第十一話 光
あれから数分後。私とシーさんがやって来た丘に無事到着した。
「五年住んでいるけど、この丘には来た事がないなぁ。拓也君は?」
光は背伸びをしながら、牝馬町を見渡す。
「……うん。僕も来た事ない……よ」
光と反して、体育座りの状態で呟くように言う。
「そんなに、怖がることないよ。この狼さんは私達の味方ですよね?」
愛想笑いで、私の方に振り向く。
「すぐに味方だと判断するのは良くない。初対面の人には疑念を持って、言葉を交わしながら善悪を判断するものだと思うよ」
「……それもそうね。すぐに優しい言葉をかけてくる奴なんか、いかにも怪しいし」
彼女は私を見て言うが、若干怖がっているように見える。私は今ワーウルフの姿なため、怖がるのも無理はない。それに、このままだと目立つため、人間の姿に擬態すると、それを見ていた二人は驚く。
「なるほどね……。擬態で人の社会に潜んでいるってわけか。中には人に正体バラされて迫害を受けて亡くなった方もいるのでしょ?」
私は昨日、人を辞めてばかりなので、彼女の問いを正確に返せないのである。
「ご想像にお任せします。ところで、君の話を聞く前に一つ聞きたいのだけどいいかな?」
「ええ」
「君のお兄さん。消されたのに、そこまで落ち着いていられるの? もしかして、不仲?」
デリカシーのない質問だが、気になっていたため質問をしてみた。
「何でって、生きていると信じているから。じゃないと、精神持たないもん。両親は事故死して、それからお兄ちゃんの家に住んでいるの。お兄ちゃんに支えられて生きていられた部分もあるし。……だから生きているって、信じてるの」
少女は瞳から少量の涙が浮かんでいるのが分かった。やはり、泣かせてしまったそうだ。でも、気を詰めていたであろう彼女に少しくらいの涙は悪くないと、勝手に思っている。
というより、このようなクサイことを思う私はやはりナルシストだと思うし、若干恥ずかしい。
「あーあー。女の子を泣かしたらだめだよー」
聞き覚えのある声がしたので、振り返ると、そこに裏狸がいるのである。彼女を監視しているのは、裏狸なのだろうか?
「よう。元気か? モフモフオオカミ」
私を見て、手を振る。“モフモフオオカミ”とは私のことらしい。
「……ああ。何で、裏狸がここにいるの?」
「ん? ネフィルがここに行って監視しろって言われたから。まあ、私は部下に全部丸投げしたから、詳しい話は聞いてないけど、大方察しがつくよ~」
まるで二人にむけて悪戯をしたそうに、口角を上げる。
そういえば、ネフィルって誰だろうか?
彼女に指示を出すくらいなのだから、エマ様くらいに偉い方なのだろう。
「ぺったんこ娘。お前に聞きたいことがあるんだけど」
裏狸は誰に対しても口が悪いらしく、光を指して言い放つ。
「ぺ、……失礼ね。お子ちゃま何かに言われたくないわよ」
光は顔を赤らめて、胸を隠しながら叫ぶ。
「だって、名前知らないんだもん。見た通りのことを言うしかないよね? モフモフ」
…………語尾にオオカミを言うのが早速面倒になったのだろうか。正直、私はその愛称のように可愛くないと言いたいが、心の中で呟くことにする。どうせ、思考を読んでいるのだろうから。
「名前は光って言うそうだ」
「ふーん。じゃあ、光。その坊主の“牢夢”をアナタに転移する代償で、この町に起こっている失踪事件を無くさせたいという願いがあるらしいけど。残念ながら無理だよ」
裏狸は悪魔のような笑みで言い放つ。彼女が逃げる際に言っていたのはこのことらしいが、私には何のことが分からないのである。
「どうして? あいつ等は健康や寿命を代償に嫌いな奴等を消してるんでしょ? 私を人で無くなるという代償が少なすぎるってわけ?」
光は裏狸の両肩を掴んで、彼女を揺らしながら剣幕になる。
「うーんとね。突っ込みたいところが色々あるんだよね。コチラとしては。だから、気安く触るな」
そう言うと、光は悲鳴を上げながら吹き飛ばされる。
「やりすぎでは?」
「モフモフは黙ってて」
裏狸はそう言って、吹き飛ばされた光の方へゆっくりと歩み寄る。
「奴等は“天牛”と言われる組織。内側からネチネチと町を壊すのが趣味な輩達。ある程度町を滅茶苦茶に壊したら去っていく無責任な組織としてそこそこ有名だよ。彼等はそこにいる“牢夢”の暴走を知り、それに紛れて人間に接触し、彼等を唆して人攫いをはじめた。“牢夢”が制御できるようになった今でもね」
「裏狸。その“天牛”は何のために人を拉致するんだ? 肉にするため?」
それを聞いた裏狸は大きな溜息を付く。
「モフモフは食べることしか脳がないのかな? まあ、それもあるだろうけど、主な目的は選別と売買だよ。“化招水”を飲んで良質な仲間を増やして、個々に判断して仲間にするか、オークションで売却するんだよ。まあ、売却する際は新品のロボットのように記憶が全くないのだけどね」
「そんな……。じゃあ、お兄ちゃんはもうm――――」
「戻らないだろうね。自分自身が無事に生きているだけでも感謝するんだな」
その言葉とともに、光という少女の瞳が虚ろになる。
「お兄ちゃんはもう戻らない。お兄ちゃんはもう戻らない。お兄ちゃんはもう――――」
彼女はふらふらな状態で何処かへ歩き始める。
「お姉ちゃん。どこに行くの?」
拓也が光の手を握って問いかける。
「さあ? どこに行くんだろう? あの世かな? でも、思い残したまま死にたくないな」
そう言いながら、拓也を見る。
「そうだ。アナタがいたからこんな風になったんだよ。そう、アナタは私が会った時に殺しておけば、お兄ちゃんは…………」
その途端。光は拓也の首を両手で握る。
「お姉……ちy――」
拓也は抵抗して光の腕を放そうとするが、力負けしてしまう。
「辞めろ。彼を殺してもきっと住民は消え続ける」
私は二人の間に入って仲裁に入る。
「うるさいわね。そんなこと、分かってるわよ。だったらどうすればいいのよ。あの黒ノッポを殺してもお兄ちゃんだって帰ってこないんでしょ? だったら、私はどこに当たればいいのよ」
大量の涙を流しながら、自棄になって拓也君を放す。
「黒ノッポの生物名は“華奢男”。触れた人を好き勝手に瞬間移動させ、その際に、“華奢病”と言われる不治の病を発症することが出来る。主な生息地は北米の森林。まあ、“天牛”の首領は欧米諸国をはじめとする西洋文化が好きらしいし、日本に連れて来ても何らおかしくはない」
裏狸は光の前で呟く。
「ねえ、モフモフ。聞きたいんだけどさ。“華奢男”はこの娘に触れた?」
「ああ。触れた。でも、彼女h――――」
“華奢男”は触れた人を移動できる。ということは、人でない生物は移動出来ないということなのか?
だとしたら、光という少女は既に人ではないということになる。その証拠として、私の答えに裏狸の口角が上がっていた。
「ねえ? 君は本当に人間なの?」
裏狸は光に顔近付けながら問いかけると、光は裏狸に向けて頬にビンタをかます。
「ふざけないで、私はどっからどう見てもれきっとした人間よ。人が自暴自棄になっているのに、変なことを言わないでよ」
裏狸はそれを聞いてなぜか嬉しそうに笑う。一体何を考えているのだろうか?
「…………アナタが神社に置いた絵馬の名称知っている?」
「都市伝説の“貪欲絵馬”でしょ? 書いた人の寿命は健康を代償に願いを叶えてくれる」
それを聞いた裏狸は溜息を付く。
「その“貪欲絵馬”は“天牛”が撒いた都市伝説。ちなみにそれは、“天牛”のリテールから貰えるもの。アナタは彼等に接触した?」
それを聞いた光は唖然とする。
「……私は都市伝説が本当になっているという噂を聞いて実行しただけ……。だったら、あなたは何しに来たのよ」
「あの絵馬。どこから持ってきたの?」
「それは……家から」
「たくさん捜したの?」
裏狸は尋問のように光を問い詰めていく。そのせいか、光の呼吸が次第に荒くなっていくのが感じ取れる。
「……知っていた……。でも、……何で……っ―――」
光は頭を抱えながら蹲る。
「お姉ちゃん? 大丈夫」
拓也はすぐに光に駆け寄る。先程彼女によって殺されかけたというのに、なんて器のでかい子だろう。
「両親が死んだのは“犠牲絵馬”の効力。危篤状態で難病患っていた幼少期の君を両親の生命を犠牲にして健康状態にするため。その際に、君の記憶に“我意絵馬”の存在を埋め込まなければならなかった。その効力は、自身の願いを書くとそれが叶う代わりに、人でなくなるというものなの」
半笑いで言い放つ裏狸は、悪魔の笑顔と言っても過言ではないほど不気味であった。
「うああああぁぁぁぁぁぁぁ」
苦しいのか、彼女は悶える。
それにしても、彼女は絵馬に願いを書かなければ、人のままでいられたというのに、周囲に流されて正しい情報を得ずに先走ったせいでこのような結果になる。それも両親が残したものによって。
「苦しんでるね~。まあ、それに耐えられなかったら死ぬんだけどね。折角両親の犠牲で元気に生きられたというのに、我意で願うからね~」
裏狸が言い終ると、光の腕から放った飛び火が裏狸の前に降りかかる。
「うる、さ……い」
光は息を整えながら立ち上がる。変化した箇所は、肌が血が通っていないほどに白くなり、瞳の色が赤になったところくらいだろうか。それと、何となくだが、エマ様と同じ雰囲気が醸し出されている気がした。
「成程。まさか超が付くレア物に化けるとはね。きっと、ネフィルは喜びと悲しみが半々な気持ちで祝福すると思うよ」
私は彼女がなんという生物になったのかは分からないが、首領やエマ様並の威圧感が私にひしひしと伝ってくるのである。ふと、彼女と目が合うと、金縛りにあったかのように身動きがとれないのである。
「ねえ。何、この高揚感。とっても良い感じ……」
裏狸に勝るとも劣らない悪魔の微笑みで呟く。
「お、お姉ちゃん……」
拓也は唇を震わせながら、光を見つめる。この震えようは私の真の姿を見たとき以上である。
「拓也君。彼等の力を借りなくても、私の力で奴等を消滅させるから」
その時、裏狸は笑いが堪えきれずに失笑してしまう。正直、空気読んでほしいと思った。
「ねえ? 何がおかしいの?」
必要以上に首を傾げて殺気を放ちながら裏狸を見つめる。
「調子に乗てんじゃねえよ。お前が“咎人”になったときに“我意絵馬”の効果が働いて、もうとっくにお前は死んでいるし、お前は“蜘蛛”の“我意絵馬”を使っているから、私達の配下だし、自由に殺せるとか思ってねぇだろうな?」
裏狸は今迄と変わりなく言葉のみで攻める。しかし、光が怖くないだろうか。それに、さっき口にした“咎人”っていうのも気になる。彼女になった化物の名称だろうか?
「は? 私に向けてよくも軽々と反抗できるわね。狸の子どもの分際で生意気なんだよ」
そう言うと、再び彼女の掌から炎を発生させて、裏狸に襲い掛かるが、彼女に命中する前に消滅してしまう。
「な……。化狸なのに、私の攻撃を消しただと……」
信じられずに受け止められないのか、唇を噛み締める。
「私も貴女と一緒。“咎人”。生きている間救われることのない生物と揶揄される代わりに、超越的な能力を得られる咎人……」
哀れむように呟く。
「咎人ですって? 私は何の罪を犯したというの?」
「二人の魂を犠牲にしたくせに、我意に溺れた罪なんじゃない? 閻魔の部下に聞けば? 生前の罪を裁くのは彼等だし」
「生前? 何を言っているの? さっきも私が死んでいるとかほざいていたけど、私はこうして生きているじゃない」
生前の罪。ということは、彼女は既に死んでいることになる。彼女は気付かないまま死んで蘇った。閻魔が閻魔大王のことを言っているのだとしたら、地獄で罰するよりも現世で生きる方が、彼女にとって苦痛だということなのだろうか?
「そう。だったら、直接聞けば? 丁度その閻魔の部下が降りてきたようだし」
裏狸がそう言うと、彼女の足下から黒い和服を着た少年がすり抜けるように現れたのであった。降りてきたよりも、昇ってきたの方が正しい表現である。
閻魔の部下。私が思っていたよりも、穏やかで若く見えるのである。
「光様。先程裏狸様がおっしゃったとおり、アナタは両親の魂を無駄にしました。よって、アナタには現世にて人に寿命を分け与え続けなければ死ぬことはありません」
それを聞いた光の口角が上がる。
「不老不死ってわけか。だったら、私は人に寿命を与えない」
すると、閻魔の部下は溜息をつく。
「そう言う訳にはいきません。一ヶ月以内に五人以上かつ、一年で百人以上与えないと、アナタは苦しむだけの痛みを死ぬことなく永遠に味わうことになります。転生の許可が出るまで。その期間は最低でも千年かかるでしょうな」
光の表情から歓喜や傲慢さが徐々に消えていくのが分かる。
「で、でも寿命なんて百年くらいでしょ? そんなのすぐに終わるに決まってるじゃん」
強がり染みた表情で反論する。
「アナタが“咎人”になったときに、人の寿命を一載年ぶん加算しました」
一載年。“載”という単位が聞きなれていないため釈然としない。“兆”の次が“京”だというのは覚えているが……。その次の単位だろうか?
「十の何乗よ?」
「四十四。つまり、零が四十四個です」
それを聞いた光は唖然とする。そうなるのも無理もない。
一京は零が十六個。つまり、“載”は七個先の単位ということになる。とてつもなく大きな数字だ。それをどれくらいの時間でなくなるのだろうか。
「人に寿命を与えるのは、病気を治すという意味合いです。もちろん、依頼者には一番大切なものを消失させる取引で。“蜘蛛”の首領にそのように出来るシステムを受注しましたので、二、三時間後には来るでしょう」
それを聞いて彼女は落胆して跪く。
「自分で探して売り込むことも出来ないなんて……。そこまで、罪なことを私はしたの? おかしいよ。私以上に酷いことをしている人達によってお兄ちゃんたちは居なくなったっていうのに」
光の言い分は尤もである。“天牛”に唆されている連中達の方が罪が重いだろうし、どこかで指名手配されている大量殺人者などにもそれが当てはまるだろう。
「それは、アナタが死ぬはずだったのに生きているk――――」
「私が今からやろうとしていることは、両親がしたことを他人にして、助かった人達は我意な願いをしても良いっておかしいでしょ」
「それを見て苦しむのも目的ですが、何か?」
閻魔の部下は冷淡な瞳で言い放つ。
「“咎人”には“眷属”という従者を従えます。彼等は“眷属”はアナタの使命を全うするまで寿命で死ぬことはありません。“眷属”にしたい者がいれば、アナタはそれを願えばいいだけ。最高十名まで。まあ、三名くらいがベストでしょうがね。数が多いほど内輪揉めが起こりやすくなりますし。まあ、あとは勝手にして下さい。それでは失礼致します」
そう言い残して、閻魔の部下は消失したのであった。
「お姉ちゃん……」
拓也は泣いている光を慰めるように、駆け寄る。
「拓也君。さっきはゴメンね。私、貴方のことを……」
拓也は首を横に振る。
「気にしないで、それよりも、僕はお姉ちゃんのことが心配だよ。もし僕でよければ」
「ええ。私が成仏できるまで、一生一緒に居てね」
光は真っ白な手を差し出す。
「うん」
拓也君が承諾して差し出された手を握ると、眩い光が発生した。それが、“眷属”の契約なのだろう。
ふと空を見上げると、綺麗な星空に、流れ星が瞬時に振ってきたが、私は願い事をせずにただ見ていただけであった。それは、隣にある光の方が清らかで、優しく感じたからであろうか。