第七話 庭
この彼岸花に埋め尽くされた庭は初めて来た場所なのに、何故か懐かしくとても良い気分になる。
「じゃあ、私はエーティのところにいくから、ここで待っていなさい」
そう言い残して、エマ様は消え去った。
ここが一体どこだか分からないが、“蜘蛛”の敷地内であることは確かだろう。
私は“蜘蛛”の敷地はどこからどこまであるのか分かっていない。私が地下を通ってここまで来たのだが、夕日は地下では見られないため、ここは外だと考えるのが妥当だ。しかし、この世界は人間の世界の常識が通用するとは思えない。この場所もひょっとしたら、地下の一室かもしれないのである。私にはまだまだ知らないことが多すぎる。
ふと、後ろ振り返ると、江戸時代くらいでも見かけそうな古い木造の戸建てがあった。誰の家なのか分からないし、わざわざ訪問する気にもなれなかったため、エマ様が来るまで、彼岸花を愛でることにした。
私はさっそく彼岸花に近付くと、嗅覚が発達したせいなのか、干物が腐ったようなニオイを感じ、正直近寄りたくもなかった。
ふと思ったのだが、私は花をじっくりと観察したことは今まで一度もない気がする。お花というものは、甘く香るものだと思っていたのだが、実際はそうでもないらしい。
どうせみるなら、近くで見たほうが良いと思い、臭いニオイを我慢しながらゆっくりと足を運ぶと、私は彼岸花の下部にとんでもないものを見つけてしまった。それが、腐臭の元なのだろう。
なぜこのようなところにそれがあるのか分からない。エマ様の仕業だろうか。それともあの家の住人か?
私は固唾を飲み込むと、別の箇所からも同様のニオイが感じたため、辿っていくとやはり、先程と同じように白骨死体があった。
「お主。なぜ、そんな青い顔をする」
男性の声がしたため、振り返るが、そこに誰もいなかった。気のせいだろうか?
「ワシは、後ろに何かおらん。ここじゃ、ここ」
すると、私の足下にあった白骨死体は起き上がったのである。
死体ではないのだろうか?
「そんなに驚くな若造。ワシらが死んでいると思ったか? ハハッハ、半分正解かもしれんのう」
すると、頭蓋骨の左耳から皮膚に覆われていき、十秒ほどで人間のお爺さんの顔になったものの、首から下は骨のままであった。
「アナタ達は一体……?」
「ワシ等は貴方達との契約を交わした際に承諾した寿命をこの“桶幻香”に与えているのじゃよ」
契約で寿命を売っているだと、一体何のために?
「ある人物の贖罪として、償いが終わるまで不老不死にしないといけないから」
突然現れたエマ様に驚いて、思わず尻込みしそうになるが何とかバランスを保つ。
それにしても、私の聞き違いだろうか。エマ様はとんでもない事を口にしていた。
「償いとして不老不死を得るため? 不老不死は報酬だと思うけど……?」
そう。不老不死こそ人間の長年の夢で言っていいものだろう。それが償いになるとか考えられない。
それを聞いていたエマ様は鼻で笑う。
「あなたは十年少ししか生きていない若造で、まだ人間臭いから言えるのよ。ああ、この際だから言っておくけど、ワーウルフの平均寿命はニ百歳前後。そして、“蜘蛛”の者が自殺したらその者は魂ごと消滅する。まあ、人間のまま自殺しておけばよかった。とかいう後悔が無い様に生きなさい」
人間の約二倍生きれるのは個人的には良いことだとは思うが、この社会は長生きすればするほど苦痛なのだろうか?
「お嬢ちゃんや」
白骨のお爺さんがエマ様に呼びかけると、彼女は彼の方へ振り向く。
「この少年は新人かい?」
「ええ。数時間前に入隊しました。それが何か?」
エマ様はゴミを見るような目で、彼を見る。
「あまりにもココのことを知らないようだからのう。こっちとしては寝てられないのだよ」
「“桶幻香”の眠りから覚めるほど、人としての欲がなかったのかそれともs―――」
その時だった。細々とした雑音が段々と近づいてくるのが分かった。音源の方向へ目を凝らすと、黒色の虫の軍勢がこちらへと向かって来ているのである。
「な、何だこれは?」
お爺さんが恐怖して後退りしていると、いつの間にか、彼の全身が皮膚に覆われているのであった。
「契約の際、リテールの方がおっしゃらなかったかしら? 寿命を搾りつくした後、精神体は食べられるって」
向かってくる虫の正体はハエ。ハエは死肉を食べると聞いたことがあるが、ここまで一斉にやって来るものだろうか?
ハエ達はお爺さんの全身に止まる。
「うわあああああ。た、助けてくれえええええぇぇぇぇぇx―――」
お爺さんの悲痛の叫び声が消え去ると、それに呼応してハエ達がどこかに去っていった。その跡は骨が一本も残っていなかった。
「あのハエはベブリーという蠅女が従えている“軍隊蝿”。彼女自身、“蜘蛛”の禁忌に触れたから、本体はとある空間から出られない。だからああして栄養を蓄えているの」
エマ様は涼しげな表情で呟くと、ここから離れようと一歩足を踏み出す。
「あのお爺さんは何の契約をしたんだ?」
私の問いにエマ様は立ち止まって、振り返る。
「さあ? 私はそこまで人間に関心ないから一人一人の詳細なんて覚えていないわ。ただ、一つ言えることは、私達に依頼するほど自分の思い通りにしたかったのでしょう。ここにいる者達はそういった連中の集まりよ」
エマ様は私が最初に見た白骨を哀れみながら見る。
そういえば、ニルから聞いたけど、あの人身売買の役員もこのように苦痛を味わって死ぬのだろうか?
「何でこの人達は私達の存在を知っている。普通の人間ではないのか?」
それを聞いたエマ様は溜息をつく。
「都市伝説。それをいたる箇所でばら撒いているの。それを信じた者に私達と接触できる。まあ、警察やマスコミが嗅ぎつけてきたら私達は撤退するし、依頼者の目的に旨味がなければ動かない」
都市伝説。
人によってはそれらが全て真実だと思い込んでいる人もいれば、逆に全て虚偽だと思い込んでいる人もいるし、内容の良し悪しで真偽を判断したりする者もいたりする。いずれにしろ、話を聞いて楽しむ程度が一般的なのだろう。
自らの力で出来ないから都市伝説を頼ってまでも、私利私欲や自己犠牲で代償支払い、成し遂げようとする連中。その貪欲さが私には無かったため正直理解できないでいた。
すると、エマ様はクスリと笑う。
「おかしなことを考えるのね。アナタだって同じようなものだと思うけど」
彼女が放ったその言葉は心に重く圧し掛かる。
代償は人間を辞める事。それによって私は銀狼のワーウルフになった。彼等と何も変わらない。違うのは死に際で先程のような苦痛がなさそうなところだろうか。
私は“私的刻印”が施され、完全に“蜘蛛”の一員になった。それでも、私の精神は人間の頃とは大して変わっていないのだろう。時間が経過するごとにそれらは自然消滅するのだろうか?
「……さて、アナタはこれからどうしたいのかしら? 人を殺したい? 人を堕ちる様を見たい? 人を操りたい? 美女とやりたい? 私達の敷地を広げたい? 地位を上げたい? 敵地にスパイしたい? 仲間をスカウトしたい? 私の眷属になりたい? 自身を鍛えたい? 超人的能力を得たい? 地獄を見たい? 天国を見たい? 神に会いたい? 閻魔に会いたい? 遊びたい? 寛ぎたい? 勉強したい? 研究したい? 運動したい? 人でいるより選択肢が広いわ。さあ、何をしたいの?」
エマ様はいきなり、仕事から帰宅した者に対して、玄関先で行われるであろう新婚の主婦(夫)のようなことを問いかけてきた。その質問の項目にとんでもないものがあった気がするが、私はそれらにそこまで興味が無かった。
「今決めないといけないでしょうか?」
「そうね。はっきり決めた方が私としては気が楽かしら。当分の間、アナタは私の部下になるのだし、やりたいことが決まれば私はなるだけバックアップできるわ。だって私は“蜘蛛”の上級位だから今挙げた程度のことならどれでも可能よ」
エマ様の言動が確かなら上級位になれば、神様や閻魔様に会うことも可能らしい。
私は“蜘蛛”に入ったばかりなので、間違いなく下級位であろう。まあ、それより下の位がある可能性が十分にあるが。
仮に私が上級位になるにはどれくらいの努力と時間を費やすのかは分からないが、神や閻魔と会える可能性があるかもしれないため、それらと等しいくらいの地位を持つことになるというのだろうか。だとしたら、私は想像を超える世界に踏み込んだということになる。しかし、私はそれらの地位に就きたいとは思わないのである。
「今は、これっといってしたいものはありません。だから、したい事が見つけるまで、エマ様の下に従います」
私は会釈をしながら言い放つ。
「私の下に従う……か……。アルゲンがどの程度のものか見てみたいから、シーと一緒に牝馬町に行って頂戴」
そう言って彼女は私の肩を押すと、いつの間にかリナさんと一緒に通った路地に移動していたのであった。