111.5 嘘つき少女
霧の湖で幾度も光が瞬く。 どうやら誰が弾幕ごっこをしてるみたいね。主戦場からは大分離れているはずなのだけれど……一体誰がやってるのかしら?
……どうも気になるわね。後ろ髪を引かれる様な感覚が止まない。けれど、流石にわざわざ寄る気にはならなかった。無駄な寄り道は避けたいし、何よりあそこ寒いし。この季節は近寄りたくもないわ。
代わりと言っては何だけれど、横目でずっと湖の方を眺めていると……ほんの微かに右の袖を引かれる。振り返ると、白い巫女服を着た火依が不安そうな顔をしていた。
「ねえ、霊夢……」
「ん、何?」
「……ううん、何でもない。ごめんね」
「煮え切らないわねぇ……これから本陣に乗り込むからってビビリ過ぎよ」
まあ、元々気が弱い子だもの。怖がるなって言う方が無理かもね。むしろよくここまで付いてきたと感心してるくらいだわ。
私は労いの念も込めて、私は火依の隣まで移動して頭を数度撫でる。すると、火依は藍色の髪をむず痒そうに揺らした。こうしていると互いの服装も相まって、側からは本当の姉妹の様に見えていそうだ。
火依はピクピクと羽を動かすと、ほんの少しだけ首を傾げた。
「……妙に優しいね。霊夢こそ緊張してる?」
「失礼ね。してないわよ……いや、ちょっとしてるかも」
「ほらやっぱり、嘘付くほど緊張してる」
「何それ? 私だって偶には詰まらない見栄も張るし、そこそこ緊張するわよ」
それに……平気で嘘だって吐くし、人も騙す。私は普通の人間で、悪い女なのよ。私は火依に顔を見られないようちょっぴりだけ飛行速度を上げる。
紅魔館はもう近い。周囲に張り巡らされた半透明の結界も視認できるほどの距離だ。
「……さ、早いとこ終わらせちゃいましょう。北斗が来る前にね」
「確かに見栄っ張りだ」
小さく笑いながら火依がからかってくる。彼女からしたら冗談っぽく聞こえたでしょうけれど……私は結構本気で言ったのよ? 出来ることなら、私と火依が異変を解決するまで、北斗に会いたくないもの。
……北斗に会えば、アイツの答えと向き合わなければならなくなる。情けない話だけれど、私はそれが怖かった。
「ほんと、外面だけは一丁前でね」
我ながららしくない自虐を独りごちる。それほど私は弱気になってしまっていた。
……もし私がいなくなるって知ったら、北斗はどうするのだろうか。律儀に私との約束を守ってくれるかしら? それとも魔理沙と一緒になって私を止めるかしら? それは……嫌だな。
今更だけれど、後悔していた。こんなことになるなら、北斗に全て話してしまえばよかった。そうすれば、まだ後戻り出来たのに……
駄目ね、火依にビビるなって言っておきながら私も臆病になってる。敵じゃなくて、北斗を怖がっているあたり、火依より臆病者かも。
……もう、後戻りなんてしない。させるわけにはいけない。
北斗にあれだけの事をさせたのだもの。今回で全てを終わらせる。他の誰でもなく、私の手で……
「霊夢、あれ!」
「うん……?」
「天子がいるよ。美鈴も」
火依が指差す先を見ると、紅魔館の正面入り口に二つの人影があった。言われてみれば確かに髪の色からして天子と美鈴に見えなくもないけれど……流石は妖怪、目がいいのね。
私は結界を一部だけ破いて火依と共に、その人影に近付く。先に反応したのは青い髪の方だ。
「遅かったじゃない。待ちくたびれたわよ」
「あらそう? その割には随分くつろいでいるじゃない」
「……隣の居眠り門番と違って、育ちのいい私は外で寝る趣味はないわ」
そう、恨めしそうに睨む天子は、美鈴と二人で館の外壁に背を預けていた。その衣服はボロボロで、ところどころ血で赤黒く染まってしまっていた。
肝心な時に居ないと思ったら、直接紅魔館に突撃していたのね。傲岸不遜な天子らしい振る舞いだ。
「で、勝ったのはどっち?」
「当然私……と言いたいところなのだけれど、引き分け。ただの門番かと思っていたのだけれど、まさかあれ程まで実力を隠していたとはね」
「お嬢様から留守を預かった者としては、情けない結果ですけどねぇ。現に、今の私では貴女達を止めることは出来ませんし」
そういって美鈴は申し訳なさそうに笑っているけれど、衣服を染める血の量は尋常ではない。二人の戦いが尋常なそれでなかったことがヒシヒシと伝わってくる。いまだに何の妖怪かわからないけれど、やっぱり美鈴も正真正銘人外なのねぇ。
「そ、なら遠慮なく通らせてもらうわよ」
「……その前に一ついいかしら?」
私が両開きの扉に手を掛けようとすると、天子に呼び止められてしまう。あんまり立ち話する時間はないのだけれど……
渋々天子の方へ向く。すると天子は膝を立て、しばし天を仰いでから……おもむろに口を開いた。
「貴女が人柱になるって話、本当?」
「………………」
「ひと……ばしら……?」
隣で火依が呟く。あまり意味はわかっていないようだけれど……不穏な言葉なのは理解しているようで不安そうにこちらを見上げてくる。
……あまりに不意打ちの暴露だったせいで、一瞬反応が遅れてしまった。動揺する私を、美鈴も怪訝そうに横目で見つめてくる。
三人の視線で釘付けにされ、私は思わず取手に掛かりっぱなしになっている自分の手へと視線を逸らす。
天子や美鈴にバレるのはどうでもいい、けれど火依に打ち明けるのは抵抗があった。魔理沙の元に着けば、否応なくバレてしまうって分かってるくせに、だ。
「……情けないわ」
私は誰にも聞こえない様努めながら小さな弱音を吐き出し、俯いていた姿勢を正す。そして扉と向かい合ったまま、頷いた。
「……えぇ、本当の話よ。誰から聞いたの?」
「萃香からよ。初めは酔っ払いの与太話かと思っていたのだけれど……これで辻褄が合ったわ」
「………………」
「魔理沙が時間を巻き戻しているのは、貴女を人柱にしないためね?」
私は三人から顔を背けたまま、無言を返す。
別に誤魔化しているわけじゃない。魔理沙の口から真意を聞いたわけじゃないから、肯定も否定も出来ないだけだった。
ただ……私もそうなんじゃないかと考えてはいた。だから、つい口から愚痴が漏れる。
「……まったく呆れるわよね。お節介も度が過ぎれば考えものよ。私一人のために幻想郷の時の流れを止めるなんて、馬鹿馬鹿しくて誰も実行しないわ」
「霊夢……」
「しかもそこまでしておきながら、人柱のことは隠すようみんなで示し合わしたりして……やり方が不合理的なのも気に食わない。不効率よ」
つい口調が強まってくる。本当に、いちいち勘に触るわ。
自分勝手に振舞っているようで、厚かましいほどに他人に気を使っている。私はそんな魔理沙が……歯痒かった。
「なんで霊夢さんは、魔理沙さんを止めようとするんですか?」
不意に斜め後ろから酷く落ち着いた声で投げかけられる。ドアを背にしたままゆっくりと振り向くと、解けかけた紅いお下げ髪を揺らしながら血だらけのまま立ち上がろうとしていた。
「記憶のことが辛いのはわかります。咲夜さんだってそうですから。けれど、死ぬよりマシじゃないですか?」
「……たかが門一つに命張ってる妖怪に言われたくないわ。私は死にたいからここに居るわけじゃない。一昔前の北斗と一緒にしないで」
私は皮肉を吐き捨てながら、質問を無視して扉を開けようとする。が、それを私の目の前に立つ火依が押し止めた。
いや、止めるといってもただ私を見上げているだけ……だけなのに私は青い炎の様に光を放つ瞳によって釘付けにされていた。
……そんな折、天子が横から割って入ってくる。
「私も知っておきたいわ。これだけ体張ったのだもの。貴女の自己満足に付き合わされた、で終わるなんてごめんわ」
天子にも、らしくない真面目な表情を向けられて私は辟易する。この不良天人は道楽で北斗の手助けをしていると思っていたのに……見当違いだったみたいね。
……まったく、どいつもこいつもお節介が過ぎて嫌になる。火依はともかく、天子も美鈴も全然関係ないじゃない。美鈴に至っては今のところ敵なんだけど。
つい、溜息を吐いてしまう。これじゃあ変に隠そうとしている私が捻くれ者みたいじゃない。
「……別に大したことじゃないわ。こんな辛気臭い一週間を永遠に生きるより、何も変哲も無い一日を過ごして死んだ方がマシって思っただけ」
諦め気味に、そう言って私は両開きの扉の片側を開け放つ。エントランスには誰もいない。案の定みんな出払ってるようだった。
「じゃ、そういうことだから行くわ。精々二人仲良く寝てなさい」
私は後ろに手を振りながら歩き出す。天子と美鈴はそれ以上何も言わなかった。
きっと二人には……いえ、火依にも自暴自棄な人間だと思われただろう。或いは刹那主義の愚か者だと。
けれど、あれが私の本音だった。たとえ一日しか時間がなくても、その一日があれば私は幸せなの。そんな毎日を生きる人達を守るために、幻想郷を守りたかった。
……そして何より、北斗と火依が私を覚えてくれる時間が、何より大事だから。
まぁ、きっと火依は付いて来ないでしょうね。と思いながらも、一応チラリと横を見遣る。けれど予想に反して彼女はやや遅れながらも私の後を追ってくれていた。
素直に嬉しいって言えばいいのに、私の口から生意気な言葉が溢れる。
「私が言うのもなんだけれど……あんな理由で良かったのかしら?」
「言いたいことは色々あるよ。けどきっと北斗もいつも通りがいいって思ってるから……」
火依は駆け足で私に追いつくと、右手を握りしめてくる。幽霊特有のひんやりとした感触。けれど、温もりは確かにそこにあった。
「絶対、私が霊夢を守るから」
「……頼りにしてるわ」
私はそれだけ言って火依の手を引く。エントランスには私の靴音だけが高鳴っていた。
私の一つや二つあると想定していたのだけれど、拍子抜けするほど簡単に大図書館前まで辿り着いてしまった。私の勘が正しければ、この先に魔理沙がいる。
さて、覚悟が決まっているうちに突入したいところなのだけれど……いまいちタイミングが掴めないでいた。扉の向こうから図書館とは思えないほどの派手な爆音がしているためだ。思わず私と火依は顔を見合す。
「……どうやら先着がいるみたいね」
「けど天子は他に誰か来たみたいなこと言ってなかったと思うよ」
確かにそうだ。少なくとも北斗が来ていれば何か言っただろう。
考えられるのは仲間割れか、或いは誰かが天子達にもバレないよう潜入しているか、あたりかしら?
「北斗かな?」
「……入ればわかること、よ」
私は火依にそう返しながら扉を思いっきり蹴り破る。そこには薄霧の中で弾ける幾つもの光と無数の本棚があった。
「霧って、まさか……」
この戦法、つい最近見たわね。よく考えれば、私や北斗、あと無鉄砲な天子以外にここへ直行しそうなのが一人いたわね。
私は袖からお祓い棒とお札、そして陰陽玉を取り出し構える。
「火依、行くわよ」
「うん……!」
床を蹴り一気に霧の中へ飛び込もうとする。が、それより先に、上から大きめの影が降ってくる。受け身も取らずすぐ近くの床に叩きつけられ転がったのは案の定青い和服を着た眼鏡の青年。
「霖之助さんッ!?」
すぐさま駆け寄り様子を伺おうとするが、その前に頭上から降る眩い光と殺気に身体が反応した。
「霊夢ッ!」
「『夢符「封魔陣」』」
火依の叫びが届く前に、床にお札を貼り付け正方形状に結界を生成。真上から降る閃光を押し留める。
相変わらず加減知らずの一撃だけれど、私の結界を破るほどの威力はない。よく知っていることだ!
私は防いだことを確認してから、陰陽玉に真上に思いっきり蹴り上げる。
「『宝具「陰陽飛鳥井」』!」
中空まで届いたそれはみるみるうちに膨張し、花火玉の様に頂上で弾けた。誰かにぶつかった様な感触はない。だが爆風で霧を晴らすことは出来た。
シャンデリアに照らされた室内の中央に居たのは、箒に乗る金髪の魔法使いだ。いつも通りの白黒の衣装を身につけた彼女は私を見た瞬間、腐ったキノコを食ったかの様に苦々しい顔を浮かべる。
「来たのかよ……霊夢」
「来たわよ、魔理沙」
お祓い棒を肩に担ぎながら、私は魔理沙を見上げる。それは繰り返された時間の中、何度も見た表情だった。




