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その二週間後に、ウォルトは寄宿学校に出発した。ご家族と使用人は正面玄関前に並んで見送った。
形ばかり出てきていたブルームフィールド夫人とケイトお嬢さまは、遠巻きにしているだけだった。サー・ウォルターが、ウォルトと付き添いの男性家庭教師を前に並べて、最後の訓示を垂れていた。ウォルトは顔を背け、人を小馬鹿にしたような表情を浮かべていた。ウォルトと家庭教師が馬車に乗り込み、それが走り去ると、やれやれという収束感が一同に広がった。ご家族も使用人も、何事もなかったかのようにぞろぞろと邸内に戻っていく。
最後に馬車が消えていった林の縁を見つめながら、ジューンは立ち尽くしていた。胸の中が、何かの感情でいっぱいだった。
悲しいと、その時思った。ジューンは悲しかった。
「ジューンさん、ウォルト坊っちゃんは大丈夫ですよ」
隣にいたのは、白い顎髭の老従者グリーン氏だった。彼は清々しく微笑みながら言った。
「坊っちゃんは、『過去最低の跡継ぎになって、コッツワースを継いでやるから覚悟しとけよ』と、この老いぼれに、そう仰ってくださいました。クリスマス休暇には、また元気な顔を見せてくれるでしょう」
ジューンはぎこちなく笑みを返した。
「はい。坊っちゃんはわたしにも、コッツワースを継ぐところを見せてくれると仰いました」
しかしジューンには、ウォルトはクリスマスにも夏期休暇にも、もう戻ってこないような気がしていた。
寄宿学校に入学したウォルトから手紙はなかったが、彼の動向は別の方面からもたらされた。二週間ほどが過ぎると、ウォルトが教師に暴言を吐いたと、学校から連絡があった。ご家族と使用人たちは、ウォルトがコッツワース屋敷からいなくなっても、ブルームフィールド家から消えていなくなったわけではないことを思い知らされた。その一週間後には、同じ教師の持ち物を二階の教室の窓から投げ捨てたと苦情が入った。サー・ウォルターとグリーン氏は、次は教師と乱闘したとの知らせが来ることを覚悟した。ところが、次の手紙は個人宛ではなく、学校から一斉送付された謝罪文だった。ウォルトが目の敵にしていたその教師が、パブで傷害事件を起こして免職されたという。従僕たちは概してウォルトには辛口なのだが、この時ばかりは彼らの間にも見直しムードが高まった。
十月に入っても学校からの報告は止まなかった。手紙が来るたび、サー・ウォルターとグリーン氏は一緒に覗き込んで、それが相手がある暴力事件などではなく、軽微な校則違反やいたずらの苦情であることを確認して胸をなでおろした。サー・ウォルターとグリーン氏はすっかり感覚が麻痺して、犯罪レベルでなければ全て軽微に思うようになっていた。
もはや制服の違反ごときでは何も感じず、授業中にこっそりと時計を早めて授業を早く終わらせたという悪戯の時には、二人で顔を見合わせて笑っただけだった。外出禁止の日に仲間数人と寮を抜け出し、祭り見物に行ったという知らせの時には、一緒に悪さをする友人が出来たと喜ぶありさまだったし、厨房から食べ物を勝手に持ち出した時には、育ち盛りなのに食事が足りていないのではないかと心配をした。
初めのうちは学校から手紙が届くたびにウォルトを馬鹿にしていた従僕たちも、それが恒例になるともう話題にしなくなった。
十二月になった。ジューンはグリーン氏が毎日郵便を真っ先に確認しては落胆していることに気づいていた。クリスマス休暇が近づいたが、ウォルト本人からの連絡はなかった。
ところがクリスマスの二日前に、ウォルトは辻馬車でひょっこり戻ってきた。使用人ホールで知らせを受けたグリーン氏は飛び出していき、ジューンも思わず後に続いた。玄関ホールに上がると、ウォルトはコート姿のまま特大クリスマスツリーを見上げていた。息を切らせて走り寄るグリーン氏に直面し、彼は苦笑いを漏らした。そして、その背後にジューンの姿を認めた。ジューンは安堵して、お辞儀も忘れて微笑んでいた。
あれから五年、ウォルトは長期休暇のたびにちゃんと帰ってくる。そしてジューンに絡み、宿題を押し付ける。一学期に一、二回の割合で学校からの苦情は続いたが、サー・ウォルターとグリーン氏はもう手紙を開くときにそれほどドキドキしなくなっていた。
「ウィンスレットさん、わたしがウォルト坊っちゃんと仲が良いように見えるかもしれませんが、恋とかではなくて、いじめなのです。ナニーをいじめていたのと同じことなのです。ただ、わたしは辞めないというだけで」
訴えるジューンを、ミセス・ウィンスレットはもう十分というように手を振って制した。
「ああ、わかりました。では、あなたの方は、ウォルト坊っちゃんに特別な好意はないということなのですね?」
ジューンは疑いを払拭したい一心だった。
「もちろんありません! 当たり前です。あんな不良、誰だって嫌でしょう?」
言ったとたん、罪悪感が吐き気となって込み上げた。今、自分の嫌疑を晴らすために、他人をおとしめてしまった。ジューンはウォルトのことが嫌いではないし、彼を好きになる人が誰もいないなんて、そんなこと、これっぽっちも思っていないのに。
ミセス・ウィンスレットが咎めるように片眉を吊り上げた。
「あなたの気持ちはよく分かりました。けれど、ウォルト坊っちゃんがどう思っているかは、あなたには分からないことです。そうですよね?」
「はい……」
ジューンは不本意ながら頷いた。
「では、あなたにぜひお願いしなければならないのは、坊っちゃんに隙を見せないということです。誰もいないところで二人きりになってはいけません。繰り返しになりますが、坊っちゃんとの間に何かがあっても、たとえ子供が出来ても、あなたが妻の座に納まることはありません。ですから自分の身を守るために、お断りするべきことは、断固としてお断りをしなければなりません。分かりましたか?」
ミセス・ウィンスレットは威厳たっぷりに言った。
「はい、わかりました」
ジューンはウォルトの名誉のためにも、心配無用なのだとまだ反論したい気持ちだった。
ミセス・ウィンスレットの厳しい顔つきが、慈愛に満ちた微笑みに変わった。
「嫌なことを色々と言いましたが、すべてあなたを守るためなのです。分かってくれますね? それからジューン、何かあったら、わたしに相談するのですよ」
「はい、ありがとうございます」
ウォルトがジューンを好きだと誤解させたままであるのが心苦しい。しかしミセス・ウィンスレットは、もう話を蒸し返す気はなかった。扉まで見送られて、ジューンは罪悪感と失望に打ちのめされながら家政婦長の部屋を出た。ウォルト坊っちゃんと恋仲……。理不尽な疑いが情けなく、周囲への不信がいや増した。
使用人ホールはお茶の真っ最中だった。ジューンはぼうっとしながら、キッチンメイドが注いでくれた紅茶をすすった。しだいに生きた心地が戻ってくると、ジョンのことを何も言われていないことに気が付いた。ミセス・ウィンスレットは知らないのか? もし知っていたら……二股をかけていると思われていた? というか、従僕とメイドの一部には、今も確実にそう思われているのではないか!
飲んだ紅茶が胃から戻ってきて、また胃へと引き返していった。
違うのだと、一人一人に説明したかった。しかしジューンは思いとどまった。自分から恋愛話を持ち出して、藪蛇でジョンとの交際が公になり、それを禁止されるのはさすがに嫌だったのである。
ハリー・ポッターのような、イギリスの上流階級が入る寄宿学校って憧れるんですけど、現実的には、規則がいっぱいでしんどいやろな~とも思います。いじめられたりしたら地獄でしょうしね。
ナニーが育てた子供たちは、家庭教師に引き継がれ、やがて寄宿学校に入ります。戻ってくるのは長期休暇の時だけ。大学卒業までそのままです。




