101.5 斬って知れ
歯痒い。目の前に異変があるというのに、何も出来ないのは真綿で首を絞められているような息苦しさがあった。
「はぁ……」
私は中庭の枯山水を掃きながらため息を吐く。顕界が混乱しているというのに、私や幽々子様はまったくもって蚊帳の外であった。
魔理沙が引き起こしている異変……一週間周期を繰り返す異変はもう既に始まっている。それを知ることができたのは映姫様から送られてきた書面のおかげだった。彼岸ではこのループ自体は起こっていないようなのだが、死者の運搬に支障が出ているため困っているらしい。
そういうことなら私に異変解決を任せてほしいと、申し出たのだが……幽々子様は首を縦に振らなかった。『一人で解決するのは無防だ』と諭すだけで、それ以上は何も言わなかった。
「やっぱり……まだまだ私は未熟だ」
つい弱音を吐いてしまう。わかっている、確かに今回の異変は私一人で解決するには荷が勝っていた。
これは紫様から聞いた話だけれど……紅魔館には既に永遠亭の姫、守矢の神々が集結しており、今も様々な勢力続々と集まりつつあるとのことだ。ああなってしまったらもう私一人ではどうすることもできない。幽々子様もそれを察して私を止めたのだろう。
いや……もしかしたら、祖父だったら任されたのだろうか?そう思うと落ち込まずにいられない。
「はぁ……」
つい溜息を吐いたその時、不意にピリッと肌を刺すような視線を感じる。殺気……けれど弱い。不意打ちしたい気が先走り過ぎて、相手にバレてしまうようじゃあ、まだまだねぇ。
「北斗、隣の人の方がまだ隠れられているわよ」
「あぁ、やっぱりバレたか」
「あやや、私まで見抜きますか」
私が声をあげると、廊下の柱の影から北斗が顔を出す。ついでに新聞記者の天狗も隣から現れる。道理で気配を消すのが上手い訳だ。それにしても、北斗さんが天狗と行動しているなんて……珍しい。そういえば人が消える異変の時も、仲良さそうに話していた気がする。
「大丈夫?何か弱みを握られてるの?斬ろうか?」
私が冗談混じりに天狗を指差しながら聞くと、北斗は小さく鼻を鳴らしてから肩をすくめた。
「いや、そういう訳ではないんだけど……まあ、文を斬る分には構わないよ」
「あやや!?冷たいことを平然と言いますね!?せっかくのデートなのに!」
「一方的に密着取材を強要されることをデートとは呼ばないから」
二人のやり取りを眺めながら私は内心で驚く。普段から人当たりがいい北斗にしては、文の扱いが随分ぞんざいな気がする。ううん、もしかしたらあれが北斗の素の姿なのかもしれない。霊夢や早苗に接する時もあんな刺々しくはないけど気楽な感じに見えるし……少し羨ましいな。
「それで今日は……」
何か用かと尋ねようとするが、その声は喉元で詰まってしまう。北斗さんはこの状況……既に時間が何度も巻き戻っていることを理解しているのだろうか?もちろん異変のことは知っているでしょうが、それを伝えていいものか悩んでしまう。
「実は幽々子さんに話したいことがあって……妖夢?」
「えっ、あぁ、はい、聞いてるわよ。確か幽々子様なら西行妖の元へ行くと仰られていたわ。案内しようか?」
「西行妖……?よくわからないが、そうしてくれ」
私は頼まれたままに北斗とおまけを西行妖のある裏庭に案内する。北斗さんだけならいざ知らず、この新聞記者に教えてしまったら幻想郷中に流布されてしまう。それはさすがによくはないわ。
私達はコの字型の廊下の奥に設けられた裏勝手口から外に出る。そこには一際巨大な裸木とそれを見上げる幽々子様の姿があった。
何をするわけでもない、ただ見上げて想いを馳せる。その桜の下にある、誰かの遺体を偲んで。
……邪魔をするのは気が引けるけれど、そんな感傷的な理由で北斗さんを待たせるわけにもいかない。私は努めて抑えた声で、幽々子様に話しかける。
「幽々子様……その、北斗さんが来られてます」
「見ればわかるわよ、それくらい」
幽々子様は名残惜しそうに目線を切る。振り向き側、幽その頬には涙が伝っていたように見えた。胸が締め付けられるような思いが心身を苛む。
かつて幽々子様はこの西行妖を咲かせるために、私に春集めを申し付けられた。けれど、それは霊夢達により阻止されてしまった。幽々子様は彼女らを恨むようなことを言いはしなかったが……口惜しいとは思っているだろう。
「ッ……!」
それがわかるから、私はつい歯軋りしてしまう。主人に言葉一つ掛けられない我が身の至らなさが、口惜しかった。
幽々子様はいつも通りの、うららかな笑みを浮かべながら北斗の顔を見据える。
「久しぶり北斗君。紫から聞いているわ〜この時間を終わらせるつもりらしいわねぇ〜?」
「はい。今そのために人を集めています」
「で、私達にも手伝って欲しいと?」
「はい、あくまでお二人が同じ考えだったら、ですが」
そう言うと北斗はチラリ私の方を見遣る。願ってもみない幸運だった。ずっとわだかまりになっていたものを解消できる。二つ返事で返事をしてしまいたくなるが、それを幽々子様の扇が遮った。
「……なら貴方が解決を望む理由を先に聞きたいわ」
「理由、ですか?」
「ええ。この時間は誰にとっても魅力的よ。やり直しも、失敗も、無為の死すらも許されるこの時間は、人間にとって理想郷ではなくて?」
その言葉で、幽々子様が何を聞きたいかがわかる。
……かつて北斗は自らの死を望んでいた。死の誘惑に人一倍弱い、それが北斗の弱点だった。数々の異変と経験、そして他人との関わり合いを経て、それは克服されていったように思えた。
けれど、万が一北斗が己の死のために行動しているのなら……例えまた時間が巻き戻されようとも、私達は力を貸すわけにはいかなかった。
「貴方は何を以ってこの理想郷を、永遠の生を望まないのかしら?」
幽々子様は北斗の胸元に扇の先を突き立てながら問いかける。その桜色の瞳は真剣そのものだった。私は気温以上に張り詰めた空気に息を呑む。おしゃべりな天狗ですらも、黙って二人の動向を伺っていた。
北斗はしばらく黙っていたけれど……癖である深呼吸を一つしてから口を開く。
「……同じ時間を何度繰り返しても生きるってことにはなりませんよ。ただわからない未来の前で足踏みしているだけです」
「そうかもね〜、けれど……それこそ僅かな時しか生きられない人間が求める幻想じゃないの?」
ピクリと北斗の瞼が微かに跳ね上がる。幽々子様にしては珍しく、棘のある口振りだ。けれど私は幽々子様の心情か僅かに理解できた。
亡霊である幽々子様は、ずっと北斗に問いかけていた。永遠に死者として生きる者として……終わりを求めようとする北斗に、生きる意味を。
「例え永遠に生きられても……その幻想の中に、俺が望む時間はないですから」
そう言うと北斗は淡い笑みを浮かべる。それは、以前までの彼に見られなかった表情だった。
かつて北斗は封魂刀に封印されていた人格に、身体を乗っ取られた。それほどに彼は生きる気力が乏しい人間だった。けれど今はそんな辛気臭い雰囲気は感じられない。
彼は生きる意味を見つけたのだろう。それ故に、この時間を否定して、己が欲望を取ろうとしている。怠惰な生よりも、甘美な死よりも、強い欲望が、彼の中にあった。
「それが、貴方の答え?」
「はい」
幽々子様は北斗が力強く頷くのを見届けると、少しの間瞠目してから……振り返って桜の枝に視線を移す。
「そうね……確かに、この時間の中じゃ桜の花も二度と見れない。それはあまりにもしのびないわ」
「それに俺はまだここの桜が咲くのを見たことがないです。是非白玉楼で花見をしましょうよ」
「ふふ、それはとても……素敵な約束ね」
北斗の言葉に、幽々子様がしみじみとした表情で頷いた。
……私達が見上げている桜は例えこの冬が終わっても、花をつけることはないだろう。けれどこの桜木が咲き誇る日が来るためには、春が来なければならない。
そのために、私のできることをしよう。あの時果たせなかった、忠義のために。
別れ際、幽々子様は北斗に助力の約束した。私と幽々子様だけで戦力になるのか怪しいところだけれど……北斗は素直に喜んでいた。
幽々子様から見送りを申し付けられた私は二人を門前まで送り届けた。本来なら軽く挨拶をして別れるところだったのだけれど……私は北斗の前に立ち塞がる。
「北斗、手合わせ願えるかしら?」
「えっ?」
我ながら唐突だけれど……回りくどくするのは苦手だった。私は楼観剣を抜いて北斗に構えるように促す。北斗は最初戸惑っていたけれど……渋々といった様子で剣を抜く。文もカメラを構えながら私達から離れていく。北斗の構えは、いつも通りの、忠実な正眼だった。それが私の癪に触れた。
「言っておくけれど、手加減はしない。貴方が本気を出さないなら……問答無用で斬る」
「ッ……」
私が釘を刺すと北斗は露骨に嫌な顔を浮かべた。
わかっている、彼は面倒なんて自己中心的な理由では手を抜かない。ただ相手を傷つけたくないだけだ。
この一年で私と北斗は何度も手合わせしたけれど、北斗は本気になったことはほとんどなかった。いや、本人は至って本気だったのかもしれないが……女性と戦うことに躊躇があることはすぐにわかった。
北斗は、優し過ぎる。そんな彼が殺人剣に向かないのは知っている。けれど……
「手を抜けば相手は死なないかもしれない。けれど貴方は死ぬわ」
「俺に殺しの覚悟をしろと?」
「違うわ。生き抜いたその上で……相手を生かしなさい。どちらもやってのけるのに、手加減なんてできるわけないでしょう?」
私の説教くさい言葉に北斗はキョトンとしていたけれど……何も言わず、長い息を吐いた。そしてゆったりとした動きで刀を左脇の鞘に戻し、重心を低く保つ。あの構えは……居合だ。
本来居合術は不意打ちへの対処……一撃を打つ前に斬る『先の先』か、一撃を防いだ後隙に斬る『後の先』を目的としたものだ。居合の構え自体に意味はない……むしろ不利にしかならない。それは北斗も知っているだろう。なのに、それを見せる意味は……
「我は敗残の兵。刃折れ落魄の身と為れど魂は決して朽ちず。」
さらに詠唱によって集中力を高めていく。不退転の誓い。祖父から教わった恐れを取り除く言の葉。
……集中とは緊張と弛緩の間にあると私は思っている。そういえば、北斗はその極度の集中状態をゾーンと呼んでいたわね。自らを追い込みながら、不退転の誓いを詠うことでそのゾーンというものを作り出そうしているか。
「三魂天に還れども七魄を以って剣を振るう」
なら私も応えなければならない。かつて祖父がいつ如何なる時も私の手合いから逃げなかったように、私も……北斗の師としてそれを受け止めなければならない。
私も北斗と同じく低く構え、居合に構える。呼吸を重ねていくほどに周りの光景が見えなくなってくる。見えているのは弟子の姿だけ。その一挙一動、息遣い、汗の一滴の流れも逃さない。
今この瞬間だけは、北斗の為に。
「「この身朽ちてなお屈することなし!魂消え逝けどこの一刃潰えることなし!」」
踏み込んだのは同時。すれ違ったのは一瞬。甲高い剣撃の音が二度、庭に響き渡った。私と北斗は、低い体勢を保ったまま背中を向け合い動かない。
……あぁ、私は祖父の言葉を、今理解した。斬ればわかる、その真意を。この一撃で私は北斗の成長を知った。私の教えを彼が忠実に受け継いでくれていると。
私は楼観剣と白楼剣を鞘に戻し、北斗に目をやる。残心のまま動かない北斗の右手には大刀、そして左手には脇差の封魂の刀が握られていた。二本の刀による居合を、北斗はやってのけていた。
最初から私も二本抜くつもりでいた。が、もし私がそうしていなかったら……二撃目の居合は防げていなかっただろう。北斗は、見事活人の剣を示してみせたのだ。
「貴方の剣、確かに見定めました」
私が声をかけると、北斗は腰の鞘に脇差を戻しながら振り返る。その顔は吹っ切れたような清々しい表情だった。
「ご指導、ありがとうございました」
北斗が深々と頭を下げる。それに合わせて、私も礼を返す。
お礼を言いたいのは私の方だ。修行の身では辿り着けなかった境地に、私は辿り着くことが出来たのだから。まだ祖父には一剣士としても、剣の師としても届いていないけれど……ようやく、その背中が見えた気がした。
北斗の師になれてよかった。そんな思いで頭を下げていると、パシャとカメラのシャッター音が鳴った。




