117.5 傍観者の気まぐれ
焼け爛れた北斗の肌がみるみる内に綺麗になっていく。時間が巻き戻っているかの様な光景だった。いや、完全には治りきりはしない。北斗は、服に付いた炎に絶え間なく身体を焼かれながら、再生させながら、火依を見下ろしていた。
人間なら重症……いや、致命傷の火傷なのに、北斗は叫び声一つ上げない。鉄人形の様な顔で平然としていた。その姿に、人間らしさは微塵も感じられない。妖怪、いや亡者の類だ。
熱気と緊張で身体から汗が吹き出る。肉の焼ける匂いが不快で仕方がない。天狗の私の方がよっぽど人間らしい反応をしていた。
「……なんであの北斗が、不老不死なんかに」
思わず独り言が口を衝く。確かにあの力があれば単純な戦いなら無敵だろう。単純な殺し合いなら負けがないのだから。
けれど、北斗は蓬莱人の末路を見てきたはずだ。それに共感したはずだ。なのに、どうしてそこまでする必要があるの……? どうやって蓬莱人になったかわからないけれど、本当にそれは必要なものだったの?
北斗がなにを考えているかわからない。いや、あれが本当に北斗なのかも怪しく思えてくる。私はきっと、火依と同じ顔をしていた。
「北斗ちゃんってさ、案外皮肉屋よね」
唐突に隣から小さな声が届く。盗み見る様に横目を向けると、天魔様がなんとも形容し難い苦笑を浮かべていた。
「死にたいって思っていたはずなのに、不老不死になって。幻想郷を滅ぼすと嘘吐きながら、幻想郷の人柱になろうとする。人間は元来矛盾の塊だけれど、今の北斗ちゃんはあまりに……雁字搦めだわ」
「天魔様……」
皮肉、矛盾。わからなくないけれども、私は少し違うと思う。
彼は人の気持ちに添い過ぎる。踏みにじるのを極端に嫌う。だから自分で道を狭めてしまう。縫う様な遠回りでしか進めなくなる。そして、自分の身を斬り削いで進むことに迷いがない。自分がないと言われてもおかしくないやり方しかできない、不器用なやつ。それでも誰かを傷つけてしまうのだから、不器用極まりない。
そんなんだから皮肉屋なんて揶揄されるし、矛盾している様に感じる。見てるこっちがやきもきしてしまう。
だから、考えてしまう。そんな北斗が不老不死になった理由は……
「天魔さん、これでもういいでしょう? アイツの場所を教えてください」
北斗は服に付いた火を叩いて消すと、煤の付いた顔で素っ気なく言う。傍らの火依は座り込んだまま石の様に動こうとしない。その痛々しい光景に、私は拳を握り込む。
……何が理由であれ、私はこんな姿を見たかったから北斗を追ったわけじゃない。もっと呆れて笑える様な記事が書きたかったのに、こんなの一文字だって書きたくない……!
早苗に理不尽な八つ当たりをしたばかりなのに、また感情的になっていく。口出しせずにはいられなかった。
「待ちなさいよ北斗ッ! こんなやり方で……」
「彼は無縁塚に居るよ」
「天魔様ッ!?」
思わず立場を忘れて詰め寄る。彼にあの男の居場所を教えてしまったら、もう止められなくなる。それくらいわかっているはずなのに!
けれど、天魔様は私を一瞥すらせず喋り続けた。
「紫色の花を咲かせる桜が目印よ。北斗ちゃんならよく知っているでしょう」
「……なんでそんなところに。そこに、何かがあるんですか?」
「本人に直接聞けばわかるわ。詮索している時間はないんでしょう?」
「はい……そうですね」
北斗は微かに頷くと私達に背を向ける。
ダメ、このままじゃあ彼が行ってしまう。そうすれば、二度と帰ってこない。私は彼を止めようと一歩踏み出す。けれど、何故だか北斗は動き出そうとしない。少しだけ間を置いてから……振り向く。
「天魔さん、文。今まで、ありがとうございました。すみませんでした」
それはせめてもの懺悔だったのかもしれない。
謝るくらいなら、やめればいいのに。そう言ってやりたかった。けれど、私にはあまりにも悲痛な呟きに聴こえて……北斗と早苗が目の前からいなくなっても、何も言葉が出てこなかった。
木々の間を、雨風が唸りながら吹き抜けていく。けれど、まだ焦げた匂いは残っていた。私と天魔様、そして火依の三人は何をするでもなく、ただ風の音を聞きながら動けずにいた。
北斗と早苗が飛び立って随分立つ。もしかしたら、もう無縁塚に着いているかもしれない。ようやく倦怠感が抜けてきたところで、私は襟元を崩し天魔様に向き直る。
「天魔様、一つ聞いてもよろしいですか?」
「畏まらなくていいよ文。今なら誰も聞いていないだろうし、特別になんでも答えちゃうわよ」
「……なら、一つだけ。北斗はなんで蓬莱人になったのでしょう?」
天魔様に聞くのは筋違いなのは承知している。けれど、私は情けないことに北斗に直接聞く勇気がなかった……というより、北斗から真実を聞き出せる自信がなかった。
天魔様は腕を組んで少し考えると……火依の方に歩いていく。
「それを聞いちゃうのね。もっと感情的なことを聞くのかと思ってたけれど……文ちゃんはやっぱり記者ね」
「事実をありのまま伝えることこそ、メディアの役目ですから」
「殊勝なこと言うじゃない。けど、このことを記事に書くのは駄目だからね」
そう言って私に釘を刺すと、天魔様は火依の頭を撫でた。すると火依の肩が微かに震え始める。私は嗚咽する火依に掛ける言葉が見当たらず、迷った挙句……天魔様との会話を続けた。
「分かっています。でも、どうしても気になるのです。そもそも不老不死の人間が人柱になるなんて聞いたことありません。そんなことをしたら龍神様のお怒りを買いかねないと思うのですが」
「どうだろうね。あれは物分かりがいいから気にしないんじゃない?」
私は、天魔様のいつも以上にぞんざいな答え方に少し引っかかりを覚える。無理やり素っ気なくしているかの様な違和感だ。
けれど、それよりも引っかかることがあった。
「あれって……まさか龍神様のことですか? まるで知り合い、友人みたいな口振りですね」
「うん、知り合いだよ。何百年も会ってないけど。友人かどうかは……わからないかな。あの子は私達のこと恨んでそうだし」
「恨まれている? 天魔様が、龍神様にですか?」
「そうね。具体的には私や紫、あるいは幻想郷の妖怪、神々の全て……もしかしたら、幻想郷の住民も恨みの対象かもね」
龍神様が、幻想郷を恨んでいる? じゃあ、この天候も結界の崩壊も龍神の怒りだというの? だとしたら博麗の巫女はさしずめ龍神様の怒りを鎮めるために生贄ということか。
いや、幻想郷を滅ぼそうとする存在をスキマ妖怪が容認するとは考えにくい。少なくとも幻想郷から龍神信仰を根絶して、神としての力を削ぎ落とすことくらいやるはずだ。
けれど、そうはなっていない。未だ里では龍神様の信仰が続いている。龍神像が祀られているのが良い証拠だ。それは、つまり……
「まさか龍神様は、幻想郷を作るための人柱になったのですか?」
「……ご明察。まるで名探偵ね」
天魔様は火依を撫でる手を止め、皮肉交じりに言う。と、先まで泣いていた火依がチラリと顔を上げる。青白い顔で涙を流すその表情は、掛け軸に書いた幽霊のようだった。本物の幽霊に使う例えではないけれど。
天魔様は大翼を伸ばすとため息を一つ吐き、喋り出す。
「私と紫は……妖怪と神々は生き残るために、彼女を『夢を現にする程度の能力』を利用した。永遠に眠らせ夢を見続けさせることでね」
「……それが幻想郷の成り立ちですか。だから、龍神様を信仰させて力を維持させる必要があったと」
「ええ。けれど、それは保険の様なものよ。本当に必要だったのは、永遠に眠らせるためには子守唄を歌う人間だった。妖怪ではいけない。とびきりの霊力を持った信仰深い人間が必要だった」
つまり博麗の巫女の使命とは単なる生贄ではなく、その生涯をかけて龍神様を眠らせ続ける続けること。
そこで、繋がる。北斗が蓬莱人になった理由は……!
「まさか北斗は……不老不死になって永遠に子守をし続けるつもり……!」
「おそらく、ね。誰が吹き込んだか知らないけれど……いや、大方察しはつくか。なんにしろ北斗ちゃんが好きそうな話よねぇ」
「……ええ、本当に。自分だけならどれだけ蔑ろにしても構わないと、本気で思ってるアイツらしいです」
まったく、どうしようもない。死に場所を見つけようとするように自分を投げ売ってきた北斗の末路が、自分の死すらない袋小路だなんて皮肉にも程がある。
私は一本下駄の歯で足元の小石をガリガリ転がす。事実を知った。けれど、私に出来ることはない。ならこのまま天狗の里に帰って眠ってしまおうか? そうすれば目が覚めた時には全て終わっている。霊夢か北斗のいない物足りない日常に戻るだけ。
……笑わせる。そんなの天狗でも新聞記者でもないじゃない! 私は小石を踏み砕き、翼を広げる。
「止めに行くつもり? やめときなよ文ちゃん。北斗ちゃんを止められるのは、一人だけなんだから」
「……分かってます。止めるつもりはないです。ただ、見届けるだけです」
「二度同じことを言わせないでよ」
「わかっています。ただ記事に出来なくても、知らないといけないことがありますから」
そう言い残して飛び出そうするが、直前で思い留まる。
高尚なことをのたまったけれど、私が行ってもただの野次馬だ。けれど、彼女は違う。私は火依の前に立ち、手を差し出す。
「火依。行くわよ」
「……でも、私は何も出来なくて」
「でもじゃないわ」
私は放り出されていた右手を掴んで力任せに引っ張る。霊体化ですり抜けられるかと思ったのだけど、火依はすんなりと立ち上がった。そして、腫れた目で私を見上げる。
「文……」
「このまま座り込んでるだけじゃ必ず後悔するわよ。諦めるにしても、決別はしなさい。それが、北斗と霊夢のためにもなる」
「……今度は、私が見送れってこと?」
火依が睨みながら言う。それは、彼岸でのことか。キメラ異変の顛末は聞いていたから意味はわかったけれど……私は敢えてとぼけてみせる。
「さあね。とにかく、行くわよ。案内は、私がしてあげるから」
……これは、ただの気まぐれの様なお節介だ。ここで座り込んでいるよりマシだから。ただ、それだけ。もしまた彼女が北斗に襲いかかっても止めやしない。たとえ幻想郷が滅びることになっても……まあ、構わない。そんな無責任な行動だった。
でも、出歯亀の私と違って権利はあるから。せめてこれくらいは……
私は手を引いたまま上空に飛び上がる。下を見ると、顔を伏せながらも翼を広げる火依と、私達を見守る天魔様がいた。その表情は優しげであり、少し物悲しそうでもあった。
まるでさとり妖怪に心の中を読み上げられた様な居心地の悪さを感じた私は、盗人の様な速さで無縁塚に向かって飛んだ。




