10.5 五月晴れの空の下
「あー、いい天気だなぁ……」
桜も散って草木も青々と生い茂っている。春先の寒さもどこへやら、ポカポカ陽気で門番に優しい季節になってきた。風も心地よい程度に吹いている。実に清々しい陽気だ。
「こんなに天気がいいと……眠くなりますね」
いつもなら気兼ねなく居眠りするところだけど、いやいやと首を振って我慢する。
初めて北斗さんが紅魔館を訪れた時、寝ていたところを咲夜さんに見られてしまった。それからというものマークが厳しくなっているのだ。せめて眠気に抵抗しているところをアピールしないといけない。とりあえず太極拳でもして眠気を誤魔化そうかと考えていると、空にフラフラと何かが飛んでいるのを目の端で捉える。
「なんでしょうアレ……一応こっちに来てるけど……」
だがちょうどいい。侵入者を追い払えば咲夜さんも少しくらい居眠りを許してくれるかもしれないし、侵入者じゃなくても世間話で気は紛れる。
そんなことを考えながら、飛んでくる何かを目で追っていると、それはフラフラと木の葉のような不安定さで門の前に降りてくる。一応里の人間の服装をしているが、着慣れていないのが分かる。黒髪の、どこにでもいそうな青年。けれどその顔には覚えがあった。
「はぁ……やっと紅魔館に着いた。飛べばすぐって言ってたけど全然遠いじゃないか……」
「あら、北斗さんでしたか。わざわざ飛んでこっちに来るなんて……そもそも飛べましたっけ?」
私が尋ねると北斗さんは照れ気味に頭を掻いた。その顔は疲れてはいるけれど、どこか楽しそうに映った。
「えっと……最近飛べるようになりました。今日は練習のためにここまで飛んできたんですよ」
「なるほど、熱心ですねぇ」
私は素直に感心する。彼が来てからもう季節が一つ過ぎようとしているが、これほど活発に幻想郷に慣れようしている外来人は聞いたことも見たこともない。北斗さんの能力は彼本人から聞いているけれど、それでも空を飛べるまで幻想郷に順応できるとは予想だにしていなかったわ。
「それにしても、身体中に包帯巻いてますけど妖怪にでも襲われましたか?」
「いえ……鬼巫女にサンドバッグされているだけですよ」
「……痴話喧嘩ですか?」
「違いますって。少し前から霊夢に相手してもらって護身術の練習をしているんですよ。一本も取れませんけどね」
北斗さんは頭を掻いてバツが悪そうに笑っているけれど、私は更に北斗さんを見直していた。あの巫女は体術だけとってもかなり腕が立つ。それを多少なりとも相手に出来ると言うことは、北斗さんは武術の心得があるのかな?
興味が湧いてきた。そうだ、このまま立ち話をしていてもいいが、どうせなら……
「よかったら、私ともやってみませんか?」
「えっ……美鈴さんとですか?流石に霊夢以上に相手になりませんよ」
「まあまあ、手加減はしますから。それに色々アドバイス出来ると思いますよ?」
私がそう促すと、北斗さんは少し悩みはするがあっさりと頷いた。
「分かりました。それじゃあ、よろしくお願いします」
「そうこなくては!」
私は手を叩いて構えると北斗さんは律儀に一礼してから、ゆっくりと間合いを取った。ほぼ構えはとっていない。少し足幅を取って、力を抜いている。
門番という仕事をしていると、それなりに武芸者と相手をする機会がある。はっきり言って奇をてらって変な構えをしているやつほど弱い。構えを見せた時点でその武道の性質、弱点が大体分かってしまうもの。本人は護身術と謙遜していたけれど、下手なやつよりかは楽しめそうだ。
「それでは、行きますよ……破ッ!」
私はまっすぐ北斗さんに近付く。敢えて愚直に攻める。どう対処するか見たい。
頭を狙って薙いだ手刀は身を沈めて躱される。続けて飛び上がる様に膝蹴りを放つが、両手で防がれてしまう。北斗さんは反動で大きく地面を転がるが、すぐ立ち上がる。あの様子だと膝蹴りを受け止めた時に、勢いを流すために後ろへ飛んだのだろう。
前もって手加減すると言ってはいるが妖怪と人間の力差を考慮して戦っている。実に冷静だわ。
北斗は両手を振りながら顔をしかめる。
「……これ手加減してるんですか?霊夢のより一撃重いんですけど」
「女性に重いとか言っちゃいけませんよ!ほら今度はそちらからどうぞ」
私は軽口をたたきながら右手を突き出し、手招きして挑発する。今度は攻撃が見たい、思いっきり撃ち込んできなさい。
すると北斗さんは一瞬だけ笑ってから、一直線に走ってくる。
「飛べッ!」
まるで段差を駆け上がる様に飛んで、蹴り出される二連続蹴り上げ。飛行能力を駆使した一撃は鋭いが、重さが乗ってない。軽い蹴りだ。私は敢えてそれを受け止めずに身体を半身に逸らして躱す。その着地と同時に北斗さんの姿が消える。勘で後ろに飛ぶと同時に砂を掻っ切る音がする。しゃがんだ北斗が足払いを仕掛けていた。
「なるほど……」
それからしばらく北斗さんに一方的に打たせての動きを見てみたのだけれど……護身術と自称した通り、北斗さんから繰り出される攻撃に苛烈な勢いも研ぎ澄まされた一撃もなかった。なるほど。彼の武術がどういうものか分かった。そして、霊夢に勝てない理由も。
「ちょっとだけ本気でいきます!」
「……ッ!?」
私は宣言と共に縮地で一瞬で距離を詰める。蹴りを警戒して顔の前でクロスした腕を掴み、宙に半円を描くように投げる。
北斗さんは少しぎこちないが、空中で体制を立て直し、地面に着地する。しかし地面に足を着けるより速く、さらにもう一度近付く。
「くっ……」
私の威圧に怯んだか、後ろに飛ぼうとした北斗さんのつま先を踏みつける。そして動きを止めたところで、掌底を顔をかすめるように放つ。静寂が場を支配する。そしてややあって……
「……参りました」
北斗が冷や汗を拭いながら降参を宣言した。それに対し私は足を退けて礼で応じる。
「御手合わせありがとうございました。いや、思った以上にやりますね」
「お世辞は止めてください。ほぼ瞬殺じゃないですか」
北斗さんは地面にへたり込んで、息を吐く。しっかりと自分の敗北を受け入れている。弱さを自覚できるのは、逆に強くなれる素質の一つだ。私は北斗さんに近付きながら笑いかけた。
「どうしても人間と妖怪じゃ身体能力の違いが出ますからしょうがないですよ。ただ北斗さんの戦い方はあくまで『外の人間に対したもの』ですからやり易くはありましたが」
「外の人間に対して……?」
北斗さんは地面に胡坐をかいて首を傾げる。そこで私は指を立てて、質問する。
「私がした最後の一撃とその前の投げ、二つにはある違いがあります。さて、なんでしょう?」
「何って……だいたい全部違うじゃないですか」
「いやそうなんですけど……答え合わせすると、空を飛ぶ相手に有効かそうでないかの違いです。空を飛べるなら上に投げてもダメージは与えられませんからね」
投げるなら地面や壁へ叩きつける必要があるってことね。基本的には、だけれど。北斗さんは感心したように頷いている。素直なのは教える側としても好印象だ。
「確かにそうですね。それで、最後のは空中へ逃げれなくするための技ですか」
「ええ、地上でしか使えませんが決まれば問答無用で接近に持ち込めます。さて話を戻しますが……」
私はいつもの定位置、門の横の塀に背を預ける。それに合わせて、北斗さんはゆっくりと立ち上がった。
「北斗さんの技はあくまで地に足がついている人間相手の技なんです。先程の足払いなんてそうですね。外の世界じゃ通用するかもしれませんが、空を飛べるのがごまんといる幻想郷では通用しない。あの巫女に一方的やられるのはそのせいでしょう」
「なるほど……」
つまりは飛べない人間同士の武術と空を飛べる者の戦いは別物で、有効な攻撃も違ってくる、ということだ。北斗さんはふむふむ頷きながら、よく分からない素材で出来た板切れに指を這わせている。儀式か何かだろうか?さて一通り教えてあげたのだから、今度は私から彼に聞いてみることにしよう。
「それにしても外の世界じゃ武術は廃れてきていると何処かで聞いたんですけど……北斗さんは誰に習ったのですか?」
「祖父に。家事から武術、獣の捌き方まで、自分自身が出来ることは片っ端から叩き込まれました。ちなみに祖父が言うには流派とかがないただの我流の護身術らしいです」
「なるほど、我流にしては独自性が少なく実践的で驚きました。一体どんな方なんでしょう?」
「それが数年間一緒に暮らしていても謎が多くて……歳すら教えてくれないんですよ」
北斗さんは板切れを懐にしまいながら懐かしそうに語る。彼は外の世界で忘れ去られた存在と聞いている。もしそうなら、その祖父も彼のことを忘れてしまっているのだろうか……少し寂しいわね。しばらく本人と一緒に感傷に浸っていると、北斗がおもむろに口を開いた。
「さて、そろそろ昼飯を作りに戻らないといけないんでこれくらいで」
「あれ、お嬢様達に要があったわけじゃないんですか?」
「はい、飛行の訓練だとしてもふらふら彷徨うのも怖いんで目的地を決めて飛んでいたんですよ。折り返しも頑張らないと」
「そうですか。またいつでもお相手しますよ」
「次はもう少しマシになってから来ます」
そう言って、北斗さんはまたフラフラと心配になるような飛び方で神社へと飛んで行った。大図書館経由で帰らず、わざわざ飛んで帰っていく。本当に彼は努力家だ。武術もきっと伸びる。いつかそれなりに全力を出せるぐらいに成長してもらいたいものね。
「さて、時間も潰せたしひと眠りを……」
私が昼寝でもしようと欠伸をしていると……不意に左肩を誰かに掴まれる。
「だから門番が寝るなと言っているでしょう」
「わっ、咲夜さん! 突然現れて耳元で喋らないで下さいよ!」
私は顔の距離が近くて思わず飛びのいてしまう。一方咲夜さんは平然としている。なんだか悔しい。
「これくらいしないと貴方は驚かないじゃない。それより、力仕事があるから手伝いなさい」
「手伝えって咲夜さん私にやらせるばっかりじゃないですか……って、ちょっと咲夜さん! 無視しないでくださいー!」
私はさっさと歩いていく咲夜さんの背中を慌てて追いかけた。




