交換2
さすがは、学年主席と言うべきだろうか。弁当を取りに行って非常階段に戻ると、社はもう冷静さを取り戻していた。いや、冷静というか、恥ずかしさのピークを迎えているようで、耳を真っ赤にしたまま俯いている。学年主席とか関係ないなこれ。
だが、一度言ったことを撤回する気はないみたいでホッとする。
人一人分のスペースを開けて階段の一段目に腰かけている俺と社は、弁当を開けたまま一言も喋ることなく、ただただ時間を無駄にしていた。
俺はいつも教室で食うか、斗季と食うか、最近は顔を出してないが、保健室で食ったりしている。
まさか社がここで飯を食べているとは……。正直驚いた。社のイメージとはかけ離れているし。
「いつもここで食べてるのか?」
「……うん、入学してすぐ見つけて」
「ほー、秘密基地みたいでいいなここ。前来たときも思ったけど」
「あ、あんまり人に教えないでね? ここも、その、さっきのことも」
尻すぼみになっていく声だったが、周りが静かだからしっかりと耳に届く。今のが告白だったら、「え、なんて?」とか言っちゃうんだろうな……。難聴系主人公に神の裁きを!
残念ながら俺は、都合のいいことも悪いことも、ついでにどうでもいいこともしっかり聞こえるので、とぼけたり、ごまかしたりはしない。言い訳はする。
「おう。俺も来ないようにするから、心置きなく使ってくれ」
どこにいても人の目を引く社が、この学校内で唯一、一人になれる場所なのだろう。でなければ、あの社が鼻歌なんて歌うわけないもんな。
長いまつ毛をパチパチさせて、俺から視線をそらした社は、何か言いたそうに小さく口を開いたが、唇を噛んでそのままうな垂れた。
「そういや、昨日の晩飯ってなんだったんだ?」
「……えーと、煮物だよ。一日中煮込んだんだ」
「社が作ったのか?」
「うん、教えてもらいながらだけど」
「ほー、美味そうだな。カレーも一日寝かせれば美味しくなるし……え、なに料理って寝かせれば美味しくなるの?」
「全部が全部じゃないよ……」
「そうか、だよな」
まだ恥ずかしさは取りきれていないが、まともに会話できる程度には落ち着いてきた。
俺も止まっていた箸を動かして、妹特製の激甘卵焼きを口に運ぶ。これ半分デザートなんだよな……。作ってくれてるから文句は言わないけどね。
「うん? どうした」
「あ、えーと、よ、よかったら食べてみる?」
少し距離があるとはいえ視界の端でそわそわされたら気になって仕方ない。
卵焼きを飲み込んで聞くと、上目遣い気味にそう言われ、少しだけドキッとした。
「いいのか?」
「うん。ちょっと入れすぎたかなって思ってたから」
平静を装って返事をした。社は胸の前に持っていた弁当箱をゆっくり俺の前に差し出してくる。
見ただけで味が染み込んでいるのがわかるくらい、食材たちの色が濃い。にんじん、たけのこ、れんこん、しいたけ、山芋。スーパーのバイトのおかげで、野菜の名前が次々に浮かんでくる。……これが職業病か。
「じゃ、じゃあ一口貰います」
社の眼差しが、痛いほど突き刺さってくる。これは下手な感想は言えないぞ……。
乱切りにされたにんじんを口に運ぶ。さっき食べた卵焼きのおかげで、だし汁の濃い旨味が口いっぱいに広がった。よく煮込んでいるようで、にんじんも驚くほど柔らかい。飲み込んでもまだ、口の中に風味が残っている。
「めっちゃ美味い」
無意識のうちに俺は呟いていた。危うく制服が弾け飛んで、料理バトル漫画になりかけたまである。
すると社は、嬉しそうに、にこりと笑う。
「よかった、初めて作ったから」
「いつ店出すの、通うけど」
「出さないよ……。でも、香西君通ってくれるんだ」
「おう、俺はいつまでも待ってるからな」
口の中に残る余韻で白米をパクリ。米うめぇ。
美味いものを食ったせいでなんでも美味しく感じる神の舌を手に入れたのかもしれない。いやむしろこれはバカ舌ですね……。
「香西君って、やっぱ変わってる」
「悪口は聞こえないとこで言ってね?」
「悪口じゃないよ。ふふ、じゃあお詫びにもう一口どうぞ」
そんな感じで俺と社は、最初の時間を取り戻すように、弁当を食べ進めていった。
スマホで時間を確認した俺は、そろそろいい時間にもなってきたし教室に戻ろうかなと、弁当箱を片付け始めたところで、当初の目的を思い出す。
っぶねー! 普通に社と飯食ってたー。ちょっと煮物貰いすぎて罪悪感まであるんですけど?
ごちそうさまでしたと手を合わせる社は、満足そうに弁当箱の蓋を閉じている。このままでは、なんの成果も得られないまま調査を終えることになる……。
「んんっ。そ、そう言えば社」
「はい」
「その、近日中に隣のクラスと合同でクラス会をやろうって話が出てるんだが、知っているかい?」
「……いや、知らないかな。あと、喋り方変だよ?」
「そ、そうかね? いやそうだな。きもいな。てか、知らないのか。もうみんな知ってると思ってたんだけど」
「私、昔からそういう集まりみたいなの誘われたことなくて」
「あー……じゃあ今誘うけど、来てくれるか?」
「っ……。行って、いいのかな?」
社は、不安そうに眉を寄せて力なく微笑んだ。
この表情、ラブレターを落とした日もしてたな。
「そりゃいいだろ。同じクラスなんだし。委員長が来ないと始まらない」
「校外だと関係ないような……。でも、香西君が誘ってくれるなら、行こっかな。もちろん、副委員長の香西君も来るんだよね?」
「誘った手前、行かないわけにはいかないからな」
「そっか、じゃあ、行く」
なんか、俺が来るから来てくれるみたいな言い方だったのでちょっとドキッとしました。社の私服とか絶対見たいしな、俺も絶対行くかんね!
さて、ここからが本番です。一つ咳払いをして、俺はスマホを取り出す。
「それでその、予定をこれで送りたいので、社の連絡先を教えて欲しい」
「あ、ごめん。私、スマホ持ってないんだ」
姉と妹は言っていた。どうしても連絡先を教えたくないときは、スマホを持ってないことにする、と。これを聞いたとき俺は号泣したね。女の人って容赦ないなって。
つまり社は、俺に連絡先を教えたくないということらしい。……控えめに言って死にたいんだけど。
固まって動けない俺に、社は恥ずかしそうに視線をそらしてこう続けた。
「だから、その、家の電話番号を教えます」
「……ん? え、家の?」
「うん。ダメ……?」
「ダメ……じゃないけど」
「私も香西君の電話番号、家で登録したいから、教えてほしいな」
「それはいいけど……」
予想外の出来事に、俺の頭は真っ白になっている。
俺は、どうやって社の連絡先をゲットしたのか、いつ俺の電話番号を社に教えたのか、何一つ覚えていない。
ただ覚えているのは、頬を朱色に染めた社の照れ笑いと、彼女が作った煮物の濃い味だけだった。
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