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東方影響録  作者: ナツゴレソ
第十二章 七日戦争(上) 〜Obtain morning of the eighth day〜
163/202

98.0 肯定と偽善者

 雑木林を超えた先には博麗神社に続く長い階段が待っていた。溶けかけの雪が積もった階段を、足を滑らせないように慎重に歩いていく。本来だったら空を飛べば一瞬の道を、俺と霊夢は歩いて登っていた。

 一段一段階段を踏みしめるたび思い出す。桜の花びらが敷き詰められた春、燃え上がる炎の様に鮮烈で儚い夏、彩り鮮やかな紅葉の秋、そして……冷気と静けさが支配する冬。

 もうすぐ季節が一巡する。いや、外の世界ではもう一年は過ぎているかもしれない。

 そういえば明日が31日か。結局年越しの準備は出来ていない。まあそんなことをしている暇なんてある訳ないんだが。わかってはいる……が、少し名残惜しかった。


「年越し、ちゃんとしたかったな……」

「今の状況でそれを言うかしら? 私達が魔理沙を止められなかったら、また昨日に逆戻りになるのよ?」

「わかってるよ。それでも幻想郷で初めての年越しはちゃんとしたいと思ってたから……」

「アンタって意外とイベント事が好きよねぇ……っとと」


 霊夢は普段雪の道を歩き慣れていないせいか、バランスを崩しかける。咄嗟に霊夢の手を取るが、その前に飛行能力で滑って転ぶのを防いでいた。あまりの間の合わなさに俺と霊夢は思わず顔を見合わせた。


「なんか……」

「既視感あるわね」


 いつかは忘れたが、こんなことがあった気がする。霊夢も同じシーンを思い出したようだ。俺達は暫しの間見つめ合うと……どちらとともなく吹き出した。


「やっぱりアンタのそういうとこは変わらないわね。北斗」

「そういう霊夢も根っこの部分は変わってないじゃないか」

「当然よ、アンタじゃないんだから一年くらいじゃ変わらないわよ」


 霊夢はそう言いながら俺の手を握ったまま階段に降り立つ。先程握り返してくれた手はまた冷たくなっていた。けれどわかる。その微かな肌の熱と共にじんわりと伝わってくる。ようやく頼ってくれたんだ、と。


「俺は……」


 ずっと迷っていた。本当に霊夢は救われることを望んでいるのか、魔理沙が望んだ永遠を簡単に否定していいのか、レミリアさんや輝夜さん達と戦う覚悟はあるのか……

 そしてこの幻想郷の行末を俺の影響で、決めてしまっていいのか、と。つい縋るように霊夢の手を強く握りながら問いかける。


「変えていいのかな? 幻想郷を、みんなを……」

「………………」


 答えは返ってこない。霊夢は俺の手を真下に引いてくる。為すがまま中腰になると……目と鼻の先に霊夢の顔があった。


「馬鹿ね」


 そう言うと霊夢は微かに微笑みながら、ゆっくりと顔を近付けて……


「私を助けてくれるんでしょ? 変えてみせてよ。この時間を、幻想郷を……」

「……あぁ、ありがとう。霊夢」


 そっと合わされた額はやっぱり冷たくて……何だか気恥ずかしさが込み上げてくる。

 ずっと独りよがりだと感じていた俺の行動を霊夢が肯定してくれた。助けて欲しいと願ってくれた。それだけで俺は……自分自身の行動を肯定できた。






 博麗神社に辿り着くと、大鳥居の下で紫さんと華仙さんが俺と霊夢を待っていた。2人の後ろには火依とこころちゃんが立っていて、遠巻きに俺達の様子を眺めていた。火依は不安そうな顔を、こころちゃんは姥の面をしていた。心配……してくれているのだろう。

 俺は息を一つ吐いてから紫さん達の前に進み出る。


「紫さん。俺はこの異変を解決します」

「異変……と呼ぶのね、貴方は。それは霊夢の為に、かしら?」

「それもあります。けど、このままだと幻想郷が崩壊する可能性もあるとも考えています」

「……どういうことかしら?」


 紫さんは据わった目をこちらに向けてくる。未だに紫さんと対峙していると初めて会ったあの時の恐怖を思い出してしまう。未だにトラウマだ。もしかしたら一生モノかもしれない。

 ふと霊夢が俺の隣に立って肩で俺を小突いてくる。もっとシャキっとしろ、ってことだろう。俺は咳払いをして気合を入れ直した。臆している場合じゃない。ここは正念場だ。


「このまま幻想郷の生死がない状態が続けば、新たに迷い込んできた者達を受け入れられなくなります。それは幻想郷の、受け皿としての機能がなくなるってことですから……」

「……そうね。確かにそれは幻想郷の根底のあり方を歪めることになるかもしれないわ」

「それに外の世界との時間のずれが起こり始めている。紫さんも気付いていますよね? どんな不具合が起こるかは分かりませんが……赤い霧の件も含めればあまり状況はよくないと思います」

「まるで言い訳してるような理由付けね。まあ、筋は通ってないわけじゃないけれど……」


 紫さんの勘繰りに、俺は内心で動揺する。今羅列した台詞は確かに舌先三寸の出任せだ。こうでもしないと、紫さんを説得できる気がしなかったのだ。

 彼女まで敵に回してしまったら、たとえどれほど戦力を集めてても俺達の勝ち目はなくなる。それほどまでに紫さんの幻想郷への影響力は強く、『境界を操る程度の能力』は脅威だ。せめて中立でいてくれるように説得しないといけない。

 網膜に映る景色すら見通しそうなほど鋭い懐疑の瞳に耐えていると……突如その視線の先が俺の隣に立つ霊夢に移った。


「霊夢、貴女はこの状態を異変じゃないと言っていたわよね? そこのところどうなのかしら?」

「……ま、そうなるわよね」


 その投げかけに霊夢は、首元のマフラーの緩めながら頭を掻く。まるで親に叱られる子供のような反応だ。

 霊夢は一頻り面倒くさがると袖口からお祓い棒を抜き出し紫さんに突きつける。


「どうせ自分言ったことを齟齬にするな、とかのたまうんでしょ? アンタはそういうの無駄に厳しいものね」

「私がどうこう受け取るかなんて些細なことよ。問題はこの状況に、博麗の巫女としてどうやって関わっていくのか聞きたいの!」


 珍しい。紫さんの口調が妙に刺々しく感じた。怒っているかもしれない。いつもはノラリクラリとした感じなのに……

 霊夢と紫さんの関係は複雑だ。保護者あるいは気の知れた友人、師弟関係にも似た感じもあるし、事務的な接し方をしていることもある。そして人間と妖怪としての本来の関係が見え隠れすることも少なくない。

 けれど今は……紛れもなく二人は博麗の巫女と妖怪の賢者だった。


「貴女は博麗の巫女として今の幻想郷を否定するつもり? それとも……全ての幻想を受け入れる覚悟がないのかしら?」

「受け入れるも何も、私は元から何にも囚われない素敵な巫女よ。今回だって異変かどうとかは問題じゃない。私は魔理沙を止めたい。ただそれだけよ」


 いつも通りのぶっきら棒な言い草。だけどその表情は普段通りのそれじゃなく……どこか儚げに映る。

 悲しんでいる? 何を? 

 問いかけることは出来なかった。そんなことを面と向かって聞けるはずもないし、それより先に紫さんが口を開いていた。


「それが……貴女の願いなのね?」

「ええ、それが……私と北斗の願いよ」


 二人とも沈痛な雰囲気を漂わせながら言葉を交わしている。なんだろう、二人の問答に引っ掛かりを覚えてならない。何か二人のやり取りに見落としがあるような……

 いや、俺と違って霊夢も紫さんも過去のループ時間の記憶がある。だから何かしら違和感があるのは当然かもしれない。

 霊夢と紫さんはお互いに向き合ったまま微動だにしない。しばらく二人の動向を見守っていると……ずっと肩肘を張っていた紫さんがふと力を抜いた。


「霊夢がそう決めたのなら私は何もできないわ。後は……幻想郷に生きる者達が行末を決めるだけの事。私は傍観に徹しましょう……」


 紫さんはそう言うと背後にスキマを作りだし、俺達に背を向け中に入っていく。そして隙間が閉じる直前、背中越しの言葉が耳に届く。


「北斗、外の世界との時間のズレによる問題は何とかしておくわ。貴方は……霊夢を、お願い」

「は、はい!」


 思わず上擦った声で返事を返してしまう。紫さんに頼まれるとは思ってもみなかった。やっぱり多少なりとも親心のようなものがあるらしいな。

 俺は紫さんがスキマの中に消えていくのを見送ってから、鳥居に背を預けている華仙さんに近付く。


「華仙さん、事情は……」

「一通りは聞いているわ。私の立場じゃどちらに付くかどうかは明確にできないけれど……」


 華仙さんは腕を組んだまま顔を伏せる。彼女は地底での一件以降地上と地底との緩衝材の役割をこなしていた。俺自身が何度も地底に行っているからこそ、華仙さんの努力は目に見えていた。だから俺はすぐ首を振る。


「当然だと思います。流石に俺も華仙さんには頼れません。なのでこれから地霊殿に交渉へ行こうと思っています」

「残念だけど、この件に地底が関わらせるのは容認できないわね。例え幻想郷の問題だとしても地上での争いに旧都の者達が絡めば、地上と地底の戦争という形式になりかねない。せめて明確な大義名分でもあれば話は別だけれど……」

「そう、ですか……」

「ごめんなさい。決して貴方を困らせるつもりはないのだけれど……まだ地上と地底の関係は危うい状態なのを理解して頂戴」


 俺は心苦しそうな華仙さんにもう一度首を左右に振ってみせた。

 折角の努力を踏みにじるのは俺も不本意ではない。だが……一番戦力として頼りにしていたさとりさん達を味方に付けられなかったのは正直痛かった。目的の達成第一に考えるなら手段を選んでいる暇はないのはわかっている。それでも俺は……

 今後俺がどうするべきか考えていると……華仙さんが思い出したように小さく声を上げた。


「あ……そういえば話は変わるけれど、覚妖怪の妹と吸血鬼の妹……あとぬえが地底に行くのを見かけたわ」

「えっ!? こいしはともかく……フランちゃんとぬえが地底に?それは確かですか?」

「直接見たから間違いないと思うわ。あまりに浮かない顔だから何かあったのかと思って博麗神社に来てみたのだけれど……まさかこんなことになってるなんてね。どうして吸血鬼の妹は紅魔館に帰らないのかしら?」

「それは……」


 きっとフランちゃんは行く宛がなくなって、地霊殿に行くことになったのだろう。なんでぬえが付いて行ってるのは不明だが。

 この赤い空に家出の一件とフランちゃんに何もしてあげられなかった。だから頭の隅でずっと気に掛けてはいたのだが……とりあえずさとりさんの所へ行ったというのなら、大丈夫だろう。あくまでひとまず、だが……


「北斗……?」

「どうした? 腹でも痛いか?」


 火依とこころが俺の方に近付いて来て、心配そうに俺を見上げてくる。けれどそれに応じれる余裕はなかった。どうもフランちゃんのことが気になる。この赤い空の下にいるせいだろうか?

 今の俺に出来る事なんて……ほんの少ししかない。だが、だからといってそれをしない理由にはならない。


「……華仙さん、ちょっと頼みたいことがあるんですが、いいですか?」

「うん……?」

「フランちゃんに渡してもらいたいものがあるんです。今から少し準備しますんで、出来次第届けてもらえませんか?」

「ええ、それくらいなら構わないけれど……手紙か何かかしら?」

「それもありますが……とにかくよろしくお願いします」


 俺は頭を下げてから急ぎ足で居間に向かった。ただの思い付きだったが、一切の迷いなく動けていた。

 フランちゃんがどんな思いでこの状況を見ているかはわからない。だが……きっとわからないことだらけで不安になっていると思う。だから伝えないといけない。俺が伝えられる全てを。


「手紙なんて年賀状ぐらいしか書いたことないんだが……まあ、形式は気にしないでおこう」


 俺は炬燵机に向かい一応買っておいたボールペンと障子の張り替えの時に余った和紙で手紙を書いていく。本当は直接会って話をしたいところだったが……今は地底に行く時間も惜しかった。




 ……霊夢を助けたい。フランちゃんの力になりたい。魔理沙を止めたい。全て俺の望みだ。誰かの為になりたいと思う、紛れもない俺の願いだ。

 自分勝手な思いだって自覚はある。自分の手が届く相手にだけ勝手に手を伸ばして、目の届かない誰かやどうしようもないことからは目を逸らしている。まさに偽善者だろう。


「偽善者……結構じゃないか」


 正しいかどうかなんて誰かが勝手に決める。憎まれるかもしれないけど構わない。何と言われようとも、立ち止まることだけはしない。俺が俺を肯定する限り突き進める。


「夢物語を、本物にしてやる」


 俺は書き終えた手紙を折りたたむと大きめの封筒に……フランちゃんが作ってくれた人形と一緒に入れ、糊で封をする。フランちゃんに俺の気持ちのほんの少しでも伝わるよう、祈りながら。

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