47.0 妹の涙と姉の怒り
日の光の届かない地底。その奥に広がる巨大な都市……旧都。こいしが言うには、ここは一日中明るく賑わう嫌われ者の楽園らしいが、今は耳に付くほどの静寂に包まれている。
「ねえ、北斗ー!」
「何?」
「大丈夫?私、重くない?」
「ちゃんと食べているか不安になるぐらい軽い」
俺は暗い足元に気をつけながら頭の上から降るこいしの声に答える。すると、ポンポンと頭を撫でられる。頭の後ろに当たるスカートの裾が掠れてむず痒い。どうして俺がこいしを肩車しているのかというと……こいしがそうしたかったかららしい。
「うーん、褒められてるー?」
「どっちでもないかな」
「むー、褒めてよー」
こいしが拗ねたように頭をポカポカ叩く。バランスが崩れそうになるから危ないから、大人しくしてほしいんだけど……
で、どうしてわざわざ歩いて移動しているのかというと俺は今、空を飛べなくなってしまっているからだ。理由はなんとなくわかっている。俺が望んだことだ……不便だけど仕方ない。
ただ、それに付き合ってくれているこいしには申し訳なかった。最初はこいしがお姫様だっこをして運んでくれると言ってくれたのだが……それは地底の穴を降りる時だけにしてもらった。こうやって自分の我儘を言っているのだから、肩車してほしい等の多少の我儘は聞いているのだが……
「北斗ー、後ろ向いて―」
「ん」
「そうじゃないって言ってるのに……」
何故か何度も何度も後ろを向かせるんだが……何を警戒しているのだろうか?この旧都には鬼などの妖怪が多く住んでいるらしいが、今のところその姿は全く見えない。だがもし鬼に襲われようものなら、今の俺は抵抗すらできない。為すすべなく殺されるだろう。まあ、俺の姿が見つけられたら、の話だが。
しばらく歩くと、街の中央に大きな屋敷が現れる。街のどこからでも見えるほどの大きさなので迷いはしなかった。俺は遠巻きにその建物を眺めながら感嘆の息を吐く。
「あれが……地霊殿」
「だよー、久しぶりだなぁ……」
外見は神殿にも似た物々しい洋館だ。いや、おどろおどろしいの方が正しいかもしれない。暗がりに浮かんでいるからそう見えるのかもしれないが、さながら魔王の根城のようだ。正直、入るには勇気がいるな。
「大丈夫だよ。お姉ちゃんは北斗の心を読めない。私の心を読めないようにね」
その暗い表情が顔に出ていたのか、肩の上のこいしが頭を撫でながら囁く。それとは違う不安だったのだが……確かに心を読める相手に会うのは多少の緊張はある。こいしはああ言ったが、それでもつい身構えてしまうのは人間心理としては仕方ないだろう。
と、地霊殿の入口まで行くと、額に角を生やした大柄の女性の鬼と、猫の耳と尻尾を持つ赤髪のおさげの女の子が何やら話をしていた。
「まったく一体何が起こってるんだい……明かりは付いてるっていうのに旧都がこんな静かなんて……」
「それがあたい達もサッパリで……お空はおかしくなった怨霊を抑えるので手一杯なんだよ」
「まったく……地上でまた何かの異変が起こってるのかねぇ」
二人は本当に困った顔をしている。それを見て俺は、ジクと胸の奥が疼く。
何を今更……これは、俺が望んだこと。たとえ誰に迷惑を掛けようとも、自分が死のうとも、俺は……止めることは出来ない。どうも表情が顔に出るようで、こいしが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「……北斗、怖い顔してる」
「大丈夫、何でもない」
「行こうよ。あの二人には、私達は見えないよ」
「あぁ……」
俺はこいしに急かされるままゆっくりとした歩幅で地霊殿に入っていく。話をする二人とすれ違うが……二人は俺達の事をまったく見向きもしなかった。
地霊殿の内部はステンドグラスの明かりが差し込んでいて、幻想的でかつ恐怖心を煽るような雰囲気を作り出していた。俺は内心物怖じしながらも最奥にある部屋の前に立つ。ようやくそこで肩車から降りたこいしは、小走りに走っていくと遠慮なくその部屋のドアにノックする。
「お姉ちゃん、入るよ」
「……ッ!?こいしなの!?」
部屋の中から驚いた声が上がる。幼い声だ。こいしに似ているかもしれない。それを聞いたこいしはドアノブを捻ると、静かに部屋に入る。
部屋は書斎だったようで古本の匂いが微かに漂ってくる。その部屋の中央にピンクのショートカットのやや表情の硬い女の子が立っていた。こいしと同じようにサードアイが胸元で浮いているが、こいしのと違い瞳は開かれている。こいしとあまり変わらない歳頃に見えるが、この人がおそらくこいしの姉……古明地さとり。
さとりさんはこいしに駆け寄ろうとするが、その後ろに立っていた俺の姿を見て足を止める。俺を警戒しているのがありありとわかった。
「……こいし、その人は?」
「北斗だよー、私と、お姉ちゃんの望みをかなえてくれた人!」
「私の……願い?」
さとりさんはこいしの言葉に困惑した表情で呟く。対してこいしは両手を広げ嬉しそうに笑う。まるでワルツを踊るように、クルクルと回りながら叫ぶ。
「そうだよー!北斗はね、みんなの意識を無くしたの!私と同じようにね!」
「意識を無く、した……?一体どういう……」
さとりさんはそこまで言って、口を噤む。そう、今起こっている『住人が見えなくなる異変』は……こいしが望み、俺が起こした異変だ。
こいしは、心が読めるが故に疎まれ、地底に閉じ篭るさとりさんを何とかしたいと思った。そんな時にこいしは俺を見つけた。最初は利用するだけのつもりだったらいいが、俺の姿を見てどこか共感してしまったらしい。
俺も彼女の心に共感した。彼女の、閉じた心に。彼女の選んだ生き方に。だから、憧れるままにこいしの影響を自分に付与した。そして……同時にその望んでしまった。外の世界で望んだように、全ての人が心を閉じ、忘れてしまうことを。
これは紛れもなく俺が、自らの意思で起こした異変だった。
「北斗はね、他人に色んな影響を与えることが出来るんだよ~!だからね、みんな私と同じようにしてもらったの!これでお姉ちゃんは、外に出ても人の声は聞こえないよ!」
「こいし……そんな貴方は、私のために……こんな、異変を……」
「あはは、びっくりした?嬉しいでしょ?もうこれでお姉ちゃんの事を」
こいしの台詞は、弾けるような音と共に途切れる。さとりさんが、こいしの頬を叩いたのだ。まるで世界に音がなくなったかのように、シンと静まり返る。
「こいし……私は、こんなこと、望んでいないわ……!」
ややあってからさとりさんが叩いた自分の手を胸に抱きながら言葉を漏らす。辛そうな表情、自分のためにやってくれていることをわかっていながら、それを否定しないといけない苦しみが伝わってくる。対して頬を赤く腫らして呆然と目の前に立ち尽くしていたこいしは……
「あはは!お姉ちゃん、お姉ちゃんはやっぱりおかしいよ!」
泣いていた。満面の笑みを浮かべながら、目からとめどなく涙を流している。まるで道化師のようだ。顔で笑って、心で泣く。その涙は、傷口から流れる血のように、止まらない。
「人の心を読んでも何一ついいことがなかったじゃない!みんな私達の事を嫌いになって、傷付けて……私は嫌だったよ?お姉ちゃんはどうなの?」
「私は……」
こいしの涙ながらの問いに、さとりさんは言葉に詰まる。さとりさんは何か喋ろうと努力していたが、結局それは形になることはなかった。
「お姉ちゃんは……おかしいよ」
こいしはそれだけ呟くと、部屋を出て行ってしまう。俺も、さとりさんもその背を追うことが出来なかった。
しばらく茫然自失の状態だったさとりさんが据わった瞳でこちらを向く。彼女の中の行き場のない感情が憤りになって俺に向けられているのが、ありありとわかった。
「輝星北斗……お前が、こいしを誑かしたのか」
俺はこの瞳をただ受け止めるしかできない。さとりさんの怒りはもっともだ。そもそも俺が居なければ、こいしはこの異変を思い至らなかったのだから。彼女の心を触れてしまったがために……
結局ここでも……幻想郷でも俺の居場所はない、そうまざまざと思い知らされたような気がした。
「そうよ……お前さえいなければ……!」
さとりさんは右目を閉じ、胸元のサードアイに手を当てる。無表情を装っているが、烈火のような怒りを隠しきれていない。俺は何も言い返せない、何も……出来なかった。
「許さないわ。お前にはもっとも凄惨な苦痛を与える。死よりも恐ろしい、トラウマを永遠と見続けなさい!」
さとりさんの怨嗟の言葉が耳に届いたと同時に、目の前が真っ暗になる。そして次の瞬間、俺は血だまりの広がるアスファルトに立ち尽くしていた。
陽炎が立ち上る暑い夏の日、鳴り止まないクラクションと蝉の声。
あぁ……この光景を俺は知っている。
幾度も夢で見た、忘れるはずもない。顔を上げると、電柱にぶつかりひしゃげたトラックの下からとめどなく血が溢れていた。あ、ああ……これは……あの時の……
俺は血だまりに膝を突く。そこからジワリと染みてくる。
三人の、混じり合った血が……




