第八十六話
続きです
やはり話は進みません
「ご馳走様でした」
食べ終わったらご馳走様を忘れずに
母さんの教えはこの身体、肉の内骨の髄まで行き渡っている
「何だそれは?」
手を合わせて目を閉じて何やら呟いたその様を、不思議と感じたのだろうか
おっさんの疑問が投げ掛けられる
「俺達の世界。もっと言えば俺達の国の行儀作法だよ」
食べ物は嘗て生きていたもの
その命を頂くのだから、それに感謝しなさい
昔、母さんが言った言葉を思い出す
殺す事が罪なら、生物はただ存在するだけで罪悪だ
自然界には罪業が満ち満ちて、悉くが地獄の様相を呈しているだろう
尤も、それはあくまで人の価値観に過ぎない
野生の獣に「殺してはいけない」と言い聞かせている者が居れば、それは嘲笑われて然るべきだろう
全ての生物は、殺し食らう事で生を明日へ繋ぐ
直接間接問わず、殺さない生き物は存在しない
ならば、せめてその行いを尊しとしよう
徒に殺さず、必ず要るだけを殺そう
食わずば殺さず、殺さば食え
涙を流し、血を流し、汗を流し
想いと行いを併せて、食事を尊き儀礼へと変える
ならば
守る為に殺す事は是であるか
「ふぅん……ご馳走様でした」
思考が途切れる
おっさんが、俺の真似をしてご馳走様をした為だ
「ふふ……どうしたんだ、急に?」
その様は、やはりというか何というか
幼子が大人の真似をしている様で、ちょっと微笑ましかった
「ん?これはサトルの国の行儀作法なのだろう?」
何か可笑しかったか?という疑問を、堂々と顔面に貼り付けて
そう訪ねるその姿も、やはり無邪気さを感じさせる
「ああ、食べ物は……いや、作ってくれた人に感謝しようという考えだな」
食べ物は生き物を殺して得るから
常識的にその事を言おうとしたが、この世界の食糧事情を思い出し、咄嗟に別の理屈へ挿げ替える
こちらも、別に間違いでは無い
母さんもそう言っていた
「私は忙しくて、あまり作ってあげられないけど、その分作ってあげられるときは頑張ってるんだから。ちゃんと感謝して残さず食べなさいね」
あと、叔母さんにもちゃんと感謝しなさい、と付け加えて笑うその表情を思い出す
尚、叔母さんに知られた時に
「姉さんからしたら私は妹なんだから、オバさんとか呼ばないで」
と、叱られていたのはご愛嬌と言う奴だろう
女性は何歳でも女性だという事だ
「良い考え方だな」
「母さんが教えてくれた事だ。尤も、どこの家庭でも同じように習う事だろうな」
感心するおっさんに、俺は自慢する様に母さんの話をする
付け加えられたのは、照れから来る謙遜だ
「サトルの母親か……リア程では無いだろうが、いい女なんだろうな……」
しみじみと語るおっさん
先とは打って変わったじじくさい姿だが、それより気になる、いや聞き流せない事を言った
「おい。無理だとは思うが、一応忠告しとくぞ。母さんに手を出したら、おっさんでも許さねぇからな」
言ってて我ながらマザコンが過ぎると思うが、敢えて否定はすまい
意識していない分、より重く暗い声が出た
もしかしたら、殺気が漏れ出ていたかもしれない
「……いや、無いから」
その気に中てられたのか、呆けながらおっさんが返した言葉は短く、だからこそ真に迫っていた
「……そうだな」
真に迫っていたからこそ、俺も反射的に冷静になる事が出来た
無理だと思う、と言った言葉には、そもそもおっさんを母さんが相手にする訳が無い、という意味を込めていた
だが、冷静に考えれば、そもそも世界が違う
所謂身分違いとかを例えた言い方ではなく、文字通り別の世界に居るのだ
手を出せる訳が無いではないか、と気付いたからには、それは当然マザコンの虫も落ち着くというものだ
何だか妙な空気になってしまった事を悔いながら、少しの食休みを過ごす
口の中、歯茎と唇の間の隙間に残った食べ物が無いかを、舌で探り取る
三番肉は、所謂一般的な鶏の胸肉に近い食感だった
鶏肉の最大の短所として、歯の隙間に挟まりやすいという特徴がある
唐揚げを選んだ以上、その事は当然想定していたので、舌で歯の隙間を探る
(……在った)
挟まる最も可能性が高いのは、まず噛み千切る前歯の辺り、次に噛み砕き噛み潰す奥歯の辺り
俺は右の奥歯を無意識によく使うので、その辺りを重点的に探ると、下手人は簡単に見つける事が出来た
だが
(楊枝が無い)
思えば、これまでも楊枝に類する物を見たことが無い
この世界には無いのだろうか
だとしたら、気付いてしまったこの不快感は、歯を磨くまで我慢か?
俺には食事の度に歯磨きをする習慣が無い
朝は起床後に口を濯ぐだけ
昼は食後に歯磨き、夜は風呂に入るときに一緒に歯磨き
ずっとこれでやって来たし、こっちでも同じようにしてきた
そして、これまで歯に挟まった記憶がない
(これは……最大の試練かもしれない)
馬鹿らしい事この上ないが、それでもその挟まる物に気付いてしまった為に弥増すばかりの不快感は、俺の平常心を鑢掛けする様に削り落としていった
何とか取れない物かと、歯間を突く舌先が痛み始める
「サトル、そろそろ行くぞ」
最悪、指を突っ込んで爪を押し込んで取るかと懊悩していた俺に、不意に掛けられる声
本来なら、苛立っている時に声を掛けられたら、それを紛らわせる様に苛立ちを露わにする
だが、今は違った
「あ、ああ」
不思議と気にせず、寧ろ不快感から意識が逸れた
食べ終わった食器を載せたトレーを持ち立ち上がるおっさんに従う様に、俺もトレーを持ち立ち上がった
食器とトレーの返却口……前回米原が俺に片付けを押し付ける様にして教えてくれたそこへ、おっさんが先導する様に向かう
当然、俺もそれに続いた
おっさんはトレーを何も言わずに返却口へ置く
俺は、その向こうで洗い物をしている人へ
「ご馳走様、美味しかったよ」
と、声を掛けてトレーを置く
洗い場にいた人がこちらを見たが、俺は一切気にしない
所詮はただの自己満足だ
「……それもお前の世界の作法か?」
おっさんが訊ねる
少し、先程の微妙な空気を引きずっている様に思えたので、意図して平静に答えた
「ああ、本当はああやって作ってくれた人とか、後片付けを請けてくれている人に言うものなんだよ」
「なら、テーブルでは言わなくてもよかったという事か?」
「まあ、今の理屈で言えばそうも考えられるけどな」
「……よく解らん」
こういう観念の根付いていない文化では、理解する事は難しいだろう
だが、この場合に納得を与える絶好の言い回しを俺は知っている
「確かに一々礼を言って回るのは面倒だよな。でもさ、通り道で遇う人にくらいは言っても良いじゃないか。お礼をしても損なんかしないんだしさ」
浪花の商人曰く
挨拶はタダやし?せな損やんか
素晴らしき格言だと思う
言葉一つで物事が動く事は在る
お礼を言って悪い方向へ進む可能性も、全く無い訳ではないだろう
だが、そんな小さな可能性を気にして、良い方向へ進む大きな可能性まで切り捨てるのは、損だ
「……そうだな。確かに、挨拶は物事を円滑に進める為には重要かもしれん……言葉一つでいいんだしな」
何か思うところがあったのだろう
為政者として、冷徹にならなければ、隙を見せてはいけない、と張り詰めた思いも在ったのかもしれない
だが、それを理解した上でなら、俺の言った事の有用性も理解出来る筈だ
尤も、そんな思惑は全く無かったのだが
(……母さん様様だな)
といっても、これは道徳教育としては初歩も初歩なのだが
この世界はやはりずれている
(……っと、それは考えても仕方ない事だ)
彼らを見下すのは間違いだ
これはどちらが優れているかという話でも無ければ、どちらが正しいかという話でも無いのだから
必要が生まれればそこに発明が生まれる
単にこれまで、そうした事が必要とされなかっただけの話だ
「……ここが食堂の裏手だな。あそこが職員用の出入り口。その隣の少し大きなのが主に食材を運び込む際に使う搬入口だな」
連れて来られたのは、待ち合わせ場所として指定された食堂の裏手
殆ど四角い構造をしている食堂は、三つの利用者用入り口と一つの職員用入り口が、それぞれの辺に存在している
ここはその、職員用入り口の在る辺という事だ
「……忙しそうにしてるな」
朝食時だから仕方ないのだが、あくせく働く傍で退屈そうに突っ立っていると、非常に居た堪れない気持ちになる
かといって、手伝いを申し出るのも筋が違う
そもそも邪魔にしかならないだろう
「まあ、ここで待ってろって言われたんだから、待つしかないだろ」
おっさんは、流石に年の功なのか
実に気の抜けた、完全に休憩体勢になっている
別に座り込んでいるとか、姿勢がひどく崩れているなどという事は無い
実に理想的な、立ち休みの姿勢と言っていいだろう
このまま立ったまま寝てしまいそうだ
「……そうだな」
せめて邪魔にならない場所に移動しようと思ったが、それがどこかも判らないくらい、皆あくせく働いているので、もう同じくここで立ち休みに入るしかないと割り切った
「おっさん、今日は仕事無いのか?」
この問いに大した意味は無い
ただの雑談、その切っ掛けだ
「今日は休みにした」
おっさんが返す言葉も投げやりだ
「昨晩の件か?」
「そう。ホント迷惑だよな。俺の娘に手を出しただけでも許せんのに、そのうえ余計な仕事を増やしてくれたんだからな……」
「……なんか、すまんな」
「あ?サトルが謝る事なんか無いだろ?」
「いや、もっと上手くやれた筈だったんだが……」
「まあ、お前がそう言うんならそうなんだろうけどな。でも、過ぎた事はどうしようも無いだろ」
「それはそうだがな……もしかして、寝てないのか?」
「寝てない。因みに、エドガーとリチャードはあの後早々に引き上げてお休みだと。俺とヘクターは朝までずっと後始末に追われてたさ」
「……俺に付き合って大丈夫なのか?」
「大丈夫大丈夫!そんな事より重大な場面に立ち会えるかもしれんのだろう?いやぁ、ヘクターもそうだが、エドガーとリチャードが羨ましがるだろうな!その様を想像するだけで、眠気なんか吹っ飛ぶさ!」
「ははは。相変わらず、仲が良い事だな?」
「お?あ、ああ。アイツらとも、もう大分長い付き合いだからな……」
「そう言えば訊いた事が無かったな。いつからの付き合いなんだ?おっさん達は」
「……お前、何で俺はおっさん呼びなんだ?」
「そりゃあ、おっさんはおっさんだからだよ。後、他の三人に比べて名前が長いからな。名前が呼び難いって言われないか?」
「言われる。俺もそう思うもんな。自分の名前をさ、こう、直筆で署名しなきゃならん時とか、結構しんどいし。城中で使う書類は大抵印璽で済ませられるけど、他国と取り交わす書類は印璽と署名が必要なんだよ。本当にしんどい」
「そうか……それで?四人はどれくらいからの付き合いなんだ?」
「ああ……俺が初めて迷宮に入る時に、同世代で特に強い奴と組まされたんだよ。それが「あの三人?」…そうだ。それからずっと、迷宮に入るときは一緒だし、俺が城の外で放蕩三昧していた時も一緒だった」
「放蕩三昧してたのか」
「意外か?」
「いや?おっさんらしいと思ったよ。で?その悪ガキのいたずらに、あの三人も付き合わせていたって事か?」
「なっ!?心外だぞ、サトル!悪ガキだったのは俺だけじゃなくて、全員だったんだからな!」
「自分が悪ガキだったのは認めるんだな……でも、あの三人がそんなだったって……それは流石に意外だな」
「お前ってアイツらの評価が妙に高いよな……いいか?ヘクターなんか、王都でも有名なスカートめくりだったし、エドガーもあれで昔は待ちのガキ共を束ねてヤンチャしてたんだぞ。リチャードはその一員だったしな」
「……エドガーさんとリチャードはともかく、ヘクターのそれはバラして良かったのか?」
「ああ?いいよ別に。同じ世代なら皆知ってる事だし」
「…………はぁ。そんな有名になるほど、スカートめくりに精を出していたって事か」
「一度本気で拙かったのが、貴族の娘のスカートに手を出しやがってな。当時は本当に貴族の権勢が強かったから、最悪殺されかねなかったんだよ」
「……いくつの時な話か知らんが、たかがスカートめくりで子供を殺すのか……前もそうだったが、腐敗貴族ってのは、どの世界でも下種なんだな」
「まあ……そうだな。だが、今はもう連中に且つての力は残っちゃいない。それでいて、自身を高める事もしようとしない連中だ」
「……そんな感じだったな、確かに」
「遭ったのか?何時だ」
「二日前だよ。中庭でアイギナに絡んでたから、少し痛めつけてやった」
「…………二日前の中庭……それって、渡り廊下から綺麗に見渡せる?」
「ああ、だから状況もよく解ったしな」
「……昼頃?」
「食堂で昼飯食べた直後だったから、昼頃だな」
「…ゲロ吐いた?」
「吐いてねぇよ。吐かせたんだよ」
「……………あれって、お前がやったのか…………」
「あれって?」
「お前なぁ……俺も昼食の後に食休みで散歩してたんだよ。そうしたら、中庭で撒き散らしたゲロ見ちまって……おぇ……思い出したらまた嘔吐いてきた」
「ああ……それは、ついてなかったな」
「ついてなかったな、じゃねぇよ!お前、せめて後片付けを使用人に依頼するくらいはしとけ、ホントに!」
「お、おお……そんな怒らなくてもいいじゃんか……」
「お前に、美味い飯食べて気分よく散歩してたら、撒き散らされたゲロ見ちまった、その時の俺の気持ちが解るのか!?ああ!?」
「……いやまあ、それは解んないけど」
「いいか!?次……こんな事態が二度も在ってたまるか!ともかく、俺の城に汚物をばら撒いたなら、せめて最低限の後始末くらいはしろ!というか、その時アイギナも居たんじゃないのか!」
「……ああ、居たよ。それがどうした「それがどうした?それがどうしただとー!」がっぐ、お、落ち着け、揺さぶるな!飯が出る!出るから!」
「うるせぇ!出せ!お前も俺と同じ思いをしろーーーーー!!」
「その時はおっさんも同じ思いを……というか、この位置関係だともっと酷い目にあうんだぞ!ちょ、ホント、止め、て……ぅげ」
次回でやっと一つの段階を踏む事が出来ます
それは、この食堂篇?に於ける目的でもあります
そして同時に、次回で食堂篇が終わります
何だよ食堂篇ってさぁ
次回投稿は6月12日です
蚊が繁殖する季節です
皆さん、そこらの窪みに出来た水溜りがあったら、積極的に水を抜いて差し上げましょう
ボウフラが湧きますので
サラテクト塗らないと
去年のどこでもベープ、まだ動くかな




