし、変わってるとこもあるけど、後輩(香西拓人)くんは、今までの誰とも違った。

 きっと斗季君のおかげでもある。

 太陽みたいな斗季君と月みたいな後輩くん。

 二人は、そんな安心感を与えてくれる。

 初めてだった。私から離れて行かなかったのは。

 斗季君は強引な部分があって、来なくていいよって言っても二日に一回は保健室に遊びに来た。

 先生は呆れてたけど文句は言わなかった。

 後輩くんは斗季君の頻度ほどではないけど、何かと理由をつけて保健室に足を運んでくれた。

 一番の思い出は二年の文化祭だ。

 本当は行く気なんてなかったけど二人に誘われた。来るの遅くなるって言っても、大丈夫だからと二人は笑っていた。

 出店を回って、演劇やバンド、吹奏楽の演奏も観賞して、ちょっと疲れたら二人も一緒に休憩してくれた。

 斗季君は顔が広いからたくさんの人から話しかけられていた。

 後輩くんは、自クラスの出し物に一生懸命取り組んでいた。バリバリ働いてるって感じではなかったけど、周りをよく見てさりげなくフォローしていた。

 一番損する役回りだ。目立たないよう過ごしてるせいで、誰にも気づいてもらえてない。斗季君とは正反対だ。

 後輩くんはみんなよりちょっとだけ大人なんだと、そのとき気づいた。

 なら、彼になら、自分の思いを、悩みを打ち明けてもいいのかもしれない。

 そう思っても勇気は出なかった。

 今まで人に冷たくしてきたのに虫がよすぎるのではないか、今度こそ私から離れちゃうんじゃないか、もしかしたら……実はもう何か気づいてて何も聞かないようにしてるんじゃないか。

 後輩くんは、引かれた線をわざと跨がないようにしてる。だから、無闇矢鱈に私に会いにこない。でも、適度に会いにくる。それが後輩くんなりの気遣い。大人な対応だ。

 そして今日、そんな後輩くんが線を跨いだ。私のことを大切な友人だと言ってくれた。


 だから……もう後輩くんの前で、大人ぶるのはやめていいよね?


「私だって……普通がよかった。普通に学校に行きたい。普通に友達が欲しい。保健室は寂しい。一人は辛い。我慢した。いっぱい……いっぱい我慢してきたんだよ……」


 ぽろぽろと情けなくこぼれていく涙は、スカートの上でシミになっていく。

 鼻の奥がツーンと痛い。のどがぐっと詰まる。

 泣き崩れないのは、まだ私の中に先輩であることの自覚があるから。


「……話してくれてありがとうございます」

「う、ううん。私の方こそ聞いてくれてありがと。ちょっと楽になったよ。こんな私でも……友達でいてくれる?」


 あ、今のはちょっと恥ずかしい。


「当たり前です」


 即答かぁ……。かっこいいじゃん。


「でもちょっとわからないことがあって」

「うん? 何?」


 涙を拭って顔を見やれば、後輩くんがいつもよりかっこよく見える。

 大人ぶってた私よりはるかにかっこいいけどね。


「先輩の今の話と、先輩が斗季を遠ざけることになんの関係が?」

「え、いやだって……こんな私を知ったら斗季君幻滅するかもしれないじゃん……。それに私は、面倒くさいんだよ」

「性格が?」

「ちがわい。……こんな話をしたあとによくボケれるね」

「場を和ませようかと……」


 無駄な気遣い……でもないか。この方が私たちらしい。


「た、たとえば私と斗季君が付き合うとして、デートは遅い時間からになるし、疲れやすいから長時間は出歩けないし……とまぁ、色々面倒くさいんだ。斗季君には、普通の恋をしてもらいたい」

「……なるほど」


 納得してくれたかな。そうじゃないとしても、後輩くんはきっと口にはしない。

 自分なりに私のことを考えて落とし所をつける。

 そうやって私たちの関係は出来上がってきたんだ。


「じゃあ……斗季のこと諦めるは、そのままでいいんですね?」

「うん。それが斗季君にとっても……私にとっても一番だよ」

「わかりました。そろそろ帰ります」


 これで私の初恋はお終い。

 これから斗季君とどんな顔して会えばいいんだろう。

 もしかしたら、もう会うことも出来ないかもしれないけど。

 何度も経験してきたのに……斗季君と会えなくなるのは辛いなぁ。

 そんなことを思いながら私は、後輩くんの背中を見送った。



 ※※※


 保健室を出てからすぐ、俺は通話中になっているスマホに耳を当てた。

 学校での使用は原則禁止。俺だって廊下でこんなに堂々と使ったことなんて今までない。先生に見つかったら一発で没収されるだろう。

 でも、今はそれでもいい。スマホなんかより友人()()の方が何倍も大切だ。


「だそうだ」


 さっきまでの会話を聞いていたもう一人の友人は、スマホの向こうで何を思ったのか。

 ただ俺が確信していることは、戸堀藍のラブコメはこんなことで終わらないということだけだ。


読んでいただきありがとうございます。


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