第七話
理と一緒の登校時間は、私にとって至福の時間だ
誤解のない様に予め言っておくが、至福の時間は登校時間に限ったことではない
理と過ごす全ての時間が、私にとっては至福の時間なのだ……至福の時間って何度も言い過ぎかな?
まあ、それはいい
以前、私がまだ理と出会う前、小さい頃にお母さんが言っていた事がある
「本当に好きな人と過ごす時って、意外とドキドキしないものなのよ」
「?普通、ドキドキしたり、ワクワクしたりするんじゃないの?」
「そう、普通なら、ね」
「?お母さんの言いたいことが解らない」
「つまりね、ドキドキワクワクする相手の事は”普通に”好きなのよ。凄く好き、大好き、とかでは無いの」
「じゃあ、大好きな人とならどうなるの?」
「んー……これはお母さんの感覚で、の話よ?」
「うん、それで?」
「お母さんの場合は、涼しい高原であったかいお日様に照らされている感覚、かしらね」
「?どういうことか全然解らない」
「想像してみて?肌を撫でる風は冷たくはないわ、ずっと吹き曝されていると風ひきそうだけど、ほどよく身体を冷ましてくれる、そんな温度の風よ」
「うん」
「で、空にはぽかぽかお日様ね?丁度、風に吹かれて冷めた身体を、これまたほどよく温めてくれるくらいの日光が降り注いでいるわ」
「うん」
「うんって……どう感じた?」
「……わかんない………」
「んーと……まだ難しかったかな?じゃあ、もっと分かりやすい例えににしましょうか」
「おねがい」
「そうねぇ…百合、あれ好きでしょ?いつも読んでるあの絵本。あの絵本を読んでる時、どんな気持ち?」
「んーとー、あのねー、男の子がねー、お母さんのためにおっきい悪魔を退治するの」
「うんうん、それで?」
「その男の子がね?とってもかっこいいの」
「でも、百合。もう何度も何度も読んでるから、お話全部分かっているんじゃないの?」
「もちろん分かるよ?全部分かる!」
「なら、もう読まなくてもいいんじゃない?先の分かってる話なんてつまらないでしょ?」
「いや!そんな事ないもん!」
「そうね。百合はあの絵本好きだもんね?」
「うん!わたし、あのおはなしだいすき!」
「そう、それが大好きなものに対して抱く気持ちよ」
「え?」
「ドキドキワクワクってね?実は結構辛いのよ。しょっちゅう耳元で鼓動が鳴り響いて、顔は赤くなって、しまいには倒れてしまうこともあるのよ?」
「たいへんだ!」
「そう、大変よね?でもね?安心していいわ、人間の体はちゃんと作られているから」
「?どういうこと?」
「そういうの、慣れちゃうのよ。苦しいこと辛いこと、痛いこと悲しいこと。それだけじゃなくて嬉しいことや楽しいことも、人間って慣れちゃうのよね」
「?わかんない…」
「まあ、これはまだ分からなくていいわ。でね、ドキドキワクワクにも慣れちゃうの。それだけならいいんだけど、好きって気持ちにも慣れちゃうのよね、困ったことに」
「なれるとどうなるの?」
「これはお母さんも、経験したことないから予測の話になるんだけど、以前ほど好きじゃなくなるんだと思う」
「好きじゃないの?」
「前よりは、よ?で、ここで最初の話に戻るのだけど。好きな気持ちに慣れても、それでもまだ消えない、衰えない、そういうものが大好き、ってことだと思うのよ」
「ふーん」
「ふーんって……難しかったかな?まあいいわ、それでね?その後に残ったものっていうのは、いいものなのよ。冬のこたつの中というか、夏の扇風機の前というか」
「こう、離れがたいというか、離したくない。そんなもの?そういうのが大好きな人に抱く感情なのよ」
「へー、そうなんだ。ねえ、お母さん」
「ん?何、百合?」
「何で、急にそんな話しだしたの?」
「いや、この芸能人の浮気報道見てたら、ついね…」
そう言って、こたつの上のおせんべいをバリバリ食べ、何やらブツブツつぶやくお母さん
私はそんなお母さんを、ホットココアをずず…と飲みながら、キョトンとして見つめていた
まあ、話のきっかけは少しアレだったが、今思い出すとなかなかためになる話だった
なにせ、今の自分がまさにその状態になっているのだから
お母さんの言っていた事を、自分なりに噛み砕いて表現するなら、冬の朝の布団によく似ている
激しく焦がれはしないが、常に心のどこかでそれを想い、求めている、と言えばいいのか
理との時間は、そんなあたたかいものだ
彼とする会話なら、たとえ全く理解出来ない、ひどくマニアックな話でも楽しく聞いていられる
理はどうなのか、それを尋ねたことはないが、楽しそうにしていてくれていることは分かる
今日は理の趣味、テレビゲームの話をした
理はお父さんの影響で、オタクな趣味に目覚めている
お父さんが特撮ヒーローが大好きなのだが、理はお父さんの持っている特撮物のアクションゲームから、テレビゲームの趣味に入っていった
私はスポーツが好きで、外で駆け回る様な性質なので、全く逆の趣味に夢中になった理に、初めは不満もあったし寂しくもあった
でも、恋する女の子というものは現金なもので、好きな人が楽しそうにしているのがとても嬉しいものなのだ
幸いにも、理はゲームを一人遊びで終わらせず、私や牡丹を誘って、一緒にゲームすることも、割とよくあるので、退屈だけはしなかった
そうこうしている内に、ゲームをしている理との過ごし方も見つけ出して、万々歳、皆幸せになりましたとさ
と、理との会話を楽しみながら、バスに乗り、高校前の坂道にバスが停まり、坂道を二人で上り、校門にを潜り、下駄箱で靴を履き替え、教室に向かい、辿り着く
ここで私の幸福な時間は、一時終わりを迎える
それは何故か
ここでは語りたくない、どこであっても語りたくなどないが
そこからは特に語るべき点は無い
まだ朝も早い時間とはいえ、教室にはそれなりに人が居る
私達の高校は有名な私立の進学校で、私達が所属するクラスは、その中から更に選抜された、特進中の特進クラスなのだ(正確には特進第二クラスという)
ところで、私は頭が良くない、いや寧ろ悪い、と言っても過言ではない気がする、多分
そんな私が、進学校の中でも特に優秀な生徒が集められた特進第二クラスに所属しているのか、疑問に思うだろう、事情を知らないければ私もそう思う
これには、お偉いさんの考えが深く関わっているらしい
その人が言うには
「真に優れた人材は、多くの異なる価値観に触れ、出来上がる」
ということらしい
その意志を反映して、特進第二クラスには成績優秀者だけでなく、文化系、スポーツ系推薦入学者の中から優秀な生徒も集められている
今のウチのクラスを例に挙げれば、美術部の推薦の男子や、陸上部の推薦の女子、変わり種だと、料理部の推薦の男子なんかも所属している
かくいう私も、空手部の推薦入学者だ
理は単純に成績優秀で集められた一般生、その秀才揃いの中でもダントツの一番を取り続ける天才さんなのだ、鼻が高いよわたしゃあ
それで、こんな早くに生徒が登校している理由だが、早い話が朝一で小テストが、毎朝行われる為だ
一般生は特に、それの成果次第では第二クラスから外されてしまうので、朝早くから登校してきて、友達と、あーでもないこーでもないと、テストの話で盛り上がっている訳だ
とはいえ、今は7時前
初めはこんな早い時間には、誰も居なかった、当然のことだが
では何故こんな早い時間に生徒が教室に居るか
それは主に私のせいだ
私と理が、早起き登校合戦を繰り広げたことは既に知っていることと思う、私が言ったんだしね
そして理は、この第二クラスで一番の成績優秀者
それは、この進学校の第一学年で頂点の成績保持者だという事だ
そんな理が、誰よりも早く登校している、という事実
それに触発される生徒が続発するのも、無理からぬことだろう
基本的には、真面目な生徒が多いのだ、ウチのクラスには
そんな、次代を担う人材が集う第二クラスだが、そんなクラスにも問題はやはりあるものだ
選抜基準が能力に偏っているので、人格的に問題のある生徒も加わることがあるのだ
そう、こいつの様な……
「おはよう!舞島さん、今日も過ごし易い良い天気だね!」
そう、爽やかに話しかけてきたのは、なんとか、とかいう大企業のお坊ちゃん
名前は、意識的に聞き流しているので、正直うろ覚えだ
席順や整列時の位置から、タ行末からナ行始めあたりが苗字の頭文字だと思う、のだが、割とどうでもいいので、それ以上考察しないでおく
これも誤解のない様に言っておくが、こいつの席順や整列時の位置を知っているのは、丁度その辺りに私の友達が居るからだ
その上、その友達と軽く手を振り合ったのを勘違いして、こいつが手を振り返すのだから、否応なく憶えてしまうのだ、本当に迷惑な事に
挨拶を無視した後も、かなりしつこく話しかけて来ていたが、友達と談笑して悉く無視してやったら、どこか行ったみたいだ、いつの間にか居なくなっていた
「ねえ、百合。波原君、あまり無碍にしちゃあかわいそうじゃない?」
「いいのよ、ああいう手合いには関わらない様にしているの」
「まあ、彼も相当問題あると思うけどね。でも、アンタがすげなくすればするほど、アンタの愛しの天才君が迷惑する羽目になると思うだけど?そこんとこ、アンタが気付いてないはずないわよね?」
「もちろん気付いてるわよ。理には悪いと思うけど、これも少しの仕返しだと思って、甘んじてもらうしかないわね」
「そんなに、別々に登校しようって言われたこと、根に持ってるの?」
「当然。理は、私にとって理と過ごす時間がどれほど大事か理解していないのよ。大体…」
「ああ、ハイハイ。アンタのその話は長くなるから、また今度ね」
「フン、なによ、そっちから話振っといて」
「悪かったわよ、ほら、そろそろ先生も来るし、席に戻るわね」
「うん、またね」
そう言って友達は席に戻っていった
彼女は木野 美樹、陸上の推薦入学者だ
名前を見れば分かると思うけど、彼女も私と同じで植物に由来した名前をしている
スポーツ推薦、名前の共通点、同じクラス、そんな接点が有り、不思議と気も合った私達はすぐに仲良くなった
すでに我が家にお泊りもしている仲なのだ、一緒にお風呂も入ったよ
そんな美樹が席に戻ったのを見送って、さて少しテストの事でも考えるかな、と思っていたら、そうはさせん、とばかりに先生がやってくる
もう、そんなに時間が経っていたのか、と黒板の上の時計を見る
間違いなく、時計は8時30分を指していた、相変わらずきっちりと時間通りに来る先生だ
結論から言おう、テストは散々だった、いつも通りに
私達、推薦入学者にはテストの成果は、自身の評価に直結しない
そういうことを求めるのなら、初めから技能だけで推薦入学などさせない、というのもお偉いさんのお言葉らしい
だが、成績優秀であるに越したことはない、というのもその人の言い分だそうな
その為、推薦入学者で一定以上の成績を修めた者、一般生で成績上位の者には、一定の基準で優遇措置が取られる事になっている
この優遇措置の内容が、これまた幅広く、例えば高価な美術道具が欲しい、という願いも、その所有を美術部に帰属する、という条件で承認された事もあるそうな、実際にその道具は今も美術室に置いてあるらしい、興味ないけど
ある一般生は、なんかやたらとお高いきこう本が読みたい、とか言って、相当議論が重ねられたそうだ
そのきこう本とやらは、図書館の書庫に厳重に保管され、禁帯出ではあるが、申請すれば誰でも読めるらしい、ところできこう本って何なの?カンフー?か〇はめ波でも出せるようになるの?電子書籍化出来ないの?なんか、触っただけでページ取れそうで怖いな
他にも、家が貧乏なのでお金が欲しい、学費を免除してほしい、とか、学生食堂のメニューの追加を求めた生徒もいたとかいないとか、どっちなのって言われるかもしれないけど、実際にその時に居た訳じゃないし
ちなみにこの貧乏学生の要求から、後の成績優秀者、推薦入学者は全員学費免除を受けられるようになった、と聞いている
そんな訳で、推薦入学者でも勉強を頑張る人は居るのだけど、いかんせん、私は頭が悪い
口の悪い連中には、脳みそが筋肉に侵されてる、なんて悪口を叩かれる始末
ちなみに、今朝の小テストの満点は10点、平均点は4.4点 最高点は10点 最低点は0点
もちろん、最高点は理、最低点は私、いつもこうなるのよね
なんて運命的、と軽く悦に入っていたら、美樹に頭叩かれた、痛い
その後の午前の授業は特に変わり映えはしなかった
いつものように授業を受けた、解らなくても眠って過ごす事だけはしない、そう両親に教わっているから
休み時間に、鬱陶しいなんとかが絡んでくるのも鬱陶しい、思わず二回鬱陶しいって言っちゃったよ、鬱陶しいからね、しょうがないよね
こいつのせいで理とお話出来ない、ストレスが溜まる
今の私、相当な不機嫌顔している自覚があるんだけど、こいつは何故に気付かないのだろうか
本当に私のことが好きなのか?疑問だ
私なら、理の顔色なんか一発で見極められるのに、愛の為せる業ね
そんな私のストレスも、一発で消し飛ばしてくれる出来事が、お昼休みに起こったんだ