23.0 現人神と七つ星
新聞を見た俺はいち早く博麗神社へ帰ろうとしたが、それは神奈子様に止められた。この守矢神社内ならば結界で天狗の目は届かないから、せめて今すぐ動くべきではないと諭されたのだ。
冷静な判断だと、納得はした。だが、俺の中では急く気持ちが膨らみ続けていた。
こんな状況だ。すぐにでも霊夢と魔理沙に無事を伝えたかったが……このままでは二人にも、守矢神社にも迷惑を掛けてしまう。仕方なくその通りにするしかなかった。
「まさかこんな形で約束が叶うとは思っていませんでした」
で、結局俺は守矢神社に一晩泊めてもらうことになった。エプロン姿の東風谷が苦々しい笑みを浮かべながら、ちゃぶ台の上に料理を並べてくれる。
目の前には白米、味噌汁、肉じゃがに付け合わせのほうれん草のおひたし……まさに絵に書いた様な夕食の献立が並んでいた。食卓で待っていた俺は目の前に並べられた料理に感嘆の声を上げる。
「へぇ……東風谷って結構料理する方だったんだな。美味しそうだ」
「む、なんか上から目線が気になります! センパイのほうが年期は入ってるかもしれませんけど、味は負けませんからね!」
煽るような他意はなかったのだが、東風谷はすっかり対抗心を燃やしていた。同じく食卓に着いて話を聞いていた諏訪子様が意外そうに目を細める。
「へえ……北斗は料理ができるのかー、今度作ってよ」
「大したものは作れないですけどね。機会があればいつでも」
その機会があればいいが……今の俺は宗教家の妖怪に狙われる立場だ。いずれここもバレてしまうかもしれない。そして場合によっては、宗教家の敵として命を狙われる可能性だって……
「センパイ……食べてくれないんですか……?」
気付くと、東風谷が今にも泣き出しそうな目でこちらを見つめていた。しまった、少し思考に没頭しすぎたようだ。俺は咳払いを一つして、箸を手に取る。
「ごめん、ちょっと考え事していた。いただきます」
合掌してから肉じゃがを口に入れる。うん、よく味が染みている。俺はつい辛めに作ってしまうことが多いのだが、やや甘めの味付けは家庭的な感じでホッとする。
「どう、ですか?」
肉じゃが、ほうれん草のおひたしに舌鼓を打っていると、東風谷が恐る恐る感想を求めてくる。
「うん、美味しいよ。とても優しい味だ」
素直な感想を述べると、東風谷は顔を真っ赤にしながらガッツポーズをした。そんなに喜んでよっぽど褒められたかったのだろうか?
それにしても神様も普通の食事を取っていることに、今更ながら驚いてしまう。よく考えれば外のお供えものも少し豪華な食べ物だし、ある意味普通なのかもしれないな。
まだまだ神様について知らないことが多過ぎる。もしかしたらそれが原因で、異変が起こっている可能性もあるかもしれない。
食事を済ませてお茶を飲んでいると、神奈子さんが胡坐を掻きながら頬杖を突いて俺を見据えた。
「さて、これからのことだが……どうするつもりだ、北斗?」
単刀直入に問われ、俺は言葉に詰まる。居間には俺と神奈子様と諏訪子様の三人しかいない。東風谷は後片付けの真っ最中だ。俺はやや考えてから、口を開く。
「先程言った通り博麗神社に戻ります。俺にはやましいとこはないんですから、堂々と無実を証明しようと思っています」
「信じられると思っているのか?」
神奈子様に痛い所を指摘され、俺は閉口する。しかし答えられないままおめおめ引き下がるわけにもいかない。俺はない頭でしばらく考え込んでから……首を振った。
「……厳しいと思いますが、このままここでずっと隠れていても状況は悪くなるだけです。それなら俺は……行動を起こしてみたい、です」
「幻想郷は君が思っているほど優しくない。人間の命一つ安いものだぞ」
「……かもしれません」
紫さんが俺を殺そうとしたときも似たようなことを言われた。
妖怪からしたら俺を殺して異変が解決すればそれでいい。出来なければ可哀そうなことをした程度にしか思われない。俺一人の命などその程度の価値しかないのだろう。
無為に死にたくはない、けれど……
返す言葉も思いつかず俯いていると、ちゃぶ台に身を預けてダラダラしていた諏訪子様がボソっと呟く。
「シリアスな話をしてるところ悪いんだけどさー、この異変の目的ってなんなんだろうねー?」
「突然どうした諏訪子?」
唐突な質問に神奈子様が訝しむが、諏訪子様は暢気に煎餅を齧っているだけだ。常に威厳を保とうとする神奈子様、自由奔放に振る舞う諏訪子様……なんというか対極的な二人だ。だからこそ二柱で祀られているのかもしれないが。
「はむ……うーん……これが私達を狙っているとは思えないんだよねぇ。天狗が私達の力を削ぐためにやってるならこんな報道しなくていいのよ。放っておけばいい。ならどうしてこの新聞を配ったのかだけど……」
諏訪子様は咥えた煎餅で俺を指す。その時顔がほんの一瞬だけ、恐ろしい何かに変わったように見えた。
「『最初から北斗を狙ってる』なら辻褄が合うと思わない?」
「俺を……?」
「そう、それならこの新聞を出して君に罪を擦り付ける意味も分かるよ」
「……理由がないですよ。俺を貶めて誰かが得をするんですか?」
俺には権力も実質的な力も何もない。貶めて得をする要素は全くないだろう。第一村から信仰を奪えるような能力者なら、そんな回りくどいことをしなくてもいいと思うんだが……
「恨んでいる人を貶めるのに打算的な理由は必要ないよ。ただ純粋な感情があるだけ」
「そんなもんですか……?」
「そんなもんさ」
「むぅ……」
諏訪子様の達観した考えに、俺は唸り声を上げさせられる。
そういえば霊夢の話だと諏訪子様は祟り神だと言っていた。なるほど説得力があるのも当然か。俺が、話にか諏訪子様にか分からないが心底ゾッとしていていると、一連のやりとりを黙って聞いていた神奈子様が口を開く。
「強いて理由を挙げるなら博麗の巫女の影響力を削ぐ為だとも考えられるな。異変を解決するものが異変の種を育てていたというのは、人里の民からすれば聞こえが悪いからね。ま、あの巫女が他人の評価でビクビクするとは思えないがね」
「……真相はわかりませんが、俺を狙っている可能性も十分あるということは理解しました」
意見を聞いて、俺は決心を固める。正直なことを言えば、俺の命を狙うなんてあり得ないと、今でも思ってはいるが……結局のところ、どちらでも俺のやれることは変わらない。なら……
「やっぱり、明日博麗神社に戻ります」
「死を覚悟したつもりか?」
神奈子様が険しい目つきでこちらを睨む。蔑んだような瞳に晒されるが俺はすぐに否定した。
「違います。神奈子様の予想が当たっているかはともかく、恐らく俺を恨む妖怪達は博麗神社を目指すでしょう。霊夢達が危険に晒されようとしているのに、俺だけコソコソ隠れているなんて男らしくないじゃないですか」
俺が真剣な顔で言うと、神奈子様と諏訪子様は顔を見合ってどちらとともなく吹き出した。
「ふふふ……そうか、男らしくないか! そうだな、全くその通りだ」
「あはは、早苗もなかなか見る目があるじゃない! うん、いいよ。面白い!」
突然笑い出した二柱の神様に困惑していると、神奈子様が俺の背中をバンバンと叩く。
「分かった!意志は固いようだからもう止めはしない! だが、私も付いて行こう。久しぶりの加護を与えるに値する人間だ。見殺すには勿体無い」
「私も行くよー! まだ料理の約束も果たしてもらってないし、君が死んだら早苗が悲しんじゃうからね」
「え、ちょ……心強いですけど、御二方は力を失っているんじゃ……」
「何、少しくらいは残っているさ。それに……」
「今からじっくりねっとり私達の事を教えてあげるよー、そうすればもうちょっとは力が回復すると思うし……神様直々に教義を教えてもらえるなんて北斗は幸せものだねぇ」
神奈子様と諏訪子様は俺の両手をがっちりホールドして、満面の笑みを浮かべた。
「「今夜は寝かさないぞ!」」
その後、数時間に渡って延々と説教を聞かされたお陰もあって、御二方への信仰が高まった。洗脳されたとも言うけど。
「酷い目にあった……」
説教を受けた後、雪崩れ込むように酒盛りに発展してしまい、二柱の神になすがまま飲まされてしまった。おかげで頭が痛い。
今は御二方が寝たのを見計らって、俺は境内に出て夜の空気を吸いに来ていた。空を見上げると満点の星が輝いている。それをぼんやり眺めていると、隣に東風谷が歩いて来て……俺の隣に並んだ。
「こっちの世界、星が綺麗ですよね」
「……そうだな」
北の空には北斗七星が輝いていた。自分の名前の由来を見るのもなんだか気恥ずかしい。俺はそれを口に出されないように、先んじて東風谷に話しかけた。
「寝なくていいのか? 夜更かしは美容の敵らしいぞ」
「今日ぐらいいいんですよ。今日は、特別な日ですから」
「……特別な日?」
「……二度と会えないと思っていたセンパイに再開出来た日です」
東風谷はそう呟くと、頭を俺の肩に預けてくる。柔らかな髪の感触と石鹸の匂いに心拍数が跳ね上がる。しばらく体を石のように緊張させていると……東風谷がセンパイ、と俺を呼んだ。
「期待してないですけど私と別れる最後の日のこと覚えていますか?」
「期待してないのか……ご期待に添えたいところなんだけど、ごめん。詳しく覚えてない」
「だと思いました」
「けど、その時の東風谷の顔は思い出したよ。泣くのを必死に我慢して……痛たたたッ!?」
突然耳たぶを引っ張られて、言葉を遮られてしまう。俺は抗議の目を向けるが、東風谷の顔を見ることなく背を向けられてしまった。
「そういうことは覚えてるなんて卑怯です」
「理不尽だなぁ……全部忘れてるよりマシだろ?」
肩を竦めてそう言うと、東風谷は振り向いて頬を膨らます。
「私はセンパイとのこと全部覚えているのに……」
「……ごめん」
「謝らなくていいです! センパイが悪いんじゃないんですから……悪いのは、我儘な私です」
東風谷は長い髪を靡かせながらまた俺に背を向ける。しばらく二人で夜空を見上げていると……思い出したかのように東風谷が口を開く。
「明日、神奈子様と諏訪子様と一緒に博麗神社へ行くんですね」
「ああ……ずっとここで隠れている訳にもいかないからな」
「……そうですか」
東風谷はクルっとターンしてこちらへ向くと、自分の胸をポンと叩く。自信に溢れたような生き生きとした表情だった。
「わかりました、私も付いて行きます!」
「いや、危ないから残った方が……」
「危ないのはセンパイの方です! それに私、霊夢さん達に負けないくらいの実力はあります! 弱っちいセンパイなんて目じゃありません」
随分ヘコむことを言ってくれる。まあ、そういうとこなら頑なに拒む理由もないかな。
「わかった、よろしく頼むよ」
「はい! 現人神の私にお任せください!」
「あらびとかみ?」
俺は聞き慣れない言葉に首を傾げていると、東風谷が指を立てて意気揚々と説明し始める。
「はい、私の能力は『奇跡を起こす程度の能力』です。主に天候を操ったりするんですが、その内で私自身が神様と崇められるようになりまして……」
「だから、現人神か」
「はい、そう呼ばれるようになりました。もっとも神奈子様と諏訪子様のように信仰がなくても、ただの人として生きていけますけど」
「へぇ……東風谷って結構凄いんだなぁ……」
素直に感心していると、東風谷は突然、嬉しそうに笑った。面白いことを言ったつもりはないんだが……
「ふふ、本当にセンパイは変わらないですね」
「そうか? 見た目ほとんど変わってない東風谷に言われてもなぁ……」
「変わってないですよ。初めて会った時から、センパイは私の事を普通の女の子として見てくれる……それがとても嬉しいんですよ」
「そう……か……」
普通の女の子、か。俺の記憶でも東風谷はクラス内……いや、校内で浮いていた様に見えた。皆彼女を避けていた覚えがある。当時は髪の色の為だと思っていたが……今思えば現人神と奉られていたせいなのか。
もしかしたらそこら辺の事情を知らなかったのは、学校内で俺だけだったのかもしれない。
東風谷と出会ったのはただの偶然だ。俺が図書当番の時に、東風谷が本を借りに来て……ふとしたきっかけで話をするようになっただけだ。
「センパイと一緒に図書委員のお仕事をしているときは本当に楽しかったです。下校時間ギリギリまでずっとお話してましたよね」
「ああ……お互いにお勧めの本を交換して感想いいあったり、こっそり試験勉強したり……」
懐かしい昔話だ。大した出来事のなかった高校生活の、唯一の思い出かもしれない。感傷に浸っていると、東風谷は前触れもなく唐突に俺の手を取る。
「……私、センパイがいなかったらきっとすぐ幻想郷へ行ってしまっていました」
「………………」
「だから、ありがとうございました。センパイのおかげで、少しの間だけでも、楽しい高校生活が送れました」
東風谷はまるで慈しむように、悲しげに、俺の手を頬に当てる。俺はその小さな手をただ握り返した。
……どうして幻想郷に行ってしまったんだ?と聞こうと思ったけど、止めた。
きっと、あんな顔になるほど辛い決断だったのだろう。それにそんなことよりも……二度と会えなかったはずの俺と東風谷が出会えたことの方が大事だ。
星空の下、二人はしばらく無言まま、お互いの手の温度を確かめ合った。




