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東方影響録  作者: ナツゴレソ
終章 少女を救うのは 〜Paradise Lost〜
201/202

119.5 優しくないのは

 霊夢の表情が絶望の色に染まる。くすんだ灰色。紅白がイメージカラーの彼女にはとても似つかわしくないものだった。

 そもそも私の知る霊夢は、絶望という感情からかけ離れた人間だった。未熟ではあるけれど、どんな異変も持ち前の才能と無鉄砲にすら思える自信で切り抜けてきた。

 私はそんな彼女を博麗の巫女として、この上なく信頼していたし、出来ることならこんな顔……させたくなかった。

 それでも、残酷に宣言しなければならない。私は傘を広げながら、息を大きく吸う。そして、霊夢の目をまっすぐ見つめ返す。


「これより龍神を、博麗の人柱を以って封印します。霊夢、貴女には最後の役目を……」

「待てよッ!」


 台詞を遮ったのは、魔理沙だ。霊夢を庇うように前に出ると、大きめのとんがり帽と焦げかけた箒を投げ捨てる。その手には真新しい包帯が丁寧に巻かれており、壮絶な戦いの痕が残っていた。


「頼む、待ってくれ紫。知ってるかもしれないが北斗の様子がおかしくて……」

「退きなさい、魔理沙。貴女も、北斗も関係ないわ」

「あとほんの少し、ちょっとの時間でいいんだ! 霊夢を、北斗に会わせてやってくれ!」


 そう言って魔理沙が深々と頭を下げる。

 そんな必要があるのか、とは私は尋ねない。北斗が誰のために、何をやったかはよく知っていた。そして、本当は何をしようとしているかも。

 確かにこのままでは霊夢に、北斗に未練が残る。それを解消したいというならば、止やしない。

 けれど、優先すべきは結界の封印だ。そして、北斗には悪いけれど、イレギュラーの状況下の今、人柱になるのは正統な博麗の巫女が望ましい。どちらかを人柱に選ばなければならないなら、私は霊夢を選ぶだろう。

 それに先の異変の、魔理沙の目的を知っていれば……魔理沙を疑わざるおえなかった。


「霊夢を逃がすつもり?」

「……違う」

「信じられないわね。異形の神と取引してまで霊夢を救けようとした貴女なら、平気で人を欺くでしょう?」

「違うッ!」


 魔理沙が地面に向きながら吼える。帽子を握る手の包帯が赤く染まっていく。けれど、本人は気付いてもいなかった。

 彼女はただ必死に霊夢のため、北斗のために頭を下げていた。


「北斗がなんであんなことをしたのかはわからないが、それはきっと私のせいなんだ。アイツは私との約束を、霊夢を守るために意固地になってるだけなんだよ」

「魔理、沙……」

「もしアイツが私みたいに安易な道に走ろうとしているなら、止めないと駄目だ。それにこのまま二度と会えないなんて、霊夢があんまりだ」


 霊夢が呆然と、目の前で懇願し続ける少女を見下ろす。私も真摯な彼女の姿に驚いていた。

 ……道を間違えたのだろう。自分では止まれなかったのかもしれない。けれど、それでも魔理沙は最初から最後まで霊夢のことを考え続けている。たとえ、最後には自分の気持ちを封殺することになっても。


「紫、お願いだ。霊夢が望むようにしてやってくれ。そうしてさえくれれば、私はもう何も言わないから」

「……わかりました。尽くせる限りのことはしましょう。ただし条件があります」


 魔理沙の想いはわかった。けれど、それは重要なことではない。大事なのは博麗霊夢がどう思っているかだ。

 人柱が負の感情に呑まれる様なことになれば、いずれ幻想郷に傷を残し、膿みを生む。霊夢、あるいは北斗が人柱になるようなことがあるならば、禍根を残すことは可能な限り避けたかった。

 それに……魔理沙がいくら願おうとも、霊夢が望んでいなければ何の意味もないことだ。


「貴女が決めなさい。霊夢、貴女は北斗に会いたいの?」

「紫、魔理沙。私は……」


 霊夢の視線が彷徨う。まるで、道に迷った町娘の様にか弱い彼女の姿は見たことがなかった。

 いや、違うか。一人の年頃の女の子であることを見ようとせず、弱さを許さなかったのは私だ。一人の普通の少女を博麗の巫女に歪めた罪は私にある。

 だとしたら私は、魔理沙に言われるまでもなく、霊夢の願いを聞き遂げる義務があるのかもしれない。例えばそれが、どういった結果になろうとも。

 曇天の空が渦巻き、龍の幻影が腹を見せる。氷雨の中、霊夢はしばらく俯いてから……


「北斗は……幻想郷を滅ぼすって言ってたけれど、きっと嘘だと思う。あくまで、私の直感だけれど」


 絞り出したかの様な小さな声で呟く。そこに自信はまるでない。

 霊夢の勘は当たる。異変の時は持ち前の勘で瞬く間に首謀者を見つけ、退治する。彼女の特質した能力だ。事実天性のものか、あるいは一年間北斗を見てきた賜物か、彼女の言うことは当たっていた。

 なのに、今はその自分の直感を信じられていなかった。不安そうに、言葉を選んで喋っていた。


「でも、怖いの。本当だったらと思うと……北斗が、私のせいで幻想郷を憎んでしまったらと考えたら、怖くてたまらない」

「霊夢、貴女は……」


 霊夢がずぶ濡れになった自分の身体を抱きしめ、縮こまる。寒さもあるだろうが、それよりも不安と恐怖で子犬の様に震えていた。

 今ここで、北斗の真意を伝えるのは簡単だ。けれど、こんな霊夢に真実を知らせても、また絶望させることにしかならない。

 第一霊夢が、代わりに北斗が生贄になると聞いて、喜ぶはずがない。ましてやあの死にたがりが不老不死になったと知れば、どんな行動に出るかわからない。

 真実は嘘より何倍も残酷なのだから。


「ねぇ、紫、魔理沙。どっちでもいいから教えてよ。私は北斗に会って何をすればいいの? なんて、言えばいいの……?」


 右も左もわからない子供の様な、抽象的な問い。けれど、私は言葉に窮してしまう。

 北斗の事情も、霊夢の状況も知る私からすれば、どう転んでも悲しい結末にしかならないのは目に見えていた。

 どうすれば傷が浅く済むか、そんな打算的な選択肢を与えることすらできず、私は黙り込んでしまう。


「簡単なことだぜ、霊夢」


 そんな折、魔理沙が先んじて口を開く。

 魔理沙は力なく立ち尽くす霊夢の元に歩み寄ると、帽子を捨て両手で霊夢の頬を挟み込む。そして、互いの額を軽くぶつけ合った。お互いの頭の上から、積もりかけていた氷が散る。


「ッ……魔理沙?」

「誰かの答えなんて求めんな。お前が決めて、お前が動け。もらった答えを鵜呑みにしちまうと、もっと後悔するぞ」

「………………」

「それでも、どうすればわからないか? なら、仕方がない。私がとっておきのいいやり方を教えてやる」


 魔理沙は、霊夢の濡れた頬をぬぐいながら両手を離すと、額を重ねたまま歯を見せて笑う。


「北斗に会ってこい。そして、一発ぶん殴れ。そうすれば言いたいことの一つや二つ浮かぶさ。もしそれでもダメなら……浮かぶまで殴ってやれ」

「……ガサツなやり方ね。答えになってないじゃない」

「当たり前だ。私は、霊夢じゃない。答えを出すのはお前だって紫も言っていたじゃねぇか」

「それは……そうね」


 魔理沙につられた様に、霊夢がはにかむ。そして、そっと魔理沙の首に両手を回し、互いに暖め合う様に抱きしめる。そして、耳元で何か囁く。風と氷雨で聞こえなかったけれど……いえ、私が聞いていいことではないでしょう。

 しばらくして、霊夢が魔理沙を手放す。その顔にはいつもの余裕が戻ってきていた。


「ん、お陰で吹っ切れたわ。たまにはいい事言うじゃない魔理沙」

「普段から毒にも薬にもなることしか言わないぜ、私は」

「なら、今までずっと毒を飲まされてたみたいね。ついでに、頼まれて欲しいのだけれど、いいかしら?」


 毒にも薬にもならない応酬を一通り交わし合うと、霊夢が私に向き直る。

 両頬には濡れた髪の毛が張り付いており、後ろ髪を束ねるリボンも形が崩れてしまっている。さながら疫病神の様にやつれた姿だけれど、その瞳は炎の様な生気を帯びていた。


「紫、あとどれくらい持つ?」

「藍と橙が時間を稼いでいるわ。私も加われば数刻は持つでしょう。けれど……急ぎなさい」

「念を押さなくてもわかってるわよ。それだけあれば十分。魔理沙、お願い」


 霊夢は不敵な笑顔を浮かべると、魔理沙に合図を送る。後ろでは帽子と箒を拾った魔理沙が、飛び立つ準備をしていた。

 箒に乗って運んでもらうつもりの様だ。霊夢の飛行スピードは魔理沙に劣る。時間を節約するにはもってこいの手段だろう。霊夢は魔理沙の箒に箱乗りで座ると、私に向けて手を振った。


「それじゃあ、行ってくるわ。結界のこと、頼むわね」

「……えぇ、任されましたわ」


 それだけ言い残すと、霊夢は魔理沙と一緒に暗い空へと飛び上がる。そして流れ星の様な速度で嵐の中に消えてしまった。

 私は見えなくなるまで二人を見送る。氷雨は弱まってきたが、まだ風は強く神社の境内を吹き抜けていた。




 それから幾ばくかして、私は鳥居の向こうの、墨で塗り潰した様な闇に目を向ける。神聖な境内に、暗く、邪悪な妖気が侵入してきていた。

 私は差していた傘を畳みながら、その闇の奥に声を掛ける。


「……邪魔者はいなくなったわ。いい加減出てきたらどうかしら?」

「ふふ、さすが妖怪の賢者。霊夢も気付かなかったのに、よくわかったわね」


 含み笑いと共に、煙立つ闇の奥から長い金髪の少女が現れる。両手を広げて歩く姿は、まるで綱渡りをするようだった。

 宵闇の妖怪……いや、かつて初代博麗の巫女に龍神と共に封印された、空亡。確か霊夢達は、ルーミアと呼んでいた。

 ルーミアは背後に闇を引き連れながら鳥居をくぐると、私の前に立ち口角を上げて笑う。


「けれど、邪魔なのは紫、貴女。せっかくこの姿で博麗の巫女を殺せると思ったのに。ま、どうせ保険のつもりだったし、北斗が人柱になればなんだっていいんだけどさー」


 ルーミアは雨で濡れた髪を振り払いながら、石畳の上でクルクル踊る。こんな状況なのに、随分上機嫌だ。いいえ、こんな状況だからこそ彼女は上機嫌なのだろう。


「……北斗に余計なことを吹き込んだわね」

「ふふ、余計とは人聞きの悪い。私は親切に、事実を教えただけ。余計だと思うのは貴女にとって都合が悪いからでしょう?」

「そう言うお前は都合の良いことしか口から出てないわよ。そんなに、この世界が気に入らない?」


 私は肩をかすめていく小止みの雨粒と風を鬱陶しく思いながら、ルーミアを睨む。すると、今までのニコニコとした笑顔から一転、口裂け女の様な広角と目尻が吊り上がった凄惨な笑みに変わる。


「気に入ってるわ、誰よりもね。けれど、気に入ってるモノほど終わりを見たくなるものでしょう? 空が割れるか、大地がひっくり返るか、それとも何もない荒野になるか、ってね」

「……お生憎様。私は好きな作品ほど最終話が見れないタイプなの」

「人生損してるわね。全ては、終わりを迎えるために生まれてくるというのに!」


 ルーミアが叫ぶや否や、背後の闇が急速に境内に広がっていく。それはまるで意思を持っているかの様に、私の身体に纏わりついてくる。

 邪魔だ。私は傘を横薙ぎに振るい、闇を払い除ける。そして返す切っ先を目の前の敵に向けた。


「何が目的か知らないけれど、北斗が人柱になっても幻想郷は終わらないし、貴女の封印も解かれることはないわ」

「ふーん……やっぱり知ってるんだ、北斗のこと」


 腕を組み顎に手を当てながらルーミアが呟く。その間も執拗に闇を差し向けてくる。大方退屈しのぎの嫌がらせだろうが、無意味だ。スキマから無数の標識を呼び出して無造作に落とすと、いとも簡単に霧散していった。

 お互いに攻撃に満たない牽制を繰り返しながら話を続ける。


「ならなんで霊夢を人柱にしたがってるの? 扱いあぐねていた外来の問題児が、自ら手を挙げて大結界の欠点を埋めてくれるんだから、貴女にとっては都合がいいでしょう?」

「彼にはまだ博麗の使命を全うするだけの力も覚悟も足りていないもの。不老不死を加味しても、ね」

「……言ってることも、やってることもあべこべ。結局、貴女はどうするつもりなの? 言動の境界まであやふやにして何もしないつもり?」


 ルーミアが饒舌に挑発してくるけれど……的外れだ。

 北斗の力不足もあくまで霊夢と比べた場合であり、フォローをすれば歴代の巫女と謙遜ない働きが出来ると思ってる。

 が、今回は歴代のそれとは状況が違う。本来、龍神の幻が現れてしまうほどギリギリで封印を行うことはないし、邪魔者もいない。正直なことを言えば、準備も説明も間に合っていないのに、力だけしかない素人を使うのは避けたかった。

 ……けれど、ここまでは私の都合だ。


「えぇ、そうね。私は……選ばない」

「……はぁ?」

「北斗と霊夢、どちらが人柱に相応しいかなんて、残る者の勝手な都合よ。後がどうなろうと、受け入れるしかない。どちらが人柱になるか、決めるのはあの二人が決めることであって、私達に選ぶ権利はないわ」

「……笑わせるなよスキマ妖怪。お前の言う勝手な都合で龍神と博麗の巫女を利用した癖に、よくもそんなこと言えたな。まさか、今更後悔してる? 償いをする相手を間違えてるんじゃない!?」


 ルーミアの咆哮に呼応して闇が更に溢れ出す。そして一斉に蠢き無数の刃に形を変える。まるで殺意が具現したかのようだ。

 来る。身構えた時には、雑木林の標識が一瞬で刈り取られていた。その鉄パイプの切り株群の向こう、ルーミアの顔は憤怒の色に染まっていた。


「後悔するくらいなら、全部終わらせてしまえばよかったのに! 幻想の消える定めに、我が身惜しさで逆らったのはお前のエゴなのに!」


 激しい燃え上がる様な声音とは対照的に、音もなく全身に闇の刃を突きつけられる。けれど私は、そんな怒り狂う彼女を笑ってしまう。


「……何を、何笑ってる!?」

「ルーミア、貴女優しいのね」

「ッ……!?」


 ……なんだ、終末論語って悪役ぶった癖に、結局貴女はあの子を救いたかっただけじゃない。それも救いになるかどうかもわかっていないのにね。

 ルーミアに僅かな動揺が生まれた。その刹那を逃さない。私は傘の石突きで円を描き、結界を貼る。結界とは境界、彼方と此方を別つものだ。空間の断絶が刃を砕く。闇の残滓一つすら立ち入ることを許さない。

 ルーミアは闇の領域を周囲に広げながら、こちらを睨んでくる。


「八雲、紫……!」

「永遠の苦しみより、先のない終わり。空亡らしい考え方ね。確かに終わりは優しいもの」


 終わらないものなど、幻想郷といえど然程ない。この箱庭だっていつか終わりが来る。当然の摂理だ。霊夢、北斗、龍神の犠牲、そして私の罪。それら全てが終わるのならば、それは優しいことなのだろう。

 けれどそれでも! 私は、あの二人の答えを、二人が守った幻想郷を見てみたいと思った。


「だから、永遠の幻想を願う私は……優しくないのでしょうね」


 たとえ、私が選ばせたものだとしても。

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