第八十二話
続きです
「………」
起床は何時も突然だ
ふと目が覚め、そのまま愚図る事無く目を開く
その時点で、身体が起きる事を受け入れれば、布団を出て身支度をする
まだ寝足りないと睡眠を求めるなら、また布団を被って二度寝する
………今は幸いなことに前者だった
「はふ……」
ひとつ欠伸して、肺の中の空気を入れ替える
少し重い身体を、ベッドから意志力で動かし引き擦り出す
直ぐ近くの壁に備え付けられた衣紋掛けに掛けておいた着替えを確認して、今着ている寝間着を脱ぎ捨てる
といって、まさか床にそのまま放り投げる様な真似はしない
そもそも、寝間着も着替えも借り物なのだから、殊更大事に扱わないといけない
それでも、多少雑にベッドへ放り投げてしまうのは、それがある種の美学であるからだ
「……よし」
着替えに袖を通し、おかしなところが無いかを軽く確かめる
おっさん連中が手配してくれた生活用品は、どれも中々に良い使い心地で、服などもしっかりとサイズが合い、生地も上質なのか不快感などは一切感じない
「時間は……朝食にはまだ結構あるな」
いつも通りに早起きする自分に苦笑する
今は百合も遠くに行った
最早不要な早起きは、しかし確かな生活習慣としてこの身体に刻み込まれ染み付いていた
「……そうだな。ちょっと考えごとでもするか」
今日すべき事は、実はそれほど多くない
不都合が無ければ、おっさんに幾つか話を聞くだけで終わるかもしれない
その聞くべき話も、既に頭の中で煮詰まっている
ならば、より未来へ思いを馳せてもいいかもしれない
そう思った時、真っ先に思い浮かんだのは、何故か自身の過去の出来事だった
それは、俺が師匠と呼ぶ人との、人生最大の出会いの記憶
「……俺はあの人に救われたんだよな」
この手に掴んでいた力は、俺の望みからすれば過ぎた物だったかもしれない
だが、それを不要だったとも、無駄だったとも思わない
大は小を兼ねるという言葉もある
無力に咽び泣く俺に、強さを得る道を示してくれた人
滅茶苦茶やらされた記憶ばかりだが、得た物に間違いは無い
全てが俺の血肉となり、そして望みは果たされた
「いきなり森の中を丸一日走らされたっけな……」
自分で口にして、明らかに異常だろと思いはするが、悲しい事に確かな事実だ
「でも、それはまだマシだったんだよなぁ……」
だんだんと湿っぽくなってくる
懐かしい思い出に浸って感傷的になっている……訳では無い
寧ろ、辛い思い出に涙しているのだ
「思い付きとしか思えない事もいっぱいやらされたな……」
初日の丸一日マラソンは、思えば平坦な道行きだったと思う
森の中を走っているはずなのに、木の根や隆起した地面、そもそも凹凸の激しい地形は無かった
実際、後日走らされた時は、それはもう凹凸に足を取られて転びまくった記憶がある
タイヤを引いてのマラソンなんかもあったが、そんなものは序の口だ
最終的には、どこからか持ってきた大きなドラム缶に水を満載して引かされて走った
昇り坂も地獄だが、下り坂も別の理由で地獄だった
因みに、これも丸一日続けさせられた
一般的な筋力トレーニングも勿論やらされた
それ自体は理屈としてはおかしくない
強くなるなら、ある程度の筋力は必須だ
だが、その内容は常軌を逸していた
何せ丸一日、休みなしで行うのだ
仮に一分間に20回の腕立てをしたとして、それを24時間続けると何回になるか
実に28800回の腕立てをする計算になる
当然だが、いい加減なやり方は許されない
師匠によってしっかりと監督され、厳しく是正される羽目になる
更に非常識な鍛錬は、実に4か月に亘って続けられた
勿論、寝ず飲まず食わずで、である
「今の今まで気にしてなかったけど、やっぱり師匠って人間じゃないよな」
当時どころか今まで疑問に思わなかったが、実際問題、人がそうした生理的現象を無視して活動を続ける事は不可能である
睡眠については諸説あるが、1週間もすれば幻覚を見たり、身体機能にも支障を来すようになるらしい
食事については言わずもがな
餓死という言葉は、現代日本人にとっては遠いが、世界へ目を向ければまだまだ現実であり、大きな社会問題だ
水分摂取を怠れば、2日程度で死に至る
人間のみならず、生物の身体で最大量を占める物質は水だ
骨が柔くなろうが死にはしない、肉が痩せ落ちようが死ぬわけではない
だが、水が無くなれば生物は死ぬしかない
そして、俺は修行時代、間違いなく一度もそれら睡食飲のどれも行っていない
更に、修行を終えた後、まるで予定の時間に遅れたかの様に、それらは唐突にやってきた
「師匠が何かやったに決まってるよな」
もしかしたら、俺が最初に連れていかれた場所が、何かしらの神秘的な場所で、そういう効能があるのかもしれない
最悪、俺は眠らされていて、精神世界とか仮想空間とかで八か月間を過ごしたのかもしれない
それでも、修行の成果が出ていた事と、その修行の辛さを肌で感じた事は確かだ
ならば、やはり師匠の異常さを確信するより他に無いではないか
「尤も、これもまた確認しようが無い訳だが」
そして、何より確認したいとも思わない
俺にとって大事なのは、望むものを得られたという事実のみ
その過程で誰かしらに迷惑を掛けた事も無い
なら、師匠が例えば妖怪変化の類でも、別に構いはしない
「今問題なのは、俺が師匠の役目を担えるのか、って事だよな」
正直言って自信が無い
俺は、本当に師匠の言うとおりにしてきただけだ
相応の衝突も在ったし、それなりに言い合える仲にはなった
だが、それだけだ
師匠程の絶対性が、圧倒的なまでの自信が、俺には無い
やはりあの人は特別だったのだと、改めて痛感する
「……それでも、やるしかない」
俺だけが救われて、アイギナが苦しみ続けるなんて事は、絶対に許容出来ない
彼女にも希望を見せる
それを掴みたいと思うかは、彼女次第だ
「と、気持ちを新たにしたところで……」
部屋の時計を見る
これもまた、この世界ではそれなりの貴重品らしい
基幹部品が迷宮でしか手に入らないから、安定供給が難しいと聞いている
そんな代物があるのは、それなりに大事に扱ってもらっているという事なのだろう
「……仕事に遅れんなよ、って意味かもしれんが」
最近サボり続けてる身としては、些か尻の据わりが悪い
これは、それ以上の働きをして、汚名返上名誉挽回しなければならない
「……ご飯遅いな」
時計を見るに、もうそろそろの筈だが
早起きしてあれこれ考えを捏ね繰り回していた俺が悪いのだが、そろそろ空腹感が強硬な主張を始めそうなのだ
「……ご飯遅いな」
いつもは時間ぴったりに来るのだが、今日は既に5分くらい遅れている
5分くらいなら我慢すべきなんだが、やはりというか、空腹感が強く抗議の声を上げだした
「……ご飯遅いな」
もしかして、今日の朝飯は食堂で、っていう話だっただろうか
覚えがないが、覚えてないだけかもしれない
俺を責め苛む空腹感が、妙に弱気にさせる
そんなはずは無い、と強く自分に言い聞かせる事が出来ない
「……食堂行くか」
もう10分過ぎた
流石に我慢も限界だった
そうと決心したら、そこからの行動は速い
「よし、行こう!」
元々、着替えは済んでいる
ベッドは手を付けないでいいし、それ以外にすべき事は無い
「そもそも、俺にはやる事がいっぱいなんだっての」
連絡の不首尾か、単に何らかの理由で到着が遅れているだけか
いずれにしても今の俺にとっては、この洋々とした往く道を邪魔されている様で、あまり良い気持ちでは無い
空腹感が次は弱気を叱咤し、それを満たす邪魔をする者への憤りを煽り立てる
早い話が八つ当たりだった
「……そうだ、米原にも確認させてもらおう」
俺の身体能力値の異常は既に確認したが、それが俺だけの特異的な現象かどうかを知りたい
俺の仮説が正しいなら、米原にも同様の現象が起こっている筈
そして、それを奴は知りもしないだろうという確信がある
「アイツが王都に残ってるのも、戦い自体に興味がないからだろうしな」
米原という男は、ある意味とてもストイックな人間だ
奴の人生の道を彩る花は、料理のみ
それ以外には見向きもしない男だ
そして、俺もそれで良いと思う
米原が血を流すのは厨房だけでいい
「というか、アイツって最初の狩りにも行ってないんだろうか」
俺はどこぞの草原に連れていかれたが、米原が行ったかどうかは知らなかった
多分行っていないだろう
ふわふわとした緩く柔らかな人柄の印象を受けるが、言うべき事はキチンと言う男だ
きっと、俺と同じく我が道を我が儘に邁進しているだろう
他人への迷惑を顧みない俺達の様な人種は、概ね他者に得を齎す事が無い
だが、今はそんな気質が俺に利する可能性を生んだ
「俺だけなのか、それとも他にも適用されるのか」
それが判るだけでも、とても有り難い事だ
どうせ食堂へ行くなら、その序でに米原にも話を通しておくのも悪くない
「ん?あれは……おっさんか」
二つの有意義な目的を得て、弥増す気力に任せて半ば競歩染みてきた足取りで食堂への道を進む途中
恐らく、同じ目的地を目指して進む連中の中に、妙に存在感を放つ一人に目が留まった
「……なんでこっちに来るんだ?」
何故そんなに目立つのか
そんな疑問は直ぐに氷解した
俺とその他大勢が、朝飯に有り付こうと食堂を目指す中一人だけ、その大いなる食欲が生み出す社会的潮流に抗って、俺がやって来た方向へとその歩を進めていたからだ
「お、サトル。いいところで遇ったな。今お前の部屋を訪ねようと思ってたところなんだよ」
成程、さもありなん
何故流れに逆らう様な真似をして、俺のやって来た方へ向かっていたのか
俺の部屋を訪ねる為なら、それは当たり前の行動だった訳だ
ならば、俺は客人に対して礼儀を以て接する必要がある
「そうか。こんな朝早くから、一体何の用なんだ?」
とりあえず、その用向きを尋ねる
何は無くともそれをしなければ、客人としてどの様に応対するべきかも決めかねるのだから
「そりゃあ、お前。朝一でする事なんて、飯を食う事しかないだろうが」
そう言い切るのは、それはそれでどうなんだろうか
だが、わざわざ食い付く様な話でもない
「そうか。それで?俺を訪ねる用件は何なんだ?」
なので、そこには突っ込まず、未だ答えの返らない質問を繰り返すに留める
「あん?だから、飯だよ朝飯」
「答えになってないぞ。飯なら……まて、その押してるカートは……」
どうにも意思の疎通が上手く行ってない事を指摘しようとするも、その途中でおっさんの手元に視線が引き付けられた
正確には、その手が持つ何らかの構造体にだ
見覚えのあるその構造体の正体は、毎日俺の飯を持って来てくれる人が押してくる給仕のカート
よく高級レストランなんかで見る奴だ
最近だと、米原に誘われて百合と牡丹を引き連れて行った、しゃぶしゃぶ食べ放題の店でも使われてた
因みに、米原は奢ると言ってくれたが、百合と牡丹の分は俺が出した
その見覚えのあるカートには、これまた見覚えのある半球状の、その頂点にある種の菌類の子実体を思わせる形の持ち手が付いた金属光沢が眩い蓋が乗っている
……さっきまで、それなりに強くその到着を待ち侘びていた物が、何故かいつもの人では無くおっさんの手に有るのか
その答えは、直後に疑惑の当人から語られる事になった
「ああ、お前に用があったんでな。今日はその序でに俺が持って行く事にしたんだ」
俺の分も入ってるぞ、と朗らかに笑って言うその口を縫い付けてやろうかと思った
物騒だし、罪に対して罰が重すぎるのでは?と思うが、それ以上に空腹で待ち惚けさせられた怒りは強い
勿論、実行に移す程の強さは無いので、思うに留める
「……残念だが、もう今朝は食堂の気分だ。丁度、米原にも会う用事が出来たしな」
後半は事実だ
だが、前半はただの当て擦りに過ぎない
口を縫い付ける程では無くとも、これくらいの嫌がらせをするくらいには、俺の怒りは強かった
古人曰く、食べ物の恨みは恐ろしい
「何?マイバラ少年に会いに行くのか?」
だが、この呑気なおっさん
そんな幼稚な嫌がらせに頓着する事無く
後半の、米原への用件に興味を示した
大人としての器を見せつけられた様な気がして、少し悔しかった
少しずつ
本当に少しずつですが、この話を書き始める時に決めた事が消化されつつあります
例に上げますと
1.そもそも凡人が世界最強になるっておかしいよなぁ?それが叶う時点で、そいつは絶対凡人じゃないよ
その答えとして、実は地球人類は神と戦った反逆者の末裔であり、その中で突出した才を持って生まれたのが主人公、という設定
2.↑と被りますが、地球人類が異世界行っただけで英雄になれるっておかしくないか?
その答えが、上にある通りの「神と戦った反逆者の末裔」であり
3.その末裔がこれほど弱体化している理由は何か?
その答えが、長い時間を掛けて力を抑えつけられた結果、子孫は本当に力を失ってしまった
魔法などの神秘が失われたのも、こうした理屈で説明します
昔は魔法が存在したのも同様に
在るものを在ると言う事は恥ではないが、現実に無いものを在ると言うのは恥である
などなどと、小理屈を捏ね繰り回した設定がてんこ盛りの本作
読み難く、付き合い難く、有難迷惑な本作ですが、作者の自己満足にもめげず、今後もご拝読頂ければ幸いです
遅れ馳せながら、新しい時代の始まりをお祝い申しあげます
次回投稿は5月15日です
5月14日なら514(こいよ)だったんですがね
11月14日なら上げた事あるんですけど




