7-5
コーラルピンクと、ライトピンクのシルクシフォン生地で仕立てられた、シャクナゲの花のような、可憐なドレスである。アンダースカートは五段のフリルとプリーツで飾られ、オーバースカートは前中心で割って、たっぷりのドレープをたるませながら背面に寄せている。後ろ側は十分なギャザーがボリューム感いっぱいに、腰から足元までかぶさっていた。
「ありがとう。全身ピンクのドレスなんて恥ずかしいけど、お母さまの趣味に押し切られてしまったの。曰く、こういうのは結婚前の若い間だけの特権だから、着ないと損なのだそうよ」
ケイトは姿見にさまざまな角度を映しながら、淡々と言った。
「とてもよくお似合いですよ。お嫁に行かれるのは、どう考えてもわたくしよりお嬢さまの方が先でしょう」
ジューンは陽気に振る舞った。
「それがそうでもないのよ」
ケイトは口元に意味ありげな笑みを浮かべて、鏡台の椅子に腰かけた。肩から前に流していた髪をかき上げ、さらりと背中へ下ろす。
「でも、来年こそロンドンの社交界にデビューなされたら、きっと求婚者が列をなすと思います」
ジューンが言うと、ケイトは露骨に顔をしかめた。
「お母さまは、わたしがロンドンで貴族に見初められることを夢見ている。お父さまは、ロンドンで社交界デビューだなんて、費用がかさんで不経済だと思っている……」
ジューンがそんなことはないと口を開きかけると、ケイトは制するように、急いで言葉を継いだ。
「そしてわたしは、結婚なんて当分したくないと思っている。だからお母さまが体調を崩して、今年のロンドン行きが延期になったのは幸いだったのよ。……これは絶対に、誰にも言わないで。お母さまの耳に入ったら、大騒ぎになるから」
ケイトは振り返り、厳しい顔つきで命じた。ジューンはブラシを手にしたまま、はいと返事することも忘れて、思わず問い返した。
「えっ、その……当分結婚しないって、いつまでですか?」
「それは分からないわ。でも一生しなくてもいいと思ってる」
ケイトは無垢な眼でジューンを見上げ、けろりと言った。
「それは……驚きました」
ジューンは我に返り、金の髪にブラシを当て始めた。ケイトは前を向くと、生き生きと話し出した。
「結婚しない女性が不幸だなんて、お金がない場合だけだとわたしは思うの。幸いなことにお父さまは、わたしが相続できる財産を、コッツワースとは別に用意してくれている。もし、わたしが結婚できなくても、一生生活に困らないようにしてくれている。……それならいっそ最初から、結婚なんかする必要はないと思うの」
ジューンは聞いてはいけない話を聞いている気がして、どきどきしながら無難に相槌を打った。
「それはたしかに、そういうことになりますね……」
鏡の中で、ケイトが天使のように微笑んだ。
「ロンドンに行くのも悪くはないわ。将来役に立つ人脈作りが出来るかもしれないから。それに、ワンシーズンだけでも、わたしが社交界でそこそこ華やかに活躍してあげれば、お母さまも気が済むと思うのよ。あの人は自分が舞踏会に行きたいの。自分がもう着られないような若いドレスを娘に着せて、貴族夫人になれるかもしれないっていう夢を、自分が見たいのよ」
「それは……、わたくしにはなんとも……」
ジューンは集中できなくなり、愛想笑いをしながら同じところばかり梳かしていた。鏡の中のケイトが、恐いくらいに美しかった。普段はひけらかさない優秀さの片鱗が見えるとき、彼女の完璧な美貌は凄みを増すのだ。
「家庭教師から学ぶことも、もうあまりないわ。これからは本格的に、経営と投資の勉強をしたいの。お父さまが助手にしてくれたら嬉しいけど……。それが無理なら、大学に行くという選択肢もあるわ。お父さまは反対しないはずよ。……どう思う?」
鏡の中のケイトと眼が合った。
「えっと……あの……、素晴らしい計画だと思います」
ジューンはまだ頭の中で話が消化できていなかったが、お構いなしに微笑み、そう答えた。思いがけず、ケイトはとても嬉しそうな顔をした。ジューンは胸が痛んだ。
お嬢さまは何を買い被っておられるのだ。あなたの計画の良し悪しを、わたしごときが評価できるわけがない。
この話は誰にも秘密だ。ジューンはブルームフィールド夫人に対しても、罪悪感を覚え、胸が痛んだ。
翌日、ジューンは玄関ホールで生け花の手入れをしていた。
しおれてしまった花を取り除き、庭師頭のジャクソンさんが届けてくれた、庭園で摘んだばかりのバラと差し替えるのだ。棘に気を付けながら、巨大な花瓶の口あたりで密集した茎をかき分けていると、不意に、うなじに何か冷たいものが触った。
ひっと声にならない声を上げて、ジューンはおそるおそる眼をすがめた。首筋に突き付けられていたのは、アイスクリームが入った小さなガラスの器だった。
ナメクジでなくて良かった。
背後からウォルト・ブルームフィールドがにやにやと不吉な笑みを浮かべながら見下ろしていた。
「氷じゃなくて安心したか?」
「氷だったら充分ですよ」
ジューンは愛想笑いを返した。
「キッチンでもらったんだ。ほら」
ウォルトはガラスの器をジューンの鼻先に突き付けた。楕円形に盛られたアイスクリームにはフォークが添えられている。
「試作品なんだってさ」
それがどうかしたのだろうかと、ジューンはアイスを凝視した。
「早く食えよ! 溶けるだろ!」
「はいぃっ」
あわてて器を受け取った。
 




