第五十三話
嘔吐します、お気を付け下さい
気分は最悪
友人と友情を育んだ時間の心地よさも既に無く
少し残った食事休憩の時間を、自室で一息つく為に使おうと、廊下を歩く
「ああぁ……食べた気がしない」
心身相関という生理現象が在るが、俺の胃袋は現在進行形でその現象の直接攻撃を受けている
食べた物自体は悪い物では無い
そんな物を米原が食卓に出す訳も無いし、あの場は大勢が利用している
故に、食べ物自体の毒性が原因では無い
つまり、
「心の持ち様一つで、無毒無害な食べ物も、毒に変わるって事か……」
鰯の頭も信心から、という言葉を、悪い方の意味で痛感している
胃が食べた物を拒否しているのが解る
だが、それは胃がそう命じているのでは無い
俺が食べた物を受け入れられていないだけだ
「でも、これからも食べていかなきゃいかんしなぁ」
心の持ち様で無毒が毒に変わるなら、逆もまた然りである筈
「……これは美味しい竜田揚げ……これは美味しいスープ……美味しいパン……美味しい美味しい……美味……美味……」
傍から見れば、今の俺は最高に怪しく見えるだろう
今この瞬間にも、警備の兵が怒声で呼び止めても、何もおかしくない
だが、これは必要な通過儀礼だ
そう思って、ならば早くに済ませた方が良いと、自らに言い聞かせる
決して、お腹下しそうとか、それ以前に吐きそう、とかが理由では無い
………!…………!!
……!?…………!!?
「あ?」
心に余裕が無いと、疑念の声もチンピラの様な響きを持ってしまう
自分の口から出た言葉の響きに少し驚きながらも、耳に届く不穏当な感じを受ける声に耳を澄ませる
(人がイライラしてる時に……少し文句言ってやらにゃならんな)
我ながら八つ当たりも甚だしいとは思うが、人間の感情とは理屈で測れるものでは無いのだ
そして、人間関係とは、感情や利害のぶつかり合いである
ならば、これもまた人間関係の正しい在り方だ
「あっちか」
今の俺は使命感の使途だ
俺はこの世界に適応する為の努力に勇往邁進していた
それは順調に進行していた
だが、その涙ぐましい精励恪勤は、心無き蛮人によって妨害された
これは許し難き行為であり、それを為さしめた者は唾棄すべき邪悪である
誅罰を下さなければならない
気付けば、胃の腑の不快感など綺麗に忘れ、総身に満ち満ちた使命感の活力が、意思に呼応した体を突き動かす
「ここは……」
辿り着いたそこは、いつぞやアイギナさんが囲まれているのを目撃した中庭だった
そして、そこで今まさに苛立ちの元凶共が騒ぎ立てている
「取り敢えず、助勢するか」
いつもは誰かしらくっ付いているアイギナさんだが、今日は明らかに一人きりだ
瞬時に周囲へと感覚を研ぎ澄ませるが、人の気配がしない
これが間違いなら良いが、正しかった場合、アイギナさんの警護が不在であるという事になる
「おい、その女性が誰かを、知っていてやっているのか?」
誰何も制止もしない
ただ、その愚かしさを問うのみである
「ああ?」
アイギナさんを取り囲む連中の一人が、俺の問い掛けに反応して顔をこちらに向ける
その、愚劣さと浅ましさに歪んだ醜い顔にお似合いの無様な造形の口から、汚らしい声が吐き出される
明らかに俺の問い掛けに答える意図は見いだせない
「誰だ、お前」
それは俺のセリフだが、よく考えれば俺は異邦人
見知らぬ者が、いきなり話し掛けてくれば、杜撰な対応になってしまうのも仕方ないか
などという考えは勿論抱かない
蛮行に走る愚者に、懇切丁寧な対応など必要ない
必要なのは、迅速で容赦の無い制圧のみである
「もう黙れ」
最初の問い掛けは、俺の唯一の慈悲だ
そこで己の愚行を顧みたなら、何もするつもりは無かった
それも無意味に終わったが
「マイシマさん?」
俯き、ただ耐えていた様子のアイギナさんが、ようやく俺の存在に気付いた様だ
取り囲む者たちの間から、こちらを見る視線を感じる
「こんにちは、アイギナさん」
常の凛とした様子を感じられない憔悴したその立ち姿に、俺たちの関係性には不相応な強い憤りを感じる
実に久しぶりに、人を殺しても構わない気持ちになった
(いつ以来か……相手は雑魚が七人、余裕だな)
もうここ二年ほどは、力を振るう場も機会も無く
大いに平和を謳歌していたのだが
「……っ!!いけません!」
アイギナさんのその声を合図として駆け出す
特殊な身体操作で地を蹴る
想定したものとは明らかに速度が違うが、それでもなお高速で体は射出される
瞬間で移り変わる視界に、しかし決して戸惑う事は無く
「は?……がっ!?」
唐突に視界から消失し、気付いた時には無様に空を眺めている
連中の目にはそう映った事だろう
何も対処出来なかった事で、後頭部を痛打しているが、そんな事はお構いなしだ
死んだならそれはそれで……仕方がない事
そうやって、四人を地に転ばした
どうやら死んではいないようだ
「え?」
アイギナさんは、まだ最初に俺の居た場所を見ていた
これはそういう技術であるのだから、その様を無様だとは思わない
だが
「お前たちは駄目だ」
最初とは全く別の場所から聞こえた俺の声に、まだ立っている三人が弾かれた様にこちらを向く
同時にアイギナさんもこちらを見るが、それに反応する事はしない
「弱すぎる」
こうした痴れ者を、ただ無力化するのは容易い
だが、愚劣愚昧な輩というのは、凡そ悔いるという事を知らない
彼我の戦力差など、理解する頭も持っていないのだ
そして、何度でも愚行を繰り返す
質が悪いのが、愚者は愚者なりに、その低劣な脳みそを働かせて知恵を回しているという事だ
そうして悪知恵を働かせて、導き出される答えというのは、大抵が愚考である
今この場を半端に終わらせれば、今後どうなるか
考えるまでも無く、経験則が正答を導き出す
こいつらは見た感じ、資産家の子息というところか
実に質が悪い
こういう連中は、必ず報復に動く
それも、俺に直接では無い
周囲の弱者を狙うのだ
この場合なら、アイギナさんが狙われるだろう
こうして、アイギナさんにも一人で居る時があると判った以上、護衛の存在を恃みにする事は出来ない
ならば、この場で彼我の趨勢を決定付けてしまった責任を負って、こいつらの心を完膚なきまでに叩き折っておかなければならない
「そんな無様を晒していて、よくも第一王女殿下を愚弄しようなどと思えたな」
心を圧し折るにはどうするか
それは恐怖させる事
では、もっとも恐怖する瞬間とはどのような場合か
「そんな下らぬ人生なら、ここで終わらせた方が世の中の為だな」
それは、死を間近に感じた時である
殺意を迸らせる
すると、俺の総身から絶悪な殺気が溢れ出す
この世界に来てからも、幾度となく感じた気配だが、残念ながら俺のそれは質が違う
アイギナさんが、ヘクターが、そしておっさんが
それぞれに殺気を放った事があったが、俺に言わせればあんなものは子供騙しだ
本物の殺人者の放つ殺気に中てられれば、真っ当な奴なら正気では居られない
顔面蒼白、脂汗が止め処なく全身を濡らし、思考も身体の運動もただ一つを除いて完全に停止する
それは何か
「どうした?目が泳いでいるな?」
倒れている奴等も、まだ立っている奴等も
一人の例外も無く、その体は微動だにしないのに、瞳のみが忙しなくあちらこちらと動き回っている
その目をもっとよく見れば、瞳孔は開き、血管は充血している事だろう
何をしているのか
「残念だが、逃げ道など無いぞ」
彼らは、動かない身体と働かない思考で、それでも懸命に生存の道を探している
死に直面した生物の全ての力は、ただ一点
生存行動へと集約される
誰だって死にたくはない
死とは、生物が最も忌避するものであり、しかし絶対に避け得ないものである
全ての生命は、残らず死の淵へと追いやられながら生きている
しかし、死は生物が最も忌憚すべきもの
ならば、生きるという事は死に抗う事である、とも言い換えられる
彼らは、今まさにその生きるという行為に全身全霊を費やしているのだ
だが、その様な美談は許さない
「その証拠をみせてやろう」
証明もせずに信用せよ、という事ほど理不尽な事も無い
故に、彼らに退路など無い事を証明しよう
俺は、空間を満たす殺気を綺麗に消し去った
それはもう、残滓も感じられない程に綺麗さっぱりと
その反動は顕著に現れた
「うっ……え”え”え”え”え”え”え”!」
七人全員が、まず大きく体を引き攣らせると、盛大に吐いた
僅かなりとも存在する紛い物の矜持が、人前で無様に嘔吐する事を拒んだのだろう
だが体というのは、そう容易く生理現象を抑え込ませたり等しない
当然だろう
基本的に全ての生理現象は、健全な生活を維持する為に発生するものなのだから
なら、この嘔吐はどの様な意味があるのか
それは、医者でも研究者でも無いこの身には到底理解の及ばない領域だ
別に知りたいとも思わない
だが、ここから心を圧し折る方法なら知悉している
今からそれを実践しよう
俺は躊躇いなく吐瀉物で汚れた地面を進む
幸いなことに中庭は一切舗装されずに土が剥き出しだ
吐瀉物を踏んでも滑らないと分かっているので、普通に散歩する様に踏みしめ歩く
まず一人の前に辿り着くと、その無駄に煌びやかで場に不相応の服の胸ぐらを掴み、引き倒す
吐き姿勢で前傾していたので、足を払う事無く簡単に転ばせられた
勿論、大きく投げ飛ばした訳では無いので、自らが吐き散らかした物の上に、である
それを目の当たりにして、驚愕に固まる面々を、次から次へと
手を替え品を替え、最初の一人と同様に自分の吐瀉物の上へと転ばした
それなりに勢いをつけて叩き付けた為、状況を理解しきれず混乱している内に全員を転ばす事に成功する
始めに転ばせてあった四人は、少し手間を掛けた
それぞれが既に自らの吐瀉物の上に寝転がっていたのだが、残念な事に仰向けだった為、吐瀉物と泥に塗れた靴で蹴飛ばし、改めてその汚い顔面で地面を舐めさせた
「国王陛下の居城を貴様らの汚らわしい汚物で汚すとは……そんなに死にたいのか?」
そして、もう一度殺気を振り撒く
するとどうだろう
自らの吐瀉物に顔面を埋めている状態にも拘らず、またも動きが停止し、脂汗を流して震えだすではないか
実に滑稽だった
彼らにどの様な正義があるのかは知らないし、さして興味も惹かれない
ただ、俺の目の前で俺の恩人を害した罪は重い
この国の司法制度や倫理観は知らない
少し過ごした程度だが、そこまで元の世界と乖離している訳でもない様だから、この行為は咎められる可能性が高いだろう
最悪、死刑に処されるかもしれない
だが、それがどうした
自らの矜持に抵触する行いを見て見ぬふりをするなら、俺という存在の意義は容易く失われる
それは、自己の否定に他ならない
そんな人生は死ぬことと何も変わらないではないか
そこまで考えて、ふと閃くものがあった
だが、そんな瞬間の閃きは、視界の端に見えたアイギナさんの姿を意識した時に綺麗に掻き消える事になった
ちょっと不自然かなぁ、と思いつつ
まだキャラが定まってない気がする
とりあえず、簡易的な戦闘場面です
一瞬ですけどね
理君の力の一端が垣間見えました
その辺の理屈も考えてありますので、ご期待ください
どうしても、独白めいた内容になってしまう
しかし、戦闘中に外野がやいのやいの騒ぐのは妙な感じになるし
難しい匙加減
精進します
本格的な戦闘はこの後のイベントを挟んでからありますので、そっちをお待ちください
次回投稿は10月24日です




