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東方影響録  作者: ナツゴレソ
第十三章 七日戦争(下) 〜Obtain morning of the eighth day〜
193/202

115.0 最後の刻と終わらせるべき少女

 結界が解けた瞬間、目の前に紅色の花が咲いた。

 その花は、魂魄に刻み付けられそうなほど鮮烈な色彩を放っていたが、ふと目をそらしてしまえば夢幻のごとく消えてしまいそうな儚さも持ち合わせていた。

 『夢想天生』……自らの存在を周囲から浮かすことで他者からの影響を一切遮断する、反則スレスレの弾幕。

 ついその無敵さばかりに目が行きがちになるが……俺はその空間を彩る鮮やかな弾幕の華に、霊夢の後ろ姿に、左腕の痛みも気にならない程に見惚れてしまう。

 綺麗だ、本当に。俺は、彼女と、彼女が放つ弾幕がとても好きだった。


「……心底惚れてるな、俺」


 俺は縋る様な格好で霧雨の剣を床に突き刺し、微かに笑う。意外だ。自分は恋愛に熱中する様な人間じゃないと思っていたのだが、そうでもなかったようだ。

 これだけ身体を張っても、なんの苦痛も感じない。むしろ傷がつくたびに、それが何だか誇らしく思えてしまう。

 ……まあ、流石に左腕一本はやり過ぎだが。これ程までの傷となると『デミ・リザレクション』で治りきるかも怪しい。いや、それ以前に今の体力で再生を行えば確実に体力が底を突き、気絶してしまうだろう。

 触手で描かれた足元の魔法陣はもう起動してしまっている。残された時間はない。魔理沙が魔法を完成させるのが早いか、血を失い気絶するのが早いか……いや、どちらよりも早く!


「まずは魔法陣を破壊する!」


 俺は右手に霊力と意識を集中させ、球体を形作る。

 以前までは魔力操作……もとい霊力操作は苦手で大雑把にしか出来なかった。だが、アリスさんとの魔術の特訓を経て相当鍛えられている。その成果で生まれたスペルが、これだ。


「砕け、『武曲「六界散華」』ッ!」


 宣言と共に球体状のエネルギーを天井に向かって投げる。片腕で放ったせいで狙った場所からやや後ろに外れるが……問題はない。

 間髪入れずジャンプ、球体に追いつきかかと落とし一閃。魔法陣目掛けて霊力球を蹴り落とす。

 スペルカードというルール上、派手な動きになってしまうのはやむ終えないい。案の定、そのせいで『夢想天生』に夢中だった魔理沙に気付かれてしまう。


「はっ、この期に及んでスペルカードなんて! 手加減する余裕があるのかよ!」

「こんな場面だから使うんだよ! 俺は、幻想郷のルールに則ってお前に勝つ!」

「そうやって拘るからお前は私を止められない!」


 魔理沙の苛烈な言葉に反応する様に、彼方からマスタースパークが放たれる。俺に向けてじゃない。霊力球を狙った攻撃……相殺するつもりか。

 だが、させない。直撃の寸前、霊力球を六つに分裂させ、光線の直撃から逃す。

 それを確認して、俺はさらに上空へ上がっていく。結界近くにはまだ霊夢がいるが……『夢想天生』を発動した彼女に攻撃は効かない。だからこそ気遣いなしで思いっきり仕掛けられる!


「……削り取れ、侵食しろ!」


 六つの霊力球がゆっくりと膨張していき、魔法陣を床と触手ごと削り取っていく。それはみるみるうち広がっていき、あっという間に魔法陣内の全てを呑み込んだ。

 これは否定結界ではない。ただ霊力を圧縮しただけの弾丸。いや、爆弾の様なものだ。

 これで物理的に魔法陣を破壊してしまえば、巻き戻しの魔法は使えなくなる。はずなのだが……


「そんな簡単には終わらないぜ」

「……だよな」


 ……魔理沙の言葉が耳に届いたその瞬間、さっきまでクレーターだらけで触手で線を補修されていた魔法陣が、床ごと綺麗に修復されていた。

 いや、巻き戻しで復元されたと言った方がいいか。ついでに魔理沙への外傷もあまり見受けられない。


「くそ……」


 徒労感が一気に押し寄せてくる。どうやら物理的に魔法陣を破壊するのは無意味な様だ。結局、魔理沙を倒すしか巻き戻しを止める方法はないのだろう。

 わかっていたことだが、どうしても楽な方に逃げたくなる。淡い期待に縋りたくなる。現実を見なければ立ち止まってしまうのに。

 俺は片手に苦心しながら、腰の封魂刀を抜く。

 もうやるしかない。本を燃やせばあるいはとも思ったが……そんな甘い考えでは、きっと魔理沙を止められない。


「ッ……危ねぇ」


 激しく身体を動かしたせいで、一瞬意識が飛びかける。が、咄嗟に舌を噛んでなんとか耐える。

 ズキズキとした痛みを口内で転がしていると、急に現れた火依が俺の両肩を叩く。どうやらいつの間にか霊夢から移って俺に憑き変わったようだ。


「北斗、平気? 腕だってそんなに血が出てるのに……」

「そんなの、言い訳に出来ない。ここまで来て腕一本ごときで止まれない」

「わかってる。けど魔理沙を止められたとしても、北斗が死んだら……霊夢が、後悔するからね」

「………………」


 火依の言い草に、少し笑ってしまう。火依は俺の性格をよく理解している。そうやって誰かが悲しむと言った方がまだ聞いてくれるって。

 霊夢も、火依も、悲しませるつもりはない。自己犠牲で解決しても何の意味もないことくらい、今までで学習したさ。


「わかってるよ。だから助けてくれ、火依」

「そう言っていっつも無茶するんだけどね、北斗は」

「それは……諦めてくれ!」


 そう叫びながら魔理沙目掛けて落下していく。ここに初めてきた時の、自殺詐欺を思い出す。あの時は飛べなかったが、今は違う。

 まだ俺は、無茶しなくとも勝てるほど強くないが……全力を出し切っても勝てないほど、弱くもない!


「魔理沙ァァァァッッ!!」


 迎撃のためにばら撒かれた暗い光の弾幕を旋回、急停止からの方向転換で次々と潜り抜ける。今の魔理沙が放つ弾幕は苛烈ではあったが、心を奪われる様な美しさに欠けている。ただの攻撃ならば……避けられないことはない!

 全てを避け切った勢いのまま、逆手に持った脇差を振り下ろす。身体を逸らして躱されるが、逆さのままの回転蹴りで追撃する。

 だが、それも触手に受け止められてしまう。前もって知っていたかのように反応が速い。思わず口から舌打ちが漏れる。対して逆さまに映る魔理沙の顔は実に平然としていた。


「片腕ないのによく動くぜ、北斗。だが、お前じゃあ私には勝てない。私を倒すには力も、覚悟も、まったく足りていない!」

「……随分上から物を言う!」


 体を捻り封魂刀を閃かせ、触手を切り裂く。切り口から吹き出るどす黒い血霧に視界を塗り潰されるが、その中でも迫り来る触手を切り裂く事くらい造作もない。

 俺は手の中で脇差を回し、次々と攻撃してくる触手を断ち切っていく。脇差に打ち直したせいか、今の封魂刀には魂を封印する力は残っていない。だが、影響で刀の与える影響を強化すればあるいは……

 今のところいくら触手を切っても、魂の封印は出来ていない。ならば身体を直接切る!

 俺は意を決して攻勢に出ようと、一歩踏み出す。


「……そう言うところが覚悟が足りないと言ってるんだぜ」


 が、全て見透かしたかの様な鋭い一撃が顔前に迫ってきていた。避けられない。咄嗟に庇った右手に触手が突き刺さる。封魂刀の柄のおかげで辛うじて貫通は免れたが、反動で身体からゴポと血が押し出される。


「ッ……」

「……封魂刀、だっけか。私の魂を一時的に封印するつもりなんだろう? 弾幕といい、そんな中途半端を選んでいる時点でお前に、覚悟はないって言ってるんだ」

「そう、やって……自分は違うって、言いたいのかよ」

「……あぁ、そうだぜ」


 肯定と同時に腹部への衝撃。意識が朦朧としているせいでただの蹴りすら見えなかった。思わず魔法陣に膝を突く。足元には俺の思っていたより大きな血溜まりが出来ていた。

 その血の鏡に、黒い影が覆い被さる。顔を起こすと、魔理沙が冷え切った表情で俺を見つめていた。


「例え誰に何と思われようとも、私が何になろうとも、霊夢がいる未来を掴んでみせる。霊夢に答えを委ねて選択から逃げているお前と、私は違う!」

「………………」


 霊夢に答えを委ねている、か。確かに今までは都合のいい言い訳に使っていたかもしれない。

 だが、今は違う。魔理沙を止める。その上で霊夢を救うと決めた。どんな代償を払おうとも。そのための覚悟は……あの時、早苗を倒したあの時に済ませている!

 俺はおもむろに柄の砕けた封魂刀を投げ捨てる。床に落ちた脇差の刃がけたたましい音を鳴らす。それを合図に、俺の背後に青い翼が広がる。


「北斗は……逃げてなんかないよ! 『愚者火「ウィル・オー・ウィスプ」』!」


 不意に現れた火依が宣言した瞬間、空中に紫色の火の玉がいくつも浮かび上がる。以前、ぬえに使ったスペルに似ている。が、数が違い過ぎた。

 広大な大図書館を埋め尽くす程の鬼火の群れが、俺達を照らしていた。


「北斗は霊夢の想いにちゃんと向き合っている! けど……魔理沙は、霊夢の気持ち、全然見てないッ!」

「ッ……付いてきたオマケの癖に、わかったように言うな火依ッ!」


 魔理沙が血走った瞳を向けながら歯軋りする。それを火依は毅然とした表情で受け止めていた。その胆力も流石だが……先まで相当力を使っていたはずなのに、よくもこれだけの炎を出せたものだ。火依の土壇場の強さに感心する。

 負けていられない、俺は歯を食いしばりながら血だらけの拳を突き出す。


「ぐっ……」


 火依に気を取られていたのか、いとも簡単に掌底が少女の鳩尾に入る。例え人妖になろうと人間の弱点は変わらないようだ。魔理沙の身体がくの字に折れ、後ろに数歩たたらを踏む。その姿を見て、俺はすぐさま火依と一緒に後ろへ飛んだ。

 ほぼ同時に、鬼火が魔理沙へと襲いかかる。火の玉の雨が絶え間なく空から降り注ぎ、瞬く間に紫の炎の海を生み出す。だが、燃え盛るその中で、魔理沙が触手を、髪を、服を燃やしながら咆えていた。


「じゃあ死んでもいいって、言ってるやつと……どう向き合えばいいんだよ! うんわかったって平然と認めてやればよかったのか? ふざけるなよ!」

「霊夢は、そんなこと……殺してくれなんて一言も言ってない! 救けてくれって言ったんだ! 魔理沙のやり方は……霊夢を生かすだけで、救っていない!」

「違う違う違うッ! 屁理屈を言うなッ! 私は、私しか、霊夢を救えないッ! ここまで来て止められる訳ない!」


 魔理沙が錯乱気味に叫びながら両手で天高く魔導書を掲げる。すると、本から赤黒い光が弾ける。そして、それに呼応して床に張り付いていた触手が激しく暴れ出す。


「もう、いい加減終われ北斗ォ!!」


 顔、足、腹部に衝撃が走り、血が左腕から弾け飛ぶ。避けも防げもできない程速い、触手による打撃だ。ただ……感情任せの攻撃だ。狙いが定まっていない。殆どが悪戯に埃と火の粉を舞い上げているだけだ。


「魔理沙、お前は……」


 伝わってくる。きっと、魔理沙は引っ込みがつかないなのだろう、と。人妖になってまでして時を巻き戻し、多くの人を……救おうとしている親友すら敵に回して、それでもまだ救ける方法を見つけられない。

 賭け過ぎて、もう降りるに降りられなくなっている。もう走り切るしか道が残ってないと思い込んでいる。




「……そうだな、終わらせないと、な」




 俺は息を吐いてから、残った霊力を注ぎ込み等身大ほどの結界を生み出す。

 本来7つの結界を作るところなのだが、今はもう一つしか作れない。だがは十分だ。一つで足りる。


「行くぞ……!」


 俺は炎の海を飛び越え、結界を盾に見立てながら全力で駆け抜ける。行く手を遮る紫の炎と触手をを消し去りながら、一直線に突き進む。

 このまま魔理沙の元に辿り着く。そのつもりだったのだが、突然巨大な魔法陣が壁のごとく目の前に浮かび上がる。時止めのそれじゃない。これは……


「私は、終わらない……終わるのはお前の方だッ! 『魔砲「ファイナルマスタースパーク」』ッ!!」


 霊夢を倒したスペルカード! あの威力は間近で見た分よく知っている。が、止まって躱せる間合いでもない! 全てを塗り潰す黒い破壊の光を、真正面から結界で受け止める。

 まるでブレーカーが落ちたみたく球に、視界から光が失われる。黒いマスタースパークの影響か、はたまた衝撃で視界がブラックアウトしているだけか、原因はわからない。既に身体の感覚が失われつつあった。それでも右腕から伝わる衝撃を頼りに、結界の維持に意識を集中させる。


「魔理沙、俺は、お前を……!」


 外の世界の常識を使い、存在を否定する影響を与える。それが否定結界だ。だが、これまでの出会いで、幻想の存在を心の底から信じられるようになった。

 ……そして『信じてなお、そのあり方に影響を与える』ことが出来るようになっていた。信じながら、有り得ないと否定することが出来るようになっていた。




 魔理沙の存在を認め、その上で俺の認めない力を否定する……矛盾結界だ。




 人に試したことは、一度もない。いや、そもそも使うつもりは一切なかった。相手に怪我させるくらいで済むならいいが、もしかしたら相手の性格や思考を歪める可能性だってある、それほど危険な力だと危惧していた。

 そう、だから使いたくなかった。特に、友達である魔理沙の存在を捻じ曲げるなんて本当にしたくなかった。例えこの一瞬は間違っていても、あのまっすぐでひたむきな輝きが失われるようなことはあってはいけない。

 だが、それをするしか……今の俺に魔理沙を止める方法はない!


「だから……頼む、せめて元に還せよ! 『破軍「七星夢葬」』!」


 スペル宣言から間も無く、右手の衝撃が軽くなり、前のめりに倒れかける。

 まだ視界が回復していないので、突破出来たかどうかは定かではない。でも、自分の身体がまだあることを信じて前に進む。

 きっと、これがラストチャンス。幻想郷中の畏れを見に纏い、時を巻き戻す彼女に対抗する、最後の切り札を使う唯一のタイミング。俺はその刹那を掴むため、黒く霞みがかった瞳を細めながら、一気に魔理沙の懐に入り込む。

 魔理沙からの妨害はない。届く、後一歩で、あともう一歩踏み込めれば本に手が届く。確実に、魔理沙を止められる。倒せる!






 はず、なの、に……!

 突然、身体が氷漬けになったかのように動かなくなる。流血の影響か……いや、身体どころじゃない。声を出すことはおろか呼吸することすら出来なくなっていた。

 それだけじゃない。全ての音と感触が消えてしまう。視界が静止画を延々と写し続けていた。


「間に合った」


 だが、不意にその静止画の中で魔理沙だけが動き出す。いつのにか赤黒かった髪と瞳が綺麗な金色に戻っている。あれ程強烈だった畏れも今は跡形もなく消え去っていた。

 魔理沙は悠然とした態度で顔を上げると、微かに笑みを浮かべる。それは一見、勝ち誇った様な笑みに見えたのだが……違った。

 安堵していた。まるで憑き物が取れたかの様な淡い笑みを浮かべて、俺に、火依に、霊夢に、笑いかけていた。




 ……そこでようやく気付く。俺は間に合わなかったのだと。この時間はただの猶予、余白の時間なのだと。

 魔理沙の魔法は、完成してしまったのだ。これより幻想郷の時間は一週間前にリセットされる。もうすぐすれば何も知らない無力な自分に戻されてしまう。約束も託された願いも繋いだ縁も全てなくして、また霊夢を傷付ける。




 それだけは、駄目だ。




 動け。動け。動け。動け。動け……動けよッ!

 色んな想いを背負い、乗り越えここまで来たんだ。全部無かったことにするなんて許されない。今までの時間を全て無駄にしてたまるか。

 頼む、俺の影響の力。俺を、魔理沙を、霊夢を、この幻想郷を変えさせてくれ! あと一歩でいい。あと一秒でいい。この空白の時間を、最後の刻を俺にくれ! 俺は背を向けて離れていく魔理沙を睨みながら、走り出したままの無様な姿で願う。

 ずっと忌み嫌って都合のいい時だけ頼ってきた力に、土壇場で縋り付く。浅ましいのは重々承知だ。だが『影響を与える程度の能力』が本当に俺のものであるならば……この仕組まれた時間を、運命を、幻想郷を、変えてみせろよ!

 まるで神にすがるかのように一心不乱に祈る。すると間も無く、身体中の皮が剥がされる様な痛みと共に体が動き出す。そして、身体から血を吹き出しながら一歩……


「うごぉ、けぇ……よぉぉぉぉッ!!」


 後ろに下がる。至極緩慢な動きで振り向き、背後に手を伸ばす。そこには、きっと……




 居た。振り向いた先には同じく手を伸ばしたまま動かない霊夢の姿があった。

 ……信じていた。きっと、霊夢なら俺を頼ってくれると。俺が、霊夢を頼ろうとしていると気付いてくれると。

 身体を動かせたのは一秒にも満たない一瞬だった。手を取ることなんて叶うはずもなかった。だが、中指の先が僅かに触れることは出来た。その微かな繋がりから俺の影響の全てを与える。

 ずっと変わらなかった霊夢に、俺が、どれだけの影響を与えられるか不安ではある。だが、それでも終わらせるべきなのはきっと彼女だから……




 きっとこれから先の時間を、俺が知ることは出来ない。だから、祈るしかない。俺の影響を、霊夢が受け入れてくれることを。

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