13.0 半霊と死の渇望
身体が重い。節々に鈍い痛みが広がっている。全身筋肉痛だ。特に脇腹はドクドクと断続的に強い痛みがする。息をするのも辛いほどだ。
幼い頃祖父と山に入った時、崖から滑落した時もこんなキツかったのを覚えている。あの時は死を覚悟するほどの痛みだったが、それに比べたら……今の痛みは大したことはない。
ただ……喉が渇いて仕方がなかった。
「……その剣、ちょっと切るだけでも幽霊を成仏できるんでしょ。なのにあばらへし折るほどの一撃を打つ必要があったの?」
「目が見えなかったんだから仕方ないじゃない。それに手加減する余裕なんてなかったわ」
枕元で誰かが言い争っている。片方の声は分かるが、もう一方は聞いたことがない。一体誰だろうか?
ゆっくりと目を開けてみると薄暗い明かりの中、枕元に霊夢と銀髪のボブカットの色白な女の子が座っていた。場所は……どこだろう? 見覚えはない。少なくとも博麗神社じゃないみたいだが……
そういえば、あの刀を手に取ってしまった後の記憶がない。気絶してしまったのか? いったい俺の身に何が起こったのか。状況が把握したい。
寝返りを打って身体を起こそうとするが、腹部にさらに激痛が走る。
「ぐっ……」
「あ、目を覚ましましたか!大丈夫ですか?」
思わず口の端から呻き声を零してしまう。すると、銀髪の女の子は心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。ちょっと距離が近くて困るのだが、距離を取ろうにも身体が動かせない。俺は何とか首だけ逸らしながら霊夢に視線を向ける。
「……えっと、霊夢。何があったんだ?」
「あー、簡単に言えば、あの剣に封印されてた魂が意識を乗っ取ったのよ。その怪我はそこの妖夢が力づくで止めようとしてつけられた無駄な傷よ」
「無駄って……あの時はああやれば倒せるって思ったんだもん!」
妖夢と呼ばれた女の子は子供っぽい口調で頬を膨らませる。妖夢って名前が似てるが霊夢の親戚だろうか? 容姿はさほど似てるとは思えないが……まあ、そんなことはまた今度聞けばいいか。それより先に言わないといけないことがあった。
「えっと……妖夢さん」
「あ、はい」
「助けようとしてくれてありがとうございます。お陰で何とかなったみたいです」
「いえそんな! 私が未熟なばっかりにこんなことに……あと、私のことは呼び捨てで構いませんよ」
妖夢は慌てた様子で三つ指をついて頭を下げる。そこまで畏まれてしまうという逆にこっちが申し訳なくなるんだが……
すぐさま身体を起こして頭を下げ返そうとしたのだが、激痛に阻まれてとても身体を起こせない。そんな俺の姿を見て何か思ったか、霊夢が咳払いしてから話に割って入ってくる。
「ん、言っとくけど乗っ取ったやつから身体奪い返して、刀に入ったアンタの魂を身体に入れ直したのは私よ。労いの一言ぐらいないの?」
「もちろん感謝してるってば。ありがとう」
「ふん」
取ってつけたようになってしまったお礼に不服なのか、霊夢は不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。まるで野良猫の様な気難しさだ。まあ、後でフォローしておくか。
そんなやり取りをしていると、ようやく顔を上げた妖夢が肩を撫で下ろす。
「何はともあれ、これで安心しました。すみませんが、幽々子様を待たせているので私は白玉楼に帰りますね」
「……ゆゆこ様? はくぎょくろう?」
「コイツが仕えてる西行寺幽々子のお屋敷。冥界にある桜と庭くらいしか面白味のないところよ」
聞いたことのない地名に首を傾げていると、霊夢が腕を組みながら説明してくれる。なるほど、冥界か。パチュリーさんに借りた本で地名だけは知っている。
幻想郷には冥界や天界、魔界や地獄、はたまた月にまで行く方法があるらしい。ちなみに俺が最初に降り立った無縁塚は冥界や三途の川にも繋がる場所で超危険地帯だってこともその時知った。
「けど冥界って普通の人間が入れるものなのか?」
「長居しなければ別に問題ないんじゃない? それに妖夢は半人半霊だし」
「はんじんはんれい……霖之助さんは珍しい人なのかと思っていたけどそうでもないのか」
素直な感想を口にすると、部屋の奥の方からくしゃみが聞こえた。噂をすれば……というやつだろうか。なんて気を取られたのは俺だけのようで、妖夢は少し照れたように笑う。
「まあ、幻想郷ですから、私みたいな種族もそれなりにいるってことです。ほら、これが私の半分の霊です」
妖夢が宙を指差すと、空中に半透明の雲みたいなものが浮かんでいた。ああ、霊と人は分けてあるのか。なんかお得だ。興味本位で手を伸ばしてみるとと、冷蔵庫に手を突っ込んだような冷気に触れる。
「おお、涼しい」
「ん……半霊はそれくらいの温度ですけど、幽霊は凍傷するほど冷たいのでむやみに触らない方がいいですよ」
「へぇ……何だか面白いな」
好奇心でふわふわ浮く半霊を手で追いかけていると、不意に妖夢がビクッと背筋を跳ね上げた。
「んあ……」
「ん……? あ、もしかして半霊を触ったら感触が伝わるとか!? ご、ごめんなさい!」
「あ、いえ、大丈夫です! その、ちょっとくすぐったいだけなんで!」
慌てて手を引っ込めてあやまると、妖夢は少し顔を赤らめて両手と首を振ってくれる。そんな俺達を霊夢は白けた様なジト目で睨みながら……小さく呟いた。
「セクハラ」
「かもしれないけど誤解だ!」
その後他愛もない話をいくつか交わしたのち、妖夢は白玉楼に帰っていった。さっき一度礼は言ったがまたいずれ挨拶しに行かないとな……
それからしばらくして霖之助さんが俺の様子を見に来てくれた。どうやらここは本来彼の部屋らしい。迷惑を掛けてすまないと謝ると、商品管理の甘い自分の方が悪かったと謝り返されてしまった。
今回は事故みたいなものだし仕方がないとは思うんだが……それにこれだけ手厚く介護してくれて文句なんて言えるわけがない。
そんなやり取りがあった後、ある程度身体も楽になってきたので神社に帰ろうとしたのだが……霊夢と霖之助さんに猛烈に反発されてしまった。
そんな訳で、霖之助さんの厚意に甘えて一晩泊めてもらうことになった。ここまではいい。だが……
「……あのう、霊夢」
「何よ」
「いや、霖之助さんは別部屋で寝たらしいけど……霊夢は寝ないのかと」
「寝るわよ。アンタが寝たら私も寝る」
「そうやって観察されると、逆に眠れないんだが……」
文句を零してみても霊夢は一向に枕元から離れる様子はない。本気で寝るまで待っているつもりか。それは……少し困る。
仕方なく、俺は霊夢が諦めるまで目を瞑っていることにしたのだが……
「ねえ、北斗」
どれくらい経ったか、霊夢が沈黙に耐えられなくなったかのようにポツリと言葉を漏らす。狸寝入りを貫くなら黙っていた方がいいのかもしれないが……俺はそれに目を開けずに応じる。
「何だ?」
「前に聞いたことをもう一度聞いていいかしら?」
前……それは宴会終わりに二人で飲んだ時のことか。あの時、俺は情けないことに逃げた。しかし、今回は……逃げられそうになかった。いや、逃げたくはない。俺を救ってくれた霊夢にはせめて誠実でいたかった。たとえ、自分の弱さを曝け出しても。
俺は息を吐いてから、首だけで頷いた。
「あぁ、構わない」
「北斗は、死にたいの?」
霊夢らしい、あまりにぶっきら棒で直球な聞き方だ。あまりにもどストレートで俺は少し笑ってしまう。
けれどその直情さが逆に清々しくて、聞かれている側としては嫌な気分はなかった。
「里であった人にも言われた。俺から死の渇望が滲み出ているって」
「変なことを言う奴もいたものね……外の世界から忘れ去られたかった理由も似たようなものかしら?」
「……ホント、鋭いなぁ」
呆れるほどに鋭い。一つのことから、ボロボロと俺の正体がバレていく。誰も何も隠し事ができないんじゃないか、ってくらいだ。俺が空笑いをしてあたると、霊夢がさらに尋ねてくる。
「紫の話だと今の外の世界は自殺する人多いんでしょ。北斗はどうしてしなかったの?」
「しなかったの、って……もう少しマシな言い方はないのか?」
「誤魔化しても仕方ないでしょ」
本当に、竹を割ったような性格、というのは彼女のことを言いそうだ。
そう、まったくもって霊夢の言う通りだ。俺は生きたいか、死にたいかと聞かれたらどちらかと言えば死にたい方だった。
死んでしまったら、楽になれるんじゃないかと時々短絡的に思ってしまう。けれど、その度に思い留められたのは……
一人の少女のおかげだった。
「……あれ?」
俺は思わず目を開けてしまう。すると霊夢の不思議そうに見つめる目と目がバッチリ合った。
「あれ? 何の事?」
「あぁ……いや、これまで死のうと思わなかったのは、誰かと約束したからのはずなんだけど……」
それが何か思い出せない。この感覚、フランちゃんと話していた時や、人里で緑の髪の少女を見つけた時にも感じた気がするが……記憶に濃霧が掛かったかの様なもどかしい感覚が頭の中を覆っていた。
疲れからくるボケだろうか。いや、確かに大事な記憶のはずなのに、どうして……
「なんで思い出せないんだ……?」
「……痴呆?」
「違う、と思うんだけどなぁ。ともかく、俺は進んで死んだりはしなから安心して……痛」
俺は笑いながら誤魔化すと何故だか霊夢は頭にチョップを落としてくる。力の入ってない、撫でる様な一撃だった。
「別に心配した訳じゃないわよ。ただの興味本位よ」
照れ隠しか、そうにべなく言いながら霊夢は立ち上がり欠伸を一つする。時間はわからないが、結構な時間座っていたらしくさすがの霊夢も眠くなった様だ。
「……前言撤回。やっぱ寝るわ。アンタも早く寝なさいよ」
「ああ、おやすみ」
霊夢が部屋を後にしたあと、俺は天井をぼんやり見つめる。
終ぞ俺が操られた方法などは聞けなかったが……霖之助さんが操られず、俺だけは操られたのにのは、何か理由があるのだろうか?
そう、例えば俺が死にたいと思っていたから、とか。霊夢もそう思ったから気になって、あんな質問を俺にぶつけたのかもしれない。
「興味本位ねぇ……」
一体どういう意味の興味なのか、霊夢が俺のことをどう思っているのか……知りたかったが、まだ俺はそれを彼女に面と向かって聞く勇気はなかった。
溜め息を吐くと傷が響き顔が歪む。それを誤魔化すように乾いた笑い声を上げてみるが、虚しさが広がっていくだけだった。




