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東方影響録  作者: ナツゴレソ
六章 罪の始まり、罰の終わり ~Only you can kill me~
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36.0 死の感触と竹林に降る雨

「不死の……呪い……?」


 俺は両手両足を炎に縛られたまま、妹紅さんの言葉に茫然としてしまう。不死、ということは、もしかしたら妹紅さんは、輝夜さんと同じ……

 梅雨入り前の湿った空気と弛緩剤のせいもあるのかもしれないが、身体が重い。嫌な予感を覚えて身体中が強張っていた。


「妹紅さん、貴女は……蓬莱人なんですか?」

「……輝夜から聞いたか。いや、アイツも私のように気付いたんだろうな。癪だが考えることは一緒って訳か」


 妹紅さんは顔をしかめながら、面倒そうに呟く。本当に蓬莱人らしい。永琳さんの作った蓬莱の薬は一つだけではなかったのか……いや、もしかしたら作った本人も飲んでいるかもしれない。

 ……しかし、最悪の状態だ。永遠亭の上空で、身動きを封じられ、身体もまだ本調子じゃない。

 それに妹紅さんはかなりの実力者のようだ。蓬莱の薬を飲んだ影響か、今まで生きてきた歳の功か……どちらにしろ、最近飛べるようになったひよっ子の俺が勝てる道理がなかった。


「輝夜も同じことを言っていただろう? 死にたいって」


 死にたい、実にストレートな表現だ。俺はそんな言い草に引っかかりながら、そっと頷いた。


「……似たようなことは、言っていました」

「そうか。それで、永遠亭を飛び出してきたってことは、断ったのか?」


 妹紅さんはあくまで率直に尋ねてくる。それが逆に俺の逃げ場を確実に追いつめているように思えてならない。

 俺は答えに窮してしまう。いや……俺には選ぶことはできなかった。今の俺は……火依が逃がしてくれたから、なすがまま逃げてしまっただけなのだから。

 何も答えられず黙っていると、妹紅さんは痺れを切らしたようで先に口を開く。


「……まあいい。どうであろうと、お前に選択肢を与えられない」


 そう言いながら妹紅さんは人差し指をクイッと動かす。まるでその指に操り糸が付けられているように、右腕が動く。呪術の類か!?

 反射的に抗おうとするが、筋弛緩剤の影響もあってそれが出来ない。右腕は勝手に腰の刀を抜き、目の前に突き出した。


「な、何を……」

「……お前は罪悪感を感じることはない。私が自らやったことだ。全ての罪は私の物だ」


 妹紅さんは突き出した抜き身の刀を握りしめる。指から血がとめどなく溢れてくるが、妹紅さんはお構いなしに切っ先を首元に持っていく。

 鳥肌が立った。これから起こるであろう出来事を想像して全身の血の気が引いた。俺は力の入らない身体で、捩じ切れるのではないかという勢いで首を振る。


「やめ……止めてください!! 嫌だ……俺はそんなことしたくない!!」

「目を瞑っていろ。夢見が悪くなるぞ。感触は……出来るだけ意識しないほうがいい。こんなことを言っても罪滅ぼしにも何もならないんだけどな」


 腕に伝わる肉と骨の感触。生々しい音、血の匂い。妹紅さんは痛みなど知らないかのように喉へ刃を突き刺していく。


「嫌だ……止めて……ください……俺は……人殺しなんかしたくない!」

「ひゅぅ……ぅ……ぐぅ……ぁぃ……」


 空気の漏れるような音にならない声が耳に届き、それが嫌悪感を増大させる。胃に何か入れていたら絶対に戻していただろう。


「ああああああああっっっっ!!!!」


 感触を、目の前の光景を塗りつぶしたくて、喉が潰れる勢いで叫ぶ。だが右手の感触は、瞳に映る赤の景色は変わらない。

 いっそ自分の舌を噛み切って、脳に情報が行くのをシャットダウンしたい衝動に駆られる。


「北斗! 気をしっかり!」


 右手の刀から火依が声を掛けてくれて、何とか欲望と抑圧が拮抗する。後はもう歯が割れんばかりに食いしばって、この悪夢が終わるのを必死に待った。

 体感時間としては永遠のような時間が経って、ようやく身動きが取れるようになった。腕を縛っていた炎が消えたのと同時に弛緩剤の効果が切れたのだ。

 ……俺は震える手で大きく目の前で首に刀を突き刺したまま動かない身柄から、刀を引き抜く。瞬間、血が噴水のように俺に降りかかる。血の匂いが充満して、えづいてしまう。

 発狂して自分の喉を掻っ切ってしまいそうだった。本当は刀を捨ててしまいたかったが、火依のために刀を引き抜いた。

 妹紅さんの亡骸は重力に引かれ竹林へと落ちていった。笹の擦れる音。彼女がどうなったか確認する余裕もない。今はただ最後の気力で宙に浮いていた。


「ほ、くと……」


 火依も声が震えていた。顔も真っ青になっている。当然だ。女の子にとって、耐えがたい光景だったろう。駄目だ、俺がしっかりしないと……


「大丈夫だよ……とにかく、博麗神社へ戻ろう……」


 俺は必死に平静を装いながら、博麗神社へ向かって飛んで行った。






 しかし、そんな付け焼き刃の演技など長くは続くものではなかった。


「ほ、北斗……」

「だ、大丈夫。本当に、大丈夫だから……」


 俺は口元を拭いながら、心配そうに背中を擦る火依に言う。結局俺は吐き気に耐え切れず竹林に降りて、胃酸を吐いてしまった。

 情けない。火依だって辛いのを我慢しているというのに……


「北斗、少し休もう? このままじゃ北斗が……」

「……わかった。ほんの少しだけ休憩しよう」


 俺はスマホで5分のタイマーを設定して、近くの竹にもたれ掛った。

 まだ右手が震えている。血生臭さが脳髄に焼き付いて離れない。

 当然だ、妹紅さんが何と言おうと俺が人を殺したのは紛れもない事実なのだから。よっぽど顔色が悪いのか、火依は俺の傍を離れずにずっと顔を覗き込んでいるが、声を掛ける余裕がなかった。

 しばらくお互いに黙っていると、ポツポツと雨が降り始める。それでも動く気力もなく雨に打たれていると、火依がおもむろに呟いた。


「……どうして死にたいって思うのかな」


 その言葉は、生きたいと願いながら死んでしまった彼女が言うからこそ重い言葉だった。

 俺は答えに詰まってしまう。色んな人から死にたがりだと言われている俺には、少なくともその言葉に軽々しく同意なんてできない。

 同時に死にたい気持ちが分かるだけに妹紅さんと輝夜さん、どちらも否定できなかった。ただ俺が言えるとしたら……


「輝夜さんと妹紅さん……二人の思いは、きっと二人にしか分からないよ」

「そう、かな……?」

「そうだと思うよ。少なくとも千年も生きている人間じゃないと、共感はできない」


 妖怪なら千年生きている者もいるだろう。だが、本来であれば十分の一も生きられない人間が、その月日を過ごすのは計り知れないものがある。

 自分達だけ時の流れに置いて行かれ、幾度も人の死を見送らなければならない。そんな辛さが理解できる、なんてそんな虚言を吐ける訳がなかった。


「だからって……あんな……」


 火依は涙を流しながら、悔しそうに自分の胸元を握りしめる。嗚咽を堪え、絞り出すように言葉を紡ぐ。


「痛いのに……苦しいのに……どうしてあんなこと出来るの……!」

「火依……」


 心からの悲痛な叫びだ。火依はあんな死に方をしたんだ、さぞ辛かっただろう。

 蓬莱人の二人、そして死んでしまった火依。そしてそのどちらでもない俺。永遠の生も、死の瞬間も知らない俺は一体どうすればいいのだろうか……?

 ……答えが出る前に、ポケットでスマホが鳴動する。


「時間だ、とにかく逃げないと……」


 俺は立ち上がってスマホを取り出し……握りしめたまま固まる。

 逃げる? どこまで? 博麗神社までか? 逃げて何になるのだろうか? 死ぬまで答えを出すことを逃げるつもりか? いずれ答えを出さないといけない時が来る。なら、俺は…… 


「……っ!? 北斗!?」


 突然火依が悲鳴に近い声を上げる。顔を上げると、そこにはあり得ない光景が広がっていた。


「……竹林は私の仕事場だと知っているだろう? どうしてここで休んでいるんだ?」

「も……こう、さん……」


 思わず出た声が震えていた。そこには、喉を掻っ切ってしまったはずの妹紅さんが立っていた。 妹紅さんは火依のことをチラリと横目で見るが、すぐに俺の方を見つめてくる。


「どう……して……」

「……それはこっちの台詞なんだがな。どうやら死にきれなかったようでね」


 死にきれなかった……? その言葉に一瞬頭にハテナが浮かぶ。いや、今まで起こった出来事がショック過ぎて、一つの可能性を失念していた。

 俺の能力はあくまで『影響を与える程度の能力』だ。他人の能力を無効化する能力じゃない。ただ俺が妹紅さんを切ったところで、俺自身が『蓬莱人の存在を否定していなければ』殺せないのだ。

 そうか、殺していなかったか……あの感触は消えはしないが、その事実が少し心に余裕を与えてくれた。


「ただ、確実に傷の治りは遅かった。いや、あの瞬間は死んでいたかもないな。お前が私を殺せるのは確かみたいだな」


 妹紅さんは首を擦りながら嬉しそうに呟く。その首には傷痕は全く残ってなかったが……俺はそれを見ただけで身体が震えた。


「そこで困ったことになった。私が死ぬには、お前の協力が必要不可欠になったわけだ」

「………………」


 俺は黙って妹紅さんの言葉を待つ。待つことしかできなかった。雨は一層強くなって、どんどん身体の熱を奪っていく。


「だが、その様子だと嫌みたいだな」

「……出来れば諦めてほしいですね」

「悪いがそれは無理だ。今の私は、お前を監禁し私を殺したくなるまで拷問することだって厭わない」


 これは脅しじゃない。平然とやってのけるだろう。それほど本気ということだ。じゃなければ、自分の首に刀を突き立てようとは出来はしない。

 俺は妹紅さんの瞳を見つめる。赤い瞳の奥には深い底なしの闇が湛えていた。やはり、俺には彼女の気持ちが理解できないだろう。だけど、だからこそ……


「答えを出す時間を下さい」

「……拷問はそんなに嫌か?」

「好きっていう方がおかしいですよ」

「それもそうだな……待つのは構わないが、この間に死んだりしないだろうな?」


 妹紅さんが鋭い目つきを向けてくる。

 暗い闇を湛えた、輝きのない瞳。それと目が合った瞬間、背筋が凍った。だが、俺は敢えて対抗するように睨み返す。


「少なくとも殺されない限り死にはしないですよ」


 これは外にいた時、早苗と約束したものだ。今、それを違えたりしない。例えしようとしても、色んな人が俺を止めるだろう。

 妹紅さんが少しだけ悩むが、意外とあっさり頷いた。


「……わかった。納得して手伝ってくれるならその方がいいし、どのみち結果は変わらないからな」


 妹紅さんは雨に濡れた銀の髪を払いながら、俺に背を向ける。


「次に竹林に来るまでに答えを出しな。期限は私が痺れを切らすまでだ」


 妹紅さんはそう言い残し、竹林の奥へ消えていく。意外と寛大な猶予をくれたものだ。背中が見えなくなったのを見計らって、火依が俺の目の前に回り込む。


「……本当に死なないよね、北斗?」


 不安そうな顔で両肩を揺すってくる。そんなに死にたそうに見えるのだろうか? 俺はその手に軽く触れながら首を振ってみせる。


「……しないよ。しようとしたら、火依が止めてくれるだろ?」

「うん……」

「それに、もう決めたから。答えを出すことを」


 俺は雨の竹林から空を見上げる。笹の間から振ってくる水滴を体に受け止めながら、俺は刀を握りしめた。

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