34.0 死にたがりの変化と罪の証
幽々子さんと妖夢から話を聞いた後、昼飯を御馳走してもらってから白玉楼を後にすることになった。門まで送ってもらう途中、妖夢と火依の背後の後ろに付いて行く形で廊下を歩いていると、同じく後ろを歩いていた幽々子さんがヒソヒソ声で話しかけてくる。
「貴方の死にたがり、少しは治ったようね」
「突然なんですか?」
俺は振り向かずに尋ねる。以前から幽々子さんは俺の事を気にかけているようだった。その理由は聞けず仕舞いだったけど、幽々子さんは嬉しそうに扇で口元を隠している。
「よかったわ~、妖夢に剣術を教えさせた甲斐があったわね」
「それって死にたがりと関係あるんですか?」
「もちろんあるわよ~、強くなればなるほど死から離れていくじゃない」
「そんな簡単なものですかねぇ……? それに俺は幻想郷の中ではまだまだ弱い存在ですよ」
今回だって、送り犬に殺される危険もあった。それを顧みず行動できたのは自分が多少なりとも強くなっているからに違いない。だが、それでもまだ霊夢や魔理沙達には遠く及んでいない。このまま彼女達と同じような感覚で妖怪退治をしていては、いつか痛い目に合うかもしれない。
「幻想郷での強さ比べなんてどうだっていいのよ。貴方が強さを手に入れれば入れるほど命の尊さを知っていくことになるわ。時に自ら奪った命を背負うことで、時に自らの死の危険を感じることでね」
「………………」
「それに強さの事を差し引いても、貴方は変わりつつあるわよ……あの妖怪を助けた時、何も思わなかったわけじゃないでしょう?」
それは……確かにそうだ。
目の前で誰かが死んでいく恐怖、自分の行動への疑念、無力感、そして何より火依の眩しすぎるほどの生への執着……それに中てられた時の湧き上がる衝動は、感触は今も手の中に残っている。
「彼女の側で見習うといいわ。きっとこれからもあの子は貴方に色んなことを教えてくれるはずよ」
「そう、ですかね……」
俺は火依の背中を眺める。小さな背中だ。翼を含めたシルエットでもさほど大きく見えない。俺は自分が死ぬときにあれほど抗おうとできるだろうか……
自信はまったくなかった。
白玉楼からの帰り道、人里の近く竹林を見て俺はある約束を思い出す。そういえば輝夜さんが来てほしいと言っていたな……
「そうだ火依、永遠亭に寄りたいんだけどいいかな?」
「……前に来るよう約束してたね、いいよ」
ああ、そういえばあの時火依は居たっけか。輝夜さんの変な言い草が気になったが、とりあえず近くを通ったんだから話を聞くだけ聞いておこうか。
さて、問題は永遠亭の場所だが……三度目の正直だ。今度こそ絶対に自力で見つける!
「……北斗、そこじゃなくてあっちに降りた方が近くなる」
意気込んでいたところ、火依に指摘されて固まってしまう。そうか、火依も以前までは竹林を縄張りにしてたんだよな。ならわかるってもんだよなぁ……
「北斗、ドンマイ」
「心中を察しないでくれ、惨めになる」
俺は荒んだ心のまま火依の示した場所へ降りていく。しばらく辺りを歩くと、あっさり永遠亭が見つかり俺の心はさらに毛羽立った。
なんとか気を取り直して、俺は永遠亭に入ると出迎えてくれたのは永琳さんだった。どうやらあの兎の子はいないみたいだ。俺は最初にここに来たときに輝夜さんと話をした居間に通される。ちなみに火依は話を面倒にしたくないからと、刀の中へ入ってしまった。便利だなぁ……幽霊って。
しばらく一人で待っていると、輝夜さんが現れる。やや浮かない顔だ。愁いを帯びているというか……故人を思っているかのような遠い目をしているように見えた。そんな様子を不思議に思っていると、輝夜さんは俺と向き合う様に座る。そしておもむろに口を開いた。
「……別に来なくてもいいって言ったのに」
「前もそんなこと言っていましたね。呼び出したのは輝夜さんなのに」
「そうなんだけどね……あまりしたい話ではないから」
「したい話ではない? どういうことですか?」
俺が尋ねると、輝夜さんは言葉に窮したように俯く。思わず怪訝な表情をしてしまう。
それでも根気よく言葉を待っていると、不意に輝夜さんが溜息を吐いた。けだるげに上げられた顔はどこか諦めたような表情を張り付けていた。
「……北斗君、貴方のの能力のことを調べさせてもらったわ」
「………………!」
俺は息を呑んだ。覚悟はしていたが……信仰が失われる事件で、俺の能力は隠し通せるものではなくなった。いつかそれを利用しようとする者は現れるとは思っていたが、まさか輝夜さんだとは思ってもみなかった。
「貴方の『影響を与える程度の能力』……それを使ってやってほしいことがあるの」
「……何でしょうか?」
俺は続けて話を聞くことにした。来なくてもいいと言ったり、話すことを渋ったりしているところから、俺の能力を悪用や面白半分に使おうとは思ってはいないと思うし、内容によっては……
輝夜さんは長い沈黙のあと、掠れそうなそうな声で呟いた。
「……私を、殺してくれないかしら?」
言葉の意味が理解できなかった。
殺してほしい? どういう意味だ? どうしてわざわざ俺に頼む?
背中に薄ら寒い何かが走る。何が何だかわからず混乱していると、輝夜さんはおもむろに袖から脇差を取り出した。そして刃を抜くと、何のためらいもなく自分の手のひらに突き刺した。
「輝夜さん!?」
「大丈夫よ」
俺は声を上げて心配するが、輝夜さんは平然とした口調で答えながら脇差を抜いた。まるで湧水のように溢れる血を茫然と見つめていると、ある時からその流れが逆転する。いや、時を遡っていると表現した方がいいだろうか? 気付いた時には手のひらの傷は痕もなく消えていた。
「こ、れは……」
「……私の、私の罪の証よ」
「罪の……証?」
「そう。不老不死の身体。私は何があろうとも死ぬことはない。永遠にね」
不老不死、かぐや姫だけにおとぎ話のような話だ。けれど、輝夜さんに抱いていた疑問が一つ解消された。千年もの月日を生きていられたのは力のお陰なのか。だが、同時に疑問も浮かんだ。
「……おかしな話ですね。不老不死というならどうして俺が殺せるというんですか?」
俺は眉間に皺を寄せながら言う。いや、薄々気が付いている。なにせ、ここ最近その修行ばかりしていたのだから。
「貴方の影響の力で、不老不死の力を無力化してもらいたいの。自らの手で死ねればそれでいいけれど、もしかしたら貴方の手を借りなければいけなくなると思うわ」
やはりそうだ。確かに不老不死の存在を否定することが出来れば、可能だろう。しかし、だからこそ……
「……この手を血で汚せというのですか?」
「人殺しをしろというわけじゃないわ。安楽死の薬を作る人間を殺人者と呼ばないでしょう?」
……いや、それは屁理屈だ。俺だって死にたいと思っていた人間だ。気持ちは分からなくない。
いや、分かるからこそ許せなかった。自分の望む死に誰かを巻き込むなんてあってはならない。あくまで自分の中で完結すべきなんだ。例え不老不死でもそれは変わらない。
正直言えば巻き込んでほしくなかった。火依を助けられなかった俺に、魂を封印するために封魂刀で火依の身体を切った俺に、輝夜さんを斬れだなんて頼んでほしくはなかった。
「すみませんが、何を言われようとも手伝うことはできません。失礼します」
俺は刀を手に取り立ち上がり、逃げるように部屋を出る。輝夜さんは追いかけるどころか声を掛けても来なかった。
それでいい。きっと輝夜さんだって俺と同じように思っていたからこそ消極的になっていたのだろう。
永琳さんに挨拶もせず、空に飛び立つ。そのまま真っ直ぐ博麗神社に戻ろうとするが……突然、目の前に紅い目が幻出し、それと同時に視界が渦巻き状に揺れる。
「なっ……」
まるで酒酔いと船酔いがいっぺんに来たような気持ち悪さだ。平衡感覚が保てない。せめて墜落しない様にすべきなのだが自分がどこにいるかも分からない。
「北斗!」
火依の呼びかけが聞こえるが、それもどこから呼ばれているかわからない。俺は、なすすべもなく何かにぶつかって、意識を失った。




