49.5 またここから始めて
「……助ける?え、あ、は?どういうこと?」
私は状況が理解できなくて、変な声を上げてしまう。
「紫は……北斗を殺した方がいいって……」
「遭った時はいざ知らず、昨日はそんなことは言っていないわよ?私は異変を掴めていない今、最悪の事態への覚悟を聞いただけなんだから」
「……そう」
ぎこちなく答える私を見て紫がやれやれと肩を竦める。どうやら私は早とちりをしてしまったようだ。自分らしくない気持ちの動揺に何とも言えない気持ちになる。どうも地に足がついていないような……つまらない冗談だわ。
「さて、話を戻すけれど……北斗は今覚り妖怪、古明地さとりの幻術に囚われているわ。そこで今から霊夢の意識と北斗の意識の境界を薄めて、北斗のトラウマの世界へ行ってもらいたいの」
「……私に北斗を助けろってこと?紫がやればいいじゃない」
私は大人気なくムキになって突っぱねてみるけれど、紫は北斗の髪を撫でながら小さく首を振った。
「私では意味がないの。真の意味で北斗を助けるためには貴方が行くしかないわ」
「………………」
その声はいつになく優しい声音で、私はついマジマジと紫を見てしまう。そんならしくない紫と目が合う。そして、ニッコリとほほ笑まれる。
「あら、貴女も北斗を膝枕したいの?変わりましょうか?」
「ぶん殴るわよ」
ちょっと見直しかけると事だったけれど、やっぱり紫は紫だったわ。馬鹿馬鹿しくなった私は溜め息を一つ吐く。気を静めてから、私は紫の隣に座り尋ねる。
「一つ聞きたいんだけど」
「何かしら?」
「そのお願いは、異変を解決するため?それとも北斗を助けるためかしら?」
「……幻想郷を守るためのもの、よ」
紫は一言だけ呟きを返してくる。けれど、その言葉の中に色んなものが詰め込まれているように感じた。
いつも胡散臭くて、よく分からない奴だけれど……誰よりも幻想郷と、そこに生きるものを愛する者。そして北斗は……もう幻想郷の一部だ。
私は紫の目の前に立つ。紫は膝に北斗を乗せたままこちらを見上げている。名前と同じ色の瞳、底の見えない、光を吸い込む紫水晶みたいな瞳だ。
「紫……もう一つ聞くことがあったわ」
「霊夢がこんなに質問をするなんて珍しいわね。何かしら?」
「……私は、変わったと思う?」
それはずっと自分の中にあったわだかまり。信じてくれた紫への裏切り。紫は、パチクリと長い睫毛を跳ねさせる。そして、さっきと同じ優しい笑みを浮かべる。
「そうね、貴方は変わったわ」
「………………」
「けれどね、それは北斗の能力によって捻じ曲げられたものなんかじゃないわ」
「……えっ?」
紫は突然私の手を取って、北斗の頭に手を置いた。そして、もう片方の手で私の頭を撫でる。
「霊夢、貴女を変えたのは……北斗と触れた貴女自身よ」
「私……自身……」
「ええ、そうよ。貴女の力は……『空を飛ぶ程度の能力』は、何にも縛られない。けれど、自分にすら縛られないなんてことはないわ。貴女は、貴方の意思で飛ぶ方向を決めているのよ」
「………………」
紫はまるで子供扱いする様に私の髪をクシャクシャと撫で回す。うっとおしいかったけれど、何となく離れる気にもなれず紫の手に頭を預けた。
「そして貴女は博麗の巫女だけれど……同時に一人の人間よ。自分の思うがまま進みなさい」
「……昨日と言っていることが矛盾しているわよ」
「ふふ、そうね……けれど、どちらも私が望んでいることよ。さて霊夢、そろそろ答えを聞かせて頂戴」
紫は私の顔を覗き込みながら尋ねる。答えなら最初から分かっているくせに、ね。私はそのおでことおでこを当てて、笑う。
「行くわ。私が北斗を救って見せる」
「……頼んだわ」
短い返事と共に紫は頷く。そして私の瞼に手を添えて目を瞑らせた。
「右手に意識を集中させなさい。今から行くのは夢の中よ。幻想郷より常識が通用しないから気を付けなさい」
「大した違いじゃないわ」
「ふふ、そうね……それじゃあ行くわよ」
私は集中させていた右手に意識が吸い込まれるような感覚を感じる。そして、一瞬だけ水中に落とされたような軽い衝撃を感じるが……
「……もういいのかしら?」
聞いてみるが誰も答えはない。恐る恐る目を開けると、そこは暗い部屋の中だった。部屋といっても小さな本棚とベッドと机のあるだけの、小さな寂しい空間だ。
辺りを見回してみると……その部屋の片隅に小さな子供が膝を抱えて座っているのを見つける。小さなその背中は微かに震えていて……私は思わずその子の前にしゃがみ込んで声を掛けた。
「どうしたの、こんな暗い部屋で一人っきりで……」
「……僕は、一人っきりの方がいいんだ」
その子は自分の膝に顔を埋めたままうわ言の様に呟く。顔は見えない、けれどこんなことを言うこの子はきっと……
「寂しくない?」
私は出来るだけ優しい声音で男の子に聞くが、答えは返ってこない。ただ静かに待っていると……蚊が鳴くような声で、男の子が言葉を紡ぐ。
「けど、一人じゃないと……僕はみんなに迷惑を掛けるから」
「いいじゃない、いちいち気にする必要ないわ」
男の子は膝におでこを擦りつけるように首を振って、さらに小さく縮こまる。まるで何か恐ろしいものとかくれんぼをしているかのような必死さがそこにはあった。
「嫌だよ……みんなに嫌な思いをしてほしくない……嫌われたくない……!」
それは優しさの奥にある、この子の願望。必要とされたい、愛されたい、認めてほしい、そんなちっぽけな願いが小さな身体に張り付いていた。
私は男の子の頭を撫でながら、泣き止むの待つ。けれどその前にどこからともなく声が聞こえてくる。
『疫病神め……どうして俺が……』
『早く自分も死んでくれないかしら……』
『お前さえいなければ……お前が生まれて来なければ!』
その言葉と同時に部屋の外から様々な声が聞こえてくる。酷い言葉が部屋を揺すぶり、男の子は必死に身を固くしてそれに耐えていた。そんな姿を見て……私はようやく、この子の事を理解した。
「そう……それが貴方の心の内なのね」
人に嫌われたくない、嫌われるくらいなら一人になった方がいい。本当に、どうしようもなく人が好きで……そして、傷付くことに臆病だ。こんな心無い言葉達にずっと脅かされていたのだから無理はないのかもしれない……
けれど、けれどね……!私はその子の顔を両手で挟んで上を向かせる。涙でふやけかけた小さな男の子の顔は……北斗の幼い姿だった。
「じゃあ、どうして泣いてるの?一人は嫌だからじゃないの?」
「う……あ……」
北斗は返す言葉を見つけられず顔を伏せようとするが、無理やり前を向かせる。
「答えなさい!アンタは……こんなところでずっと一人で泣いているのがいいの!?」
「……ゃだ」
「聞こえないわ!」
「イヤだ!一人は……もっと嫌だよ……!」
男の子は咽び泣きながら、叫ぶ。思わず私は北斗の顔を抱いた。子供とは思えない冷たい身体を温める様に優しく、小さな体を酷い言葉から身を庇うように強く包み込む。
「……だったら、せめて一度手に入れたものくらい離さないようにしなさい。絆は強いけど……失われたら、戻ってこないわ」
「ぅ……けど、もう僕は……全部忘れてほしいって……」
北斗は肩口に顔を埋めたまま耳元で呟く。私は抱きしめたまま、そっと答える。
「まだ間に合うわ」
私は男の子を抱きしめたまま、心に強く念じる。紫は私の意識と北斗の意識の境界を薄めた、と言っていた。なら私の夢の中へ引き摺りこむことだって……できる!
私は目を瞑って博麗神社を強く思い浮かべる。すると、周囲がガラガラと瓦礫が崩れるような音がし始めた。同時に北斗を攻め立てる罵詈雑言の声が大きくなってくる。
「あ、あぁ……嫌だ、怖いよ!?」
「大丈夫だから!目を瞑って!」
私は叫びながら、せめて少しでも聞こえなくなるように北斗の顔を首元へ押し付ける。しばらくそうやって二人で耐えていると……いつの間にか瓦礫の音も声も消えていた。
私は目を開けると、そこは博麗神社に着いていた。しかし、それは現実世界の神社じゃない。私の夢の中の世界の空間だ。そして抱きしめていた男の子は手の中から消えていて……目の前に元の大きさの北斗が立っていた。私は立ち上がって北斗に向き合うと、悲しそうな顔を見せた。
「霊夢……ありがとう。こんな俺を助けに来てくれて」
「馬鹿ね……まだ終わってないわよ」
私の言葉に北斗は諦めたように首を振った。
「元へ戻し方がわからないんだ。いや……俺の能力を使えばできるかもしれないけど、もう能力で記憶を弄ることはしたくないんだ」
「またそんなことを言うのね。アイツらなら気にしないと思うけど」
「そういう問題じゃないんだ。自分で望んだことなのに、同じ簡単なやり方で元に戻すのは……違うと思うんだ」
「相変わらず、生真面目というか……」
つい溜息を吐いてしまう。その様子見て、北斗はいつもの苦笑いを浮かべる。
「霊夢だけでも覚えてくれていてよかったよ……ああ、紫さんも見たから、二人か」
「阿求も覚えていたわよ。ま、そんなことはどうでもいいけど」
私は空中に手を掲げる。すると空からお祓い棒が落ちてきて、手の中へ納まった。夢の中便利ね。
……何だか勝手に一人で諦めているけれど、冗談じゃない。このままほとんどの奴が北斗を忘れたままだなんて後味が悪すぎる。そんな結末、気に入らない。
「北斗、弾幕ごっこしましょうよ」
「……悪いけど、全員の記憶を弄ってから空すら飛べなくなってる」
「ああ、やっぱりそうなのね……ま、好都合ね」
あの時とまったく一緒だ。最初に北斗と手合せしたあの時と。あの時から北斗と私の変化は始まった。ならやり直すのも……ここからすべきだ。私はお祓い棒を突きつけて言い放つ。
「私が勝ったらアンタは自分の能力を使って、記憶を元に戻しなさい。私が負けたら……ま、北斗の好きにすればいいわ」




