45.0 無意識と優しさの本質
博麗神社に帰った俺は、すぐに夕飯の準備をし始めた。格子窓の外には夕日に染まった入道雲が映っている。その景色にまるで夏休みに帰省したような、懐かしさを感じ………俺は思わず感嘆の息を吐いた。
……そういえば霊夢は未だ戻って来ていない。帰りが遅いのは心配だが……まあ、まだ外は明るいしもう少ししたら帰ってくるだろう。
まるで母親みたいだと自分の心情を笑いながら、俺はエプロンで手の水気を拭う。そして、ふと先程話しした阿求さんの話を思い出す。
「転生……か」
俺は一口大のかぼちゃのコロッケを揚げながら、独りごちる。
そう、なんだよな。確かに幻想郷にも阿求さんのように30年ほどしか生きられない人だっているのだ。
よく考えれば当然だ。外の世界も幻想郷も、人間は大して変わらない。命は平等になりえないのだ。どんなに綺麗事を並べても、人間一人の価値は簡単に変わってしまう。ただ、幻想郷は特にそれが如実に表れているような気がしてならなかった。
もしかしたら今まで吸血鬼や不老不死などなど……人間と違い寿命の長い人たちばかり会ってきたため、感覚が狂ってきているのかもしれない。しかし、阿求さんとの出会いが、幻想郷寄りになっていた完成を現代に引っ張ってくれる。
「はぁ……」
きっと俺は幻想郷の中でもかなり幸福な部類なのだろう。普通の寿命を全う出来る可能性があるだけでも……恵まれているのかもしれない。
だけど、それでも……俺の中にはまだ死の欲求が残っていることを実感することがあった。
俺は自分が嫌いだ。霊夢に、早苗に、里の人々に、幻想郷に迷惑を掛けながらのうのうと生きてる俺が堪らなく嫌で仕方がない。
どうして、紫さんに、幽々子さんに殺されなかったのだろうか、なんて馬鹿なことを考えてしまうほどだ。
例の不老不死の事件の際、俺は霊夢に死ぬつもりはないと言ったが……あれには嘘が含まれていた。ほんの少し、あくまで少しだけだがあの時もこのまま死んでもいいと思っていた。
そして……生き返ったとき、少し後悔を感じてしまっていた。
「まったく、ひどい先輩だ」
あれほど真摯に説教してくれた早苗に顔向けできない。こんな俺が、これから先の人生自分を大切にするなんて到底無理だ。
俺は菜箸を置き、再度格子窓に目を遣る。入道雲の色が橙、赤を通り越し、濃紺になろうとしていた。もう暗くなるが、まだ霊夢は帰ってきていなかった。
『もうアンタの人生はアンタだけの物じゃなくなってるの。それを自覚しなさい』
不意に霊夢の言葉が、頭の中にフラッシュバックする。
……嬉しかった。俺が死んだら悲しんでくれる人がいてくれるのは、それこそ幸福なことだと思う。なのに俺は、嬉しいと思いながら片隅でこんな風に思ってしまった。
もう俺は自ら望んで死ぬことはできないんだ、と。
この幻想郷には俺を引き止める、様々な絆が出来てしまった、と。
霊夢の言葉が頭の中でさざ波のように反響する。分かってる、分かってるさ。日々の生活で痛いほど身に染みている。感謝だってしているさ。
なんだかんだ言って、俺はみんなの事が嫌いではない。好き、といっていいかもしれない。みんないい人ばかりだ。俺なんかじゃもったいないと思う程に。
けれど、たまに億劫に感じてしまうことがある。外の世界のようにみんな俺の事を忘れてしまえばいいのに、なんて考えてしまう。
「最悪だな、俺」
吐き捨てる様に呟く。火依にお風呂を沸かして貰っていて助かった。
こんな自己嫌悪に雁字搦めになっている俺の姿を見られたくはない。こんな醜悪な人間を……
しばらくして、俺は大きく深呼吸をして気持ちをリセットする。せめて他人に気取られないようにしないといけない。
気を取り直してやや揚げ過ぎたかぼちゃのコロッケを網に上げていく。と、背後から小さな手が伸びてきて、コロッケを一つ摘まもうとする。
「こら、つまみ食いは止めろっていっつも言って……」
反射的にその手を取って、振り向く。そこには火依でも霊夢でもなく、帽子を被った緑がかった淡い髪色の女の子が立っていた。
「わーん、ちょっとぐらいいいじゃないかー!」
「えっ……」
見知らぬ子だ。薄緑がかった淡い色のセミロングの髪に、烏羽色の帽子を被っている。身体の周りを囲むように紫色の管が通っているのから察して、もしかしなくても妖怪だろう。
フランちゃんほどではないが小柄で、握った手首も手折れそうなほど細い。
俺は驚きのあまり手を離してしまう。すると、その女の子は屈託のない笑顔でかぼちゃのコロッケを摘まみ、口の中へ放り込んだ。すると両のほっぺを押さえ幸せそうに身をくねらせた。
「んー、アツアツホクホク! 甘くてとってもおいしい!」
「あ、えっと……君は……?」
いつから居たのか、何処から現れたんだ、と聞こうとするが……
何故かそんな質問をしようとした自分に違和感を覚えてしまう。何でそんな不自然なことを聞くんだと、疑問を感じてしまう。
混乱のあまり二の句を告げられずにいると、女の子は腕を後ろに組んで恥ずかしげに口を開く。
「私? 私は古明地こいしだよ。昨日からお兄さんのそばにずっといたんだよ」
……昨日から? まったく気付かなかった。いや、そもそも俺以外に火依やチルノもいたんだから、誰か……特に霊夢辺りが気付いてもおかしくないのにどうして……
俺は動揺を押し堪えながら、恐る恐るこいしと名乗った女の子に尋ねる。
「後を付けていたのか?」
「そんなことしないよー、私は普通に一緒にいただけ。ご飯も一緒に食べたもん」
「何を、馬鹿なことを……」
ご飯を食べたって、そもそも俺は晩飯は四食分しか作っていないのだから、つまみ食いでもしない限り……
「……えっ?」
遠くで風鈴が鳴る。
四人分、作った……? 俺は、無意識にこの子の分の料理を作っていたのか。しかもそれを霊夢も、火依も、気付いていない。なんだ、この状況は……
俺は困惑しながらこいしと名乗った女の子を見つめる。しかし、こいしはただ無邪気な笑みを浮かべるだけだった。その表情が逆に恐ろしいものに見えてきて、俺は声が震えるのを抑えきれなかった。
「君は……一体何者なんだ……?」
「そんなことどうでもいいじゃない」
そう言うと女の子はその表情のまま、スキップする様に俺に近付いてくる。台所を背にした俺は後ずさることが出来ず、段々と距離が狭まっていく。
「私はね、貴方に興味があったの。けど、ぜーんぜん私に気付かないんだもん。だから、昨日までは見当違いと思ったんだけどねー」
ついに、身動ぎするだけでも触れてしまいそうほど近くに来る。
小さな指先が俺の胸板に触れ、動悸が激しくなる。料理の匂いに混じった仄かな薔薇の香りが鼻孔をくすぐり、脳を揺さぶる。
「今日ずっと一緒に居て、わかったの。貴方は私と同じなんだって」
「おな……じ……?」
「そう、同じ!誰からも嫌われたくないと思ってるでしょ!? 嫌われるくらいなら、居なくなってしまいたい、自分のことを忘れて欲しいって思ってる。どう、心は読めないけど当たってるでしょ?」
背中に得体の知れない怖気が走る。心が読めないと言っていたが、それを疑ってしまいそうになる。
それは誰にも言いたくなかった、俺の本質。弱い自分。幻想郷に迷うことになった要因の片割れ。
死の欲望の、根源。
「……どうして、それを?」
俺はこいしちゃんに尋ねずにいられなかった。自分自身ですら心の中にひた隠しにしていて気付けなかったそれを、なんで、赤の他人であるこの子が……
するとこいしちゃんは妖艶な笑みを浮かべて、俺の頬に右手を当てる。ひんやりとした手だ。心地いい。
……しばらくされるがままになっていると、いつの間にか恐怖心は消えていて、安心感が身体を弛緩させていた。
「だから言ったじゃん。私も同じだもん」
「おな……じ……?」
こいしちゃんはしな垂れかかる様に顔を近づけてくる。その翡翠色の瞳は吸い込まれるように深く、視線を離せなくなる。
「心なんて読めちゃうから怖がられる。思ってることがわかっちゃうから嫌われちゃう。だから私はそれを止めた。そうしたら、誰も私を見なくなった。誰も私を思い出せなくなったの」
……ああ、なんて羨ましい。
こいしちゃんの言う通り、この子は俺と同じだ。そして、俺が望んだ生き方をしている。
俺は無意識のうちにこいしちゃんの左手を手に取っていた。慌てて離そうとするが、指を絡ませ握り返されては、それも叶わなかった。
「もし……もし俺も、それができれば……」
「出来るよ」
顔が鼻と鼻がくっ付くほど近い。もう薔薇の匂いしかしない。
こいしちゃんの瞳の中に自分が写りこんでいた。それがわかるほどの、距離。けれど、それでもお互いに近付くことをやめなかった。
「……ねえ、私と一緒に、来てよ」
唇と唇が触れ合った瞬間、俺の意識は……無くなった。




