二度目の春と変わらぬ一日
学校の職員室のいうのは、どうも居心地が悪い。
カタカタとキーボードを叩く音、紙の擦れる音、何よりもこの空気感。いるだけで気が滅入ってくる。
ただ、いつもと違うのは、どの先生方も慌ただしく作業をしていることだ。
俺のことを呼び出した目の前の教師も、ディスプレイに目を向けてキーボードで何かを打ち込んでいた。
「先生達忙しそうですね」
「まぁそうね。入学式もあるし、新任の先生方もいるから」
「あぁ……なるほど」
マウスをカチカチしながらこちらには目もくれず答えたのは、二年連続俺の担任を務めてくれる青倉清子その人だ。コーヒーを飲む姿は大人びていて、一つひとつの仕草でさえも、どこか艶かしさを感じる。どんな人生を歩めばこんなフェロモンが出てくるのだろう。これが大人の魅力ってやつか……。その魅力が大人の異性に伝わればいいのに……。
「香西君言いたいことがあるなら言いなさい」
「何でもないです」
艶かしさも奥ゆかしさもない鋭い視線から逃げるように窓の外に目をやると、風に乗った桜の花びらが、ひらりと宙を舞っていた。
暦は四月になったばかり。高校生になって、もう一年がたつ。去年の今頃は、あの桜の木の下をドキドキしながら通学していたものだ。しかし、一ヶ月たつとそんな初々しい気持ちもすっかりなくなり、ゴールデンウィークが開けた頃には学校行きたくねぇなに変わってるんだから人の順応性には恐れ入るしかない。今日の朝も学校行きたくねぇなと思ってました。
ただ、それと同じくらい学校に休みたいと連絡するのは面倒くさく、サボったことがバレたあかつきには、母と姉、おまけに妹から怒られる羽目になるので、割りに合わないのが本当のところである。
それに今日は、クラス分けと始業式だけのボーナスステージだったからな、こんなところでライフを削るのは得策じゃない。
「それで先生、俺はいつ帰れるんですか」
「ちょっと待って、もう一人呼んでるの」
作業していた手が止まったのを見計らって聞くと、青倉先生はうーんと伸びをしながら椅子を半回転させて俺の方を向く。無駄に良いスタイルが強調され、目のやり場に困ってしまう。
「……まだ一人? 間違えたもう一人?」
「ええ、どこかでルートを間違わなければこんなことには……香西君、先生をからかって楽しい?」
「むしろ俺は励ましてるんですよ! 周りは諦めてるかもしれませんが、俺は諦めてません! 早く三次元に目覚めて!」
「別に周りは諦めてないのよね……毎月のように母からは孫の顔を見せてとか電話くるし……。いい香西君、私は結婚できないんじゃなくてしないの、そこを勘違いないで欲しいわね」
「……それを親には?」
「言えるわけないじゃない」
「俺に言う前に親に言ってくださいよ……」
勝気に笑って鼻を鳴らしているが、親御さんは今のを聞いたら泣きますよ? わかってるから言わないんだろうけど。
「私のことはいいの、焦ったところでどうにもならないし」
「男前すぎる……。先生、趣味の幅を広げてみては?」
「いやよ。休みの日はアニメ、ゲーム、ライトノベル、家からは一歩も出ない。これは中学の時から続けてきた私のライフスタイルなんだから。今更変えるなんてできないわ」
趣味じゃなくて人生そのものだった。
これはもう手遅れかもしれない。でも俺は諦めないよ! 先生が結婚するその日まで!
「でもその休みがないのよね……」
なんて思っていた俺をよそに、遠い目をして小声で言った青倉先生は、またキーボードをカタカタと打ち始める。
頑張れ先生と心の中で応援しつつ、用意してもらった椅子に座って、俺の他に呼ばれたもう一人を待つこと数分、その女子生徒は職員室に姿を現した。
「失礼します。青倉先生はいらっしゃいますか?」
「こっちよ社さん」
「社奏か……」
先生が社奏に手を振ると、ドアを静かに閉めた社奏が、俺と先生のいる席へやって来る。
あれおかしいな、先生俺が来た時はこっちに目もくれなかったよね? 態度が全然違うんですけど? ……まぁそれはどうでもいいや。
それより、社奏と俺がどうして同時に呼び出しをくらっているのだろう。
社奏と言えば、この学校に通うものなら知らない人がいないくらいの有名人で、成績は優秀、運動もでき、それに加えて容姿も良い非の打ち所がない完璧人間だ。
実は、そんな彼女とは、これまた二年連続同じクラスで、一部の生徒から羨ましがられたりしたのは、今日の朝の出来事である。
「席は変わってないんですね」
「ええ、席替えは大変だから」
先生と話す横顔を盗み見ると、整った顔のパーツやきめ細かい白い肌は、今日も今日とてお綺麗だった。瑠璃色に近い長髪は彼女の最大の魅力と言ってもいいだろう。
「……」
「……うっす」
「うす……」
まじまじと見ていたのがバレたのか、眉根を寄せた社奏に軽く睨まれてしまった。肩をすくめて会釈をする。かろうじて返してはくれるが、彼女とのやり取りはこれが限界だ。
警戒心と言うか、あからさまな嫌悪感をひしひしと感じる。まぁこれは俺にだけじゃなくて他の男子にも当てはまるので、今となってはそれほど気にならない。というかご褒美に近いまである。
これを勘違いして、自分だけに向けられてる! と思ったやつが告白して振られるのだ。同じクラスにいると、そんな話が勝手に耳に入ってくる。まず向けられてるのが嫌悪感ってのに気付こうな?
「……それで先生話って?」
小さく咳払いをして先生に視線を向けると、社奏も同じように先生の方へ向き直る。
「まずは……二人とも、今年もよろしくね」
「はぁ」
「よろしく、お願いします……」
「実は二人にお願いしたいことがあって」
「私にですか?」
「社奏にならわかりますけど、先生が改まって俺に頼みごととか……」
先生俺を雑用みたいに使ってますよね……。事あるごとに俺呼ぶのやめて欲しいんですけど。それでも先生の言うこと聞いちゃう俺、どんだけ先生のこと好きなの? 結婚するの?
小言を言ったつもりなのに、まるで気にしていない先生はさらに続ける。
「去年のクラス委員を決めたときのこと覚えてる?」
「ま、まぁ……」
「……寝てたら勝手に文化委員にされてたなぁ」
あ、気づいちゃったよ。これはあれですね、気になる男子にちょっかいかけちゃう系女子のやつだ。寝てる間に委員を押し付けるなんて、青倉先生のちょっかいが重すぎて俺くらいにしか受け止めきれないんじゃないの? もしくは嫌がらせ。てかこれに違いない。
俺と青倉先生の思い出はさておき、去年のクラス委員を決めるホームルームは、とても大変だったらしい。寝てたので詳しくは知らないが、原因の一つは隣にいる社奏だ。
「今年はああならないよう事前に委員長に推薦しておこうと思ってね。香西君は副委員長で決まりで、委員長を……社さんお願いできないかしら?」
「ちょっと待って俺は決定なの? ついで感がすごいんですけど」
「香西君ありがとう」
「拒否権がない……」
同じ笑顔のはずなのに、俺と社奏に向けられる意味合いが違うものに感じるのはなぜなのかしらん?
しかしこうなったら断れない。一年間先生にはみっちりちょうきょ……教育されてきたからね!
「社奏はどうするんだ?」
チラリと社奏を見やると、眉根を寄せた嫌悪感丸出しの視線と俺の視線がぶつかる。話しかけてごめんね。
「……私も別にいいですよ。今年もやるつもりでしたし」
「社さんありがとう!」
俺から目をそらした社奏は、微笑をたたえて首を縦に振った。青倉先生はそれはもう嬉しそうに笑っている。だから俺の時と反応が違いすぎない?
「じゃあ明日のホームルームは二人に任せるわね。一年間よろしく」
明るい声色で言った先生に見送られ、俺と社奏は職員室をあとにした。
俺も彼女も帰るだけなので、必然的に昇降口へ続く同じ道を使うことになる。
窓から刺す陽の光が、社奏の髪を照らしている。後ろをついて行っているせいか、シャンプーの匂いがしてちょっとした罪悪感が生まれた。
「じゃあな社奏」
「そ、その、フルネームで呼ぶのやめて欲しい」
昇降口で先に靴を履き替えた俺は、何も言わずに帰るのも悪い気がして、社奏に声をかけた。
すると、ストッキングに包まれた細い脚のつま先をコツコツしながら、眉根を寄せてまた睨んでくる。
あぁ、原因はこれだったのね……。
「すまん、なんかいい名前だからつい」
言いやすいからね、社奏って。言いたくなるような名前だし、社奏って。
謝りながらも心の中で彼女の名前を連呼していた。うん、気持ち悪いね!
寸秒目を見開いた社奏は、頬をわずかに朱色に染めて、視線を落とす。
「そ、そう……。でも、フルネームは恥ずかしいから」
「あー、すまん。じゃまた明日、社」
「……うん、またね。香西君」
社奏とちゃんと話したのは、これが初めてだった。
さて、俺と彼女のラブコメはいつから始まるのだろう。
そんな、これっぽっちも期待していない展開を一瞬考えた俺は、通い慣れた道を歩きながら、大きなあくびをしたのだった。
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