7-3
ジューンはジョンを外周道路に面した門まで送ることになった。サー・ウォルターがそう命じたからだ。
この計らいに、感激したジョンは大声で何度も礼を言い、ジューンは恥ずかしくて身を隠したい心地だった。サー・ウォルターは肩を揺らして笑いながら、手を振りつつ図書室に戻って行った。メイフェザー氏は正面玄関まで二人に付き添い、深々とお辞儀をしてジョンを見送った。
庭園の芝生を抜け、林の中の馬車道を、二人は連れ立って歩いた。ジョンは右側に自転車を転がしている。
ジョンはさっきから笑みを抑えきれないという顔をしていた。濃褐色の瞳を輝かせて、もの言いたげに何度もジューンを覗き見た。うまく芸をした後に、しっぽを振って飼い主に褒めてもらうのを待つ大型犬にそっくりだ。
ジューンは笑みを浮かべつつ、内心は戸惑いやら不安やらで、単純に喜ぶことができなかった。ジョンと会うことを禁止されなかったのは、素直に嬉しい。けれど、恋愛禁止の職場で自分だけ特別扱いなど許されるのだろうか。それにウォルト坊っちゃんのことを誤解されている中で、さらに他の男性が使用人ホールに上がり込むなんて、きっと聞くに堪えないほどの酷い陰口を叩かれるだろう。
ジューンの反応が期待外れだったのか、ジョンは手柄が伝わっていないと思ったらしく、こう言った。
「サー・ウォルターから執事と家政婦長に話してくれるそうだよ。それで、使用人ホールに上がっていいって。それから、きみは私用に使っちゃいけないと言っていたけど、お屋敷の自転車を使っていいってさ。二人乗りは危ないから、もうするなということだよ。彼はいい人だね」
ジョンは微笑み、またジューンの表情を覗き込んだ。
「それは、大変ありがたいのですけど……、でも……どうしてこんな大胆なことをしたのですか? びっくりしましたよ……」
ジューンはジョンの気持ちを傷つけないように、慎重に尋ねた。
「そんなに驚いた? 恋愛禁止といっても、真剣な交際ならだれも反対はできないだろうと思ってね」
ジョンはにんまりと、両頬を引き上げて微笑んだ。目尻に優しげなしわが寄り、チョコレートみたいな濃褐色の瞳がきらめいている。
真剣な交際! ……ジューンは顔が火照るのを感じた。
この人、正気なんだろうか。
それともすべてが、詐欺師の嘘なのだろうか。
黙り込んだジューンを見て、ジョンは困惑気味に真顔に戻ったかと思うと、今度は気づかわしげに微笑んで、大丈夫だよと言うように頷いて見せた。
「ありがとうございます……、けれど、なんだか恥ずかしくて……」
ジューンはジョンを落胆させないように、そして、詐欺師かもしれないと疑っていることが知られないようにそう言った。するとジョンは、それを聞いて初めて気が付いたように、急に照れ笑いをするのだった。
サー・ウォルターと大工の面会の噂は、ジューンの予想通り、コッツワース屋敷の使用人の間に、すぐに広まった。
「ジューン、聞いたよ! 昨日の大工と結婚するんだって?」
月曜日には、廊下ですれ違ったミセス・マイヤーに、そう呼び止められた。
「違うんですよ、マイヤーさん。彼は友達なんです。結婚なんていう話は、全然なくてですね……」
ジューンは苦笑いを浮かべつつ否定した。
「おや、結婚しないのかい? アミーリアがジューンの結婚式でブライズメイドをするんだって言って、はしゃいでいたんだけどね」
ミセス・マイヤーと別れたジューンは、アミーリアを探して使用人ホールに飛び込んだ。アミーリアはジューンに気づくと、満面の笑顔で手招きをした。その隣には同じくハウスメイドのキャロルが座っている。
「ねえ、ジューン、わたしにもブライズメイドをやらせてよ!」
キャロルが顔を輝かせてジューンを仰ぎ見た。
「ち、違うのよ。本当にごめんなさい」
ジューンはより切実な調子で、昨日と同じ説明を繰り返した。
アミーリアはジューンが照れているだけだと思っているようだ。冷やかしてやろうと、一層にやにや顔になった。キャロルは不満そうに言った。
「ウィンスレットさんは、ジョン・スミス氏はジューンの友人で、旦那さまの友人でもあるから失礼がないようにしなさいって言っていたわ」
「そう、そうなの。彼はただの友人なの」
ジューンは胸をなでおろした。アミーリアが学校で発表をするみたいに右手を突き上げた。
「でも、結婚するつもりがなかったら、サー・ウォルターに挨拶に来るはずがないと思います!」
キャロルがその通りだと頷いた。
そういうものなのだろうか?
ジューンは世間の常識に自信があるわけでもなく、結婚式だとはしゃぐ二人を前に、困惑顔でおろおろすることしか出来なかった。
きっと、彼女たちはジューンとジョンが二人きりでいるところを見ていないから、完全にただの友達だということが信じられないのだろう。
翌日には、花を届けに来た庭師頭にまで「おめでとう」と言われた。誤った噂が、屋敷中に伝わっている。これでもしジョンが詐欺師で、なけなしの貯金を奪われて捨てられるということになれば、ジューンは物笑いの種としてコッツワース屋敷の偉大な歴史に名を刻むことが出来る……かもしれない。
ジューンが屈折した野心を膨らませているうちに、噂はケイト・ブルームフィールドお嬢さまの耳にも到達した。
「それじゃあ、ジューンが結婚退職するというのは誤解なのね? メイドたちはそう話していたけれど……」
姿見の前でコルセットを付けられながら、ケイトはそう確認した。
「ええ、その噂は間違いなのです」
ジューンは彼女の背後に立ち、コルセットの紐を順に締めていた。
「でも、交際の許しを得るためにお父さまと面会したのは事実なのでしょう? だったらやっぱり、彼は近いうちにあなたと結婚するつもりなのではないかしら。あなたの前でその話をしないのは、きっとシャイだからなのよ」
「いえいえ、結婚だなんてあり得ませんよ」
ジューンはコルセットの紐を適度に締め付けて、最後に蝶結びにした。今夜のケイトは、近隣の邸宅での晩餐会に招かれている。
「出来ました。苦しくはないですか?」
ジューンが声を掛けると、ケイトは胸を張り、コルセットとペチコートの下着姿を、誇らしげに鏡に映した。同じ十八歳の、美しいケイトお嬢さまはジューンの自慢のご主人だ。
父親譲りのすらりとした長身で、豊かに波打つシルバーブロンドと青い瞳を持ち、小作りで端正な目鼻立ちをしている。そばかす一つない輝くような白い肌や、長く伸びた手足は人間離れしていると言われることもあった。




