『紅花』
かつて世界を滅ぼさんとした魔物がいた。魔物はあらゆる物を燃やし、流し、吹き飛ばし、埋めつくし、そして圧し潰した。
そこに一切の差異などなく、物であろうと生物であろうと、生きていようが死んでいようが、形があろうが原型を留めてなかろうが、人間であろうが人間でなかろうが、そこに老若男女の隔てなどなく、生物的な差別もなく、ただただ目の前にある全てを破壊した。
魔物はあらゆる魔術を行使することで恐れられてきた。魔物が火を出せば忽ちそれは業火となって全てを燃やしつくし、魔物が水を出せば忽ち洪水となってあらゆるものを流し、風を出せば竜巻となって辺り一面を更地のように吹き飛ばし、砂を出せば砂漠と見紛う程に埋めつくされ、闇を出せば辺りには何も残らない程に吸い込まれ押し潰された。それだけで十分に脅威だ。
だが本当に恐れるべきものは魔物が手に持つ剣だった。それは魔物の持つ全魔力を特殊な金属に流したことでできた、いわば最強の剣。
それはあらゆる物を斬り裂き、貫き、叩き潰し、ただただ破壊を振りまいてきた。文字通り一切の差異など関係なしにだ。
それは破壊の象徴。死の権化。勝つことは叶わず、挑むことは能わず、逃げることも許されない。気まぐれのように、偶然かのように、運命だと決めつけるかのように、世に蔓延る悉くを破壊しつくした。それはまるで意志を持った天災のようだと誰かが言った。
後にその魔物は最強の魔物として魔物の王――『魔王』と、そしてその魔王が持つ剣は『紅花』と、そう呼ばれることになる。
「さあ、蹂躙の時間じゃ」
真緒が呟き目の前に浮かぶ剣を――掴んだ。途端に剣が放っていた異常な魔力が掻き消える。そしてようやく真緒が持つ剣の姿が顕になった。
――黒い剣だった。一部の隙もないくらいに漆黒で染められた剣だった。握りも鍔も剣身も全てが黒い。その中にただひとつだけ、赤い花が添えられている。握りと剣身の間、鍔と呼ばれる部分の中心に赤い――否、紅い花が、血のように紅い薔薇のような花が目立つように付けられている。装飾品だというのにいやに目立つ。だからこその『紅花』。真緒自信で唯一名付けた最強の一振。それが今ここに顕現している。
「グゥゥゥゥゥ……!!」
さっきまで怒り狂っていたゴブリンエンペラーが今は『紅花』を恐れるように後退る。いや、恐れるよう、ではなく本当に恐れている。遺伝子に刻まれているのか、或いは本能か。
「グオオオオオオォォォォ!!!!」
そんな自分に気付いたのか、まるで自らを鼓舞するようにゴブリンエンペラーは吼える。怒号のようにも聞こえるそれは最早恐怖を掻き消そうとしているようにしか聞こえない。
「まあそれはどうでもいいことじゃな。じゃあの」
そしてゴブリンエンペラーの左腕が飛んだ。遅れて血飛沫が左腕があった場所から噴き出す。
「グオ!?」
驚いたような声を出すゴブリンエンペラー。そして自らの左腕を見て叫び声を上げる。
「グオオオオオオォォォォ!!!!」
怒りのままに叫び斬った張本人である真緒を睨みつける。けれどそんなことをしたって真緒の攻撃が止まる訳ではない。
「どうした。次は脚じゃ」
「ガアアァァァァァァ!!!!」
宣言通り次はゴブリンエンペラーの左脚が飛んだ。片脚を無くしたことでバランスを崩しゴブリンエンペラーの巨体が地面に倒れる。
「グゥゥゥゥ……!!」
そこに歩み寄る真緒。もうゴブリンエンペラーに勝ち目はない。もとより真緒が紅花を出した時点で勝ち目は消えている。それなのにゴブリンエンペラーにチャンスを与えるように近づくのは……多分真緒はキレてるんだろうね。何か真緒に気づかせることがあったのかもしれない。それはきっと助けた冒険者がきっかけになったんだろう。だからあんなにも真緒は怒っているのかもしれない。
「どうした。その程度大したものではないじゃろう。たかが片腕と片脚が飛んだ程度じゃ。ほれ。立って見せよ」
「グググゥゥ……!! グガアアアアアア!!」
残っていた右腕で持っていた巨大な剣をゴブリンエンペラーはなんとか振り回し真緒を叩き潰そうとする。真緒は避けない。それを見たゴブリンエンペラーはニヤリと嗤ってるように私は見えた。けどそれは勘違いだ。真緒に攻撃が当たると思っている時点で思い上がりも甚だしい。真緒は避けないのではなく、避ける必要がないだけだ。
ガギィン!!! と金属同士がぶつかり合うような音が辺りに響く。続いて何か固いものが折れる音が聞こえてきた。
「グオ!?」
剣をぶつけたゴブリンエンペラーは驚いたような声を出す。まあ驚くのも無理はない。無防備に歩いてくる真緒がまさか防ぐと思っていなかったのだろう。ましてや剣が折られるなんてことは予想すらしていなかったはずだ。
「どうした。これでしまいか? 貴様はたかが片手片脚を失くして唯一の武器を折られた程度で戦意を喪失するのか?」
「グ、グオ……」
「ふん。もう終わりか。つまらぬ奴じゃ。じゃがまだわしは終わらせん。貴様はここで苦しみながら死ぬがよい。ほれ。次は右腕じゃ」
剣を振る。宣言通りにゴブリンエンペラーの右腕が飛ぶ。
「グガアアアアアア!!!!!」
もうこれでゴブリンエンペラーは立つことはできなくなった。まるでじわじわと、徐々に獲物をいたぶる獣のように真緒はゴブリンエンペラーを追い詰めていく。
「これはわしの独り言のようなものじゃ。少しだけ付き合うがよい」
と言い、ゴブリンエンペラーの眼前にまで迫る。
「グ、ガ、グググ……」
「わしはな、これでも怒っておるのじゃ。分かるかの? ……まあ分かるわけないじゃろうな。まあよい。貴様は確かに変異種となった。このまま暴れておったら新たに歴史に刻まれることになっておったじゃろう。運が悪かった、たまたまこの国で、この場所でわしらと出会ってしまったから……などとわしは言うつもりはない。貴様がどこで暴れていようが、どこの国を滅ぼそうとわしらには関係ない。関係ないがわしは必ず貴様を殺しに行ったであろう。必ずじゃ。何故か分かるか?」
一拍置いて真緒はゴブリンエンペラーを睨みつける。
「貴様は、貴様らは増えすぎた。わしや桜が殺したゴブリンだけでも3桁は軽く行くじゃろう。しかし。しかしじゃ。貴様が変異種まで進化するまでに殺したゴブリンども。貴様が殺し合わせ厳選させておったゴブリンども。これらを合わせたら4桁は余裕じゃろう。では聞こう。一体貴様らはどうやって増えていたのじゃろうな?」
「「「……!!」」」
すぐ横から誰かが息を呑むような声が聞こえた。きっと真緒が助けた3人の冒険者達だろう。
「わしは貴様の目の前で3人を救ってみせた。じゃがあの3人は襲われた形跡が一切なかった。桜は何も言わんからあの巣穴にいた冒険者はわしが助けた3人だけじゃったのじゃろう。仮に他にも人がいたとしても恐らくそやつはもう二度と人として生きていくことはできなかったじゃろう」
それは分からない。私に分かるのはあくまでも生きている個体のみだ。人間もゴブリンも生きている個体の数しか私には調べる方法がない。だからもしかしたら真緒の言う通りあの巣穴には他に人がいたかもしれない。でも私の魔術にかからなかった時点でその人はもう死んでいることになる。あの巣穴にいて健康な人などいるはずがないのだから。
「どこの誰が、ということはわしにも分からん。じゃがここはそやつらの墓にする。わしが潰し、わしが埋めたのじゃ。せめてわしだけは名も知らぬ冒険者の存在を忘れてはならないからな」
真緒……。
「わしが貴様を殺す理由なぞいくらでもある。じゃがこれは決して復讐や仇討ちなどという高尚なものではない。これは単なる八つ当たりじゃ。わしが、他でもないこのわしが破壊し、滅ぼさんとしてきたものじゃ。皮肉にも誰かを助けんとする事で気づくとはの……」
そうか。真緒は知ったのか。きっと巣穴の中で冒険者達を助けたことで知ってしまったのだ。誰かに命を救われた感謝というものを。それは最強の魔物として君臨し、世界を滅ぼそうとした真緒には決して分からないものだった。
ただ感謝する訳ではなく命の恩人として真緒は絶対的な信頼を得てしまったのだ。それはまるで呪いのように、戒めのように真緒を蝕むものかもしれない。けれどそれは――
「そうじゃな。わしには本来怒る資格などないのじゃ。そして感謝を向けられる資格もない。身を案じられる権利すらない。それでも知ってしまったから。感謝を、心配を、そして安堵されるということを知ってしまったからわしはここに立っている」
真緒は今どんな顔をしているのだろう。私からは背中しか見えない。泣いているのだろうか。笑っているのだろうか。それとも落ち込んでいるのだろうか。
「ああでも、悪くない気分じゃ。故に貴様には八つ当たりの他に感謝とやらを込めてやろう」
そして剣を振り上げる。先程までは全く振り上げずに腕や脚を斬り飛ばしていたのに、わざわざ振り上げるということはきっと私じゃなくて真緒自身の手でトドメをさすということなんだろう。あれは私とゴブリンエンペラーに告げているのだ。次で終わりだと。あとは振り下ろすだけで終わらせると。
「ではさらばじゃ」
「グ、グオオオオオオォォォォ!!!!!!!!!!」
ドンッッッ!!!!!
大きな轟音を響かせてゴブリンエンペラーは為す術もなく頭から真っ二つになった。その斬撃は真緒の張った結界を破壊し、森を破壊し、地面を抉り裂いた。斬撃は数百メートル先の地面を斬り裂いてようやく消えた。
「すまんな。わしがトドメをさしてしまった。どうも抑えきれなくての」
「まあいいよ。それより気づいてたんだね」
「まあ、の……お主は優しいからの。そういう可能性があることもとっくに気づいておったじゃろう?」
「……」
「のお桜よ。わしは、これから返せるじゃろうか」
「それはこれからの真緒次第だよ」
「そう、か。……そうか。……よし、しんみりした時間は終わりじゃ。わしはこいつを出せたしゴブリンエンペラーも叩き斬れたしで大満足じゃ」
「真緒らしいね」
こうして私達の最初の魔物との戦闘は終わった。得るものもあったことだしとりあえず今日は休もう。
「というか早く『隠蔽』解除してあげたら?」
「あ、忘れておったわ」
なんてこともあったり、その後真緒に3人の冒険者達が飛び込んでいたりしたけどそれはまあ緊張の糸が切れたってことで。
お待たせしました高澤です。
今回は割と早く投稿できました。なんだか少し書きやすかったです。
真緒の武器初登場ということでしたが、あまり公開しすぎると後々インパクトがなくなるというか、こんな序盤で出してる時点でインパクトもなにもないんですけど。まあ力が落ちてる上に変異種が相手だったということでテンションが上がったとでも思ってください。
次は冒険者達視点の予定です。あくまでも予定。
それでは次のお話で。