第八話
学校で私が好きな時間を挙げろ、と言われたら、お昼休みだ、と答えよう
四時間目終了のチャイムが鳴り、そんな私の好きな時間がやって来た
「百合」
「美樹、今日は食堂?」
「ううん、お弁当」
よく見ると、美樹の手にはいつもお弁当を入れている巾着袋がぶら下がっている
「私もいつも通り、お弁当」
「どこか移動する?」
「んー、裏庭でも行こっか?」
「そうしよっか」
ゴソゴソ……ゴソゴソ……
「何してんの?早く行こ?」
「うん……うん……」
ゴソゴソ……ゴソゴソ……ゴソゴソ……
「百合…アンタまさか、お弁当忘れたんじゃ……」
「…………そうみたい……」
「はぁ〜、どうすんの?食堂は…もう無理か……早く購買行かないと、昼ごはん無くなっちゃうわよ」
「わ、分かってる!先に裏庭行っといて〜!!」
痛恨の失敗をした私は、美樹に先に行く様伝えて、購買に向かって駆け出した
昼休みも始まったばかりだからか、廊下にはあまり人が居ない
これ幸いと、駆ける脚に力を籠めて、廊下を全力疾走する
購買部は体育館の横にある、学生食堂と同じ建物の中にある
必死で走る私の目に、食堂入り口で屯する生徒が見えてきた
その向こう側に見える行列が、購買を利用する生徒の列だろう
見た感じ、売り切れる前に買えそうな人数だ、不幸中の幸いだと安堵した
ここで、その不幸も吹き飛ばす様な幸運が滑り込んできた
ウチの購買は、二人一組で列に並ぶのだけど、なんと隣に理が並んできたのだ
やったね!ラッキー!!
お弁当を忘れたのも、焦って廊下を走り抜けたのも、全てはこの幸運を享受するためだったのだ
そう思えば、身体の疲れも、汗をかいて少し不快な服の中も、まるで気にならなくなる、いや、それどころか愛おしさすら感じてしまう
「理、偶然ね。お昼は購買?」
「ああ、そういう百合は、お弁当は?今日は作ってないの?」
「いや、作ったのよ?でも、家に忘れてきちゃった」
「で、焦って購買に走って来た、と。汗凄いぞ」
「え?やだ、汗臭う?」
「いや、汗かいたばかりで臭わないだろ、普通」
「臭わないなら別にいいわよ。そのうち乾くでしょ」
「大雑把だねぇ、相変わらず」
「いいでしょ、別に」
そんな風に雑談していたら、私達が注文する番が近づいてきた
私の注文は、既に決まっている
「「焼きそばパンとメロンパン、それとコーヒー牛乳」」
顔がにやけるのが分かる
注文が同じ内容になっただけ、それだけだ
意図した訳じゃない
流石の理好きの私も、昼ごはんまでお揃いを狙う様な偏執さは無い、つもりだ
だが、理と私は多くの時間を共有してきた
その二人の時間(妹は除外)は、このように食の好みも同じくした、という訳だ
この喜びの余韻に浸りながら、幸せな昼食にしよう
そんな事を考えながら、会計を済ませようと財布を取り出す
……と、取り出す……ゴソゴソ……
…………財布がない…………
お弁当を家に忘れて、購買に買いに来たら、今度は財布を忘れてきた
多分教室の鞄の中だ、バスの乗車券も入っているから、家に忘れてきたということは流石にない
「すいません、財布忘れたのでそれ止めます」
私は項垂れながら、購買のおばちゃんに断りを入れる
しかし、私の大好きな理は、やっぱり格好よかった
項垂れる私を一瞥し(視線はしっかりと感じてました)
「一緒に会計して下さい」
そう言い、財布から千円札を取り出して、一緒に会計を済ませてしまった
あまりの格好よさに、私は何も反応できず、おばちゃんにお昼ごはんの入った紙袋を渡され、脇にどけられても、ボケーっとしたままだった
理が立ち去るのが見えて、やっと復帰した私は、理を呼び止める
しかし、理は振り返りもせず、颯爽と立ち去っていった
立ち去る理を見送った私は、ニコニコ上機嫌でスキップしながら美樹の待っている裏庭に向かった
そんな私を見た美樹が、顔を引き攣らせてドン引きしていたことにしばらく気付かなかった
その後は適当におしゃべりしながらお昼ごはんを済ませ、美樹と教室に向かう
その途中、中庭の側を通りかかった時、ベンチに寝転がり昼寝している理を見つけた
私は美樹に、先に戻っておいてと言って、パタパタと足音を立てて理の眠るベンチに向かった
「……理~?さ~とるく~ん……つんつん…うん、寝てる」
理に近づいた私は、つんつんと理のほっぺたを突っ突き、何の反応もない事を確かめた
「よしよし、では失礼して…」
そのままベンチに腰掛け、理の頭を持ち上げて膝の上に乗っける、短く切られた髪が太ももに触れてくすぐったい
「よしよし」
理の頭を撫でながら、私は幸福に満ちた時間を過ごす
理が起きる様子は無い
「やっぱり無理してるんだね…今の状況って、あんまり良くないもんね」
学校内に於ける理の立ち場は、実はかなり良くない
入学したばかりの頃はそうでもなかったのだが、今の理はクラス内で完全に孤立している
それだけなら、一人、思考の中に没入出来る理には痛手にもならないのだが、理に敵対意識を持つ生徒が、クラス内のみならず、学年中に多く存在することが、理に負担を掛けているみたいだ
理に対し明確に敵対的な生徒はたった一人だけ、名前が思い出せない男子生徒ただ一人だ
こいつは理に絡み、安楽出来る時間を奪い去っている
私のことが好きらしいが、それで理に手を出すなんて、愚かしいにも程がある
もちろんのこと、それだけなら理はのらりくらりと躱し、適当に受け流すだろう
過去の家庭環境から、理はそうした人間関係のストレスに滅法強いのだ
だが、どんなに強くても、何事にも限界というものはある
理に大きなストレスを与えているのは、多くの生徒からもたらされるささやかな嫉妬だ
理は控えめに言っても天才だ、決して色恋に惚けているわけではない、事実だ
ペーパーテストはもちろんのこと、運動の分野まで、理はこの学校で最上位の成績を叩き出している
当然、学年が変わればペーパーの方は内容が変わるから、比べる事に意味などない
だが、運動の方は学年関係なく結果を比べる事が出来る、出来てしまう
理の一学期の成績は、基本五教科全て満点の学年一位 体育の成績は身体測定で、全学年で二位以下を引き離して一位を取った
その結果に学校は沸き立ち、生徒も教師も色めき立った
理はそんな事、歯牙にもかけず平然としているのだから、教師達は感心すらしていたのだ
驕り高ぶる事も無く、謙虚なよく出来た学生であろうか、と
だが、生徒たちはそうもいかなかった
そもそも、ここは進学校だ、それも日本有数の
ここに来る生徒は皆、それぞれの通っていた中学校では一廉の生徒だったのだ
それは、一般入学、推薦入学、どちらであっても変わることはない
ここに入学している、というだけでステータスになるほどの場所であり、皆相応のプライドを持っている
理はそこに現れた大きな壁であり、頂点に輝く綺羅星だ
羨望は当然のこと、嫉妬も多く向けられることになる
プライドが高いだけの者は、ただ嫉妬の炎を燃やし、能力に相応の振る舞いを求める者は、飄々とした理の態度に不満を感じ、嫌悪感を募らせる
いずれにせよ、この学校は理にとっては針の筵に等しい場所になってしまった
理本人は、趣味の合う友人が居なくて寂しい、としか思っていないみたいだが、何らかの結果を出す度に、睨まれたりはしている様で、神経を削る学生生活を送っていることだろう
頭をなでなでしながら、そんな事を心配していたら、理が起きる気配がした
目覚めた理に私は
「おはよ」
と慈しみを込めて挨拶をすると
「おはよさん」
理がいつものように返事をしてくれる
まるで熟年夫婦の様な阿吽の呼吸だ、夫婦の様な
そこからは軽い痴話喧嘩(イチャつくと読む)をし、ちょっとつまらない話をした
「あ」
たとえ話の内容がつまらなくても、理との会話は私にとって大事なものだ
その大事な時間を中断させる、憎たらしいチャイムが鳴り響いた
急がなければ、五時間目の授業に遅刻してしまう
私は理に急かされ、一人で廊下を駆け抜けて教室に戻った
理は
「一緒に行くと、また絡まれる」
とか言って、一人でゆっくり戻るろ言っていた
(理、なんのかんの言ってサボる気じゃないでしょうね)
何とか五時間目の開始前に教室に辿り着いた私は、中庭で別れてのんびりと教室に向かっているであろう従兄弟の事を考えながら、先生が来るのを待った
理が教室に戻ってきたのは、五時間目の授業開始から5分ほど経ってからだった
先生が、何故遅刻したかと尋ねると
「すみません、腹壊してトイレに籠ってました」
と、理は恐縮した様子で、さも申し訳なく思っている様に弁明した
理も分かっていたことと思うが、五時間目の先生は温和な人柄で、ちゃんとした説明をすれば、大体許してくれる
今回も
「体調管理には気を付けなさいね。試験の時は、こうは行かないですよ」
と、軽いお小言だけで許してくれた
五時間目も終わり、次は六時間目、体育だ
私は授業の中では、体育が一番好きだ
基本的に、外で体を動かすことが大好きだ
今日の体育は、体育館でバレーボール
第二クラスの女子は15人
三人ずつのローテーションで6対6の試合を、5試合することになった
唐突だが、第二クラスの女子は皆仲が良い、腹の中はどう思っているか分からないが
こうした場合、チーム分けで揉める事は殆ど無い
今回もキレイに分かれることが出来た
スポーツ組もいい感じにばらけたし、運動が苦手な人が固まる様な事態にもならない
私と美樹もばらけ、味方としてコートに立つ機会は多くない、これはいつものことだ
「今日は私が勝つ」
「負け犬の遠吠えが心地良いわねぇ」
最近、体育の授業で負け越している私は、挑戦者の立場だ
こうしたやり取りは、割とそこかしこで行われている
私も美樹とだけじゃなく、もう何人かと宣戦布告を行う
「はぁ…武道の授業なら、私の圧勝なのに」
「そりゃあ、アンタはウチのクラスで唯一の武道系推薦者だかんね、当然でしょ。というか、それ言い
出したら、あたしは陸上競技なら圧勝って言うわよ?」
「じ、持久走なら、普段ロードワークで鍛えてる私に分があるし」
「バカ、陸上推薦ナメんな。短距離専門でも、マラソンはちゃんとしてます。走る距離が違うわ」
なんて雑談しながら、バレーの準備を進める
準備が終わった後は、特に変わったことは何もない
ローテーションで試合と休憩を繰り返し、勝った負けたを楽しんだ
…………美樹との勝負の結果は、私の負けです……
いや、球技はね?私苦手なのよ、ボールとはお友達じゃないのよ
私、お友達になるなら、最低限生き物がいいと思う、無機物は厳しいわ、流石に
……チクショー、この鬱憤は今日の部活で晴らしてやる
と、まあ、そんな結果で今日の最後の授業は終わり、着替えも済ませ、終わりの担任からの連絡も特に
無く、今日の授業は全て恙無く終了した
理は、担任の先生の終わりの挨拶が済むと速やかに帰っていった、天才の実力が如何なく発揮されていた、無駄に
(ふう…結局、昼休み以降話が出来なかったな…)
少し落ち込みながら、私は部活に向かった
理の立場が云々と百合が心配していますが、理は全く気に留めていません
時間が削られて鬱陶しい、くらいにしか思っていません