第十話 牝馬町
私達は食事を済ませてお店を出ると、すぐに牝馬町に向かった。
そのルートは私が“蜘蛛”に来たときと同じように階段を使用しての移動であり、廃墟のような場所に繋がっていた。
部屋の隅の方には砂埃や蜘蛛の巣が点在しているが、“蜘蛛”の仲間達が出入しているせいか、中央付近は埃が積もっていないのである。
塵がない箇所を辿って建物から出ようとすると、そこにリナさんが待っていたのであった。衣装は昨日と違ってOL風のスーツである。
「シーと、新人が来ると聞いていたが、やっぱりアンタだったか。ここに来て二日目からお仕事とは熱心だね」
リナさんはそう言って、私の頭を優しく撫でる。普段そういうスキンシップをされないので、少しだけ照れ臭かった。
「で、情報は入手できましたか?」
「ええ。“牢夢”の名は、暮憐拓哉。小学四年生。去年までロシアに住んでいたけど、父親の仕事の都合で、この町に住むようになる。ことの発端は、母、静江が強盗で殺害された日。病気で寝込んでいた彼がリビングに戻ると、犯人が棄てた凶器に触れた。そのところをパトロール中の刑事に見つかり、母親殺害の容疑者として連行される。証拠不十分として釈放されたものの、校内のイジメにあい、怨念で“牢夢”に覚醒したらしい」
私の場合は“化招水”で人を辞めたのだが、この暮憐という人は怨念で人を辞めたらしい。このような事はどれくらいの割合で起こるのだろうか?
「どうして、凶器を持ったのでしょうかね。持たなければ、容疑がかからなかっただろうに」
「さあね。子どもだからよく分からなかったんじゃない? で、その子の父親はたまたま大きな事故にあって入院しているから、あの子は一人暮らしをしている。試しに家を尋ねたけど出なかったわ。正面からの接触は無理だろうね。彼は“牢夢”と接触したら行方不明になるっていう噂があるくらいだし、自らがなるべく関わらないようにしているのだろうさ。彼に関して知っている情報はそれくらい」
“牢夢”は怨みで覚醒したというのに、自分から住民を遠ざけているのはなぜだ。私なら、それに便乗して全てを滅ぼすだろうに。彼の心の中に少しでも善の心があるとでもいうのだろうか。というより、彼は暴走しているのではなかったのだろうか?
「おや? 彼、自制できるようになったのですか?」
シーさんも同じことを思っていたらしく、リナさんに問いかける。
「ええ。ここ数日仲良くなった少女に接触してから、彼は大人しくなったみたいよ。彼女に恋でもしたのかと思っていたけど、その点は薄いね」
「ほう。もしかして、その少女は……」
「ええ。類は友を呼ぶって奴かしらね。まあ、あの子の方はもうしばらく泳がすって言っていたから、無視してもいいかもね」
リナさんの言動から、その少女は化物になりかかっている子だろう。彼女を監視している“蜘蛛”の仲間はどこの誰かは知らないが、泳がせた結果、暴走して町が崩壊とかならないのだろうか?
「そうですか。では、彼女については介入しないようにしましょう。ところで、牝馬町の方はどうです? これほどの事態を人を介して伝わっていないのは?」
「牝馬町の住人は町から出られないようになっている。余所から来た人たちは外に出られるけど、記憶消去されて町を出るようになっている。それに、マスコミが撤退した日を境に、手紙や電話、ネット動画投稿やらインターネットは繋がるものの、肝心の知ってほしい情報を発信した時点で、別のものにすり替わっているから、余所者に情報は漏れることはない。それに、地下にある我々の敷地に住民は入れるけど、町の境目を越えられないみたいだし、上下の移動も完璧に封じられているってわけさ。まあ、流石に地球の外までいけば出られるだろうけど、普通に考えて無理だしね」
町の境目を基準として出られなくなったり、記憶操作するのはできなくはないとは思うが、ネットや電話の用件を瞬時に別のものに置換できるとは、もはや神技ではなかろうか。
「やはり、隠匿しているのは“牢夢”以外の連中ということですか。目星はついているのですか?」
「“蜻蛉”、“蜂”の知った顔なら見けど、特定はできなかった。格好の良い実験場になっているよ。昨日で行方不明者は百七十八名。先々月までの町内人口は五百二十四名。約三割は行方不明になっている。異常だよ」
すると、近くから大きな足音が聞こえてきた。
リナさんは背後にある建物を指して、隠れるように合図を出したため、私はシーさんと隠れる。
「ヒック。いたいた。ヒック。いきなり消えたから、ビックリ、しちゃったよ~」
酔っ払った小太りの中年親父はスケベな表情で、リナさんに近付く。
「あら~専務さん。酔っ払って寝ていたから、もう今夜はしないのかと思って帰っただけですよ」
私が知っているリナさんの声よりも一オクターブ高い声で接する。
「そっか。じゃあ、ヒック。ホテルn――――」
専務が言葉を発している最中に、リナさんは彼の鳩尾に拳を入れて気絶させる。
「ふん。誰がエロジジイに私の綺麗な肉体を見せるかよ。このストーカーやろう」
声は元に戻り、専務を蹴り飛ばす。
「情報入手するのも大変ですね」
シーさんはいつの間にかリナさんに向かって歩いていたので、私もその後を追う。
「まあね。まあ、人の頃に比べれば、マシなもんよ。じゃあ、後は頑張ってね」
そう言って、リナさんは私達が来た道を辿りながら去っていく。
「この男性をどうしまsy――――」
その瞬間。その専務はどこかに消失したのを私は目の当たりにする。
「シーさん。これは、“牢夢”の仕業でしょうか?」
私は取り乱し気味で、問いかける。
「どうでしょうか? 私も“牢夢”で消失するのを見たことがありませんが、そうだと判断する材料が少なすぎます。とりあえず、リナさんから教えてもらった住所に行ってみましょう」
そう言って、シーさんが歩いていく。
「待ってください。私が先に行きます」
シーさんの方向音痴で、変な場所に行かないように、私は記載されている通りに“牢夢”の家に行くのであった。
丘から歩いて十分程度経過した頃。目的地についた。
ここまで来るのに住人とは誰とも顔を合わせないどころか、窓から灯りを漏れている家がなかった。時刻は午前零時前。来た道がたまたま夜更かしをしない家を通っただけだと思うが、それにしても不気味だ。そのせいか、目の前にある家は真昼間だと普通の家だろうが、深夜という暗闇のせいか威圧感と恐怖感が漂っているのである。
「では、行きますか」
そうして、シーさんが一歩前を踏むと、斜め前の電柱から人の臭いがしたため、私はシーさんの行く道を右腕で遮る。
「電柱の後ろに人がいます」
私は囁くように呟くと、シーさんは溜息をつく。
「付けられた感じはしていないため、この家を貼り付いている誰かでしょうか」
シーさんはとてつもない小声で呟くので、私の耳で拾うのがやっとであり、そう言っているかどうかの自信もない。
「アナタの嗅覚で周辺にどれくらいいるか分かりますか?」
私は匂いで感知をしたことがないため、要領は分からないが、視覚で惑わないように、両目を瞑って、鼻に集中する。
「前方の家に二人。内一人は女性の香水を付けているため、女性だと思います。後方に十人程度の集団。加齢臭や濃い化粧水の匂いがするため、中年の男女でしょう。家族というよりも、彼の監視をしている集団でしょうか? あとは先程言った人物と、左隣に嗅いだ事のない生物が二名ほど。確かなことはその二名は人ではないということです」
そう呟いて、私は両目を開ける。
「女性が一人いるのですか……。ということは、我々が目的としている人達は揃っているということですか……。後回しにしましょう。約束の時間よりも早いですし。それに、人でない生物も気になりますね。我々の味方なら一人で地中から観察しているようですし」
そう言って、シーさんは電柱にいる男性の方へと向かうので、私もその後をゆっくりと近付く。
「見かけない顔だな。余所者か?」
電柱に身を隠していた男性は、私達に姿を現して問いかける。年齢は二十代後半から三十代前半の男性である。
「ええ。少しばかし奇妙な話を耳に挟みまして、ここに来れば何か分かるとね」
それを聞いた男性は溜息を付く。
「ある日を境に、外の者に電話やインターネットを使っても現状が通じなかったのに……。もしかして、マスコミを撤退した後を知りたくて、興味本位で来たのでしょうか?」
「ええ。都市伝説専門雑誌、“URBAN”のライターである炭窯と申します」
そう言って、シーさんは名刺を男性に渡す。人間世界に接するにはそれくらいの偽造は普通といったところだろうか。
すると、男性も懐から出した名刺入れのようなものを取り出す。
「私は刑事の伊井清と申します」
そう言って、男性は警察手帳を私達に見せ付ける。
「刑事さんでしたか。ここの子を張り込んでいるのですか?」
その問いに刑事さんは首を横に振る。
「いいえ。彼、私の妹に心を開きかけているらしいのです。妹は勝気で好奇心旺盛だから、私の手伝いと思って、三日くらい前から接しているらしいんです。私はこの世に戻れなくなる可能性があるから、詮索はするなと言ったのに、全く聞く耳を持たず。子どものころの重病が嘘みたいに元気になって行動しているのは微笑ましいが、限度を知ってほしいものです。でも、妹のお蔭で一つ分かったことがあるのです」
「と言うと?」
シーさんは、いつの間にか手にしているメモ帳に、刑事さんの話を書き込んでいく。本物の記者のようだ。
「彼と接したものは一日でいなくなるという噂が嘘の可能性があること。まあ、接触だけでは消えないだけかもしれません。彼に何らかのことをすれば、妹はいなくなってもおかしくはない。だから見張っているんです」
刑事さんはふと、私と目が合ったため、会釈をする。
「彼は? 見たところ中学生ですけど」
その一言に私の心拍数は徐々に上がっていく。
シーさんは、ライターだと自己主張したが、私はどうしたら良いのだろうか。シーさんの息子……。いや、似てないから嘘だと分かるだろう。では、どうすればいい?
「私がネタに困った時に提供してくれる都市伝説マニアの、狼谷銀とおっしゃいます。狼谷君。刑事さんにご挨拶を」
カミヤ。人の頃と全く違うため、慣れない。そもそも“カミヤ”ってどういう漢字だろうか。無難に神の谷だろうか。ってか名前の“銀”が名前負けしているのは気のせいだろうか?
「カミヤと申します。よろしくお願いします」
そう言って、私は会釈をする。
「よろしく。でも、学生がここに入ってくるにはどうかと思いますが。このような所に来たら君のご両親は心配するぞ」
正直、この言葉がとても鬱陶しくて、近くにあるものを壊したくなる。
「彼の実の両親は死んでいますし、育て親の許可はとってあるので、ご安心を」
シーさんが割って入る。
それを聞いた刑事さんは余計なことを言ってしまったと言わんばかりの表情で、後頭部を掻く。
「……すまない」
「いえ、気にしないで下さい。慣れていますから」
本当は一切慣れていないが、ここは事が円滑に運ぶようにと嘘を言う。刑事さんが良識がある人ならこれ以上足を踏み入れないだろう。
すると、刑事さんの携帯電話が鳴ったらしく、彼はそれに出る。
「な、何だって」
何を話しているのかは分からないが、予定外のことが起こったらしい。
「――――分かりました……」
そう言って、悔しそうな表情で電話を切る。
「どうかなさいましたか?」
「…………」
刑事さんは電話の内容を私達に話すかどうかを考えているのか、黙りこくる。
「ここまで辿りついたということは、あの子についてどれくらいご存知で?」
あの子とは、暮憐拓也のことだろう。普通の情報網だとここまで来られないと思っての質問だろうか。
シーさんは、リナさんから得た情報を“牢夢”という存在を隠して刑事さんに答える。
「……そうですか。貴方達の情報網はすごいですね。実は、彼の父親。先程亡くなったそうです」
彼がそのことを知ったらどうなるだろうか?
怨念が増幅して、“牢夢”の暴走が再発するのであろうか?
「キャァァァァ」
家の中から突然。若い女性の悲鳴が響く。
「光ぃぃぃぃぃぃぃ」
刑事さんは発狂して、家へ飛び込む。どうやら、妹さんの声らしい。
「どうした。どうした」
家の向かいにある建物からスコップや竿を所持した中年の男女の集団がぞろぞろとやって来る。武器を所有しているのは、恐らく“牢夢”を退治するためだろう。
「おい。お前ら、見かけない顔だな」
その内の一人が、私達を見て言い放つと、私の左手をシーさんによって掴まれる。
「一旦。撒きますよ」
そう言って、私はそのまま引っ張られるような形で一番近い角を曲がる。
「中に入りますよ」
そう言って、シーさんは“牢夢”がいる家の塀を飛び越すので、私も同じ要領で潜入する。
「離してよ」
セミロングヘアーの高校生くらいの女性が、全身文字通り真っ黒な皮膚で覆われたニメートル越えの長身の男性に腕を掴まれているのである。よく見ると、その男には足らしいものはなく、何かの影の中に入っているように出現している気がするのだ。
「アナタ達のせいなんでしょ。拓也君を利用して好き勝手しているのは」
叫ぶように言うと、例の刑事さんがその部屋に入る。その時に気付いたのだが、拓也君らしき人物は部屋のドア付近にいる短髪で細身の子だろう。しかし、瞳の色は群青ではない。人の状態だからだろうか?
「貴様、動くなよ」
刑事さんは銃口を長身男に向けて鋭い目つきで言い放つ。
「弾丸なんて怖くないんだよ」
長身男の声色は生きているうちにこんなに野太くて低い声は聞いたことがないほどに低い。
「お兄ちゃん。私は良いから、拓也君を連れて逃げて」
その途端。刑事さんは一瞬にして姿が消えたのである。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ。お兄ちゃぁぁぁぁぁん」
彼女の瞳から涙が瞬時に零れ落ちる。
「うーん。やっぱ、不調ではない。なぜ、この女に私の力が通じない?」
部屋の出来事に聞き耳を立てていると、シーさんが私の腕を突く。
「見入っているところ悪いですが、連中に連れ去られる前に彼女達を助けますよ」
シーさんがそう呟くと、彼の皮膚が黒ずんでいく。どうやら擬態を解いたらしいので、私も解く。
「私が敵を惹きつけますので、アルゲンさんは彼女達を救出して下さい。落ち合う場所はリナさんが会った丘。私が来なくても、約束の午前一時になれば彼女を監視している方達がアルゲンさんの前に現れるでしょう。では」
シーさんの両足を地面で摩擦を起こすと、踵が着火したのである。それを見て瞬きをすると、シーさんは窓に突っ込んでいたのである。そのため、私は完全に出遅れたのである。私は慌てて、シーさんが作った道を通る。
「“蜘蛛”のシー・クラルだと……」
長身男はシーさんのことを知っているらしく、彼を見て動きが一時停止する。私はその隙を見て、彼女を掴んでいる腕を噛み千切る。
「何だ。この犬っころは」
そう言いながら、私を蹴り上げようとするが、私は起き上がって回避する。
「まさか、銀毛のワーウルフk――――」
敵は言いかけている最中に、シーさんによって頬を殴られる。
「助けに来た。背中に乗って」
私は再び屈んで二人に言うが、彼等は怯えた表情で私を見る。無理もない。人でないものに襲われたと思ったら、今度はそいつらによって助けられようとしているのだから。
「このまま死にてぇのか」
私は剣幕になって言い放つと、二人は仕方がないと言わんばかりの顔で私の背に乗りこむ。
「振り落とされるなよ」
と、少しだけ格好付けて言うが、内心は初めて誰かを乗せるため、彼等が落ちたり、怪我をしたりしないかと不安しかないのである。
頼りがいのないメンタルの化物は、二人を乗せて玄関から出ようとすると、そこに先程の中年の住民たちが武器をもって待っていた。
「きゃああぁぁぁぁぁ。お、狼よおおおぉぉぉ」
「日本に狼はいないはずじゃ。あの両親、帰国ついでにロシアから密輸しよったな」
このまま正面に向かったら私は無事だろうが、乗っている子達に危害が及ぶ可能性がある。
「あいつ等は気にしなくていいわ……。この町を滅ぼした元凶なのだから、殺しても構わない……」
光という少女は、私が彼等を殺さないように躊躇していると思っての発言だろう。自分の身体能力はヤグザ達を殺したときにある程度は理解している。結論から言うと、それは出来る。
「何言ってるの? あ、もしかして、後ろのガキに唆されたり、催眠をかけられたのかしら? 可哀想」
おばさんは演技派なのだろうか。涙を流しながら言う。
「殺してもいいのは分かったが、君達が怪我をしても知らないが?」
「構わない。こいつらに追われて家に入ったときに、一杯怪我したからね。それに、お兄ちゃんもいなくなったし……今更何って感じ」
兄を失って間もないのに、気の強いお嬢さんであるが、若干鼻声だ。多分。泣くのを堪えているのだろう。そんな少女の頼まれ事。いや、彼女の八つ当たりとして、彼等を痛みつけてやっても良いだろうが、彼女達をここから逃走させるのが一番の選択だと思う。
私は後ろ足をバネして飛び掛ると、前衛にいる二人の男は怖気ついて尻餅をつく。
「馬鹿が。日本人が絶滅したオオカミなんぞにビビるなよ」
リーダー格であろう小太りの男は、スコップを構えて私の脳天を叩きつけようとするが、私は加速して、彼の左肩を噛み千切る。
「いやああああぁぁぁぁぁ。あなたあああぁぁぁ」
片腕を消失した男の夫人が泣き叫ぶ。
「このおおおお」
その後ろにいた男女二人ずつの大人が、私に向かって竿やフライパンで殴ろうとする。さっきの事態を見ていないのだろうか?
私は高く飛んで、前にいる男性の肩に乗る。
「うわああ」
男性の情けない声と共に尻餅を付くと、私は道路に飛び下りて丘に向かって駆ける。
「……何で殺さなかったの?」
「……奴等のことを知らないからかな。まあ、人だからクズなんだろうが、殺す価値がないと思うけど」
すると、少女は泣きながら私の頭を叩く。
「なに格好付けてるの? とりあえず、アナタ達が私達がお願いした者達なら、後で話します」
彼女は我々に何をお願いしたのか分からないが、“牢夢”との面会のことを言っているのなら、一応辻褄は合う。
その後、誰にも追われることなく、丘に戻ったのであった。