第九話 carbunculus (カルブンクルス)
店内はランプ照明であるが、オシャレを出しているのか、明かりが少しだけ赤みが帯びている気がした。側壁は外観と同じく黒色である。
昨日訪れた“oculus”はバーであったが、こちらはカフェのようであり、私達が入店すると、挨拶をして青年のウエイターが現れたのである。彼は私達と同じように人間を辞めているのだろうが、姿は普通の人でしかない。
「お客様。店内は擬態して入店してもらいたいのですが、宜しいでしょうか?」
青年は私を見ながらお願いをする。擬態は自然となっていると思っているのだが、そうではないらしい。
「誰かに正体を見られたくないと思えば、人のときの姿になりますよ」
シーさんは、私の耳で囁く。
正直、人間に戻るのはあまり気が進まないが、そうしないと食べられないので、渋々シーさんの言うとおりにする。
「二名様ですね? では、ご案内します」
ウエイターは営業スマイルをして、私達を誘導するものの、人の姿に戻った感覚は全くなかった。なぜなら、私の両腕はワーウルフのときと同じ体毛が見ているからである。“擬態”は他の生物だけしか影響を与えていないらしい。
「席はこちらになります」
案内された場所は突き当たりの席である。横にはお客がいないが、一つ手前に、一人の女性が座っていた。
私は女性がいる方に座り、シーさんは反対側に座る。
「注文の品がお決まりいたしましたら、呼んで下さい」
そう言い残し、ウエイターは去っていた。
「シーさんは、ここのお店来たことあるのですか?」
「いいえ。私は基本的に自炊ですからね。というより、炭素生物になって、炭しか味覚が働かなくなりましてね。炭以外のものは基本的に食感が楽しめるものしかお口に入れなくなりました」
少しだけ寂しそうな表情で呟く。
このお店にシーさんが合う料理がなければ、気まずいなと思った。しかし、それは、自分にも当てはまる可能性があってもおかしくはなかった。
ワーウルフは狼。狼は私の記憶が正しければ肉食である。そのため、今後私は肉しか食べられない可能性があるのだ。野菜はそこまで好ましくはなかったが、炭水化物。特にお好み焼きが好きであるため、もう二度と食べられないと思うと、苦痛でしかない。
「どうかなさいましたか?」
表情に出ていたのか、シーさんから声をかけられる。
「何でもありません」
私は愛想笑いをして、やり過ごすと、シーさんはテーブルの横に立てかけてあったメニューを取る。
「私が楽しめる食材があればいいのですがね~」
そう言いながらメニューを開くと、彼の表情が急に和らいだのであった。
「こ、これは……。何ということでしょう」
興奮しながら次々とページを捲っていく。一体何が載っているのだろうか。私は立てかけてある同じメニューに手を伸ばす。
「メニューのほとんどが、炭料理ではありませんか」
それを聞き、私の腕が止まる。
なるほど。道理でシーさんが喜ぶはずだ。しかし、私は生きている中で炭料理を口にしたことがない。美味しいのだろうか?
私は止まっていた腕を動かし、メニューを取り、開いて見る。
主食は炭パン。炭ベーグル。炭ご飯。炭おにぎり。炭餅。炭うどん。炭パスタ。炭ラーメン。
シーさんの言うとおり、炭だらけである。文字だけ記載されているため、全ての食べ物が焦げているだけなのか、それとも、原料が炭なのかどうかが分からないのである。
副食は炭黒団子。炭卵焼き。炭サラダ。たったの三種類しかない。
実は、カフェという種類のお店に入るのは初めてなのだが、副食が少ないのは当たり前なのだろうか。それとも、炭を主体とした料理自体が難しいのだろうか。
私は次のページを捲る。
デザートは炭ミートパイ。炭アップルパイ。炭ゼリー。炭タルト。炭クッキー
ドリンクは炭真水。炭コーヒー。フルティー炭スムージー。炭レモンティー。炭アップルティー。
双方共に炭しかないのである。今のところすべて炭である。まだ、ページがあるようなので、それを捲る。
左のページには追加料金を支払えば、炭をガーネット、ルビー、ダイヤモンドに置換できるサービスを行っていることが記載されていた。
炭を宝石に変えたら味は増すのだろうか。そもそも、宝石を食すといった発想が今までで思いもしなかったが、食べるものではないと私は思う。
右のページを読んだ途端。私はまるで梅干を見たかのように、反射でよだれが一気に出てくるのであった。どうやら、私はそういう次元に到達したようだ。しかし、それは店内在庫があるだろうか。仕入れはその日によるらしい。
「アナタの反応を見る限り、食べるものは決まったようですね」
その呟きに私は頷くと、誰かが倒れた音が背後から聞こえたので、私は振り返ると、真後ろにいた女性が倒れたのであった。それに気付いた店員は、すぐに彼女の脈拍を取ると、すぐに彼女は店員によって担がれたのである。
ワーウルフになり、嗅覚が発達した私はその出来事が嬉しく、すぐに呼び鈴を鳴らすと、別の店員がこちらにやって来た。
「ご注文は何になさいますか?」
「私は炭パン。炭卵焼き。炭サラダ。炭ミートパイ。炭コーヒーを一つずつ」
シーさんが上機嫌に注文する。外食で炭料理を食べられるのがよっぽど嬉しいのだろう。
「私は人肉ハンバーグで」
注文を受けた店員は復唱し、厨房へと戻っていく。
このお店の一番の料理だと自負する炭火人肉ハンバーグは、このお店の都市伝説を聞き、のこのこやって来た自殺志願の人間を材料としているらしい。
在庫が先程の女性しかなかったら、初めて女性の人肉を食すことになるのである。ヤグザのものよりも美味だと願い、よだれを口内に溜めながら今か今かと待つ。
「先程の女性はおそらく、牝馬町の現状で自殺を決意したのでしょうね」
「牝馬町の現状ですか……。もしかして、先程言っていた方と何か関係があるのでしょうか?」
シーさんは頷く。
「ええ。あの町の先月の行方不明者の人数を知っていますか?」
私はニュースとかを見ない人だったため、その問いに私は首を横に振る。
「四十五名。警察は最初の五名ほどは捜索をしていましたが、人数が増えるにつれて中止。地元の暇な刑事がたまに捜査するくらいです」
それくらいの人数なら、学校中に噂にでもなるが、そのような事は耳にしていない。虐められていたからだろうか?
「マスコミも警察が捜索中止になるまで全国的に取り上げていましたが、六人目が牝馬町に住んでいないマスコミ関連の方でした。自分達も存在が消えるのかと思い、彼等も牝馬町を報道することなく去っていきました」
そう言うと、シーさんが注文した炭パンと炭コーヒーがウエイターによって運ばれ、テーブルに置かれる。
炭コーヒーは普通のコーヒーと見た目は変わらないが、香ばしい匂いはしない。炭パンは案の定真っ黒だが、想像よりもフカフカした生地のようで、パンの外皮を全て着色料で黒くしただけと言われれば、食べてしまいそうなものであった。
「でも、さっきの女性も行方不明扱いですよね? 白骨遺体としてそこらへんに棄てるのでしょうか?」
「その人やその人が住んでいる町によりますが、基本的に記憶改竄を行います。まあ、私はそのような能力を持ち合わせていないため、仕事に携わることは一生ないのでしょう。そのため、どうなっているのか全く分からないのですが、我々には影響を受けません。人の世界に不特定多数の人達に知られないようにするための工作ですからね。だから、彼女が四十六人目にはならないのです」
そう言って、シーさんはティーカップを口に付ける。
記憶の能力を所持した者で知っているのはリアさんのみ。彼女は私の記憶を見て何か興味を持ったようだが、本人が忘れてしまっている記憶を余所者が知っているのは流石に良い気分ではない。
「牝馬町の行方不明の原因は“牢夢”に覚醒した少年です。彼に関わった者は自身の夢の中に肉体ごと牢屋に捕らわれます。その夢は次第に悪夢になり、そこで死亡すれば、永遠に元の世界に戻ることも、死後の世界にも行けずに“牢夢”の牢屋に閉じこまれてしまいます」
シーさんが炭パンを手で千切って口に入れるが、私が知っているパンと何ら違うところはないように見える。
「“牢夢”という生物は私は知らないのですが、どのような生物でしょうか?」
「そうですね。私も見たことはありませんが、“蜘蛛”にいる生物に詳しいルドゥスという者がいるのですが、彼によると、見た目は人と何ら変わりがありませんが、瞳が綺麗な群青色らしいですよ。行けば分かると思います」
シーさんはそう言って、パンを食していく。美味しいのか、空腹なのかどうかは知らないが、少し口に入れるペースが早い気がした。
「その“牢夢”は分かりましたが、化物になりかけている少女の方は?」
私が問いかけている最中に、シーさんが頼んだ残りの炭料理一式が運ばれたのだが、私の分はまだである。下処理に時間がかかるのだろうか?
「残念ながら知らされていません。我々は制御不能の“牢夢”を優先的に抑制してほしいみたいです。彼を抑制できれば、彼女は人のまま維持できる見たいですし、彼女の目覚めようとしているのはとても厄介な生物らしいです。ですから、そちらは別の者達に頼んでいるようです」
次は炭黒団子を食すのだが、これもコーヒーと同じく、見た目は何も変わっていないのである。
「別の者達って、私が知っている方でしょうか?」
シーさんは炭卵焼きを箸に取る。それは、ただの炭の塊しか見えないのである。口に入れると、硬いものを咀嚼している音は聞こえない。見た目に反して軟らかいのだろうか?
「さあ? アルゲンさんがこれまで誰と会ったかは知りません。ですので、行くまでのお楽しみですよ」
そう言うと、ウエイターが、私が頼んだ食品をテーブルの上に置かれる。
普通のハンバーグよりも、香ばしい匂いがする。人肉は加工した方が美味しいのだろうか?
私はフォークとナイフを手に取ったのであった。