第六章 約束
ジョンが言った通り、ホワイトストン男爵は一時間もしないうちに帰った。それからは二人でネザーポート屋敷の庭園を探検して遊んだ。
結局、今日もジョンに何も訊かなかった。
ジョンと門番用ロッジにいると、世界が滅亡して二人きりになってしまえばいいのに、などと不届きなことを考えてしまう。そうすれば、彼が何者であろうと関係なくなる。ジューンがメイドであることももはや意味はなく、二人はずっと一緒にいられるのだ。まったく、アダムス牧師には思いも寄らないだろう。ジョンの正体を確認するなんて、ジューンには無理な話なのだ。彼とこのまま一緒にいられなくなるくらいなら、ジューンは何も知りたくなんかないのだから。
次の約束は土曜日の午後。また一週間が始まった。
使用人の一日の中で、ご家族の昼食からアフタヌーンティーまでの午後三時ごろから午後五時ごろまでは、手隙になりやすい時間帯だった。午後四時には、使用人ホールにお茶と軽食が用意されて、ご家族の晩餐が終わってからになる遅い夕食までの腹ごしらえをすることができる。
ジューンは半地下にある使用人ホールで、ウォルト坊っちゃんに頼まれた夏期休暇中の宿題をしていた。寄宿学校に入学して以来、長期休暇中の宿題をするのはジューンの仕事となっていた。
使用人ホールは簡素だが十分に広い部屋で、中央に大きな細長いテーブルがある。使用人たちはそこで、食事やお茶はもちろんのこと、打ち合わせや休憩や、縫い物や食器の手入れなど様々なことをする。隅の席でジューンが計算問題に取り組んでいると、奥さま付きの侍女であるミセス・マイヤーが隣に座った。
「なんだい? その数字とアルファベットが一緒くたになった呪文みたいなのは、計算なのかい?」
ミセス・マイヤーは横から教本を覗き込んで、さほど興味なさげに話し掛けた。
「はい、数学です」
ジューンはペンを走らせる手を止め、顔を上げた。
「またウォルト坊っちゃんの宿題だね? ジューンはこれが分かるのかい?」
ミセス・マイヤーは話しながらティーカップに紅茶を注いだ。目の前にはキッチンから持ってきたらしいベリーのタルトがある。午後四時のお茶の時間はまだなのだが、彼女は先に始めるようだった。
「ええ、まあ。大体ですが」
「最近の若い子は大したもんだよ。みんな学校を出ているから」
「そうですね。義務教育制度のおかげです。それからケイトお嬢さまの」
「そうか、ジューンはお嬢さまと一緒に勉強していたのだったね」
ふくよかな身体をゆったりと椅子に預けて、ミセス・マイヤーはベリーのタルトを頬張りながら、考え深げにジューンを見た。艶のある丸顔の中から、つぶらな青い瞳が見つめている。
「お前さんは、ただのメイドをしているのは勿体ないのかもしれないね。これからチャンスがあればいいけれど……」
ミセス・マイヤーは新聞記事の感想でも述べているような、他人事という調子でつぶやいた。ジューンは、暗に解雇を匂わせられたような気がして、少し不安になった。
「やだ、何言ってるんですかマイヤーさん! わたしはずっとメイドがいいです。メイドでいさせてください!」
ミセス・マイヤーは一瞬きょとんとなった。
「もちろんメイドで構いやしないよ。さあさ、これでも食べて、ちょっと休んだらどうだい?」
ミセス・マイヤーはにこやかに言い、タルトの皿をジューンの方へ動かした。
するとそこへ、家政婦長のミセス・ウィンスレットがやって来た。長身の黒いドレス姿を前にして、ジューンは姿勢を正した。彼女はジューンを見下ろすと、取って付けたようにニコリとした。
「ジューン、それが一段落したら、わたしの部屋に来てちょうだい」
ジューンが返事をすると、家政婦長はすぐに出て行った。
「何の用事だろうねぇ?」
ミセス・マイヤーはティーカップに口をつけながら扉の方を見た。
「わかりません……」
ジューンは、もう宿題どころではなくなってしまった。
それでなくても、ジューンは悲観的にしかものを考えられない人間なので、上司の呼び出しともなれば、知らないうちに失敗をしていて、解雇されるのだろうかと震えあがってしまう。
そのうえ、今のジューンには、はっきりと思い当たる節があるのだ。
コッツワース屋敷の使用人は、恋愛禁止なのである。




