35.0 竹取物語と不死人
身体が重い。まるで泥の中にいるような倦怠感が身体に纏わりついている。それは目蓋を開ける事すら辛いほどだった。
微かに開けた眼で辺りの様子を伺ってみると、そこは以前火依がいた入院室のベッドの上だった。どうしてこんなところに……
部屋の明るさから鑑みて日はまだ高い。あまり時間が立っていないのか、それとも丸一日眠ってしまっていたのだろうか?
俺は左手を突いて立ち上がろうとするが、その腕に激痛が走る。
「ぐぉっ……」
俺は思わずうめき声を上げて崩れ落ちてしまう。その勢いを殺せずベットから落ちる。受け身も何も取れず床にぶつかり目の前に星が飛ぶ。
惨めな自分にヘコんでいると、奥から足音が聞こえてきた。
「あ、ちょっと! 安静にしてないと駄目じゃない!?」
部屋入ってきたのは何時ぞや話をしたウサギ耳の女の子だ。
女の子は大慌てで俺の肩を持って身体を起こしてくれる。柔らかな髪の感触に一瞬ドキリとしてしまうが、状況が状況のためそんな思考はすぐに吹き飛んでしまう。
「ふう……人間の男って重いのねぇ。今貴方は筋弛緩剤を打たれているわ。だからしばらくは自由に身動きは取れないはずよ。それに左腕も怪我してる。これ以上危害を加えるつもりはないから、大人しくしていることね」
筋弛緩剤……道理で力が入らないはずだ。視線だけ向けて左腕を見ると、包帯が巻かれていた。断続的な痛みは感じないが、嘘でこんなことをする理由はないだろう。
俺は女の子に色々と質問しようとするが、音に出来たのはうめき声だった。喋ることすらできないのかよ……!
何もできずただ悔しさを噛み締めながら横たわっていると、ウサギ耳の女の子がジッとこちらを見つめてくる。
「……ごめんなさい」
ポツリとそれだけ呟いて女の子は部屋から出ていってしまう。その意味を考える間も無く、入れ違いになるように永琳さんが入ってくる。
「あらあら、気分はどうかしら……とは言っても喋れないでしょうけど」
なら聞くなよ。俺はあからさまな嫌味に視線だけで抗議する。すると、永琳さんはすぐに真剣な表情になる。
「……ごめんなさい。こんなことになったのは紛れもなく私のせいよ。これは私達だけで解決しなければいけないのにね」
永琳さんも兎の女の子と同じように謝った。
私達……? どういうことだろうか。不思議に思っているのが伝わったのか、永琳さんはお下げ髪を少し弄ってから、傍らにあった椅子を引き寄せて座る。
「そうね……貴方には聞く権利はあるわ。私達の罪の物語を」
永琳さんはそう言っておもむろに自らの過去を語り始める。輝夜さんの依頼で、蓬莱の薬というものを作ってしまったこと。輝夜さんがそれを飲み、不老不死の人間……蓬莱人になったことが月の都で罪に問われ、地上へ流刑されたこと。
……そして、竹取物語の最後のシーン。輝夜さんが月に帰るはずだった所を、その時迎えに来ていた永琳さんが従者を皆殺しにして阻止し、二人で逃亡生活を始めたこと。まるで懺悔のようにすべて話してくれた。
これが輝夜さんの言っていた罪の証。千年もの時をずっと隠れて背負ってきたもの。不老不死となった罪、永遠の時を地上で生きる罰。そして、それから逃れる方法は……
「私はいつの日か不老不死の呪いを解くためにずっと研究してきた。けれど……未だに解決策は見つかっていない。そんな時、貴方の能力を聞いて、あることが頭を過ったわ」
あること……そう、輝夜さんが言っていた俺の能力による不老不死の無効化だ。
人はいつか死ぬ。不老不死なんて幻想だ。だからこそ、俺の否定結界なら不老不死の状態を解けると思ったのだろう。
「誰かの手を借りて終わらせることなんて、本当らしたくなかったけれど、この機会を逃せば二度と叶えることができないかもしれない……」
永琳さんは悔しそうな顔を伏せた。自分で始めたことを自分の手で終わらせられない歯がゆさを、彼女は感じているのだろう。だがしばらくして髪を振り払い意志の籠った強い瞳で俺の方を向いた。
「貴方に直接手を下せとは言わない。けれど、貴方の能力を利用して薬を作りたいの。協力してもらえないかしら?」
その言葉に、俺は答えを出すことはできない。身体が動かないのもあったが……その申し出を受けていいか判断が付かなかったのだ。
人を殺したくはない。だが、尊厳死の様に苦しみから解放してやれるなら、呪いのような不老不死を解くことができるなら……
永琳さんは懇願する様にこちらを見ていたが、やや間を空けてから立ち上がった。
「まだ動けないでしょうから、しばらく考えてから答えを頂戴。私に……手荒な真似をさせないでね」
去り際にそう言い残して永琳さんは出ていってしまう。
手荒な真似……おそらく俺が断れば無理やりにも協力させるつもりなのだろう。それだけ強い意志を持っているのが伝わってくる。
彼女達の過去を知った今なら、それも頷ける。だが……それでも、俺は結論を決めきれずにいた。
そこまで詳しいわけではないが、安楽死に対する外の世界での世論は多種多様だ。それを容認する国もあればそうじゃないところもある。
いや、ここは幻想郷、外の世界の論争を持ってはいるなんてナンセンスだ。
きっと問題にすべきは、俺がどうしたいかだ。誰かを殺すなんてしたくない。けれど、俺には永遠の時を生きる苦痛を理解しようがない。
輝夜さんの、永琳さんの思いを知ることはできない。共感できるなんて言えないんだ。それでも俺の力でなんとかできるなら……
……身体が動くまでまだ時間がかかりそうだ。与えられた時間の内に命一杯考えることしか、今の俺にはできそうもなかった。
しかし、何時まで経っても答えを出すことは出来なかった。外はもう夕方だ。身体の弛緩も幾分取れて、喋れるくらいにはなっていた。さて、どうしようか……
今抜け出せば、間違いなく妨害されてしまうだろう。せめて痺れが完全に取れるまで我慢するべきか……
俺が悩んでいると、どこからともなく焦げ臭い匂いが漂ってきた。部屋の外が騒がしい。何かあったのだろうか?
顔だけ入り口に向け様子を伺っていると、突然壁から小さな顔が現れた。
「北斗、生きてる?」
「火依!? 大丈夫だったのか?」
「それはこっちの台詞。ずっと助けるタイミングを伺っていたの。火事を起こしたから今のうちに逃げよう」
おおう、過激なことを……
だが、いい機転だ。輝夜さんや永琳さんには悪いが、逃げ出させてもらおう。
俺だけの頭ではこの問題の答えは出ない。霊夢も心配してるかもしれないし、とにかく今は早く帰って無事を伝えるべきだろう。
「こっちに持ち物があるよ。さっさと取ってさっさと出よう」
火依に言われるまま、まだ怠い身体で付いて行くと、一つの部屋の中に封魂刀などの持ち物が纏められていた。
手早く荷物を回収、着替えると、物音を立てない様に建物から出る。さっさと飛んで外へ出ようとするが、気絶する前の出来事が頭を過った。
また感覚を狂わされて墜落させられたら元も子もない。俺が立ち往生していると、火依が俺の目の前に回って、顔を覗き込んできた。
「あの幻術を警戒してるの?」
「……ああ、張ってあるかは分からないが、また落とされたくないからな」
「なら簡単よ。目を瞑って飛べばいいわ」
簡単に言ってくれる。俺はまだまだ飛行が得意じゃないんだ。そもそもそんなことしたことないし、ぶつかってしまったら受け身もできないし危険だ。
「北斗はとにかく幻術の範囲を抜けるまで真上に飛んでいればいい。私は代わりに目になるから、範囲を抜けたら合図する」
火依は一方的に俺に言うと、刀の中へ入った。……時間もないし、やるしかない。俺は目を瞑って……覚悟を決めて上空に跳ぶ。
ある程度飛ぶと、また以前のように平衡感覚が狂わされる。俺はそれを無視して自分が飛んでいたベクトルを変えないよう意識してまっすぐ飛び続ける。
それから一分ほどして、火依から声が掛かる。
「もう大丈夫だよ」
その言葉を信じ、俺は恐る恐る目を開けると、雲に届きそうなほどの高度まで上がっていた。薄い空気の中、俺はようやく一息を吐いた。
「はあ……火依は平気か」
「……ちょっと酔った。しばらく休んでる」
刀の中から元気のない返答が返ってくる。さすが妖怪でも酔って気分が悪くなるようだ。ありがとうな、火依。
とにかく脱出が出来た。ひとまずは博麗神社へ向かうか。俺は全速力で神社へ飛ぼうとするが、それを突然誰かに通せんぼうされる。永遠亭からの刺客かと思って身構えるが、意外な人物に俺は目を丸くした。
「妹紅さん!? 飛べたんですか!?」
「………………」
俺は銀髪の女性、妹紅さんに話しかけるが反応はない。首を傾げていると、妹紅さんの全身に突然炎が宿る。嫌な予感がした俺は距離を取ろうとするが、その炎は生きた鎖のように広がり俺の四肢を縛った。
「なっ……!? いったい何するんですか妹紅さん!?」
俺は声を上げるが、妹紅さんは表情を前髪で隠しながら呟く。まるで凍えそうなほどに暗く、静かな口調だった。
「北斗……お前は不老不死を殺せるんだろう?」
「……何で、それを」
輝夜さんに聞いたのだろうか。それで彼女に協力して……そう思っていたのだが、次の言葉を聞いた瞬間、思考が停止してしまう。
「頼む……私を、不死の呪いから解いてくれ」
「……えっ?」




