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ジョンの正体のことは出来れば考えたくなかったけれど、コッツワース屋敷を巻き込む可能性があるのなら、真剣に考えるべきなのかもしれない。
ジョンは大工見習いと言いつつ、本当は労働者階級ではないと思われる。中流かそれ以上で、発音からしてパブリックスクールか大学の高等教育を受けている。ジョンは育った家の話も、家族の話もしない。彼は出自を隠している。嘘をつくのは、犯罪者だからなのか?
お茶と軽食を終えると、従僕たちは晩餐会の準備に出て行った。ジューンもすぐに行かなければならなかったが、帰るジョンを見送るために、使用人通用口まで付き添った。
使用人通用口の外は殺風景な裏庭で、三方が赤レンガ壁、正面が大きな木製の門で、その向こうが庭園となっている。ジョンは笑顔で手を振り、去って行く。ジューンは彼の後ろ姿が、門扉の左下にある歩行者用の小さな門をくぐり、出て行くところまで見届けた。
何かを盗む時間は、なかったと思う。
翌日の日曜日、ジョンはまるで馴染みの納入業者みたいに、昨日と同じ時刻に現れた。一時間ほど一緒にお茶をしたのち、ジューンはミセス・ウィンスレットの許可を取り、屋敷の敷地の外まで、ジョンを送っていくことにした。
「ちょっと、お話ししたいことがあって」
理由を言うと、ジョンは微笑んだ。
「ぼくもだよ」
そう言われるのも不思議ではなかった。明日、ジューンはケイトに付き添って、マイルズ家の別邸があるバースへ出発するのだ。
使用人の裏庭から木製の門を抜けて、広大な芝生の中の馬車道を歩いた。ジョンは自転車を押し、右手に『建築道楽、その狂乱の時代』という本とハンドルを一緒に持っている。綿シャツにサスペンダー付きのズボンと、ハンチング帽だけの軽装で、ベストも着けていないから何も隠せず、皿一枚盗めそうになかった。
しかし、ズボンの片方のポケットがいやに膨らんでいることに、ジューンは気づいていた。
「出発は明日だっけ?」
ジョンは地面を踏みしめるようにゆっくりと歩きながら切り出した。
「はい。朝十一時の列車です」
ジューンは他のことで一杯になっている頭から、からくも答えを探しだした。
「仕事でもバースに行けるなんて羨ましいよ」
「そうですね。恵まれていると思います」
「バースと言えば、ぼくにとってはジョン・ウッド父子だね。ロイヤルクレセントとサーカスは実に見事だよ。他にも見るべき建築がたくさんある」
「そうですね。立派な建物だと思います」
「ブルームフィールド夫人の妹さんの別荘だっけ? よく行くの?」
「ええ、マイルズ夫人という方で、奥さまとケイトお嬢さまを年に一、二度誘ってくださるのです。毎回わたしとミセス・マイヤーがお世話のために付いて行きます」
「じゃあ慣れているね。楽しんできてね」
「はい」
ジョンは微笑むと、前を向き、そのまま歩き続けた。
質問がやんで、ジューンは少し落ち着いた。芝生と樹々の緑がまぶしく、林を抜けてきた風が涼しかった。馬車道の先は緩やかに曲がって木立の中に消えている。
一歩ずつ、残りの時間が少なくなってゆく。ジョンが何をたくらんでいても、或いはたくらんでいなくても、ジューンがコッツワースにいない間は、ジョンにとっては、行方をくらます良いチャンスなのではないかと思う。
今、彼は何を思って隣を歩いているのだろう。微笑んではいたけれど、いつもより心なしか沈んで見えた。
「戻るのは二週間後だよね?」
不意にジョンが振り向き、どこか切迫したような調子で尋ねた。
「一応、二週後の火曜日の予定です」
「一応ということは、延びることもあるの?」
「ええ。でも延びたとしても、一日か二日くらいですよ」
「じゃあ、三週間後の土曜日にはまた会えるね」
ジョンが嬉しそうに声を弾ませたのが、ジューンには大げさで嘘っぽく見えた。本当に、また会うつもりがあるのだろうか。
「そうですね」
ジューンは力なく微笑んだ。わたしは騙されていないのに、ジョンは疑われていることに気づいていないのだろうか。
「話したいことって、何かな?」
暫く沈黙したのち、ジョンは遠慮がちにそう尋ねた。
「ええと……、わたしがバースに行っている間も、ジョンはコッツワース屋敷に遊びに来るのですか?」
「えっ、来ないよ」
ジョンは驚き、当たり前でしょうというような笑みを浮かべた。しかしジューンが反応を窺おうとして顔を見つめていると、彼はもう一度尋ねられたと思ったのか、言葉を付け足した。
「いや、退屈したら来るかも……、わからないな」
ジューンは注意深く平静を装いながら、話を続けた。
「実は、近辺の他のお屋敷で、金目の物が盗まれる事件が起きているのです」
「えっ、そうなの? 物騒だね」
ジョンは息を呑んだ。
「コッツワース屋敷はもともと防犯対策はしっかりしているのですけど、そういうわけで、最近はさらに気を付けるようになっているのです。銀器も、中国から輸入した陶磁器も、高価な調度品とか美術品も、その辺に置いてあるなんてことはなくて、全部秘密の場所にしまい込んで、厳重に鍵をかけています」
「へえ、そうなんだ」
ジョンはあまり関心がないような調子で相槌を打った。ジューンは彼の様子を窺いながら、話し続けた。
「ええ。それで、もし万が一、何か盗まれた時には、すぐに警察に通報するのです。サー・ウォルターは、お屋敷の評判が落ちるから表沙汰にしないでおこうとか、考える人ではないので」
「そうだね。世間体よりも、犯人を捕まえることのほうが大事だからね」
ジョンは深刻そうに眉間を寄せた。ジューンは良心が痛んだ。嘘が苦しいだけでなく、疑っていることの罪悪感で、さらに胸苦しくなってくる。
けれど、もし彼が盗っ人なら、こう話しておくことで、感づかれたと察して犯行を思いとどまってくれるかもしれないのだ。
「あの、それで……、さっきから気になっていたのですけど、そのポケットの膨らみは、お財布か何かなのでしょうか?」
ジューンは思い切って、ついに尋ねた。お屋敷の物を盗んだ可能性が少しでもあるのなら、それを確認するのは使用人の義務だと自分に言い聞かせた。
オースティン関連作だけなのかもしれませんが、イギリスの作品を見ていると、いかにもいい男風に登場した男性キャラが、実はゲス、……というパターンがよくあります。日本じゃあまり見られないパターンなんじゃないかと思います。




