92.0 時の牢獄と感情の行先
「霊夢、今なんて……?」
俺は自分の耳が拾った言葉を信じることができず、声で霊夢に尋ね直す。しかし、火依の息を呑む音は聞こえてくるが、目の前の博麗の巫女から答えは返ってこない。
じれったい。神経を逆撫でされているような耐えがたい沈黙を経て……ようやく霊夢が、再び口を開いた。
「言い方が悪かったわね。これはもう異変じゃない。幻想郷の在り方が変わっただけ。幾重も同じ時を繰り返すこの空間こそ……今の幻想郷よ」
「何、言ってるんだ……」
俺は湯呑みを持ったまま喋り続ける霊夢の姿に耐え切れなくなり、思わず立ち上がる。ビクリと火依が驚くが、それを気に掛ける余裕はなかった。
ただ答えを当て嵌めただけの模範解答が聞きたいんじゃない……そんな言い訳している霊夢なんて見たくなかった。
「霊夢が、決めたのか? それとも紫さんが判断したことなのか?」
「私と紫で決めた事よ。『幻想郷は全てを受け入れる』……この時間の在り方も幻想郷に受け入れられたってことよ」
「そん、な……」
俺は真っ白になっていた頭からさらに血の気が引いて行くのを感じる。
いつ話したかはわからないが……俺は霊夢と紫が繰り返す時間を選んだことに関して驚いた訳じゃない。紫さんならそう判断してもおかしくないだろう。
だが霊夢は……違う。俺はさっきから僅かに感じていた霊夢の不自然さ、霊夢らしくない言動を目の当たりにして動揺を隠すことができなかった。
「まだ1日しか経ってないじゃないか!? 何もやってないのに……なんでそんな簡単に諦められるんだよ!?」
つい口調が荒くなってしまうが止められない。同時に自己嫌悪を感じてしまう。
自分が聞きたい答えが返ってこなかったから、霊夢に八つ当たりしているだけなんじゃないか。自分の中の理想像を一方的に押し付けているだけじゃないか。
そんなことを頭の片隅で考えてしまう。けれど、動き出した口は止まらない。感情が勝手に言葉を作り出していた。
「魔理沙に負けたから諦めたのか、博麗の巫女が嫌になったのかどうかは知らないけど……そんなの」
「私らしくない、かしら?」
俺の台詞を奪い取るように霊夢が呟く。そして言葉を失った俺を気怠げに見上げてくる。
その瞳に力は一切ない。感情の全てが沈殿し濁り切ったかのような瞳だった。普段から本気にならないのが信条の彼女だが……それとは全く違う。かつて俺が見たことのない霊夢が、そこにいた。
「貴女は一年も経っていないのに私のことがわかるのね」
「………………」
「私は……わからないわ。アンタのこと」
突き放すような、外の空気より冷たい言葉。
それは明らかな拒絶だった。今目の前で炬燵に座っているはずの霊夢がはるか遠くにいるように見えてしまう。霊夢はそれ以上何も言わなかった。
俺も口から言葉にならない吐息が出る。
「俺、は……」
自惚れていたのかも、しれない。霊夢と一緒に暮らして、霊夢と一緒に異変を解決して……過去の自分まで晒して、俺は彼女に受け入れられていたと思っていた。
俺は彼女のことをわかったつもりでいた。それは俺が作り上げた幻想だったのか。俺は霊夢のことを何も理解していなかったのか。
冷たい沈黙の空気の中……俺は何もできず座り込もうとする。が、それより先に小さな声が耳に届く。
「どうして……」
「火依……?」
「どうしてそんなこと言うの!? 私は霊夢も北斗も……家族だと思ってた! 最初は何のつながりもないかもしれないけど、だからこそ私達が一緒に暮らしていく中で大切なつながりが出来てきたって……思ってたのに!」
そう言いながら火依は机を叩きながら立ち上がる。その拍子にお茶が零れ、机の上に広がっていく。
普段大人しい火依らしくない行動だけれど、その言葉は、思いは、火依らしかった。
一人の辛さを誰より知っていて、誰よりもつながりを、絆を大切にしてきた火依。その火依が……怒っていた。最初は怯えてまとめに話すこともおぼつかなかった霊夢に対して。
霊夢も一瞬だけ驚くが……すぐに平然とした表情で机を拭き始めた。そんな霊夢を見た火依は……
「答えてよ霊夢ッ!?」
「ッ……!?」
霊夢の襟元を掴み、乱暴に立ち上がらせた。
小柄な身体だが、元は妖怪だ。人間より腕っぷしが強い。けれど、そんなことより……火依がここまで暴力的になっているのを初めて見た。
しかし、流石に手が出るのは拙いと思った俺は二人を止めようとする。しかし、それより先に霊夢が握りしめていた火依の手を払った。
「何も……知らないくせに……!」
霊夢はそのまま俯き、立ち尽くす。その肩は震え……声も掠れかけていた。唐突だった。さっきまで冷めたような態度を取っていた霊夢が、今にも泣きそうになっている。
その姿を唐突に見せられて、俺も火依も怒りを忘れて困惑してしまう。お互いに顔を見合わせていると、霊夢が自分の顔を両手で覆う様にしながら叫んだ。
「わからない……わからないわよ! 何度も同じことを言って! 何度も勝手に死ににいくやつのことなんて……わからないしわかりたくもないわよ!」
「は……?」
俺は霊夢の意味の分からない発言に、眉を潜める。何度も同じことを言う? 何度も勝手に死ににいく? 俺が?
確かに今までそれなりの無茶はしてきたかもしれないが、死にかけたのは妹紅さんと弾幕ごっこをした時ぐらいしか身に覚えがない。そんな何度も……なん、ども……
「まさか……」
それは気持ちの悪い発想だった。俺の杞憂であればよかった、だがもしそうであったなら……あまりにも、酷過ぎる。
霊夢に尋ねるのが怖かった。それは不老不死の永遠とは似て非なる……時の牢獄だった。
「なあ、霊夢……俺は……」
「………………」
「俺は、何回気付けた?」
「ッ……!」
俺の問いを聞いた瞬間、霊夢が堪え切れなくなったようにゆっくりと顔を上げる。とめどなく流れていく涙を見せつけられて、俺は確信した。
魔理沙の時戻しの異変はもう始まっている。俺達はもう何度も何度もこの一週間を繰り返しているんだ。
そして、その繰り返した時間の記憶は受け継がれない。少なくとも、霊夢以外は。
霊夢はずっと見てきたんだ。俺達の繰り返す一週間をずっと、ずっと……
火依はまだ気付けないようで困ったように俺と霊夢を交互に見遣っている。
そして霊夢は袖で顔を拭い、自身の胸に手を当て呼吸を正してから……やや目蓋が腫れているがいつもの通りの顔で俺と対峙する。
「アンタはいつも気付くわよ。遅かれ早かれね。そして私を救うって勝手に出ていって……帰ってこないわ」
「それは……」
「この時の繰り返しは、私と紫の記憶以外は全て元に戻されてしまう。たとえ幻想郷が滅ぼうと……誰かが死のうと、ね」
「……そういう、ことか」
俺がおもむろに呟くと、火依もなんとなく意味が分かったようで……その場にへたり込んで、俯いてしまう。
……おそらく俺は霊夢のこの状況をなんとかするために何度も紅魔館へ向かったのだろう。
だが、死んだことすらなかったことに出来る時間のループの中では、人を殺すことは容易になる。たとえ、友人と呼んでいた人間でも七日過ぎれば殺したことすら忘れてしまうのだから。
「はは、そりゃあ……勝てない、か」
俺は口から乾いた笑いが零れてしまう。流石に霊夢から俺が何回死んだかやどんな死に方をしたか、なんて無神経なことは聞けなかった。まあ、だいたい想像がつくが。きっと最後までもがいてあがいて……死んでいったんだろう。
そんな俺の姿を見て、レミリアさんは、輝夜さんはどう思っただろうか?
いや……そんなこと考えても、無意味、か。きっと俺がどんな影響を与えても、それは『今』に繋がっていない。俺が与えた影響なんて……霊夢をこんな姿にしてしまったことぐらいだろう。
霊夢は何度俺を止めたのだろうか。何度泣いたのだろうか。そんな霊夢を、俺は何度……裏切ってきたのだろうか。
「ごめん、霊夢……」
俺は自然と霊夢を抱きしめていた。彼女は孤独だったんだ。時間に取り残されても、ずっと一人で我慢していたんだ。そう思うとやりきれなかった。気休めだとわかっていても、その華奢で冷たい身体を離すことができなかった。
頭を抱いて肩口に首を埋めさせると……そこからじんわりと熱が伝わってくる。
霊夢は俺の胸元を両手できつく握りしめ、微かに嗚咽を洩らした。そんな霊夢の真っ黒な髪をそっと梳かしてやると、さらに擦り付けるように顔を首元に押し付けてくる。
どれくらいそうしていただろうか……ふと霊夢が顔を上げる。そして、数度息を吐いてからそっと耳元で、呟く。
「もう、どこにも行かないで」
……縋るような言葉。いや、もしかしたらもう縋ることしかできないのかもしれない。
腕の中にいたのは、たった一人のか弱い人間の女の子だった。時間の流れにたった一人で、翻弄される少女だった。
なんで、俺はこんなにも……何もできないのか。俺は霊夢の言葉に頷く事すら出来ず、ただ歯を食いしばりながら霊夢の頭を撫で続けることしかできなかった。




